438.福知山線脱線事故を引き起こしたのは、高見隆二郎運転士なのか?

↑画像::2015年桜シリーズ6 アイドルグループ「℃−ute(キュート)」の主演舞台「さくらの花束」 ℃−uteのリーダー 矢島舞美
(1)福知山線脱線事故が引き起こされてからちょうど10年経ちました。
兵庫県尼崎市で乗客106人と運転士が死亡し、562人が重軽傷を負ったJR福知山線脱線事故の発生から25日で丸10年が経った。現場となったマンション付近では、事故発生時刻の午前9時18分に合わせて黙祷がささげられ、ほぼ同時刻を通過する列車は哀悼の長い警笛を鳴らし、中にいた乗客が手を合わせる姿が見られた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150425-00000001-wordleafv-soci
発生現場となった、尼崎市久々知のマンションには、早朝から多くの遺族が訪れ、献花を行っていた。事故当時21歳だった長女の容子さんを亡くした兵庫県三田市の奥村恒夫さん(67)は「10年の月日が流れたがなにも解決していない、10年たっても通過点だと理解しています」などと沈痛な面持ちで話していた。
解決するはずがない。後述するように、ある意味でJR西日本は福知山線脱線事故の被害企業なので、そこを相手に交渉しても根本的解決にはなかなか至らないのだ。
マスコミがこの事故<事件・鉄道テロ>の真相をある時点以降隠蔽しているので、圧倒的多数の人々は真実を知らない。
だから、「ある意味でJR西日本は福知山線脱線事故の被害企業」などと書くと、「何を寝ぼけた事を言っているのだ」と言う話になってしまう。多数派にとって、JR西日本は福知山線脱線事故の加害企業にほかならない。
2015年4月25日、兵庫県尼崎市のアルカイックホールでは、加害企業とされているJR西日本主催の追悼慰霊式営まれた。同日午前9時18分には参列者全員が黙祷。犠牲者の冥福を祈った。その後、JR西日本の職員が事故現場の献花台を訪れ冥福を祈った。なお、25日のTV報道で「献花台が設けられ」と表現されている。実は、献花台は常時設けられている。ただ、普段の献花台は、2015年4月25日の献花台よりサイズが小さい。後述するが、私は普通の日にそこを訪れ、犠牲者の冥福を祈っている。
(2)飛び込み自殺とされている事例の何割かは、自殺ではなく殺人である!
東日本大震災が引き起こされてしまう約ひと月半前の2011年1月29日(土)、10:00ちょうどに東京駅を出発したN700系のぞみ221号新大阪行きに乗車した私は、缶コーヒーを飲みながらその日の朝食となった駅弁を車内で食べた。
新大阪止まりを選んだ理由は、日々過労死寸前まで働く教育労働者としては、疲労が極限値となった頃であるので、寝過ごして乗り越してしまうと大変なことになるとの思いからであった。
12:36に新大阪に着いた。新大阪駅のエスカレーターは、よそ者が多いせいか、関西の慣習である急がない人は右側に寄るとはなっていなかった。しかし、在来線のエスカレーターに乗ったら、それは徹底していた。東京圏とは逆である。噂には聞いていたが見るのは初めてであった。もちろん、「郷にいれば」で、私もその慣習にしたがった。
個人的には、そうした慣習が確立していない頃がよかった。その頃は、労働運動が活発で、ストライキで電車が止まることはよくあったが、今みたいに飛び込み自殺で電車が止まることなど滅多になかった。このツアーの2日目、自宅へ向かう某私鉄も人身事故で約1時間、厳寒の夜にSTOPしてしまった。
拙ブログにしばしば貴重なコメントを下さる123氏によれば、飛び込み自殺とされている事例の中には、特殊な兵器に攻撃されたため、ホームに転落している人もいるとのこと。
1998年から日本は毎年自殺者が3万人を超えている年がとても多い。私自身、その3万人の中には、本当は殺されているかもしれないのに、自殺と処理されている人(EX:2010年11月に逝去した警察の悪事を追究していた黒木昭雄氏をはじめ例を挙げればきりがない)がいることはわかっていたが、123氏からこうした話を伺うとよりそれを痛感した。
(3)大きな事故や事件の多くは仕組まれたものである!
2011年1月29日午後1時、前から見たいと思っていた阪急の三複線区間の梅田駅三線同時発車の電車を阪急宝塚線に乗車しながら見た。1959年2月18日に民鉄では初となる三複線が梅田・十三駅間に開通してから今年で56周年となる。

