535.自民党政権がアメリカの米軍沖縄撤退提案を拒否したのはなぜか? その2

↑画像 沖縄全戦没者追悼式で平和の詩を朗読する仲間里咲(りさ)さん 2016年6月23日 沖縄県糸満市平和祈念公園
出典:http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201606/CK2016062302000258.html
(1)沖縄戦体験者 沖縄県民の14%
2016年6月23日のNHKニュースによれば、沖縄戦体験者は沖縄県民の14%となってしまった。沖縄戦では当時の沖縄県民の4人に1人が亡くなった。当時の沖縄県民の20万人以上が亡くなった。
(2)仲間里咲(りさ)さんの夢
冒頭の写真の仲間里咲(りさ)さんは、小学校1年生の頃、沖縄戦について伝えるテレビ番組を見ていた祖父が、左腕を押さえているのに気づいた。祖父から「古傷だよ」と聞かされた。戦禍を思い出すと、痛むらしかった。
アジア太平洋戦争中、旧日本海軍に所属した祖父は、戦地で友が撃たれ、軍艦が沈む場面も目にした。ぽつりぽつりと語る祖父の姿は、仲間さんの脳裏に焼き付いている。祖父はその後まもなく、91歳で世を去った。「もっと祖父に話を聞きたかった」と、彼女は悔いを感じている。
2016年、小学校6年生になった仲間里咲さんは、沖縄県平和祈念資料館が募った「平和の詩」に応募し、848点の中から最優秀作品に選ばれ、6月23日、沖縄全戦没者追悼式で自作の詩を朗読した。冒頭の写真はそのシーンである。
沖縄戦を描いた絵本に「セミの鳴き声は、戦没者の悲しみを叫んでいる」という趣旨の一文があったことを、彼女はふと思い出した。命の短いセミは「戦争を知らない私たちに、平和の大切さを教えてくれているのでは」と感じ、今回の詩を作ったと言う。
仲間さんが暮らす沖縄には、米軍基地が広がる。米軍の輸送機やヘリコプターなどが、頻繁に空を飛び交う。「今は本当に、平和なのかな」と彼女は思う。将来は、教え子に戦争の悲惨さを伝えられる教師になるのが仲間さんの夢だ。
私も長年、教室で戦争の悲惨さを伝えてきました。仲間さん、ぜひバトンを受け継いで下さい!
1996年4月に都立小金井北高等学校に異動した際、私は二つの事をこの学校で実現しようと思いました。沖縄修学旅行と男女混合名簿です。二つとも実現させました。それ以降異動した高校は、沖縄修学旅行と男女混合名簿が一般化していました。
(3)代替施設建設の基地利権。それだけだろうか?
一つ前の記事をUPした後の安保多稼士さんのツイートです。
安保 多稼士 @AmboTakashi 自民党政権がアメリカの米軍沖縄撤退提案を拒否したのはなぜか? 利権のために。代替施設建設の基地利権。それだけだろうか? http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-752.html
https://twitter.com/AmboTakashi/status/745785847924985856
もちろん、それだけではありません。今回は、自民党政権がアメリカの米軍沖縄撤退提案を拒否したもっと奥深い理由を探ります。

(4)琉球の歴史 1
隋の海軍が、610 年、現在の沖縄県に該当するエリアを探検して、「琉求人」<隋書の記載>の特徴を皇帝煬帝に報告した。、隋に滞在中の遣隋使小野妹子がそれを聞いて、帰国後、大和朝廷に「琉求<隋書の記載>は食人国」と伝えたというエピソードがある。(佐久田繁編著『琉球王国の歴史』月刊沖縄社、1999 年 3ページ)。
当時の琉求は爬虫類人<レプティリアン>が多かったのでしょうか。小野妹子だって、支配層に属するのですから、レプの可能性が高いと思う。
さて、大和朝廷は、663 年、白村江の戦いで唐の水軍に大敗し、朝鮮半島から撤退して、南島経営に関心をもつようになった。遣唐使船は、難破したり、琉求に漂着することも多かった。753年に有名な鑑真を乗せた遣唐使船は揚子江河口を出帆し、琉求に流れ着いた。住民の発音からそこを「阿児奈波」と名付けた。それがやがて「おきなわ」となる。
1429年、琉球王国が誕生した。和名「沖縄」よりも「琉球」が国際的通称となった。鉄砲伝来の約50 年後、日本は鉄砲約30 万挺を保有、世界の銀の約3分の1を産出する大国となり、南海各地に進出した日本人は約10 万人となった。
