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564.JAL123便を米軍が撃墜したと言う説は真実か?

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↑画像 祝!新・国民の祝日『山の日』制定! ℃-uteのリーダー ハロー!プロジェクトの5代目リーダー 矢島 舞美(やじま まいみ)

(1)口封じの歴史・高天原山事変編46 JAL123便を米軍が撃墜したと言う説は真実か?

 123便を米軍が撃墜したと言う説が相変わらずネット上で幅をきかせています。1985年9月のプラザ合意と絡めて論が展開されている場合が多い。

http://ameblo.jp/64152966/entry-12188961780.html

 「464.川上慶子さんがアメリカ人と結婚したのはなぜか?」の(5)に書いた通り、日本航空123便墜落事故<高天原山事変>の生存者と遺族は、事故の真相を知っている可能性が高い。もちろん川上慶子さんも事故の真相を知っている可能性が高い。

 川上慶子さんが事故の真相を知っていたとして、米軍撃墜説が正しいとしたら、はたしてアメリカ人男性と結婚しただろうか。464はこちら

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↑画像:1985年8月13日 救出された川上慶子さん

LAKUBI(ラクビ)

(2)口封じの歴史・高天原山事変編47 高天原山事変は、ソ連と日本国内のソ連と結びついた勢力による日本攻撃!

 1985年11日、ミハイル・ゴルバチョフがソ連共産党の書記長に就任した。

 日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日18時56分に、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した事故である。拙ブログでは、日本航空123便墜落事故を、「高天原山事変」と呼んでいる。

 高天原山事変は、ソ連と日本国内のソ連と結びついた勢力による日本攻撃と言える。

 ソ連のTu-95ベアは、JAL123便の至近距離を飛行していた! 日航ジャンボ123便の垂直尾翼欠損の形状と、ソ連軍機Tu-95ベアのブレードの形状がぴたりと一致している。

 ソ連兵の犠牲者も出ている。だから上野村のすげの沢にキリル文字で書かれた残骸が落ちていたのです。その文字を日本語に訳すと「さようなら」です!


http://img-cdn.jg.jugem.jp/724/3037268/20150814_1190062.png

 1985年8月12日、日本航空123便墜落事故が起きた。123便の乗客だった小川氏の撮影した写真の中に、ソ連軍機と思われる機体が写っている。墜落後の現場に入った小平尚典カメラマンが撮影した写真の中にも、ソ連軍機と思われる機体が写っている。また、TBSの島田カメラマンが撮影した映像にも、ソ連軍機と思われる機体が写っている

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↑画像:小平尚典<こひらなおのり>氏の高天原山事変後の現場写真の中から「1ページ」だけトリミングコピーした写真<1230時事研修会 2015/09/06付け記事より >http://1230jijiken.com/1167

 小平尚典カメラマンが撮影した写真のソ連軍機と思われる機体は、311機製造されたTu-22とツポレフTu-95ベアと推測されている。小川氏が撮影した写真とTBSの島田カメラマンが撮影した映像のソ連軍機と思われる機体は、ツポレフTu-95ベアと推測されている。墜落現場から米軍機や自衛隊機の残骸まで発見されている。

 高天原山事変後の現場写真に、ネジがかなり錆びている機体が写っている。基本的に、ジャンボ機などの米国製機体はアルミ合金製であり、リベットも防食合金製である。一方、鋼鉄を多用するソ連軍機では、特にネジが錆びている例が多々見られる。このネジがかなり錆びている機体が、ソ連機ではないかと考えられている。

 なお、高天原山事変で123便にとどめを刺したのは、千葉県にある陸上自衛隊第1空挺団<習志野空挺団>所属の小林パイロットです!