↑画像:阪急 梅田・十三駅間
★阪急梅田駅 三線同時発車 動画
https://youtu.be/9gBFU_J88zA?t=17
阪急宝塚線の電車は、やがて大阪府池田市に入った。あの123便が向かおうとしていた大阪国際空港は、ここ池田市をはじめ、この日、123氏と私の宿泊先となった兵庫県伊丹市、大阪府豊中市にまたがっている。また、池田市は、2001年に附属池田小事件が起きた場所でもある。
2011年1月29日夜、私は123氏と語り合った。123氏によれば、大きな事故や事件の多くは仕組まれたものであると語った。その年の12月より拙ブログの執筆をSTARTして以降、執筆にあたり膨大な事象をCHECKしていくと、123氏の言葉が真実である事がより実感できた。
それにしても、このエリア<昔の言い方で言えば、摂津国から播磨国にかけての地域>は、この約20年間、実に大きな事故や事件や災害が多い。なぜだろう? 神戸市須磨区では1997年に酒鬼薔薇事件が起きた。01年には明石歩道橋事故が起きた。
(4)1995年の阪神大震災も人工地震
1995年の阪神大震災も仕組まれた可能性が大きい。「(新)日本の黒い霧」2010年-11月26日付けの記事にそれは出ている。
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/654302fa5c4f60d08e9c11f194e3e549
1994年1月17日 カルフォルニア大地震 1995年1月17日 阪神淡路大震災
日米両 HARRP 攻撃の応酬と捕らえる説もあります。日を改めて解説しますが、被害地の神戸は日航機事件にも関連する重要都市であり、117という数字から御巣鷹で発見されたステルス戦闘機 F-117 との連想も働く。日航機事件が隠された日米戦争ならば、同説もそれなりに説得力があると言えるでしょう。<転載終了>
44.311が人工地震だとすると、阪神大震災は?
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-61.html
(5)ネパールでM7.9の地震 多数の建物倒壊、地割れも
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6157880
地震と言えば、25日午前11時56分(日本時間同日午後3時11分)ごろ、ネパールの首都カトマンズ北西約80キロを震源する地震があった。米地質調査所(USGS)によるとマグニチュードは7・9。揺れはネパールだけでなくインド北部などで広く感じられた。
この地震で周辺国の人々と日本人を含めて2100人以上の方々が逝去した。ご冥福をお祈り申し上げます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150426-00000053-mai-asia
タレントのなすびさんやアルピニスト野口健氏は無事です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150425-00000116-jij-asia
政府は26日、マグニチュード7・8の地震で多数の死傷者が出ているネパールに国際緊急援助隊を派遣すると決めた。
http://www.asahi.com/articles/ASH4V3JL8H4VUTFK001.html?ref=rss
(6)2015年5月11日 日本で巨大地震が起きてしまうのか?
拙ブログのの一つ前の記事は、「437.ゲリー・ボーネル氏の予言が的中し、明日2015年4月12日に東海大地震がおきてしまうのか?」だった。437はこちら。
幸い、我々正義派ネットユーザーが、人工地震を阻止すべく<ゲリー・ボーネル氏の予言を的中させない為>、ネットで騒いだ為、2015年4月12日に東海大地震は起きなかった。
「428.2015年の311直前にドイツのメルケル首相が来日したのはなぜか?」で綴った通り、次に日本で巨大地震が起きる可能性が高い日は、2015年5月11日です。428はこちら。
(7)マスコミが重大事を報道しない傾向が年を追うごとに高まっている!
2011年1月29日午後、私が乗車した阪急宝塚線の電車は、やがて兵庫県川西市に入った。その昔、清和源氏の本拠地となった場所である。2011年1月29日(土)13時20分、兵庫県川西市にある阪急電鉄・能勢電鉄の駅である川西能勢口駅に着いた。