1600 年の関ヶ原の戦い以後、多くの浪人が傭兵として南方で活動していた。関ヶ原で敗北した島津氏は、徳川家康の許可を得て、1609 年、「琉球入り」を開始、2月4日鹿児島を出発、4月1日には首里城を占拠した。これ以降、琉球王国の庶民は、首里王府と薩摩藩の二重の搾取の下で明治期に至るのであった。
琉球王国は中国に朝貢していました。1609 年の薩摩蕃の琉球侵略によって琉球王国は薩摩蕃の属国となってしまいました。しかし中国とは朝貢関係を続けていました。ですから琉球王国は、中国と薩摩藩の両方に服属する形となったのです。中国とは朝貢貿易ですから、中国人は琉球王国の民衆を搾取していないのです。
したがって、琉球王国の民衆は、搾取しまくりの日本人より搾取しない中国人に好感を抱くのは当然の帰結です。
(5)琉球の歴史 2
1853 年5月、米国の提督マシュー・ペリーは、幕府との交渉の拠点として那覇に入港した。マシュー・ペリーは、1854 年3月に下田・函館開港の神奈川条約を結び、6月には琉米修交条約の締結に成功した。
マシュー・ペリーは、幕府が開国を拒絶すれば、琉球を占領するつもりであった。逆にいえば、琉球を拠点として日本の開国を強要したのである。クリントン民主党政権当時の国防長官・ウィリアム・ペリーは、「マシュー・ペリー提督」の一族である。ウィリアム・ペリーは、北朝鮮の核武装を阻止するためには、先制攻撃も必要であると主張した。
さて、1879 年、明治政府は、松田処分官を派遣し、武力を背景に首里城に乗り込み、琉球王国を潰し、無理矢理「沖縄県」を設置した。これを「琉球処分」と言う。最後の琉球王尚泰は、在位32 年、37 歳であったが、首里城を、松田道之処分官の率いる熊本鎮台沖縄分遣隊に明け渡したのである。
「琉球処分」の際、旧王国の役人を中心に、中国(清朝)の援助を得て独立の回復を目指す意見が出ました。
日本人に搾取されてきた琉球の民衆の中には、ヤマトンチュの世になったら<日本に組み込まれたら>、未来のウチナーンチュはたくさん死ぬ事になると考えた人もいたと言う。沖縄戦を予言したと言う事になる。
元沖縄県知事・大田昌秀はこう指摘する。「沖縄に対して、あえて軍事力を背景にして廃藩置県を断行したことは、一方が征服者で他方は被征服者という関係を作り上げることにほかならなかった。そうした有様が、その後の日琉関係にさまざまな悪影響を及ぼしたのである。……したがって、廃藩置県後の沖縄の急速な日本化にしても、本来の民族的一体化の態様とは異なり、一方的に沖縄の伝統的な文化や沖縄の人々の生き方そのものを抹殺する仕方で推進されたのも、いわば自然の勢いであった。さらにまた、沖縄戦から戦後にかけて、沖縄の人々と日本本土の人々との間に大きな心情的亀裂が生じたのも、無理からぬ面があった。中央政府の施策の有様が、まるで異民族が被植民地下の外国人に対するも同然だったからだ」(大田昌秀『沖縄差別と平和憲法』BOC出版、2001 年、28-29 ページ)。
明治政府は、廃藩置県後、尚泰王と尚健・尚弼の両王子を東京に移住させ、尚泰王を華族に列した。しかし、その実質は、「270 年も前に薩摩が琉球攻略を果たした後、尚寧王以下の重臣を人質にして薩摩に拘置し、3年後に王と重臣それぞれに誓約書を出させてやっと帰国を許した歴史的事実のいわば再現にも等しかった」(大田昌秀『沖縄差別と平和憲法』33 ページ)。
しかも、「明治政府の主要な関心は、ほとんど軍事的側面だけにあった……。」(大田昌秀『沖縄差別と平和憲法』42 ページ)。
武力を持たない琉球王国の平和的伝統が、明治政府によって、180 度転換、軍事基地化されたのである。このことは、「沖縄自体に甚大な災難をもたらしただけでなく、近隣のアジア諸国民に多大の脅威を与え怨恨の種をまいた……。それのみか、敗戦後もベトナム戦争やイラク戦争が例証するように、世界で戦争がある度に、沖縄基地から各種の米軍機が出撃して爆撃を繰り返すのは、周知のとおり。しかもそれによって沖縄の人々の意思に反して、他国の何ら罪もない老幼婦女子の殺戮に手を貸す形となり、怨恨の種をまき続けてしまう。」(大田昌秀『沖縄差別と平和憲法』59-60ページ)。
