597.フィデル・カストロ暗殺計画が成功しなかったのはなぜか?

CyKsAMfVQAE2UnQ.jpg
↑画像 1959年のアメリカ訪問時のフィデル・カストロ

(1)Fidel Castro dies at 90

 キューバ共和国の首相、大統領を務めたフィデル・カストロ前国家評議会議長が90歳で死亡したと、キューバ国営テレビが発表した。死因は明らかにされていない

 搾取の廃絶を目指し、反グローバリズム・反植民地主義の立場に立ったフィデル・カストロ同志の逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します。

BUBKA

(2)嘘に満ちあふれている西側マスコミの報道

 西側マスコミの報道は嘘に満ちあふれています。拙ブログは西側マスコミの嘘報道を数多く紹介してきました。

 西側マスコミはシリアのアサド大統領を悪者扱いしていますが、拙ブログでは「568.戦争中のシリアが無料の教育と医療を維持しているのに、戦争をしていない日本が無料の教育と医療を実現できないのはなぜ?」などで、アサド大統領が悪者ではない事を事実を示して主張してきました。568はこちら

 西側マスコミはドナルド・トランプを悪者扱いしてきました。拙ブログは西側マスコミが叩きまくってきたドナルド・トランプを応援してきました。

 西側マスコミを牛耳っている支配層にとって都合が悪い人物は、たいてい悪者扱いされます。逝去したフィデル・カストロも、どちらかと言えば、そうした扱いを受け続けてきました。

 西側マスコミを牛耳っている支配層にとって都合が悪い人物の中で国家指導者は、たいてい「独裁者」のレッテルを貼られました。


イクオス

(3)ウガンダのイディ・アミンは頭がおかしかったのか?

CfmWTB8UUAEayrr.jpg
↑画像 イディ・アミン

 1971年から1979年迄ウガンダの大統領だったイディ・アミンは、国連でフィデル・カストロと硬い握手を交わした人物です。イディ・アミンも、「独裁者」のレッテルを貼られた一人です。「黒いヒトラー」とか「アフリカで最も血にまみれた独裁者」と言われ「殺人鬼」扱いでした。「変人」とか「ちょっと頭がおかしい人」みたいな扱いもありました。彼は本当に頭がおかしかったのでしょうか。

https://youtu.be/YPVXP73xOVE
↑動画 フランスのドキュメンタリーで放送されたイディ・アミンへのインタビュー Jews Kicked Out Of Uganda

妊活

(4)年金カット法案を隠蔽するマスコミ

 すぐ逆上する安倍晋三と違い、イディ・アミンはとても冷静で誠実に受け答えをしている。実に聡明で的確な受け答えをしている。イディ・アミンと比べたら、安倍晋三の方が頭がおかしいように思える。

 テレビのワイドショーは朴大統領問題一色で、年金カット法案についてはほとんど触れないひどい有様です。安倍晋三が頭が良くてマスコミを丸め込んでいるのではない。安倍晋三の背後にいる参謀が頭が良いのだ。


 安倍晋三は、年金運用の方式を変えた結果、わずか15カ月で「10.5兆円」の年金をパーにしてしまったが、その責任をとることなく国民にツケを回そうとしている。まったくもって許し難い男だ。韓国のように退陣を求める運動が盛り上がって良いはずなのですが一向に盛り上がりません。

 原因は韓国に比べるとスマホの普及率が低い事と、韓国に比べるとネットから真実の情報を得ようとする人々の比率が低いからだと推測されます。昨夜26日の池上彰の番組でも、今や韓国より日本の方がスマホの普及率が低くて、ネットにアクセスする人々の比率も低い事が浮き彫りになっていた。

 詐欺師安倍晋三は、選挙前に「積立金に5兆円の損失が発生しており、年金額が減るといった、選挙目当てのデマが流されています。しかし、年金額が減る等という事は、ありえません。この事を明確に申し上げたいと思います。」と言っていた。証拠動画をマスコミはヘビーローテーションで流し、徹底的に安倍晋三を糾弾すべきである!