↑画像:兵庫県川西市伊丹市尼崎市周辺の阪急&JR路線図

↑画像:能勢電鉄路線図
123便とまったく関係がないが、駅から徒歩圏内に一二三旅館がある。
やがて、川西市市民活動センターに着いた。「JR宝塚線(福知山線)脱線事故や日航機墜落事故など公共交通機関で起きた事故の被害者らが、原因調査や被害者支援のあり方などについて話し合うシンポジウム」の会場はさほど広くはなかった。
主催者側の当初の予想を上回る人数の人々が集まった。狭い会場の中に入ったら、マスコミのテレビカメラが何台かSETされていた。
私が参加する集会やシンポジウムやセミナーなどでマスコミのテレビカメラが入っていることは滅多にない。なぜなら、テレビなどのマスコミで得られない情報や知識を得たいから参加する場合が多いからだ。
そうした努力をする必要性が年を追うごとに高まっている。格差社会や政府による情報統制などへの激しい批判で知られているジャーナリスト・斉藤貴男氏の2007年に放った渾身の著作である『報道されない重大事』(ちくま文庫)でも主張されている通り、マスコミが重大事を報道しない傾向が年を追うごとに高まっている。
また、報道されても、それが歪められて報道される傾向や、当局が発表した内容をウラを取らずにそのまま報道する傾向が年を追うごとに高まっている。
一方で、どうでもいいような話を針小棒大に伝えたりする傾向もある。遠慮せずにもっとはっきり書けば、嘘で塗り固めたニュースが増えている。ブログ「宇宙への旅立ち」は、そうした嘘ニュースに合理的な分析を加えて、嘘ニュースである事を暴露して、天下万民に流布した。そのせいなのか、弾圧されて記事が全面削除されたりした。そうした状況下で真実を知るためには、努力が必要なのである。
★「宇宙への旅立ち」
http://reptilianbuster.blogspot.jp/
(8)兵庫県川西市で開催されたシンポジウム
2011年1月29日午後、川西市市民活動センターで開催された「JR宝塚線<福知山線>脱線事故や日航機墜落事故など公共交通機関で起きた事故の被害者らが、原因調査や被害者支援のあり方などについて話し合うシンポジウム」に私は参加した。123氏と会場で合流した。

↑画像:2011年1月29日(土) 兵庫県川西市市民活動センター 「JR宝塚線<福知山線>脱線事故や日航機墜落事故など公共交通機関で起きた事故の被害者らが、原因調査や被害者支援のあり方などについて話し合うシンポジウム」
こうしたシンポジウムが開催されると言う事は、日航123便墜落事故<御巣鷹山事変>も福知山線脱線事故も、被害者や遺族は原因が完全に明らかになっていないと考えていると言う事である。
このシンポジウムは、宝塚線事故の「負傷者と家族等(ら)の会」の主催だった。2005年の同事故で次女が負傷した三井ハルコさんと日航機事故(1985年)遺族の美谷島邦子さん、旧オウム真理教による地下鉄サリン事件(95年)の被害者を支援しているNPO法人の山城洋子相談員、ノンフィクション作家の柳田邦男さんが意見を交わした。
シンドラーエレベーター事故(06年)、東武線踏切事故(05年)、明石歩道橋事故(01年)の遺族らも意見を述べた。三井さんは「公的な支援の手薄さなど、被害者だからこそ気づいた点を提言したい」と話した。
http://www.rsc.or.jp/110130asahi.pdf#search='%EF%BC%AA%EF%BC%B2%E5%AE%9D%E5%A1%9A%E7%B7%9A%EF%BC%9C%E7%A6%8F%E7%9F%A5%E5%B1%B1%E7%B7%9A%EF%BC%9E%E8%84%B1%E7%B7%9A%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%82%84%E6%97%A5%E8%88%AA%E6%A9%9F%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%81%AA%E3%81%A9%E5%85%AC%E5%85%B1%E4%BA%A4%E9%80%9A%E6%A9%9F%E9%96%A2%E3%81%A7%E8%B5%B7%E3%81%8D%E3%81%9F%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%81%AE%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%82%89%E3%81%8C%E3%80%81%E5%8E%9F%E5%9B%A0%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E3%82%84%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E8%80%85%E6%94%AF%E6%8F%B4%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8A%E6%96%B9%E3%81%AA%E3%81%A9%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E8%A9%B1%E3%81%97%E5%90%88%E3%81%86%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%82%B8%E3%82%A6%E3%83%A0'
↑「JR宝塚線<福知山線>脱線事故や日航機墜落事故など公共交通機関で起きた事故の被害者らが、原因調査や被害者支援のあり方などについて話し合うシンポジウム」を伝える新聞記事
(9)JR塚口駅
2011年1月29日、川西市市民活動センターを出た我々は、JR西日本福知山線川西池田駅16:51発の各停高槻行きに乗車した。17:01、JR塚口駅に着いた。
私が住む南関東でも、1月下旬の午後5時は、12月下旬や11月下旬と午後5時と比べて明るいが、当然の事ながら、西日本のここの午後5時は、南関東の1月下旬の午後5時より更に明るい。
107名の死者を出した戦後最大級の列車事故であるJR福知山線脱線事故は、JR福知山線の塚口~尼崎駅間で発生したが、当該の列車は快速列車であったため、直前の停車駅は伊丹駅であった。

