567.日本航空123便墜落事故の本当の生存者は7名だったのか?

↑画像 2016水着シリーズ4 ℃-uteのリーダー ハロー!プロジェクトの5代目リーダー 矢島 舞美(やじま まいみ)
(1)口封じの歴史・高天原山事変編66 wantonのブログの主張は正確か?
wantonのブログは、「日本航空123便墜落事故の本当の生存者は7名」と主張している。
http://ameblo.jp/64152966/entry-12188961780.html
次のような根拠を挙げて日経新聞の記事を掲載して7名と主張している。その根拠を転載しましょう。
<転載開始>そして、もう一つの隠された柱は、7 という数字です。520名は、足して7になりますね。7でなければならなかったのです。それが、彼等の絶対的な教義な訳ですから。以下の図を参考にして下さい。


アレレレ・・・??? 公式の記録では、4名の生存者 となっていますが、日本経済新聞の紙面では、7名の生存者 と公表されています。一体どちらが正しいのでしょうか? 日本経済新聞の紙面が正しい。
如何でしょう、皆さん。520名死亡の真相が理解出来たでしょうか? JAL123便を撃墜した連中に取って、何がなんでも520名でなければならなかったのです。これは、イルミナティの宗教的教義によるものです。彼らにとって、教義は絶対的な信仰といえるものです。つまり、実際には、517名の死亡者だった訳です。そして、他の3名の生存者は、密かにどこかに連れ去られたのです。3名のその後の安否につきましては、一切不明となっています。<転載終了>

(2)口封じの歴史・高天原山事変編67 日本経済新聞の紙面は正しくありません!
日本経済新聞の紙面は正しくありません! つまり、wantonのブログの主張は間違っています! この日本経済新聞の記事は日航パーサー落合由美さんを忘れています。朝日新聞1985年8月13日の夕刊最終版4版一面トップの見出しは「生存者8人」と正確に報道しています。

↑画像 日本経済新聞1985年8月13日の夕刊の文面
123便に関して一定の知識がある人ならば、上の文面をきちんと読み込めば、日本経済新聞の記事は落合由美さんを忘れている事に気づきます。wanton氏は、123便に関して一定の知識がある人と拝察できます。
ですから日本経済新聞1985年8月13日の夕刊の記事を引用していながら、上の文面をきちんと読み込んでいないのでしょう。あるいは数字を駆使した自説<「妄想」と批判される可能性がある説>に不利になるので無視しているのかもしれません。
123便に関して一定の知識がない方の為に書き添えておきますが、落合由美さんが発見されたのは1985年8月13日午前10時54分で、救出は午前11時40分です。
★生存者は8人
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-1289.html

(3)口封じの歴史・高天原山事変編68 牽強付会の「wantonのブログ」
http://ameblo.jp/64152966/entry-12188961780.html
更に、「wantonのブログ」から転載します。<転載開始>真犯人のヒントは、決行日の8月12日の中にあります。日付を西洋流に逆に読むと、12月8日になります。そう、日本軍がアメリカの真珠湾を攻撃した日付です。逆に読む事のもう一つの意味は・・・今度は、アメリカが日本を攻撃したという解釈になります。つまり、事実上の犯行声明と捉える事が出来る訳です。<転載終了>
日本軍がアメリカの真珠湾を攻撃した日付は現地時間では12月7日ですので、牽強付会としか思えない説です。そうまでしてアメリカに罪をなすりつけたいのでしょうか? 8月12日が選ばれた理由は、「564.JAL123便を米軍が撃墜したと言う説は真実か?」の(3)で綴った通りです。564はこちら。
また、日本航空123便墜落事故は、北緯36東経138度で起きているにもかかわらず、辻褄あわせに東経137度で起きた事に偽造し、「イルミナティの宗教的教義による」などと主張しています。
誰も調べないと高をくくっているのでしょうか。そうだとしたら、「これ程、読者を馬鹿にしたブログはない!」と言えます。このようなブログを信用して紹介するサイトの見識が疑われます!
と思わず書いてしまいましたが、以前、私も「wantonのブログ」を信用して、いくつか記事を紹介してきました。また、wantonさんが拙ブログのコメント欄に来訪され、貴重なコメントを書いて下さいました。それだけに今回の件はとても残念です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA123%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85
上のwikipediaの右上に注目して下さい! 「wantonのブログ」の偽造が判断できるでしょう。このような牽強付会・捏造の「wantonのブログ」の当該記事は、現在、大摩邇(おおまに)の人気記事ランキング第2位です。

