8261.福田元昭動画191 三鷹事件4 オオゼキ三鷹店前での三鷹事件現地調査
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(1)福田元昭動画191 三鷹事件4 オオゼキ三鷹店前での三鷹事件現地調査
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https://youtu.be/7Br3eJ2Oqlc
↑福田元昭動画191 三鷹事件4 オオゼキ三鷹店前での三鷹事件現地調査 2023年7月15日 15:02~
(2)暴走電車が交番に突っ込んだにもかかわらず、当夜勤務していた4人の警察官は全員無事。
(3)現在の時間で言えば夜8時23分
(4)戸籍謄本などの公的書類も事前に交番から持ち出し無事
(5)武蔵野警察署経由で三鷹警察署に対して、今夜<1949年7月15日>、三鷹で重大な事件が起きるという連絡が入っていた。だから4人の警察官は事前に待避して全員無事。
(6)誰がその連絡をしたのか
(7)小金井電車区と中野電車区と八王子機関区に、1949年7月14日に重大な事故が起きるから待機する様にという連絡が入っていた。それなのに肝心の三鷹電車区には何の連絡もなかった。結局14日には重大な事故は起きなかった。
(8)三鷹事件は極めて謀略性の強い事件
(9)三鷹駅南口通行中の一般市民への呼びかけ
(10)竹内景助さんの冤罪を晴らそう
(11)三鷹事件 (片島紀男著 NHK出版) その7 from「岩崎公宏のブログ 2009-07-24」
第4章は「狙い撃ちされた国鉄労組」と題して記されている。
三鷹事件が発生した1949年(昭和24年)7月15日の夜に三鷹駅近くにあった小間物店の高相健二(たかそうけんじ)氏方の2階で共産党三鷹電車区の細胞会議と共産党三鷹町委員会の会合が開催されていた。二つの会議はのちに高相会議と称された。警察はこの会議は事件を起こすための共同謀議の場だったと決めつけて、出席していた9人の党員と非党員で会議にも出席していなかった竹内景助の合計10名を容疑者として逮捕した。
細胞会議の出席者が14名で、委員会の出席者が5名の合計19名だった。会議の出席者の氏名や経歴などの記述があるけど省略する。細胞会議では解雇された人たちへの救援対策、組合内部で対立していた民同派への対策、国鉄の荒廃した状況を大衆に訴える宣伝戦などが討議の内容だった。委員会の会合では賃金の遅配や主食の掛売りなどを討議していた。
事故が起こったのは会議の最中だった。出席者のうち数名が外に出て事故が起きたことを確認した。これで会議どころではなくなってしまった。事故直後の様子を目撃した会議の出席者の証言が続いている。現場での救援や事故原因調査をやろうとしたけど、三鷹駅長は組合員の関与を拒否した。
三鷹電車区分会元執行委員長の飯田七三氏は事故直後に現場に行き、先頭車両が無人だったことから自然発車だと思ったと証言している。翌日には逮捕状が出されて17日に飯田氏は逮捕された。
定員法による国鉄の約95,000人の人員整理は7月末までという予定通りに完了し、国鉄の労働運動の主導権は反共産派の民同派が掌握した。
第5章は「「運命の時 竹内景助の7月15日」と題して記されている。
三鷹事件で逮捕された者のうち唯一の非共産党員であり、唯一の有罪判決を受けた竹内景助がいかなる人物であり、事件が発生した7月15日に彼が何をしていたのかがこの章では書かれている。
竹内景助は長野県松代町に1921年(大正10年)2月に生まれており、事件のときは28歳だった。地元の高等小学校を卒業したあと国鉄を受験したけど不合格だった。京都で生活したあと実家に戻った。そして1937年(昭和12年)に上京して印刷会社で働いたけど、鉄道員になる夢を捨てることができず独学で採用試験の勉強を続けた。その努力が報われて1938年(昭和13年)11月の東京鉄道局池袋電車区に採用された。2年後には結婚して5人の子宝にも恵まれた。
1945年(昭和20年)5月の空襲で豊島区の家が焼失したので、三鷹の官舎に転居して戦後は労働組合活動に積極的に参加していた。
この章には竹内景助が逮捕される直前の写真、獄中で描いた水墨画や彼の手帳の写真が掲載されている。その手帳の記述にしたがって1949年(昭和24年)7月の彼の動きが記されている。12日の第二次人員整理案の対象になっていることを彼が知ったのは14日だった。整理通告されても受領を拒否して闘争を継続すると4日の組合の分会大会で決めていたにもかかわらず、通告された人の大半が組合の決議を無視して受領していた。その事実をした彼は組合活動に見切りをつけて15日に整理の辞令を受けようと決心した。
事件が発生した15日の竹内景助の行動が詳述されている。整理通告の辞令を受け取る予定にしていたけど、退職一時金の計算が間違っていたので翌日に伸ばしたこと、事故発生の時間には三鷹電車区の風呂に入っていたこと、同僚らと会話を交わしており、入浴中には停電があったこと、風呂から出て帰宅する途中で助役とすれ違ったこと、帰宅して奥さんから事故のことを聞いて一緒に駅のほうまで見に行ったこと、大勢の人が集まって混雑している現場を見てから組合事務所に寄ると飯田七三氏から「組合員に嫌疑がかかるかもしれないから、アリバイをはっきりさせたほうがいい」とアドバイスされたこと、事務所には長くいないですぐに帰宅したこと、これが運命の日の行動だった。彼の手帳のこの日の記述は「区長交渉 駅前大事故アリ」だけだった。
16日に辞令を受け取ったあと、納豆やキャンディーを売って生活費を稼ぎながら職業安定所で次の仕事を探した。消防庁の外事課の求人に応募して採用された。その採用通知が届いたのは8月3日だった。しかしその2日前の8月1日に竹内景助は電車転覆致死の容疑で逮捕されていた。
(12)お話をなさっている方が「所謂」という表現を連発しています。「所謂」を付ける必要がない所で。口癖なのでしょうか。
(13)高相小間物店で三鷹事件の謀議が行われたとされた。
(14)高相小間物店<高相肉店>があった位置
(15)高相会議と称されたこの会議は、共産党三鷹電車区の細胞会議と共産党三鷹町委員会の会合だった。
(16)その会議の最中の午後9時23分<現在なら午後8時23分>にドカンという音がした!(暴走電車の突進!)