↑画像:JR西日本路線図とJR福知山線脱線事故の事故現場
なお、JR塚口駅前には、グリコ森永事件の被害企業、森永製菓塚口工場があった。森永製菓の系列会社の森永乳業は、戦後最大の食品中毒事件、森永ヒ素ミルク事件の加害企業であった。
1921年からここは森永製菓が2013年6月に群馬工場に移管することによって閉鎖されるまでビスケットの「マリー」やソフトキャンディの「ハイチュウ」などおなじみのお菓子を製造してきました。そばを通ると甘い香りがただよい、工場見学も予約待ちの人気のスポットでした。
ここに今は関西最大級JR駅前再開発プロジェクト ZUTTO CITY(ズットシティ)というプロジェクトが進行中です。
このホームページによると8万5千平方メートルという広大な敷地に総戸数1200戸の計画で、駅に一番近いマンションからはJR塚口駅とデッキで直結されるということです。また駅ビルや駅前ロータリーも整備されJR大阪まで約10分という広告です。約10分というのは正味の時間でしょうが、東西線を利用すれば北新地や京橋まで乗り換えなしで行けます。阪急の塚口駅に比べて地味な印象のJR塚口駅周辺が大きく変わっていくようです。
http://blog.goo.ne.jp/amagasakijouhoukyoku/e/e6bb03aa454c8df641b0107f1a1c496e
(10)JR宝塚線<福知山線>脱線事故の事故現場の献花台
さて、塚口駅に着いた我々は、タクシーで福知山線の事故現場の献花台に向かった。やがて、この10年間、時々、TV画面に登場した有名な事故現場のマンションにタクシーが到着した。我々は犠牲者の冥福を祈った。