(4)口封じの歴史・高天原山事変編69 不正確で牽強付会の「wantonのブログ」を引用する有名サイト
このように不正確で牽強付会の「wantonのブログ」を引用する有名サイトがある。そうした有名サイトは、「wantonのブログ」が主張する「123便を撃墜したのはアメリカだ」と言う説を信じているのだろう。
一方、「ソ連と日本国内のソ連と結びついた勢力が123便を撃墜した。」と言う説を主張する拙ブログの該当記事を引用する有名サイトは皆無のようだ。とは言え、「564.JAL123便を米軍が撃墜したと言う説は真実か?」は、現時点で「拍手」と「いいね」を合わせて41となっている。ありがとうございます。564はこちら。

(5)口封じの歴史・高天原山事変編70 虐殺を免れた8名の内訳
123便に関して一定の知識がある人ならば、123便が墜落した時点では多数の生存者がいた事はご存知でしょう。多数の生存者は口封じで虐殺されたのです!
そうした中、8名の方々が虐殺を免れたのです。落合由美さん、川上慶子さん、吉崎博子さん、吉崎美紀子さんの親子の4人。そして、日航機墜落事故現場にいた7~8歳くらいの男の子、元気でそのあたりを飛び跳ねていた女の子、中学生くらいの男の子、20代の男性の4人。後の4名は、死亡者を520名にする為に殺害されたと考えられる。520名にする必要性は564の(4)で綴った通り、高天原山にある神社の両脇にある520体の石仏です。564はこちら。

(6)口封じの歴史・高天原山事変編71 奇跡的に生還した川上慶子さん(当時12歳)の証言
同乗していた両親が亡くなったので島根の祖母宅へ帰ったときの話。「墜落した後、ふと気が付いたら周囲は真っ暗だった。あちこちでうめき声が聞こえ、私の両親もまだ生きていたような気がする。しばらくすると前方から懐中電灯の光が近づいてきたので助かったと思った。そのあとまた意識がなくなり、次に目が覚めると明るくなっていたが救助の人は誰もいなくて、周りの人たちはみんな死んでいた。」
慶子さんから上記の話を聞いた祖母はご近所の人に伝えたらしい。しかし「慶子は夢でも見たんじやろう。」で終わってしまった。
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この証言は123便が墜落した時点では多数の生存者がいた事を示す極めて有名な証言ですので、ご存知の方も多いと拝察致します。ただ、別な川上慶子さんの証言から考察すると、彼女の母親は即死のように思えますので、「私の両親もまだ生きていたような気がする。」の部分は正しくない感じがします。
http://hp35.0zero.jp/gamen/s_scr.php?num=8&uid=JAL123&dir=707

(7)口封じの歴史・高天原山事変編72 池田昌昭
「御巣鷹ファイル」シリーズなど、123便事故関係の真相究明書籍で有名な池田昌昭氏と、2010年11月21日東京都文京区で、私は話をさせて頂いた。池田昌昭氏から当時の最新のご著書「シリーズ完結編『鎮魂 JAL123便』」を頂いた上に、喫茶室でおごって頂きました。
御巣鷹山に数え切れないくらい登り、123便事故の真相究明に長年尽力している123氏<「(新)日本の黒い霧」ではS氏>も一緒だった。123氏より「饅頭10個」「柚子250円分」を頂いた。東日本大震災の前年の事だった。

↑画像 池田昌昭著『鎮魂 JAL123便』
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/654302fa5c4f60d08e9c11f194e3e549

(8)口封じの歴史・高天原山事変編73 スパッと切断された首
池田昌昭氏の2003年の著作『完全犯罪・JAL123便撃墜事件』の191頁~192頁に「スパッと切断された首」と言う項目がある。
<転載開始>遺体安置所となった藤岡市・市民体育館で身元確認班長として、職務に身命(しんめい)を賭けた元群馬県警警察官・飯塚訓氏の著書『墜落遺体』によれば、1歳の女児の遺体についての記述がある。以下に、その箇所を引用する。
「『A列8番』の棺。その中には、幼い女児の頭部だけが寂しく眠っている。首からスパッと切断されているが、顔面頭部には殆(ほとん)ど損傷はない。顔などは、かすり傷ひとつもないように綺麗(キレイ)だった。まるでコケシ人形の童女のように、堪(たま)らなくあどけない。小さな唇と、愛くるしいほっぺには、ほほ笑みさえ感じられる。日赤の看護婦さんが優しく洗い、櫛(クシ)で梳(と)かしてやったことでの黒く柔らかいことでの髪の毛もそのままだ」。
最終段階でミサイルを撃ち込まれ、地表に激突したJAL123便乗客にあって、頭部や顔面に損傷がなく、首だけスパッと切断されることは、果たして現実に起こり得るのだろうか。
しかも墜落時には、幼な子は、母親の腕の中に、しっかりと抱きかかえられていたはずである。そう思うことが、人間ではないのだろうか。そうすることが、人の親ではないのだろうか。母親の腕の中に、しっかりと抱かれた幼な子の首が、なぜスパッと切断されたのか。墜落時の衝撃で、母親の首もスパッと切断されたのか。その場合でも、母親は、しっかりと自分の腕に幼な子を抱きかかえていたのではないか。<転載終了>
「スパッと切断された首」は、564の(5)に記したM氏の証言に出てくる大型アーミーナイフを持った男達によって、スパッと切断されたのだろう。564はこちら。
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/9218d78bddf9f12a9d7bdc8ebec1c10a