 御巣鷹の尾根に行く駐車場から1~2分上ったところに石碑がある。ジム・バーネット米国・国家運輸安全委員会委員長が「二度とこんなことはさせまい」と石碑に残している。ソ連と日本国内のソ連と結びついた勢力に苦言を呈しているのです。

 「ソ連から5000万円の口止め料をもらって救助を遅らせ、長野県警レスキュー隊が介入するまで遅延を図った群馬県上野村の黒澤村長」というコメントをウェブ上でたまに見る。

 日航ジャンボ123便が撃墜された群馬県多野郡上野村の住民の多くも、「高天原山事変」の真相を知っている方は多い。真相を暴露しようとした住民を黒澤村長が弾圧した。

 黒澤村長の息子がロシアに行った際に殺害された。息子本人に対する口封じと黒澤丈夫氏に対する口封じと両方の意味があるだろう。

 チェルノブイリ原子力発電所事故は、1986年4月26日のモスクワ時間「午前123分」に発生しました。「JAL123便」を暗示した時間ではないかとも言われています。

 東日本大震災は2011年11日午後46分に発生した。246は123の二倍です。倍返しです!

クラチャイダム王

(3)口封じの歴史・高天原山事変編48 君が代記念日 高天原山

 8月12日は天皇制廃止論者の私が大嫌いな君が代の記念日です。「君が代」が大好きな右翼の方々もご存知ない方が多い。それはさておき、8月12日はそう言う意味で日本を象徴する日なのです。そして、高天原山は、天皇制を正当化するおぞましい神話の場所です。つまり、高天原山事変は日本攻撃です。

★君が代記念日 http://hukumusume.com/366/kinenbi/pc/08gatu/8_12.htm 

 日本を代表するナショナルフラッグ<政府専用機>が日本航空(JAL)から全日本空輸(ANA)にその後替わってしまったが、1985年当時は日本を代表するナショナルフラッグ<政府専用機>は日本航空(JAL)だった。そう言う意味でも、日本への攻撃だった。

http://npn.co.jp/article/detail/79190237/

 政府専用機と言えば、2016年、自分の外遊政府専用機を優先させ、皇室の公務予備機を使わせたのがレプの屑・安倍晋三である。

じゃらんnet

(4)口封じの歴史・高天原山事変編49 520体の石仏

 (3)では左翼チックに表現しましたが、表現を変えて言えば、高天原「タカアマハラ」(たかまがはら)山は、日本神道にとって最も神聖な所を示す言霊を冠する山なのです。古事記によれば、高天原(たかまがはら)は天津神(あまつかみ)が住む所とされている。JAL123便の123とは「ひふみ」とも読めます。神事を表す特別な数字です

 高天原山にある神社の両脇に520体の石仏があります。この神社のご神体は、国常立尊(くにとこたちのみこと)。国常立尊は日本古代の王者として優秀な人物である反面、厳格すぎる性格が災いし家臣に恐れられ暗殺されたと言われている。

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↑画像 高天原山にある神社の両脇にある520体の石仏 出典http://rapt-neo.com/?p=28631

 殺された国常立尊の首が捨てられ流されたのが神流川(かんながわ)、つまり神が流された川ですね。胴体<アラ>を流したのが荒川、鯛のアラは胴体のゼラチン部分です。殺害に加わった者が返り血を洗いすすいだ時、血が隈なく流れた川が千曲川(ちくまがわ)と言われています。これらの三つの川の源流の一つが高天原山です。日本航空123便の乗員乗客524名のうち死亡者は520名とされている。
 
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA123%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85

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(5)口封じの歴史・高天原山事変編50 1985年8月12日に向けて

 911もそうであるが、日航機撃墜計画も決行日に向けて数年前から綿密に準備が開始された。

 御巣鷹山の現場から約3km程度のところまでの林道は高天原山事変<日航123便墜落事故>の3年前の1982年頃に実質的に完成した。ある程度の所迄道がないと、事変が終わった後の事後処理に不便ですからね。かといって直接の現場になりそうな所迄道を作ってしまうと不自然ですし。1982年は「高天原山事変」(JAL123便墜落事故)の真実を「墓場まで持っていく」と言ったとされる中曽根康弘が首相に就任した年です。