↑画像:2011年1月29日 兵庫県尼崎市 JR福知山線脱線事故の事故現場のマンションの献花台
上の写真を素早く撮ったら、献花台を警備する警備員の方が、素早く私の方へ走り寄り「撮影は困ります」とおっしゃった。
私達が事故現場を訪れた日の夕方は、2015年4月25日と違い、事故現場は私達以外に訪れる人もなくひっそりとしていた。
この写真の左下にわずかに写っている方が警備員さんです。犠牲者に頭を下げる123氏を見張っていた。だが、シャッターの音に気づき、私の方へ走り寄ったのである。さすが、プロの警備員ですね。
なお、123氏は、ウェブ上で実名とご自身の顔を公開してらっしゃいます。拙ブログでは、実名も公開せず、この写真も後ろ姿である。
(11)ホーム転落殺人!
2011年1月29日の夕方、JR塚口駅で下り電車が入って来る際、線路よりのホームを歩いていた私は、線路寄りを歩かない方が良いとのアドバイスを、123氏より受けた。特殊な兵器に攻撃されホームに転落した人がいると言う話を聞いた。
日航123便墜落事故<御巣鷹山事変>の真相究明を命がけで行っている123氏の言葉だけに実に説得力があった。
ブログ「(新)日本の黒い霧」を読むと、123氏がしばしば殺されそうになっている事が記載されている。
★「(新)日本の黒い霧」
http://blog.goo.ne.jp/adoi
(12)JR福知山線脱線事故の概況
下のリンク先は、JR福知山線脱線事故のWikipediaの記述である。
★JR福知山線脱線事故
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=JR%E7%A6%8F%E7%9F%A5%E5%B1%B1%E7%B7%9A%E8%84%B1%E7%B7%9A%E4%BA%8B%E6%95%85&oldid=21177819
2005年4月25日午前9時18分ごろ、兵庫県尼崎市久々知にある福知山線塚口駅 - 尼崎駅間の右カーブ区間(曲率半径300m。塚口駅の南約1km、尼崎駅の手前約1.4km地点)で宝塚発JR東西線・片町線(学研都市線)経由同志社前行き上り快速列車(列車番号5418M、7両編成)の前5両が脱線し、先頭の2両が線路脇の分譲マンション「エフュージョン尼崎(2002年竣工)」に激突。先頭車は1階ピロティ部の駐車場へ突入、2両目はマンション外壁へぶつかり原形をとどめない形で大破した(当初は状況などから2両が重なるように壁面で大破していると誤解されていた)。
事故列車は、4両編成と途中の片町線(学研都市線)京田辺駅で切り離す予定だった3両編成を連結した7両編成で運転していた。
JR発足後の死者数としては1991年の信楽高原鐵道列車衝突事故(死者42名)を上回り史上最悪となる死傷者を出し、鉄道事故全般で見ても戦後(国鉄時代含む)では桜木町事故(106名)を上回り、八高線の列車脱線転覆事故(184名)・鶴見事故(161名)・三河島事故(160名)に次いで4番目、戦前・戦中に遡っても7番目となる甚大な被害を出した。
兵庫県警察および航空・鉄道事故調査委員会による事故原因の解明が進められ、2007年6月28日に最終報告書が発表された。
航空・鉄道事故調査委員会の認定した脱線の原因については「脱線した列車がブレーキをかける操作の遅れにより、半径304mの右カーブに時速約116kmで進入し、1両目が外へ転倒するように脱線し、続いて後続車両も脱線した」という典型的な単純転覆脱線と結論付けた。現在では現場のATSには速度照査機能が追加されたが、2005年6月 - 201010月までに速度超過で列車が緊急停止する事態が11件も起こっており、速度が出やすい魔のカーブとされている。
事故発生当初は、現場に大破した乗用車が存在することと列車の脱線の事実のみが伝わったことから、「踏切内で乗用車と列車が衝突し、列車が脱線した」との憶測が飛び交うなど情報が錯綜した。そしてJR西日本の当初発表が「踏切内での乗用車との衝突事故」だったため、報道各社はこのJR西日本発表を流した。発生2時間後の警察発表後で否定されるまで、乗用車との衝突とする報道は続いた。
塚口駅から同列車が脱線した地点までの区間に踏切は1つも存在せず、乗用車が近隣の建造物や立体駐車スペースから線路内へと落下した痕跡も確認されなかったことから、この説は明確に否定される。
以上がWikipediaの記述のPOINTである。最後の明確に否定された内容が真相である。
★西日本旅客鉄道(株)福知山線における列車脱線事故について 国土交通省
http://www.mlit.go.jp/fukuchiyama/
(13)JR福知山線脱線事故の真相
JR福知山線脱線事故の真相のPOINTは、拙ブログの142番の記事に綴った通りです。
142.最近、ネットからニュース動画が多数削除されているのはなぜか?
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-187.html