(9)口封じの歴史・高天原山事変編74 拉致疑惑 4人連れ
池田昌昭氏の『完全犯罪・JAL123便撃墜事件』の140頁~142頁に「拉致疑惑 4人連れ」と言う項目がある。
<転載開始>8月13日午前9時半か、10時頃に、地元・上野村消防団が墜落現場に、獣道(けものみち)を登って行く途中で、沢伝(さわづた)いに下って来る「4人連れ」に遭遇している。
4人のうち3人は中年男性で、残り1人は、中学生だった。軽装で、消防団には挨拶もなく無言で下って行った。上野村消防団員が、4人連れを目撃した状況を、飯塚訓・著『墜落現場』から引用する。
「更(さら)に20分ほど急坂を登り、また沢の方に下り始めた地点だろうか、沢伝(さわづた)いに下りて来る所で、中年の男性3人と中学生くらいの少年が加わった4人のグループに出(で)くわした。
熊笹(クマザサ)が生い茂る獣道(けものみち)を歩くにしては、余りにも軽装だ。半袖シャツ、Tシャツ、ズボンにウォーキングシューズ。カメラなどの所持品は持っていない。男2人が小(ちい)さ目のナップサックを背負っているくらいだ。警察官でもないし、報道関係者でもない。勿論(もちろん)に自衛隊員でもない。『こんにちわっす』。消防団員の何人かが挨拶をしたが、何の返事も返って来ない。ただ、中年の一人が、軽く頭を下げたように見えた。
『あれは、今でも不思議でしようがないよ。地上から本谷上流を登った者は、俺たちが間違いなく最初だよ。それなのにさぁ、もう下りて来るヤツがいたんだもんなぁ。自衛隊とかさ、マスコミの連中なら分かるよ。後(あと)で機動隊の人に話したら、「俺たちは、そういう人には会っていない。嘘だんべ。亡霊でも見たんじゃあねぇの」なんて言いやがる。じゃあ、誰なんだ。あれは・・・・・。背筋がゾクっとしたぜ』。宮沢が首を傾(かし)げる。『変(へん)だいなぁ』。中沢が、相槌(あいづち)を打った。[中略]
まず群馬県側の地上からスゲノ沢に最初に到着した者は、上野村消防団員に間違いない。そして分団ごとに分かれたことでの40人~50人の消防団員が、下山して来る軽装の4人(うち1人は、たぶん中学生)と擦(す)れ違ったことも事実だ。そして、その場所はスゲノ沢まで、後(あと)僅(わず)か20分~30分の地点であった」。
この中年男性3人と、男子中学生は、いったい何者か。
普通であれば、「現場は酷(ひど)い」とか「現場は、もう直ぐだ」とかの会話が、擦(す)れ違ったときに交(か)わされても良さそうである。峻険(しゅんけん)な山であるにも拘(かか)わらず、軽装であることや、威圧を感ずる程無言のままで通り過ぎる様子から何を直観するか。
極めて陰険な威圧感を直観する。この男子中学生はいったい誰か。
男子中学生は、JAL123便機体後部の破壊から生存し脱出をし、スゲノ沢に放り出されたと推定される。墜落現場で生存していたのだ。
翌朝になり、中学生は機体の傍(そば)を離れ、直ぐ横の林の中に待避した。否、墜落後に気が付いて、直ぐに「身の危険」を察知して付近の林に逃げ込んだ。
男子中学生がJAL123便の乗客の一員とすれば、「ミサイル撃墜を喋られてはまずい。」と、上からの身柄確保・身柄連行命令があったのだろう。<転載終了>
この男子中学生こそ、(5)に記した「虐殺を免れた8名」の「中学生くらいの男の子」だろう。結局、この「中学生くらいの男の子」は、3人の中年男性に殺害されたのではないだろうか。

