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464.川上慶子さんがアメリカ人と結婚したのはなぜか?

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↑画像:2015年8月12日 TBS系で放送された「8.12日航ジャンボ機 墜落事故30年の真相~生存者 川上慶子さんの兄が語る“妹と事故”~」で川上慶子さん役を演じた美山加恋さん

(1)8.12日航ジャンボ機 墜落事故30年の真相~生存者 川上慶子さんの兄が語る“妹と事故”~

幸い、2015年8月12日、クーデターは起きませんでした。その2015年8月12日、TBS系で「8.12日航ジャンボ機 墜落事故30年の真相~生存者 川上慶子さんの兄が語る“妹と事故”~」と言う番組が放送されました。

http://varadoga.blog136.fc2.com/blog-entry-72346.html
↑動画:2015年8月12日 TBS系で放送された「8.12日航ジャンボ機 墜落事故30年の真相~生存者 川上慶子さんの兄が語る“妹と事故”~」

8.12日航ジャンボ機 墜落事故30年の真相~生存者 川上慶子さんの兄が語る“妹と事故”~8月12日水曜よる7時放送 番組ホームページ
http://www.tbs.co.jp/osutaka30/

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(2)川上慶子さんの父親

 上の(1)の動画にもあるように、川上慶子さんは家族4人で北海道旅行の帰りに大阪の親戚宅に寄るため羽田に戻り、 キャンセル待ちの後123便に搭乗した。事故当時12歳だった。

TBSの番組<(1)の動画>にも紹介された通り、川上慶子さんの父親は町議会議員だった。

番組では、「町議会議員」と紹介されただけだったが、当時の島根県簸川郡大社町の日本共産党の町議会議員だった。大社町はその名の通り、出雲大社の門前町である。

 日本航空123便墜落事故<御巣鷹山事変>が起きた当時、東京都府中市に住んでいた私は、赤旗日曜版を購読していた。

川上慶子さんの父親である英治さんがJAL123便墜落事故<御巣鷹山事変>で逝去された後、赤旗日曜版では当時の島根県簸川郡大社町の日本共産党の町議会議員としての立場で紙面に登場した。

 なお、簸川郡大社町は、2005年3月22日の市町村合併により出雲市の一部となった。

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(3)川上慶子さんの証言

http://hp35.0zero.jp/gamen/s_scr.php?num=8&uid=JAL123&dir=707

突然、トイレのへんからビリッと音がして、そのあとパーンという音と一緒に天井が吹っ飛んだ。斜め後ろの1m四方の穴が開き、白いものがそこからと前に出てきた。口の中が痛くなったけど、しばらくしたらしびれもなくなった

 後ろの穴からプロペラみたいのがゆっくり回っているのが見えた。酸素マスクが落ちてきたので着けた。お父さんが『慶子、頭を下げろ』と叫んで、私と咲子、それにお母さんの三人を両手で抱き抱えて守ってくれました。そして急降下していきました

 落ちるとき、『お父さん、苦しい』というと、お父さんは『ナイフを使って(ベルトを)切れ』といった

 落ちたとき、私の上には蜂の巣のようなもので、ボルトがいっぱい出たものがあって痛くて動けなかった。『お父さん、動けないよぉ』というと、『お父さんも身動き出来ない』といった。

 お父さんは私の右腹から上の方に折り重なっていて、ちょっとどけようとすると、すごく痛いので『お父さん、痛い』といったらそのまま動かなくなった。

(↑米田憲司著「御巣鷹の謎を追う 日航123便事故20年」宝島社より一部引用)

(↓角田四郎著「疑惑」早稲田 出版社より引用)

 気がつくと真っ暗で油臭いにおいがした。子供の泣き声などがザワザワ聞こえていた。手や足を動かしてみると足の下には空間があってブラブラ動かせた。自分の体中を触ってみても、みんな付いており「生きている」と思った。みんなはどうなったのかと思い、叫ぶと父と咲子が返事した。

 母は答えなかった。「手や足を動かしてみ」と言われて足をバタバタさせると、靴が脱げそうになり左手を左足の方に伸ばした。足首 がヌルヌルしていて「血だな」と思った。

 父は私の右わきから下半身に乗っていた。手足は動いても体は動かない。「助けて」と父に言うと「お父ちゃんも挟まれて身動きできない。助けてやりたいけど、どうしようもないわなあ」と言われた。

 父が動くと、おなかが死ぬほど苦しかった。「お父ちゃん、お父ちゃん、苦しい、苦しい。すごく痛い」と言っているうち、父はそのまま動かなくなった。

 咲子に聞くと「お母ちゃんは冷たい。死んでるわ。お父ちゃんも死んでいる。」と答えた。左手をのばして触ってみるとやはり冷たかった。

 その後、咲子と二人でしゃべった。咲子は「苦しい、苦しい」と言った。「足で踏んでみたら楽になるかもしらんからやってみ」と言うと妹の足の音がした。妹はそれでも「苦しい、苦しい。みんな助けに来てくれるのかなあ」と言うので「大丈夫、大丈夫。お父ちゃんもお母ちゃんも死んでしまったみたいだけど、島根に帰ったら、おばあちゃんとお兄ちゃんと四人で頑張って暮らそう」と答えた。

