514.アメリカが1954年3月1日に、史上最大の15メガトンの水爆実験を強行したのはなぜか?

↑画像 2016 薔薇シリーズ5 ℃-uteのリーダー、およびハロー!プロジェクトの5代目リーダー 矢島 舞美(やじま まいみ)
(1)日本製原爆製造と成功
所謂「田布施SYSTEM」が確立し、日本は領土拡大に邁進した。

↑地図 大日本帝国の最大版図
侵略戦争の結果、1942年に、大日本帝国は上の地図の赤の部分の最大版図を形成した。1942年6月のミッドウェー海戦以降、その版図は次第に縮小していった。
その一方で、日本は密かに核開発を進めていった。密かになので、日本の原爆開発研究について日本政府の正式記録は存在しません。ドキュメンタリー作家の記事や軍人達の回想などは、いくつか刊行されています。
https://watanaby.files.wordpress.com/2013/03/fukui-6a.pdf#search='%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%BE%B0%E4%B8%89%E9%83%8E'
上のリンク先の文章や下のリンク先の文章を読むと、核開発に携わった人物が敗戦後大学教授になっている例がある事が判ります。
http://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20010701000008
山本洋一陸軍技術少佐は日大教授になり、鈴木辰三郎はいわき明星大学長になった。
日本は日本製原爆の製造に成功し、その地上起爆に成功し、人類史上第1号の起爆によって「人体実験にも成功」した。人体実験の成功により、正規兵の英国陸軍元帥だった昭和天皇は、原爆の特許の権利を得た。中国筋の暗殺とも囁かれている昭和天皇の死去後、その権利は今上天皇に継承された。
1945年8月当時、原爆を地上起爆させる技術は日本だけが開発できていた。空中起爆できる技術など世界中何処にもなかった。
http://ameblo.jp/maeni76pop/entry-12087660312.html

↑画像 地上起爆の証拠写真 1945年8月6日 午前8時8分頃 地上での火炎がはっきりと見られる 広島市段原中町電気商松重三男氏撮影でUN発表の写真
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1192.html
日本史の教科書に「LT貿易」と言う言葉が出てくる。LT貿易は1962年に日本と中華人民共和国との間で交わされた「日中長期総合貿易に関する覚書」であった。当時、両国間の正式な国交はなかった。そう、上野にパンダがやって来る前の事なのだ。「LT貿易」は、半官半民的な貿易形態だった。最盛期には日中貿易総額の約半分を占めた。覚書に署名した中華人民共和国側代表廖承志と日本側代表高碕達之助の頭文字を取って「LT貿易」と言われた。日中国交回復後の1973年まで続けられた。
その高碕達之助の著作「満洲の終焉」によれば、満洲から採掘し精錬された約2,000トン以上のウラン鉱石を、満鉄と「ばいかる丸」と日本通運のトラックを使って、山口県・福岡県・京都府などの軍事工廠、燃料工廠に運んだと言う。
ウラン235の濃縮は、静岡県の伊豆箱根鉄道大場駅前の森永食糧工業で、巴工業の遠心分離器を使用して行っていた。
現在、世界中が保有している核兵器の起爆装置は全ての例外なく「日本製品」だと言う。
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2773.html
(2)世界初の核実験
世界初の核実験は1939年3月1日大阪府枚方町(ひらかたちょう)<1947年以降枚方市>で実施された。
https://twitter.com/honest_kuroki/status/719466375719161857
1940年7月6日、ネイチャ―が、理研が行った核爆発の実験結果の解析の一部を、掲載した。
http://tamachannohimatubushi.blog.jp/archives/57583557.html

↑画像 理研のメンバー 1944年
この理研の科学者の中の7名が北朝鮮に渡り、原爆実験を成功させた後に、ソ連に拉致されたとのではないかと指摘されている。
http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/1193.html
(3)世界の核開発をリードする日本人
つまり、北朝鮮とソ連の核開発に、日本人が関与している可能性がある。1940年代当時の日本は、核爆弾の理論的完成に到達していた。その理論を当時理研にいた研究補助員の湯川秀樹が米国に売り渡した。米国は終戦後、湯川の功績を論功行賞としてノーベル賞を授与させた。日本の利益にはならず、米国のためになったことで褒美がもらえた。湯川秀樹は売国奴である。湯川の動きを考えれば、アメリカの核開発にも、日本人が関与している事になる!
(4)1954年3月1日 史上最大の15メガトンの水爆実験
1954年3月1日、ビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験「ブラボ-」で使用された核兵器は、史上最大の15メガトンだった。 広島原爆の1,000倍のウルトラ水爆だった。 周辺海域で操業中のまぐろ漁船第五福龍丸など日本の漁船1,000隻以上が被曝した。
ビキニから約180km離れたロンゲラップ島の人々は避難させられずに、激しい衝撃波と爆風を受けた。やがて激しい急性放射能障害が島民を襲った。

↑画像 ブラボー実験のキノコ雲 1954年3月1日
https://ja.wikipedia.org/wiki/ビキニ環礁
(5)アメリカが1954年3月1日に、史上最大の15メガトンの水爆実験を強行したのはなぜか?
当時の冷戦構造の中で、ソ連に対して優位に立つ為に強行した。また、人体実験であった。と言った理由はもちろんですが、なぜ、3月1日を選んだのでしょう。
私には、日本が世界初の核実験を、1939年3月1日に成功させた事実に対する対抗意識から、この日を選んだのではないかという気がする。
↓動画 大和田南那(オオワダナナ)

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