背中脱毛

(5)ウガンダのシオンの丘

 1894年にイギリス領ウガンダ植民地が形成された。この植民地時代にイギリスは勝手に「ユダヤ人の土地」を作って、ハザール人どもをウガンダの人々の承諾なしに流入させてしまったのだ! やがて1962年10月9日に、英連邦王国の一員としてウガンダは独立した。

ショップにこにこ

(6)アミン❤カダフィ

 ウガンダの大統領に就任したアミンは、最初のうちはイスラエルと良好な関係を築いていた。しかしイディ・アミンはやがて世界政治のからくりに目覚めてしまった。中央銀行を通じてのユダヤ人どもの悪辣極まりない搾取を知ってしまったアミンは、カダフィと結託した。

 そして国連では反イスラエルの演説を行い、その場でカストロと堂々と硬い握手を交わした。インタビューではアミンは、「私はアラブの国々と結託する決意をした。イスラエルは犯罪国家だから。」と明言した。

 そしてアミンは、極悪ハザール人どもを追放し始めたウガンダにあったイスラエル大使館を正式にパレスチナ大使館にかえ、パレスチナの旗を高く掲げた。


チャップアップシャンプー

(7)イディ・アミンが変人扱いされたのはなぜか?

 1976年、「パレスチナで政治犯罪者として監獄にいる者たちを釈放させろ」と、イスラエルを脅迫し、ハイジャック事件を起こした活動家がいた。活動家が搭乗している飛行機が、ウガンダに入る事をアミンは許可した。アミンはその飛行機に乗っていたイスラエル以外の国民を自国へ戻し、イスラエル人だけは捕虜として収容した。

Cfmaqw9UAAEhFke.jpg
↑画像 ハイジャック事件当時の新聞記事

 このようなイディ・アミンが、ハザール人<ユダヤ人>が牛耳る西側マスコミで叩かれるのは当然の帰結だった。私達が西側マスコミから刷り込まれたアミンのイメージは真実ではない可能性が高い。

 なお、「宇宙への旅立ち」では、「イディ・アミン(Idi Amin)が、軽く50万人くらいの人間家畜を捕獲し、世界中の人食いレプティリアン達に人肉と生血を供給したらしい。」と主張している。

http://reptilianbuster.blogspot.jp/2016/09/59.html

酵素ドリンク「MREビオス」

(8)キューバ革命成功迄

 カストロをご存じない暗愚の皆様の中には、「カストロ、スカトロの間違いじゃないの?」なんて思ってらっしゃる方もいるかもしれません。

 1926年に生まれたフィデル=カストロは、ハバナ大学法学部で学び弁護士となった。1952年に軍事クーデターによって政権に復帰したフルヘンシオ・バティスタは、これまでの政権同様に親米政策をとり、アメリカからの援助をうけつつ独裁体制の強化を図っていた。1953年7月26日、26歳のカストロは、弟のラウルらとカーニバルの人混みに紛れてモンカダ兵舎を襲撃し、バティスタ政権に対する蜂起の狼煙を上げた。

 この蜂起は失敗しカストロらは捕らえられたが、この日は以後の革命の出発点とされた。1953年の「モンカダ襲撃」に失敗し、捕らえられたカストロは、精神錯乱状態にあるとされて、病院に隔離された。

 「596.カニエ・ウエスト暗殺阻止!」に書いた、カニエ・ウェストが警官に手錠をはめられ精神病院に強制収容された話とよく似ている。596はこちら

 その後カストロは非公開の裁判にかけられた。その裁判でカストロは蜂起の正当性を力強く訴えた。その言葉は獄中からレモン汁で記した秘密の文書で外部にもたらされ、出版されて人びとに強い衝撃を与えた。その一節には次のような文が見える。

 <転載開始>われわれが依拠するのは、毎日のパンを誠実に稼ぎたいと思っている七〇万人の失業者、みすぼらしい小屋に住み、一年の内四ヶ月働き、子供たちと貧しさをともにしながら、残りの日を飢え、1インチの耕す土地も持たない農業労働者である。
 
 農村の子供の90%が裸足の足から入ってくる寄生虫にやられている。上流社会は一人の子供が誘拐されたり、殺されたりするのを聞いて同情を寄せるが、何千という子供が施設のないため苦痛にもだえながら死んでいく大量殺人に対して犯罪に近い無関心さである。

 私は被告の無罪釈放を求めない。……私を断罪せよ。それは問題ではない。歴史は私に無罪を宣告するであろう。
<転載終了><宮本信生『カストロ』1996 中公新書 p.24-25>

fwpcg4_1.jpg
↑画像 エルネスト・チェ・ゲバラ

55e894651d0000d101146be9.jpg
↑画像 チェ・ゲバラ フィデル・カストロ

 カストロは恩赦でメキシコに渡り、そこでゲバラと知り合った。1956年11月25日、82人の同志と「グランマ号」でキューバに上陸した。仲間が12名に減るほど政府軍との戦闘で敗れ、以後はシエラ=マエストラ山中でゲリラ戦を続けた。ゲリラ戦を挑みながら農民の中に支持を広げ、ついに59年1月1日に首都ハバナを占領し、バティスタ政権を倒し権力を奪取した。

 キューバ革命がついに成就した! キューバ革命、それは急場しのぎの革命ではなかった!