 123便の墜落後、御巣鷹山周辺に展開した米軍機、ソ連機、自衛隊機 、そして、高天原山事変に関わった人々、それらを最終的に一瞬で殲滅したのは、長野県佐久市にある臼田宇宙空間観測所のパラボラアンテナから発射された電磁パルスビームだったのではないかと指摘されている。123氏によれば、そのパラボラアンテナは、御巣鷹山事変の前年の1984年頃に実質的に稼動を開始したと言う。

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↑画像:JAXA 臼田宇宙空間観測所 パラボラアンテナ 長野県佐久市

 高天原山事変以前から、御巣鷹山の西側、県境を越えた長野県南相木村の栗生(くりゅう)地区で、買収による住民の強制移住が始まった。

 現在、医師として活躍中で、ブログ「(新) 日本の黒い霧」でM氏として登場した方の友人の家族が、1980年代前半、栗生地区から突然引越すことになった。転居後すぐに、その友人が若干20代半ばで家を建てた。M氏は引越しの理由やお金の出所などをずっと疑問に思っていた。

http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/b7f115bafd76dc1af7477e0a1e74d391

 私も参加した2010年5月16日、江戸東京博物館で開催された「 御巣鷹山事変 真相解明シンポジウム 」では、民間人で御巣鷹山事変の現場に最初に到着したM氏の貴重な目撃証言に始まり、この戦闘行為の目的や、この事変を起こした周辺状況等が余すところなく披露された。

 残念ながら、当日の参加者は実に広い会場なのに、そう多くはなかった。多くの人々は、M氏の証言を2009-09-10 付けの「(新) 日本の黒い霧」で知った。

http://blog.goo.ne.jp/adoi/d/20090910

★M氏の証言のまとめ
・13日午前4時、公式発表ではまだ発見されていないはずの墜落現場に、自衛隊員が既に100名程度来ていた。
・自衛隊員は人命救助よりも何かの回収を優先していた。
・4~50名の生存者の声が聴こえた。
・1時間後には生存者の声が全く聴こえなくなった。


https://youtu.be/Pf3-eJgnOkM?t=17
↑動画 「M氏の証言」

 1985年8月11日、つまり、高天原山事変の前日、500もの棺桶が地元の業者に発注されていた。そこでアルバイトをしていた労働者は徹夜で作業し、ボーナスをもらった。やがて、その会社は不審火でまる焼けになり、伝票類は灰になってしまった!

参考文献:角田四郎著 「疑惑-JAL123便墜落事」 早稲田出版刊

 1985年8月12日の夕方に123便となるジャンボ機は、前日の1985年8月11日午後9時40分以後、羽田空港内整備工場に入り点検を受けた。

 航空機の飛行制御がコンピュータで行われている以上、その航空機を別のコンピュータで遠隔操縦することは不可能ではない。別のコンピュータから、デジタル信号電波を遠隔操縦する飛行機に送れば、当該航空機は遠隔操縦を受ける。つまりラジコンと同じ原理である。遠隔操縦される飛行機には受信装置があり、リモートコントロールされる。ただしリモコンされても、航空機の操縦桿の動き等は、特に人力で制御された場合には、リモコン電波との鬩ぎ合い<せめぎあい>が起きることになる。

 1985年8月12日、JAL123便が羽田空港に引き返すこともできずに、御巣鷹の尾根に撃墜させられたのは、遠隔操縦が原因だったと推測される。いつJAL123便に遠隔操縦受信装置<リモートコントロール受信装置>が取り付けられたのか? おそらく1985年8月11日から12日にかけての徹夜の点検作業の際、取り付けられたのだろう。

 日航機撃墜計画を事前に察知しその阻止に動いた方がいた。割腹自殺したとされている。割腹自殺ではなく日航機撃墜計画決行と口封じの為の殺害ではなかったのか?

http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/db981bc5d878822ac20bf865a924a724

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(6)口封じの歴史・高天原山事変編51 JAL123便のキャンセルが多かったのはなぜ?