大正末期から昭和初期にかけておこった恐慌は、沖縄では「ソテツ地獄」とよんでいます。当時の沖縄の人口の7割が暮していた農村部では、極度の不況のため米はおろか芋さえも口にできず、多くの農民が野生の蘇鉄(そてつ)を食糧にしました。毒性を持つ蘇鉄(そてつ)は、調理法をあやまると死の危険性があるにもかかわらず、その実や幹で飢えをしのぐほかないほど、農村は疲弊しきっていたのです。
しかし、このような県民の貧窮にもかかわらず国税は徴収され、さらに台風や干ばつなどが追い打ちをかけたため、県民の暮らしは文字通り地獄の様相を呈していました。農家では身売りが公然とおこなわれ、さらには海外への移民や本土への出稼ぎが増えていきました。
薩摩藩の搾取時代の方がまだましだったとする説があります。
(6)琉球の歴史 3
そして、壮絶な沖縄戦の後、沖縄県はアメリカの領土となりました。1947年9月に、昭和天皇は、米軍が沖縄本島や琉球列島のその他の島々に対する占領状態を、50年間より更にもっと長期間継続させることを希望する私的な考えを示し、当時、天皇の御用掛であった寺崎英成が、占領軍の政治顧問のシーボルトの事務所を訪れて考えを伝え、ワシントンのマッカーサー元帥にその内容を送ってもらうように依頼した。
この史実は、教室で沖縄の戦後史を語る機会があれば結構語ってきました。1972年5月に沖縄の本土復帰が実現した後も、この昭和天皇のメッセージが生きているとも言われている。そうだとすれば、下のリンク先の記事にあるように、「基地が存在する事によって生じる不都合な、悲しい事件の責任は昭和天皇に有ります!」「米軍基地撤去のデモは皇居前でおこなうべきです!」と言える。
http://1tamachan.blog31.fc2.com/blog-entry-14890.html
★通称・沖縄メッセージ 昭和天皇がマッカーサー元帥に宛てた「米軍による長期沖縄占領継続を依頼するメッセージ」
http://www.geocities.jp/warera_tikyujin/law_war/okinawa_message.html
(7)なぜ昭和天皇は、「米軍による長期沖縄占領継続」を依頼したのか?
「281.昭和天皇を毒殺したのは誰だ?」で綴った通り、昭和天皇は毒殺されたとする説がある。281はこちら。中国公安部をはじめとする勢力が暗殺したとの説である。中国公安部をはじめとする勢力は、八咫烏・ 裏天皇・クロカモ系である。「陰謀論」と言われればそれまでですが。
この説が正しいとすれば、昭和天皇は米軍に守ってもらう為に、沖縄の基地に限らず、在日米軍の長期存続を望んだ事になります。しかし、それが功を奏さずに暗殺された。
(8)何歳になっても褒められれば嬉しいです
jcjkさんから褒められました。何歳になっても褒められれば嬉しいです。なお、次の転載記事は全文を転載しませんので、全文をお読みになりたい方は下をクリックして下さい。
http://1tamachan.blog31.fc2.com/blog-entry-15060.html
<転載開始>陰謀論は事実です=日本の政治を観るなら、陰謀論で観ないと、今後も騙され続けるでしょう。
民度は高いが、政治民度が低い日本人。日本人が政治に弱い理由は、国民の責任でなく、政府がそう仕向けたからです。
信頼と団結が特徴の日本人の社会と政治が正反対だから理解できない。日本人で政治を理解できるタイプは、刑事ぐらいでは?
世界中の観光地で、だますNo,1のターゲットは日本人です。日本人は世界一だまされやすい民族。だから政治が理解できない。だます事が=ユダヤ政治です。騙されやすさ世界一の日本人。
世界一平和な国で暮らせた弊害でしょう。日本人は上品過ぎて、サギ政治を見破るのは難しい。むしろ中国人や韓国人の方が、日本人より上です。政治も悪質=社会も悪質だから、中国人・韓国人はスムーズに政治を観れます。日常と変わらない。
=途上国=
デモや暴動まで起こす途上国やアフリカ人も、日本人より(数倍)政治に真剣です。政治民度は、学力とかの話じゃない。性格が自分と正反対だから、政治家が理解できないのです。
政治民度は世界150位か190位だと自覚した方がいい。反省しないと次の解決にも進めません。むしろキッパリ、「日本人に政治はムリだ!」ぐらい絶望しない限り進歩が望めないかも?