BIGLOBE

(9)キューバ革命後

 カストロは民族主義的な社会改革を目指し、まず農地改革法を制定し、小作人の解放をはかった。多くのサトウキビ農園はアメリカ人地主のものだったので、アメリカは激しく反発、キューバ産の砂糖の輸入を制限するなど対抗策をとった。キューバはソ連に接近し、60年2月に貿易援助協定を締結し、社会主義路線への転換を明らかにし、アメリカ企業を接収して国有化を断行、61年に1月には両国は外交関係を断絶した。

 カストロは、農地改革で、カストロの実家の土地をも公正に没収したために、実母から勘当された。身内に甘く公私混同が激しい国家指導者が多い中、実に立派な国家指導者である!
 
 1960年9月、カストロは国連総会に赴いた。米国政府は滞在中のカストロに様々な圧力をかけた。カストロが宿泊したホテルに、ソ連書記長フルシチョフ、エジプト大統領ナセル、インド首相ネルーなどの首脳が次々と足を運んだ。黒人運動家たちも、この大胆不敵な31歳のキューバ首相に一目会いたいと殺到した。アイゼンハワー米国大統領は南米首脳を囲む昼食会にキューバだけ呼ばなかったが、カストロは気にしなかった。

 アメリカは諜報機関のCIAが画策して、亡命キューバ人を支援して上陸させ、革命政府の転覆を謀ったが失敗、アメリカに不信感を強めたカストロはソ連に接近し、61年5月にキューバ社会主義宣言を発表し、社会主義路線を採ることを明確にした。

 1962年にキューバ危機が起きた。1963年11月18日、ケネディ大統領は、あるフランスのジャーナリストが、カストロにインタビューするという話を聞き、彼をホワイトハウスに招いた。そして、国交正常化に関する自分の熱意をカストロに直接伝えて欲しいと頼んだ。

 彼がカストロにその意志を伝えたのは11月22日、ちょうどその日、ケネディはダラスで暗殺された。キューバ危機を平和的に解決し、ベトナム戦争撤退の方針を固めていたケネディ大統領を誰が暗殺しようとしたか。答えは未だ明らかにされていない。
 
 後をついだジョンソン大統領は、ベトナム戦争への本格的介入を決意した。1967年、南米ボリビアの山中で、エルネスト・チェ・ゲバラが死んだというニュースが世界をかけめぐった。

LAKUBI(ラクビ)

(10)ソ連崩壊後
 
カストロ 広島
↑画像 平和記念公園の原爆死没者慰霊碑に献花するキューバのフィデル・カストロ国家評議会議長 2003年03月03日 広島市 私も2016年10月下旬にここを訪れました。

 キューバの砂糖は国際価格より高い値段でソ連が買い入れ、同時に原油をソ連が国際価格より安くキューバに売り渡すなど、キューバはソ連の事実上の衛星国として存続していた。しかし、1991年のソ連崩壊でバックを失ったことで、経済も壊滅的な打撃を受けた。

 キューバは社会主義体制を維持しながらも1990年代半ば以降は経済の自由化政策によって経済活動の一部に外国資本を導入し、私有企業を認めるなど改革を進めた。

 「234.ウゴ・チャベス大統領は独裁者だったのか?」に書いた通り、2000年10月、キューバのフィデル・カストロ国家評議会議長が ベネズエラを訪れ、ウゴ・チャベス大統領と熱く語り合った。234はこちら

 2003年3月の来日時にカストロは広島を訪問した。2008年2月には国家評議会議長だったフィデル・カストロが退任し、弟のラウル・カストロが後を継いだ。ラウルはアメリカとの関係改善を模索した。約1年半にわたる水面下での交渉を経てアメリカとキューバは2015年7月20日、54年ぶりに国交を回復。お互いの首都に、大使館を設置した。これは「キューバの雪融け」と呼ばれている。アメリカとキューバの国交回復については、「410.なぜ東京大学は東京地下原発を東京都文京区本郷5丁目近辺の地下に設置したのか?」の(1)などで綴った。410はこちら

 確かにラウル・カストロはオバマと国交回復したが、アメリカがキューバの社会主義を潰そう官民軍挙げて工作してきたことを、オバマは一切謝罪しなかった。

カラートリートメント

(11)フィデル・カストロの晩年

 2016年の4月のキューバ共産党の党大会の閉会式において、フィデル・カストロは、「私がここで話すのはおそらく最後だ」と語っており、すでに自らの死期を悟っていたと推測される。カストロは16年8月13日には首都ハバナで行われた卒寿を祝う式典に出席し、健在ぶりをアピールしていた。