↑画像:2005年4月25日 兵庫県尼崎市 JR福知山線脱線事故の事故現場
JR福知山線で脱線横転 車と衝突、けが人多数 [2005年 04月25日 10時08分 ] 共同通信
http://web.archive.org/web/20050427004800/http://www.excite.co.jp/News/society/20050425100834/Kyodo_20050425a484010s20050425100836.html
マスコミから発せられた多くの初期報道がウェブ上から消されている中で、上の共同通信のニュースは10年経った現在でもCUTされていない。すばらしい。では、その共同通信の2005年 04月25日 10時08分のニュースを再録しよう。
<再録開始>兵庫県警に入った連絡によると、25日午前9時20分ごろ、兵庫県尼崎市久々知西町の尼崎−塚口駅間のJR福知山線で快速電車が自動車と衝突して横転して脱線。1両が線路脇のマンションに激突した。
兵庫県警や尼崎市消防局によると、電車横転事故によるけが人は50−60人に上るという。<再録終了>

↑画像:2005年4月25日 JR福知山線脱線事故のTV報道
(14)2005年の福知山線脱線事故の初期報道 【報道から消えた李嘉晃】 宝塚線事故の謎 【ワゴン車証拠隠滅】 2012年6月22日付け拙ブログ「142.最近、ネットからニュース動画が多数削除されているのはなぜか?」より再録 142はこちら。
この事件での最大の謎は、当初即死したと報道された、白いワゴン車に乗っていた「李嘉晃」なる人物のことがその後一切報道されないことである。
報道のリンクは全て消され、2chやブログなどでのみその痕跡が残っているだけである。
多くの皆様は、この事故(事故と言うより事件と表現した方が良いような気がする。)を、日勤教育で虐められた若い運転士が遅れを取り戻すべく、スピードを出しすぎてマンションに突っ込んだ事故であると認識なさっていることでしょう。
はたして、その認識は正しいのでしょうか?
あの日の朝の初期報道
【09:53】尼崎消防によると、兵庫県のJR福知山線で電車に自動車が衝突し、電車が横転、けが人が多数出ているもよう。自動車を運転していた李嘉晃さんは即死。<2012年6月22日には読む事ができたこの記事も、2015年4月25日、もう読む事ができない。>
朝9時53分に、LIVEでそのニュースに接することができなかった人々は実に多い。筆者ももちろんその時間に教育労働者として労働をしていた。
そうした人々の多くは、あの日、JR福知山線の当該電車に自動車が衝突したと言う事実を知らない。
初期の報道では、JR福知山線の当該電車に衝突した結果潰れた白いワゴン車と、その横で倒れてる人がTVに映っていた。
自動車を運転していた人物名も、李嘉晃とはっきり報道していた。
だが、やがて、白いワゴン車や李嘉晃についての報道は、不自然なほど抑制されていった。そして、報道されなくなった。
つまり、白いワゴン車と李嘉晃の存在自体が無かったことにされてしまったのだ。
故に、前述の通り、あの日、JR福知山線の当該電車に自動車が衝突したと言う事実を多くの人々は知らない。
重要な物的証拠である白いワゴン車は、事故の19時間後に撤去され、現場でプレスされてしまった。
証拠隠滅であろう。
サリン製造所とされている第7サティアンを早々と解体してしまった卑劣極まりないやり口とまったく同じではないか。
我々は、こうした悪辣極まりない警察のやり口を徹底して天下万民に流布し、国営テロ集団<クロカモ>を完膚無きまでに叩きのめす必要がある!
★国営テロ集団
http://search.yahoo.co.jp/search?fr=slv1-tospcc2&p=%E5%9B%BD%E5%96%B6%E3%83%86%E3%83%AD%E9%9B%86%E5%9B%A3&ei=UTF-8
★クロカモ
http://search.yahoo.co.jp/search?fr=slv1-tospcc2&p=%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%AB%E3%83%A2&ei=UTF-8

↑画像:白いワゴン 福知山線事故現場

↑画像:右下の赤で囲まれている人物が、李嘉晃と推測されている。 福知山線事故現場

↑地図 福知山線事故現場
JR西日本の最初の会見は、事故発生から約2時間後の2005年4月25日午前11時15分だった。
JR西日本は、車との接触事故として発表した。
(15)お知らせ
この438番の記事は、次の「439.福知山線脱線事故は、核兵器によって引き起こされたのか?」に続きます。
続きの439番もぜひお読み下さい。

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