 突然、咲子が「ゲボゲボと吐くような声」を出ししゃべらなくなった。一人になってしまったと思い。その後、朝まで意識が消えたり戻ったりした。ヘリコプターのパタパタという音で目が覚めた。

 目の前を覆う部品の間から二本の木が見え太陽の光が差し込んできた。「生きているんやな」と思った。何とか外に出て見つけてもらおうと思い努力した。父のシャツのタオル地が見え、腹の上に乗っている父を左手で押し下げた。

 そのとき、父のだと思って触った手を、上の方にたどると自分の右手だと分かった。顔の上の部品の一部をつかんで横からはい出そうとしたが、二度三度するうち部品がずり落ち、顔とのすき間が狭くなった。

 そこで今度は両足を当てがい押し上げようと踏んばった。「中学になってから慶子は根気がなくなった」と日ごろから言われていた言葉を思い出し、頑張った。人の気配がして「生きている人は手や足を動かして」と声がした。

 足をバタバタさせると人が近寄って来た。ボサボサの頭ショートパンツで勘違いされたらしく「男の子だ!」と言われた。

★JAL123便日航機墜落事故関連資料集-川上慶子さんの証言
http://mania.daa.jp/blog/123/keko.html

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↑画像:1985年8月13日 救出された川上慶子さん

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(4)川上慶子さんのその後

 美少女だった川上慶子さんにマスコミの取材が集中した。

日航機墜落事故から30年。生存者の兄が今語る「中学校の通学路で記者に待ち伏せされた」マスコミ被害
http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20150812/E1439320180087.html

「私は聖子ちゃんではない」:その後のマスコミの取材攻勢のときに川上慶子さんが漏らしたとされる言葉です。

事故後の慶子さんは、島根県で病気がちな祖母と(中学生の)兄の3人で生活し、親戚の小田さんも大阪から足繁く通って、彼女等の面倒をみた。慶子さんは美少女だったから励ましの声と同時に好奇の目も集中し、ストーカーまがいの行為に長く悩まされた。自宅に嫌がらせの電話が頻繁にかかる様にもなった。そんな状況が10年近くも続いた。

http://new22nozawa.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-99aa.html

その後、川上慶子さんは保健師だった母親の遺志を継いで看護師となって兵庫県の病院で働き始めた。1995年の阪神淡路大震災の際には兵庫県尼崎市で怪我人の手当に奔走した。

その後、川上慶子さんは趣味であるスキューバダイビングをするためにアメリカを訪れた際に知り合ったアメリカ人と2002年に結婚した。

http://search.yahoo.co.jp/search;_ylt=A7dPgoKtosxV60AA1qSJBtF7?p=%E8%A6%81%E3%81%AF%E3%80%81%28%E4%BD%95%E6%95%85%E3%81%AB%29%E7%94%9F%E5%AD%98%E8%80%85%E3%81%AE%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E6%85%B6%E5%AD%90%E3%81%95%E3%82%93%28%E5%BD%93%E6%99%82%EF%BC%91%EF%BC%92%E6%AD%B3%29%E3%81%8C%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%A8%E7%B5%90%E5%A9%9A%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%A7%E3%81%99%E3%80%82&search.x=1&fr=top_ga1_sa&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=&oq=&afs=

その後、看護師の仕事を辞め、現在は息子二人と幼い娘の子育てに奮闘している。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015072502000130.html

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(5)日本航空123便墜落事故<御巣鷹山事変>の生存者と遺族は、事故の真相を知っている可能性が高い。

 「462.2015年8月2日、福島第一原発3号機が再び爆発し、日本は終了してしまうのか?」と「463.2015年8月12日、御巣鷹山事変30年目の新たなクーデターが起きるのか?」で紹介した8月1日(土)に放送された<NHKスペシャル「日航ジャンボ機事故 空白の16時間~墜落の夜30年目の真実~」>に登場した事故の遺族でつくる「8・12連絡会」事務局長の美谷島(みやじま)邦子さんも、その可能性が高い。462はこちら、463はこちら

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↑画像:NHKスペシャルに登場した「8・12連絡会」事務局長の美谷島邦子さん

★日航機墜落30年で新資料 NHK NEWS WEB
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0806.html

https://youtu.be/p434TxdF_tE
↑動画:8月1日(土)に放送された<NHKスペシャル「日航ジャンボ機事故 空白の16時間~墜落の夜30年目の真実~」> 消されないうちにご覧下さい

川上慶子さんも事故の真相を知っている可能性が高い。

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(6)JAL123便を米軍が撃墜したと言う説は真実か?

 123便を米軍が撃墜したと言う説が相変わらずネット上で幅をきかせています。1985年9月のプラザ合意と絡めて論が展開されている場合が多い。

http://ameblo.jp/64152966/entry-11328824364.html

川上慶子さんが事故の真相を知っていたとして、米軍撃墜説が正しいとしたら、はたしてアメリカ人男性と結婚しただろうか。

↓動画:モー娘。 
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