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8150.下山事件の末広旅館の女将・長島フクの証言はフェイク

(1)詳し過ぎるおかみ証言、検事は「信憑性ですよね」…下山事件の謎に迫る【9】 from「2023/05/02 11:30 読売新聞オンライン

 {8149.初代国鉄総裁・下山定則氏を乗せた大西政雄運転手は共犯者側}などの続きです。最近UPされた記事の多くがいいね0の状況です。拡散の為にご協力賜れれば幸いです。

 <転載開始>初代国鉄総裁の下山定則(当時47歳)が、通勤途中に立ち寄った東京・中央区の日本橋三越で行方不明になり、約15時間後に足立区内の常磐線の線路上で遺体が見つかった1949年の下山事件。捜査にあたった東京地検の元検事・金沢清は、ひそかに書き残した 「下山事件捜査秘史」 で、自殺説を唱えた警視庁捜査一課が最重要視した旅館のおかみの証言に疑いの目を向けた。彼が捜査秘史を書いた理由は、その辺りにあったと思われる。

検事がひそかに記した東京地検「1949年7月5日」の混乱…下山事件の謎に迫る【8】

(2)背広・靴・靴下の色から顔立ち、髪形まで鮮明に記憶…現場近くの「末広旅館」 

 警視庁捜査一課が「自殺説」に立った経緯について、金沢は捜査秘史13章にこう記す。

 「警視庁捜査一課における捜査によれば、三越から地下鉄に入る付近、前記末広旅館及び現場付近等で総裁らしき者を見たという数名の者があつた。反面多殺(注・他殺)に関する有力な事実は浮び上らなかつた。そのため総裁は自殺したのではないかとの見解が強くなつた。しかし総裁が事件前に着用していた眼鏡、ライ夕―、シャープペンシル、ネクタイ等は発見されなかつた」

 末広旅館は、足立区の東武線五反野駅付近にあった。下山の死体発見現場からは直線距離で700メートル弱に位置する。末広旅館のおかみ、長島フクの証言は、捜査一課がまとめたとされる報告書「下山白書」にこう記されている。

 「七月五日午後二時頃にお客さんらしい人が見えて三男正彦が言うので出て見ると上品な男が玄関に立って居た。『六時頃迄休ませて 呉く れ』と言うので主人に聞いて二階四畳半に案内して窓を開けると窓に腰かけて『涼しいですねー。水を一杯下さい』と言い、(中略)宿帳に記入方を申出ると『それは勘弁して呉れ』と言うので 其そ の 儘まま 一番良い布団を持って上って下に降りた。(中略)其の男の人相着衣を申上ると丈五尺七寸位、色白面長ふくらみのある顔で眉毛の間が普通の人より空いていてロイドの眼鏡をかけ髪七・三に分けて居り上品な優しい顔でした。それで無帽で 鼠ねずみ 色背広、白ワイシャツ、ネクタイをしてチョコレート色ヒダの在る進駐軍様の靴、紺木綿の靴下、黒革財布、眼鏡」(「資料・下山事件」下山事件研究会編、みすず書房)

 下山と思われる男性と言葉を交わし、その服装やしぐさをつぶさに見ていた――というわけだ。自殺説に立つ警視庁捜査一課は、下山が自分の意思で死体発見現場付近まできた証しとして、この証言を重要視した。下山白書で「人相着衣態度所持品等総合して下山総裁と認められる」と、「お墨付き」を与えている。


(3)あちこちで目撃された「下山」たちの謎

 下山白書には、おかみの証言を補強する供述も収められている。東武線の五反野駅員の証言だ。「七月五日は私の勤務日で精算係をして居り、午後一時四十三分着の浅草発大師前行電車が到着したので改札口に居りましたら下車客は二十人位で、其の中頃に一人の男が私に切符を渡してから、『 此こ の辺に旅館はないですか』と尋ねられた。御客の切符を全部受取てから其の男に私は駅を出て以前から知って居る末広旅館を教えてやりました」

 のちに下山の死体が見つかる常磐線付近では、この日の夕方から夜にかけて、きちんとした身なりの男性がぶらついているのを複数の住民が目撃している。これらの目撃証言を総合すると、三越で姿を消した後、地下鉄と東武線を乗り継いでふらりと末広旅館に現れ、少し休んだ後、常磐線付近を歩き回っていたのは下山本人のようにも思える。ところが……。

 金沢は、自殺説と他殺説の論点を示した 捜査秘史の18章 にこう書く。

 「総裁の行方不明とされた後の目撃者の供述内容の 信憑性しんぴょうせい如何いかん 」。これ以上の記述はなく、目撃証言の信頼性を問題にした理由は示されていない。しかし、目撃された人物がすべて下山だったとすると、つじつまが合わない点が確かにいくつも出てくるのだ。

 まず、下山は三越が開店する午前9時半まで、神田駅や千代田銀行を 公用車で巡る謎のドライブ をしている。自殺するために三越前駅から地下鉄に乗るつもりなら、三越の開店時間を待つ理由はない。浅草方面行きの始発電車は午前5時台で、午前9時台には4分30秒間隔で運行していることが当時の時刻表で確認できる。東武線五反野駅で駅員に話しかけた男性は切符を出しているが、死体発見現場では下山名義の東武鉄道の優待乗車証が見つかっている。下山は切符を買わなくても東武線に乗車できた。そして午後2時頃に末広旅館を訪れたのが下山だったなら、三越から五反野まで4時間半もかけて移動したことになる。地下鉄と東武線を乗り継ぐ経路ならば、長く見積もっても1時間あれば着く。どこかに寄り道したのならば、日中にもかかわらず目撃情報がないのは不自然だ。見通しのきかない日没後の五反野を歩き回る紳士の目撃情報が複数寄せられていることを考えると、釣り合いが取れない。

 これらの矛盾は「目撃された男性が、すべて下山だとは限らない」と考えれば、説明がつく。
<転載終了>

>これらの矛盾は「目撃された男性が、すべて下山だとは限らない」と考えれば、説明がつく。

 この読売新聞の書き方ですと、目撃情報の一部は本物の下山を見たという話になります。正しくありません。目撃された男性はすべて下山ではありません。

(4)下山事件の末広旅館の女将・長島フクの証言はフェイク

 末広旅館は長島フクの親の代から警視庁とつながりの深い人物が経営する旅館でした。「完全版 下山事件 最後の証言」(柴田哲孝著、祥伝社)で柴田は、米軍情報機関員や政界関係者らが出入りしていた「亜細亜産業」という会社が下山事件に組織的に関与したとする他殺説を論じています。亜細亜産業は柴田の祖父の勤務先で、柴田家には毎年、長島フクから祖父宛ての年賀状が届いていたという。つまり長島フクは下山事件の首謀者側の人物であり、彼女の証言はフェイクという事になります。

(5)亜細亜産業の社員・林武が下山定則氏の替え玉を演じる

 首謀者側は下山総裁に労働組合の裏情報を伝えたいから三越デパートへ来るように誘い出しました。当時三越デパート6階にはGHQの秘密のアジトがあったという。下山はタレコミ屋をよく利用していたという。大西政雄運転手が運転する車を降りた下山総裁は、三越デパート内で3人?の男に拘束されました。その後、亜細亜産業の社員で矢板玄の部下である林武が、下山総裁の替え玉として三越デパート内を目立つように歩き回りアリバイ作りをしました。その後、各地で下山総裁らしい人物が目撃されていますが、すべて替え玉、「body double」です。


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