(17)外に出ると電車が脱線して民家に突っ込んでいた。高相小間物店で三鷹事件の謀議が行われたとされた時刻に事件が起きたので、高相小間物店で三鷹事件の謀議が行われたというのは悪党屑蛆虫どもが垂れ流した嘘!
(18)事件後すぐに手回し良く民自党都議会議員の斉藤由五郎の若衆により規制線がはられた。斉藤由五郎も悪党屑蛆虫どもの一味だろう。
(19)高相会議<謀議>は砂上の楼閣であった。竹内景助単独犯行共同謀議は砂上の楼閣であった。
(20)三鷹事件は共産党による謀略だという説は否定された
(21)当時、盛り場には必ずと言っていいほど、街頭広告放送の声が流れていた。三鷹駅前にも日本放送連盟三鷹放送所のスピーカーが設置されていた。放送所は防犯などで警察とは普段から協力関係にあった。事故〔三鷹事件〕発生直後、放送所の森英樹社主が、「当放送連盟はこのニュースに責任を持ちません」と変な前置きをしてから、「この事故〔三鷹事件〕には共産党員が関係していると見られています。あくまで町民の皆様と真相を追及しましょう」とマイクで繰り返し宣伝していたという。
(22)三鷹事件を風化させない
(23)竹内景助さんの7回の自白の変遷の背景は警察の自白強要の過酷で強引な取り調べ。それ自体が自白の信憑性が乏しい事を示す。
(24)死刑判決を受け逝去した竹内景助さんの遺族の再審請求
(25)殺人ワクチン接種の影響かもしれない歩き方がおかしい方が映っています
(26)「三鷹事件」と、「デマを吹聴するお仕事」 from「カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記 2006-09-03」
「三鷹事件」の被害者慰霊碑にお参り。昨日の日付で画像を上げておく。http://d.hatena.ne.jp/images/diary/k/kamayan/2006-09-02.jpg
安倍晋三の祖父・岸信介や岸信介の弟・佐藤栄作が黒幕である「下山事件」と同年、「三鷹事件」という奇怪な事件が発生した。その「三鷹事件」の本を読んでいたら、興味深い記述があった。以下に引用する。
1;事件直後にデマを撒く、都議会議員が経営する土建会社の若衆
そして三鷹事件発生と同時に政府とマスコミは一体となって、これまでの一連の列車妨害キャンペーンの延長線上で「これ〔三鷹事件〕は共産党の仕業である」とのキャンペーンを展開し、世論を誘導していくのである。〔略〕
煌々と車内の明かりをつけた上り電車がかなりのスピードで走ってきて〔略〕、その瞬間、駅は真っ暗になり、轟音とも地鳴りともつかぬ大音響が起ったのである。
〔略〕突然、暗闇の中から数人の若い衆が石田たちの前に現れ、「入らないように」と言いながら、店の前1メートルくらいの距離に縄を張りにかかったという。
「〔事故が起きて〕10分もたたないうちだったと思うんですよね。〔石田は〕近くの人に『どうしたんだ』と聞いたら、例によって『日共さんがやったんだ』というようなことを言っているように私は聞いた記憶なんです。私は、瞬間的にそれがわかるっていうのも不思議だとは思ったんですよね。〔略〕」(48-49p)
「〔略〕どうしたんですか。何が起ったんですか」
「〔略〕共産党が仕掛けた事故なんだ」
〔略〕若衆は吐き捨てるように言うと、暗闇の中に消えていった。
〔略〕「今の若衆は誰なんだい。この近所の人ではないね」〔略〕
〔この「若衆」とは〕「〔略〕斉由(さいよし)組〔略〕なんですよ。〔略〕
斉由(さいよし)組とは、当時、町の有力者で民自党都議会議員だった斉藤由五郎が経営する土建会社で、小中学校の建設など三鷹町の公共事業を一手に引き受けていた。
石田が目撃した斉由組の若衆については、他にも目撃者がいた。
当時三鷹電車区技工だった金沢卓は、事故直後、現場にかけつけると赤い腕章を巻いたヤクザ風の男たちが現場保存のためと称して縄を張っているのを目撃した。そして彼らが声高に、「これは共産党の仕業だ」と吹聴するのを聞いた。その男たちは地元三鷹町選出の民自党都議会議員、斉藤由五郎配下の者だったという。〔略〕(49-51p)
2;事件直後、デマを撒く日本放送連盟
