336.小保方氏が主張する「大きな力」とは何か? PART1

小保方 鳥居
↑画像:黄色の壁の実験室にて 小保方晴子博士 神社の鳥居が印象的!

(1)御嶽山白龍神社

群馬県伊勢崎市東小保方町に鎮座する御嶽山白龍神社は、帝京大学が約一億円で買い取った神社である。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/154/0096/main.html

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↑画像:群馬県伊勢崎市東小保方町に鎮座する御嶽山白龍神社の一の鳥居&狛犬&五反田池


「御獄山白龍神社」は、群馬県東南部の佐波郡東村<2005年以降伊勢崎市>の野菜畑に囲まれた溜め池の浮島に立っていた。

 鳥居の朱はくすみ、本殿の屋根はペンキがはげたままで神社の荘厳さはない。周囲で聞いても、「宮司も氏子もろくにいないようだし、神社として成立してるのかね。地元じゃだれも気にしてないところですよ」などという声が多い。そして、この神社の所有者を教えると、こんな反応だった。

「帝京大学が買い取ったんですか。初めて聞きました」

 1992年8月、帝京大が宗教法人格を買い取り、この神社の代表役員は帝京大の沖永荘一総長(69)に変わった。前の所有者である大阪の不動産業者が言う。

「私がもともとの所有者から買い取ってしばらくすると、人を介して帝京大が買いたいと言ってきたんです。1億円ぐらいでした。帝京とはそれまで何のかかわりもなかったし、なんで宗教法人なんかほしいのか、不思議に思いましたね

 登記簿上のこの法人の基本財産(境内や土地の値段)は630万円だけ。片田舎の神社を1億円とは、ずいぶん気前のいい買い物だ。

(2)小保方 稔子(おぼかた としこ)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E4%BF%9D%E6%96%B9%E7%A8%94%E5%AD%90

小保方 稔子(おぼかた としこ)は、日本の臨床心理士、心理学者(生涯発達臨床心理学)。学位は修士。帝京平成大学健康メディカル学部教授・大学院健康科学研究科教授。帝京平成大学健康メディカル学部臨床心理学科学科長などを歴任した。

お茶の水女子大学の大学院にて学ぶ。学位としては修士号を取得した。

娘の晴子は博士号取得ですから、母親を乗り越えたと言う事でしょうか。藤圭子を乗り越えた宇多田ヒカルみたいな。 

では、『教員紹介:帝京平成大学』の該当部分をご覧下さい。

http://www.thu.ac.jp/teacher_info_admin/profiles/detail/1120

それにしても、伊勢崎市東小保方町にある神社を帝京大学が購入し、帝京平成大学に小保方稔子が教授として勤務する。たまたまの偶然なのでしょうか。

(3)小保方村

「御獄山白龍神社」がある群馬県伊勢崎市東小保方町は、その昔、「東小保方村」だったのです。江戸時代には、「東小保方村」と「西小保方村」に分かれていたエリアは、室町時代に惣村が確立した頃は、「小保方村」だったようです。

 荘園公領制の時代、有力農民であった名主<みょうしゅ>は、土地に対する権利を強め、土地の名を名字として名乗る者が多かった。

後に「小保方村」となる荘園に「小保方」と言う名字を名乗る名主<みょうしゅ>がいたようです。

 室町時代になると、半分農民半分武士みたいな名主<みょうしゅ>が増えた。彼らは、農地に根を張った武士という事で「地侍」と高校生が使用する日本史の副読本に書いてある。

 このCLASSの人々が、豊臣秀吉の兵農分離政策の対象となった。「武士だか農民だかはっきりしろ!」と言う訳である。 

 武士を選んだ人は、農村から引き離されて、城下町に住む事を強制された。一揆の防止の為である。それまでは、農村に武士や武士に近い存在<前述の名主(みょうしゅ)・地侍CLASS>がいて、時に民衆と一緒になって一揆を起こしたりしたのである。

武士を選んだ人は、江戸時代、公式に名字を名乗る事を帯刀の特権とともに許された。

 農民を選んだ人は、基本的には武器を没収された。これが所謂「刀狩り」である。「基本的に」と書いたのは、この「刀狩り」、実は結構「ザル」で、江戸時代に入ってからも、武士身分ではない人々の所に刀があったりした。

 農民を選んだ人は、村役人になった。この村役人、地域によっては「名主(なぬし)」と呼ばれたりした

 つまり、「名主(みょうしゅ)」の子孫が「名主(なぬし)」になったりした。拙ブログと違い1日約2万のアクセス数を誇るブログ「宇宙への旅立ち」風の解釈に立てば、これらの階層の人々の多くは、「爬虫類人レプタリアン」と言う事になるのだろうか。

 実は、名主(みょうしゅ)」の中には、商工業に従事した者もいた。荘園公領制の時代の鎌倉時代、後に「小保方村」となる荘園にいた名主(みょうしゅ)・小保方七左衛門は事業を興した。1318年の事であった。鎌倉幕府滅亡まであと15年の時であった。 

 小保方七左衛門の興した事業は、現在、「小保方鋼機株式会社」として受け継がれている。700年にわたる歴史を紡いできた会社である。現在の代表取締役は、小保方由紀子さんである。小保方晴子博士と親戚かどうかは判らない。そう言えば、「宇宙への旅立ち」では、小保方晴子博士を「爬虫類人レプタリアン」だと断定していた。

http://www.takasakiweb.jp/closeup/article/2010/01/02.html

*小保方氏が主張する「大きな力」とは何か? PART2 に続く。
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