 日本の首相としてキューバを初訪問した安倍晋三首相とも、2016年9月22日に会合。「自宅は日本庭園だ」と語り、親日ぶりをアピールした。

カンファレンスバナー

(12)世界で最も暗殺計画の標的にされた人物=カストロ

 「247.地球人約70億人の真の敵は、ハザール王国の子孫の人々ではないだろうか? 」の(2)で、フィデル・カストロに毒を盛る様々なCIAの計画について書いた。247はこちら。「233.反米の立場に立つラテンアメリカの6人の国家指導者が皆癌を患っているのはなぜか?」の(2)で、カストロさんがチャベスさんに対し、「気を付けなさい。アメリカはこのテクノロジーを開発している。君が口に入れる食べ物に小さな針で何かを注入しているんだ。それが何かは分からないが。」と忠告した話を紹介しました。233はこちら

 2011 年、フィデル・カストロ氏が、世界で最も暗殺計画の標的にされた人物として、ギネスブックに掲載されることになった。キューバ政府が、米中央情報局(CIA)の記録を基に公表した暗殺計画データによると、カストロ氏は国家元首就任から病気療養で国家評議会議長職などを暫定的に退いた2006年までの約半世紀に、638回も命を狙われた。

 暗殺方法は狙撃や毒物注射のほか、靴に仕掛けた爆発物、葉巻への毒物注入、野球ボールに仕込まれた爆弾などさまざまだが、いずれも未遂に終わり、直接の被害はなかった。暗殺を企てた人物は分かっていない。

http://www.asyura2.com/11/warb8/msg/460.html

(13)フィデル・カストロ暗殺計画が成功しなかったのはなぜか?

 フィデル・カストロ暗殺計画を成功させる為には、キューバ国内の協力者を得る必要がある。庶民とそれ程かわらない生活レベルのカストロを知っているキューバ国民は、それなりにカストロを慕っていて誰も協力者にならなかったのではないだろうか。再び中公新書の宮本信生著「カストロ」から引用しよう。

 <転載開始>カストロ兄弟(フィデルとラウル)が別々に居住している住居は、警備こそ厳重であるが、通常の住宅である。旧ソ連・東欧諸国の指導者の贅沢とは比較すべくもない。また、要人が使用している車を見ると、カストロ首相こそ数十年前に寄贈されたベンツを使用しているが、ラウル・カストロの車はソ連製ボルガである。他の党・政府高官は一般国民と同様、クーラーもないソ連車ラーダを使用している。

 ラヘ官房長官は、日曜日など、子息といっしょに自転車で工場現場を視察に訪れる。ロバイナ外相は外務省まで通常自転車通勤である。ましてや某国のように、黒塗りのベンツが走ってきたら立ち止まって最敬礼をするように教育をされたりはしない。~
(中略)~

 食料品についても同じことがいえる。大使館公邸に来る政治局員や閣僚に対して著者は「失礼ですが、閣下のお宅では食料品をどこで購入されますか」と聞くことにしていた。「一般の人たちと同じ場所で、配給手帳で買います。近所の人たちが証人です」との答えが返ってくる。<転載終了>(宮本信生「カストロ」中公新書)

 何よりフィデル・カストロは、かなりの強運の持ち主で、暗殺計画が成功しなかったと言えるでしょう。宗教的に言えば、神に守られているのかも。「宇宙への旅立ち」風に言えば、光の銀河連邦の一員なので、光の銀河連邦によって守られているのかも。カストロは自分の肖像画や銅像を一切作らせていない。

(14)ある教え子の話

 都立小金井北高等学校に勤務していた頃、少し右翼っぽい男子生徒が一定期間(どのくらいか忘れてしまいましたが、少なくとも進級に影響がないレベル。)、キューバで生活しました。帰国後、彼は私に「社会主義の良さが解りました」と語った!

(15)亡命者

 キューバ革命後、フロリダなどに亡命した人々を西側マスコミは被害者のように描いている。奴らの多くはキューバ革命前、民衆を搾取・収奪する事により労働しないくせに超リッチだった。つまり泥棒みたいな奴らだった。被害者ではなく加害者だった。社会主義政権が樹立されると、悪行の為に訴追される身に覚えのある連中が亡命者の中にかなりいる。そのような連中に対して、アメリカに警察を派遣して、キューバへ強制送還し、強制労働をさせるべきである!

↓動画 乃木坂46 生田絵梨花 秋元真夏 tumblr_ogql0y3iJ11rt53klo5_500.gif
スポンサーサイト

Comment

Post Comment

非公開コメント

Latest posts