 「464.川上慶子さんがアメリカ人と結婚したのはなぜか?」の(2)に記した通り、川上慶子さんは家族4人で北海道旅行の帰りに大阪の親戚宅に寄るため羽田に戻り、キャンセル待ちの後123便に搭乗した。464はこちら

 日本航空123便墜落事故<御巣鷹山事変>が起きた8月12日って、現在もそうですけど、アメリカ風に言えばホリデーシーズンですよ。ホリデーシーズンとは米国やカナダで主に用いられる言葉で、多くの人が休暇をとる期間です。

http://www.weblio.jp/content/%E3%83%9B%E3%83%AA%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%B3

 そのような日のしかもとりわけ需要の高い18時台の便で4人もキャンセル待ちでチケットが取れるってなかなかあり得ない話です。それがあり得たのは、123便のチケットを事前に購入しながら、日航機撃墜計画を知ってしまいキャンセルをした人々が結構いたからです。

 昨年2015年に放送されたTBS系の番組の中で、川上慶子さんのお兄さんの千春さんが、自分が北海道ツアーに参加していれば、5人となり、キャンセル待ちをしてもチケットが取れないからこのような事にならずに済んだのにと後悔していると言う話が出てきた。

 4人が隣り合う形で座席は確保できなかったかもしれないが、離れた形なら千春さんの座席も取れた可能性が高い。需要が高い日であり更に需要が高い時間帯なのに、123便はとてもキャンセルが多かったのです。

 特に政治家のキャンセルが多かった。高天原山事変も311も広島・長崎の原爆も事前にそれが起きる事を知っていた奴らがいたのである! 実にひどい話である。明石家さんまはおそらくあるルートから123便に乗ってはいけないと言う情報が入り、ドタキャンしたと推測される。

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(7)口封じの歴史・高天原山事変編52 123便墜落の際のきのこ雲

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↑画像:JAL123便機内

 123便が墜落する直前・直後に、米軍、旧ソ連軍、自衛隊による、空と地上における激しい軍事衝突が発生した可能性があります。それを拙ブログでは「高天原山事変」と呼んでいます。以前は「御巣鷹山事変」と呼んでいました。「御巣鷹山事変」と命名したのは「(新) 日本の黒い霧」です。

http://blog.goo.ne.jp/adoi

 この「高天原山事変」は、核兵器が使用された可能性があります。小平尚典カメラマンは肺がんを患っています。(5)で紹介したM氏も、「高天原山事変」の10年後に肺がんを患っています。墜落当時の現場は、ひどく放射能汚染されていたのです! 高天原山には1日中いると放射線障害を起こす場所があります! 御巣鷹の墜落現場に、冬でも雪が積もらない地熱の高い箇所が局所的に存在し、地中に埋まった核兵器の反応熱なのではないかと言われています!

 普段、自民党の方々が123便が墜落した群馬県多野郡上野村を訪れる事はほとんどない。それなのに石破茂は、2015年3月上野村を訪れた。2015年4月、首相の妻である安倍昭恵氏も上野村を訪れた。二人とも、上野村きのこセンターを訪れたと言う。

 冗談のような話ですが、この二人の行動が、日本航空123便墜落事故<高天原山事変>できのこ雲が見られたと言う事実を公開する布石だったと言われている。

https://youtu.be/p434TxdF_tE
↑動画:2015年8月1日(土)に放送された<NHKスペシャル「日航ジャンボ機事故 空白の16時間~墜落の夜30年目の真実~」> 消されないうちにご覧下さい

 長野県南佐久郡川上村の123便墜落の目撃者は、123便墜落の際、原爆起爆の際のようなきのこ雲が上がったのを目撃している! そして、2015年8月1日(土)に放送された<NHKスペシャル「日航ジャンボ機事故 空白の16時間~墜落の夜30年目の真実~」>に登場して証言をした彼女も。番組では、彼女が描いた123便墜落時の絵が紹介された。何とその絵にはきのこ雲が描かれていた。

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↑画像:NHKスペシャル「日航ジャンボ機事故 空白の16時間~墜落の夜30年目の真実~」墜落を目撃した長野県川上村の女性

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↑画像:NHKスペシャル「日航ジャンボ機事故 空白の16時間~墜落の夜30年目の真実~」墜落を目撃した長野県川上村の女性が描いた123便墜落時の様子

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↑画像:NHKスペシャル「日航ジャンボ機事故 空白の16時間~墜落の夜30年目の真実~」 証言した女性がいた場所

 このキノコ雲はソ連の中性子爆弾です。アメリカ軍専用とされている横田空域の真ん中で、ボーイング747SRジャンボや最強のSR-71が撃墜され米軍が完全敗退したのです。横田空域にソ連軍機が侵入出来るという事は、日本国内にソ連と通じている人々がいると言う事です!