当時、盛り場には必ずと言っていいほど、街頭広告放送の声が流れていた。三鷹駅前にも日本放送連盟三鷹放送所のスピーカーが設置されていた。放送所は防犯などで警察とは普段から協力関係にあった。事故〔三鷹事件〕発生直後、放送所の森英樹社主が、「当放送連盟はこのニュースに責任を持ちません」と変な前置きをしてから、「この事故〔三鷹事件〕には共産党員が関係していると見られています。あくまで町民の皆様と真相を追及しましょう」とマイクで繰り返し宣伝していたという。(52p)
3;事件直後、デマを撒く奇怪な男
「〔三鷹事件発生時、三鷹駅前で止まった電車内で〕うしろの車両の方から連結器の間のドアを開けて、われわれの車両の方へ入ってきた人間がいて、それが何か言いながらだんだん近づいてくる。ちょっと人をかき分ける感じで、何かぶつぶつ言いながら近づいてくる。何を言っているんだろうと思ったら、『あれは共産党がやったんだ、あれをやったのは共産党だぞ』と。呟きではないんですよね。一種の呼びかけ、そういうことを右に左に言いながら人をかき分けながら歩いている。〔略〕何をやったといっているんだろう、この人は、と思ったんですね。〔男は次の車両へ入っていった〕」
〔その後、この証言者は止まっている電車から降り〕15分後、初めて三鷹事件の惨状を目撃したのであった。〔略〕あの男はなぜこの事故が起きていることを知っていたのだろうか。〔略〕
「ちょっと不思議だなと思ったのは、われわれはあの電車の中では何が起ったかはわからなかった。しかし電車を降りて歩いてきて初めて(事故現場を)目撃して何が起ったかを知ったわけです。ところが誰も知り得ないはずなのに、電車の中ですでに知ってたらしい男がいる。しかも事故があった時刻からそう時間がたってないわけですから、その事故を目撃してから急いで走ってきて、われわれの止まっている電車に乗り込んで、いちいちそう言って知らせて歩いたというふうにはまったく考えられないんですね。
〔略〕これは偶然の事故ではなくて、誰かがやったんだということは考えましたね。それから、その誰かと電車の中の男は何か関係があるんじゃなかろうかと、これはわかりましたね。それからもう一つは、『あれは共産党がやったんだ』と、こういう言い方をしているからには、少なくともどうも共産党の人間ではなさそうだと、これはわかりましたね。自分でやっておいて自分がやったんだというバカはありませんからね。〔略〕」
〔この証言者は〕車中で出会った奇妙な男の特徴を次のように覚えていた。
「目の色といいますか、目の光といいますか、何かポッとカスミがかかったような、何かピントが合っていないような……。ああいうのを何ていうんですか、偏執狂とでもいうんですか、ナチのゲーリングですか、空軍元帥の。あの人の写真を見た時と非常に似た感じを受けましたね。一瞬目が合ったときは、あの頃の言い方をすれば、『大陸帰りだな』と、そういう感じでした。」(54-56p)
4;事件発生を事前に知らされていた警察
暴走電車が駅舎の東隣にあった木造の駅前交番を完全に破壊したその時、駅前交番に勤務していた四名の巡査は全員無事だった。完全に破壊された駅前交番を見た地元の人々はいちように疑問を抱いた。〔略]
この四人の巡査は、事故が起きる三〇分ほど前、「この夜三鷹駅で何か重大な事故が起きる」ということを知らされていたのである。
「これは共産党がやったんだ」と事故発生直後、駅前の事故現場で叫んでいた三鷹町署の仲谷巡査部長〔略〕はその夜八時半頃、国警都本部警備課から、「今夜三鷹電車区で重大な事故が起きる」との連絡を受け、その情報を直ちに三鷹駅前派出所と井ノ頭派出所の二ヶ所に自ら電話で連絡をしていたのである。〔略〕(74-76p)
5;事件発生を事前に知らされてなかった事件現場の人々
〔不思議なことがある。]七月一五日夜、国鉄と警察当局は三鷹で重大事故が起きることを予知し事前に警戒体制をとっていたにもかかわらず、事故が起きる現場である三鷹電車区の区長と三鷹駅の駅長には何の連絡もしていないことである。(85p)
この「デマを吹聴するお仕事」自体は現在も健在なようだ。

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