▼信頼と団結。性善説で暮らす日本人。▲だます事こそ、ユダヤ政治。
真逆で正反対で対極。いい社会で暮らしたから、政治が苦手。
▼政治民度は世界で190位└政治通すら中学生└日本人に政治はムリ?└性悪説の陰謀家だけが◎
確かに今回の安倍政権は難しかったはず。60年間一緒に暮らして来た自民党が61年目で急に、牙をむいて国民殺しを始めたのだから。61年目に「自民党は敵だ。」と聞いても発想の転換が難しい。たった2年(2015年、2016年)で起きた日本滅亡計画は、ユダヤ自民党には簡単だったはず。
=政治のコツ=
×…性善説。「何度も騙されてばかり。」 ◎…性悪説。「政治家は敵だ!スパイだ!」
=日本人の例外=
政治を観るのに向かない日本でも、例外はいます。性格が自分と同じだからヤクザなら、政治を理解できます。悪人を疑うのが商売=警察も、政治はカンタンです。誰も信じない陰謀論家も、政治を理解できます。身近にいましたね?
=具体例=
紙幣の不思議2さん、福田元昭さん、ハムレットの水車小屋さん、RAPTさん、ネット探偵のBlogⅡさん、donさん…等々。陰謀論でくくるのは妥当でないかも知れませんが、彼らは政治を見るセンスが抜群です。視点が日本人のレベルじゃない。
=陰謀家のさらに上=
苫米地英人さん、カレイドスコープさんは犯罪心理学の技術で政治を観ています。2人はむしろ警察に近い。
=自考力=
確かに一番大切なのは自考力です。情報を丸呑みせず、自分の頭で考え直す事が、一番重要ですが、戦後70年間の詰込み教育で、自分で考えない国民性にされました。今すぐ自考力なんて無理ですよ。日本人が、苦手な政治を観る時に(今)頼るなら、陰謀論の6人、犯罪心理学の2人が参考書になるでしょう。
=陰謀論は事実です=
例えばロシアの様に、政府も国民も同じ方向を向いている国なら陰謀論なんて不要です。ところが世界一スパイに汚染された国です=日本。日本の政治はスパイだらけ=91%がCIA政党。だから日本の政治を観るなら、陰謀論以外では(永久に)解けません。陰謀論で観ないと、今後も騙され続けるでしょう。
=否定派=
陰謀論を否定しているのも、決まって自民党ネトウヨIDです。自民党のネット工作員は、「スパイと団結しよう」と呼び掛けています。「陰謀論がぁー」「自民党は味方よ」「安倍首相を信じよう」確かに自民党を味方だと思わせたい人なら否定するでしょう。
安倍政権の様に山ほど殺人法案を出した後も、「私を殺す安倍は、私の味方なの」=説得力がない。私を殺す人が私の味方? 陰謀論を否定しているIDで、自民党工作員を見破れます。
スパイ汚染の国では、政治家は単なるスパイです。政治家は、国民の敵です。どんな政治通でも、この基本が間違っていたら脱線します。自考力を備えた方は平気でしょうが、政治を正しく見たいなら、日本人を超えた、鋭い視点を持っているのが陰謀家です。
http://ameblo.jp/jcjk-now/entry-12173354145.html
jcjkさんちから転載しましたm(_ _)m <転載終了>
(9)2016年6月23日の広島県の豪雨はなぜ起きたのか?
広島県では23日、大雨の影響で、福山市の川の堤防が決壊したり、呉市で土砂崩れが起きたりして、少なくとも住宅20棟で全壊や浸水などの被害が出た。住宅に土砂が流れ込むなどして2人が軽傷。広島市では崩れた土砂に電車が乗り上げ、脱線した。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/253796
陰謀家としては、気象兵器の使用を疑います。気象兵器・地震兵器を使用するのは権力を握っている連中である。「503.安倍晋三には九州大地震を止める超能力があるのか?」の(1)で綴った通り、熊本県では、2016年4月22日までに800回を超す地震が起きていたが、2016年04月23日、安倍晋三が被災地入りしてから地震が止まった。503はこちら。
権力を握っている連中が気象兵器を使用したとしたら、なぜ広島県が狙われたのだろうか?
私は、広島県選出の亀井静香の『週刊プレイボーイ』での発言が原因ではないかと考える。『週刊プレイボーイ』で亀井静香は、「日本共産党の志位和夫委員長はトップの器と力量がある」「参院選後、他党の切り崩しがきかない、手ごわい共産党が政局を握る。」「志位和夫は本気だよ。彼が率いる共産党が、だらしねえ日本の政治に活をいれるのは確実だ。」と、日本共産党の志位和夫委員長を絶賛したのだ!
https://twitter.com/nakamasa0225/status/744439290709442561?ref_src=twsrc%5Etfw
<495.「夫婦別姓は左翼的かつ共産主義のドグマ」なのか?>の「(7)野党は、自民党の山田賢司議員の悪行を告発した野田哲範氏の不審死を国会で取り上げ、自民党を追いつめるべきである!」などで書いたように、所詮、「与野党グル」だから。495はこちら。

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