 よく、米軍が撃墜したとネット上に書かれていますが、話が逆で米軍は123便を助けようとしたのです! 乗客の小川氏の写真10枚目には、迫るソ連軍機が写っています。123便を攻撃したのはソ連軍機なのです。ボイスレコーダーに高濱機長が「ソ連エア」と語っている声が残っています。


474.「オレンジエア」か「ソ連エア」か?
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-680.html

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(8)口封じの歴史・高天原山事変編53 アントヌッチ証言

 なお、米軍は123便を助けようとしたと言う件については、1985年当時、アメリカ軍に在籍し、ヘリを操縦してたマイケル・アントヌッチの1995年の証言があります。123便を語る上で、このアントヌッチ証言を抜きにはできない!

 ところが抜きにしちゃって、日本に円高を容認させプラザ合意へ進める為に、アメリカが123便を撃墜したんだって主張している方が多いのですよ。それで、そう言う方のブログって、拙ブログみたいな弱小ブログと違い、たくさーんのアクセスを日々集めている例が多いのです。

 その結果、123便は単なる事故ではないと思っている人々の大半は、アメリカが撃墜したと誤解しているのです! 私みたいに機会あるごとに「123便を撃墜したのはソ連だ!」って主張している人は極めて少数です。最近も「556.天皇暗殺阻止!」の(6)で、「坂本九が乗った旅客機を撃墜したのはソ連機です!」って主張したんだけど、どのくらい理解者が増えただろうか。556はこちら

 マイケル・アントヌッチは、「墜落の2時間後にはアメリカ軍の救助ヘリが現場に着いた。あの時ストップ(日本政府によるアメリカ軍の救助活動拒否)がかからなければもっと沢山の人が助かっていたに違いない。日本の救援隊が現場に着いたのはその後14時間も経ってからというではないか」と語った。詳しくこちら

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(9)口封じの歴史・高天原山事変編54 ソ連軍❤日本の自衛隊

 高天原山事変においては、「ソ連軍❤日本の自衛隊」です! 常識では、日米安保体制のもと、「米軍❤日本の自衛隊」ですよね。それが、高天原山事変においては、「ソ連軍❤日本の自衛隊」VS米軍だったのです!

 (2)で紹介したソ連のツポレフTu-95ベアが123便を追いかけ、123便の垂直尾翼に接触し、高天原山上空で(2)で紹介した習志野空挺団の小林パイロットが123便にとどめを刺したのです!

 アメリカ・ソ連・日本の3カ国で推定500名の軍人が翌朝までに死亡したと言われている。

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(10)口封じの歴史・高天原山事変編55 高天原山事変の事後処理

 1985年の「日航123便撃墜の最高責任者は中曽根康弘」と言う表現をネットで時々目にする。実は中曽根康弘の上に瀬島龍三がいて、更にその上に裏天皇がいると言える。

 高天原山事変勃発後、報道統制を敷いた。当初統制は完全ではなく、一部事変首謀者にとって都合が悪い情報も流れてしまった。しかし、大筋において現在迄その統制は機能している。口封じの為多くの無辜の乗客乗員が殺害された。高天原山事変勃発3日後、中曽根康弘首相<当時>は靖国神社を公式参拝した。アメリカに対する口封じの為、円高を容認しプラザ合意となった。

 かくして、「506.中曽根康弘が長期政権を築いたのはなぜか?」の(10)に書いた通り、「高天原山事変」以降現在に至る迄、アメリカに貢ぐ歴史が継続している。506はこちら

↓動画 祝!新・国民の祝日『山の日』制定! ℃-ute 
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