(10)口封じの歴史・高天原山事変編75 消防団員に抱えられた女の子
池田昌昭氏の『完全犯罪・JAL123便撃墜事件』の175頁~177頁に「消防団員に抱えられた女の子」と言う項目がある。
<転載開始>13日午前に救出された「消防団員に抱えられた女の子」の消息も、その後に完全に途絶してしまった。
「『朝日新聞』通信部・村幸彦の問い合わせの無線に出た者は、最初の生存者発見現場ではなくて、そこから約2百メートルの急斜面を登った「激突の現場」にいる記者だった。『今、確かに登って来ている3人がいる』。
記者は叫んだ。もう一度、社会部から掛かって来た電話に、前線キャップの木村卓而は『直ぐに雑観記事を送る。社会面を20行を空(あ)けてくれ。』と怒鳴って、現地からの無線のやり取りを聞きながら原稿を送った。
『一人の女の子は、担架に乗らないほど元気で、救助隊員に抱かれている。他の2人は毛布を被(かぶ)されているために、男女の別や怪我の程度は、はっきりしない』」。担架に乗らないで歩いて救出された女の子のことが、明確に記述されている。
この女の子は、その後どうしたのか。女の子が存在したこと自体が、完全に世間から抹消されている。<転載終了>
この「消防団員に抱えられた女の子」こそ、(5)に記した「虐殺を免れた8名」の「元気でそのあたりを飛び跳ねていた女の子」だろう。結局、この「元気でそのあたりを飛び跳ねていた女の子」は、何らかの経過を経て何者かに殺害されたのではないだろうか。

(11)口封じの歴史・高天原山事変編76 7,8歳くらいの小さな男の子が走り回っている
1985年8月13日午前、7,8歳くらいの小さな男の子が走り回っているところを自衛隊員に発見されているとの報告が、無線で直ちに流された。報道関係者もこの無線を傍受して「男の子発見」のニュースが流れた。「現場は惨憺たる状況です。間もなく担架に乗せられた7,8歳の少年が運ばれて来ます。」と、フジテレビ「ニュースレポート」で山口アナウンサーが生中継した。
しかしその後に、この男の子に関する情報は途絶した。まるで神隠しにでもあったように、小さな男の子の消息は一切が表に出て来なくなった。
7,8歳くらいの小さな男の子は、1985年8月13日の早朝の自衛隊特殊精鋭部隊の残虐行為を目撃したために、自衛隊員に拉致され殺害されたのではないか。

(12)口封じの歴史・高天原山事変編77 日航ジャンボ123便 自分で顔を隠す元気がある生存者の男の子が、自衛隊員により死体置場に運ばれていく様子を、記者が見逃さず撮影!
http://www.asyura2.com/10/lunchbreak43/msg/329.html

↑画像 1985年8月13日午前11時ごろの写真
自分で顔を隠す余力のある生存者の男の子が、自衛隊員によって運び出されている。4人の生存者が出たスゲの沢付近にて撮影された写真である。
・これはもしかしたら美谷島健くんなのではないでしょうか(当時9歳)。ご存知かとは思いますが、お母様が遺族会のとりまとめをなさっていたと記憶します。 ~中略~ 報道では健くんの遺体は見つからず運動靴だけが発見されたとの事。この記事の、カメラマンの写真を見ると、確かに運動靴が片方脱げた状態で運ばれています。

(13)口封じの歴史・高天原山事変編78 日本航空123便墜落事故<高天原山事変>を隠蔽した日本航空社員は
元日航客室乗務員の青山透子氏のブログによると、あの事件をうまく隠ぺいした人は異例の昇進をし、それを追及した人は辞職を強要されたそうです。正直な人が辞めさせられて、ずるい人が残った。
正直者が馬鹿をみる日本、事例はこれ以外にもあります。正直者の企業・アルファ通信が倒産した悲劇は、2010年代の正直者が馬鹿をみる代表例です。
http://hoop.exblog.jp/22784128/

↑画像 正しいことをした会社が倒産・・・・ アルファ通信
このような悲劇を出さないようにする為には、多くの人々が悪辣極まりない文科省の真の姿を知り、アルファ通信と言う正義の会社が倒産に追い込まれた事実を、まず知る事である。マスコミがほとんど報道しないので、大多数の日本人はこうした不条理極まりない事実を知らない。
(14)正直者が馬鹿をみる日本
多くの人々がネットで真実を知り、もっと賢くならないと、「正直者が馬鹿をみる日本」はそのままだろう。大多数の日本人は123便の真実もアルファ通信が倒産した悲劇も知らない!
多数の日本国民は、仕組まれた事件が起きても、騙されていることに気づかない白痴ばかりです。テレビや新聞、大手ネットサービスから与えられた情報を信用している、ただの情報弱者です。拙ブログの目的の一つは、そうした情報弱者を0にする事です!
(15)あなたを成功へと導く〜“Commanding” Subliminal〜
https://youtu.be/yQJNYovbjaI
↑ あなたを成功へと導く〜“Commanding” Subliminal〜 2016/08/11 に公開
↓動画 AKB48グループの総監督 横山 由依(よこやま ゆい)

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