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257.テロリストはどっちだ?

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↑画像:2013年・桜シリーズ 5 元「NHK」アナウンサーの堀潤さん

(1)NHK「イケメン」堀潤アナが世に問う「反原発映画」

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↑UCLAで行われた上映会。堀氏が説明を始めると、多くの人がカメラを構え、熱心にメモを取っていた
取材・構成:飯塚真紀子(在米ジャーナリスト)

2月28日、アメリカ・UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の視聴覚室で、ある自主制作ドキュメンタリー映画の上映会が開催された。集まった数十名の観客は監督・堀潤氏(35歳)の説明に聞き入っていた。

「テレビではやれないことをやりたかった」

 上映会でそう語った堀氏は、端正な顔立ちで〝NHKきってのイケメンアナ〟として知られた存在。'77年に兵庫県に生まれ、神奈川県立横浜平沼高校、立教大学文学部ドイツ文学科を卒業後、'01年にNHKに入局した。『ニュースウオッチ9』のリポーター時代には、報道局が特ダネに対して贈る賞を4年連続で5回も受賞。'10年には32歳の若さで『Bizスポ』の総合司会に抜擢された。女性人気だけでなくアナウンス技術も高く評価され、NHK次代のエースと目されていた。そのままいけば、間違いなく『ニュース7』キャスターなど、NHKアナウンサーとしての〝王道〟を歩んだだろう。転機となったのは、'11年の東日本大震災だった。原発事故後、反原発発言や、NHKの〝誤報道〟への謝罪や批判をtwitterで発信し続けたのだ。

〈福島県で除染作業に携わっていた60代の男性が亡くなった。男性の死亡原因について国は「除染作業と関係はない」としているが何故関係がないと判断したのか、その根拠も示さなくてはいけない。チェルノブイリ事故でさえ人体への影響について研究が続けられている最中だというのに。情報公開の徹底を!〉('11年12月12日)

〈国や組織に期待してはだめだ。もうだめだ。僕らで動こう。僕らで考えよう。僕らでこの国を変えよう。だって、僕らの国なんだからさ〉('11年12月12日)

堀氏の踏み込んだ発言は局内で問題視され、徐々に立場を失っていく。出世街道を捨ててまで、彼を突き動かしたものはなんだったのか。原発の取材をする中、交友するようになった堀氏が、ある時、こう話してくれた。

「ちょうど震災の2週間前、福島の農家の人たちを取材したんです。地銀と協力してブランド力のあるアスパラガスや養殖のマスを売り出そうという取り組みをされていたのですが、事故が起き、農家の方々の生活は完全に破壊されてしまった。それだけ影響力の大きい原発の安全対策があまりに杜撰なことに憤りを覚えたのがきっかけです。局内で僕は〝テロリスト〟のような扱いで、上層部の部屋に何度も呼び出されました。ですが、その度に、耳を塞ぐように聞いていましたね(笑)」

 局内で行き場を失ってしまった堀氏は、『Bizスポ』の終了に伴い、昨年3月から、UCLAに留学した。客員研究員としてデジタルメディアの研究をする傍らで、日米各地で原発の取材をし、ドキュメンタリー映画『変身』の制作に打ち込んできた。その作品の上映会が開催されたのだ。

 『変身』は、福島、ペンシルベニア州のスリーマイル、ロサンゼルス郊外のサンタスザーナのメルトダウン事故を追った作品。被災者や原発作業員の内部告発などから構成され、徹底した反原発の視点から語られている。堀氏は上映会でこう力説した。

「事故が起きた、忘れた、の繰り返しではなく、将来、世界のどこかで起きるかもしれない事故に備え、過去の事故の経験や知識を共有しなくてはならないという思いから、この映画を作りました」

復帰先は「きょうの料理」

 堀氏は〝テレビではやれないこと〟へのジレンマを抱えてきたのだろう。テレビ番組の数分の短いニュースは結論まで決まった台本が先にあり、それに合う映像を撮ってこなくてはならない。そのため、〝大本営〟発表に偏りがちになり、市民一人一人が抱えている不安や思いはこぼれ落ちてしまうことが多い。情報が多くの人たちと共有され、知恵が結集されることで、そこからいい解決法が生まれて来ると堀氏は考える。今回の映画でも、市民の提案や映像を4割も取り入れたという。

「テレビは、社の価値基準で判断した一つの最終完成形しか公開しません。しかし、〝テレビの取材はまだここまでしか到達していない〟ということが分かれば、専門家や市民が新たな角度やデータを提案して、別の到達地点を探すことができる。テレビは多様な見解や提案を受け付け、それらを研究するシンクタンク的存在になるべきだと思います」

 4月から、堀氏はNHKに復帰し、日本に戻ってくる。しかし、報道番組ではなく、『きょうの料理』の司会者としてだ。

 二度と政治的な発言をしないようにと用意されたポストだろう。「1年後はどうなっているか。フリーになっているかもしれない」と笑うが、仮にそうなったとしても、政治的な発言を繰り返す彼を起用しようとするメディアは多くはないだろう。だが、本人はこう語る。

「これまで、上を恐れずに発言してきたつもりです。そして、これからもおかしなことがあれば意見して変えていきたい」

 アナウンサーとしては、茨の道が待っているかもしれない。しかし、〝王道人生〟を捨てたイケメンアナは、自分の信念に忠実であり続ける。

「フライデー」2013年3月22日号より

(2)「NHK」の堀潤元アナ、退職後の「心境」&新事業「クラウドファンディング」立ち上げ

 4月1日付けでNHKを退職した堀潤(ほりじゅん 35才)元アナウンサーが心境を語り、新事業として「クラウドファンディング」を立ち上げると発表しました。

1日の午後、堀さんは退職後に新しく始めた公式ブログで心境を告白。

 本日、4月1日午後6時30分をもって、NHKを退職しました。入局は平成13年。岡山放送局に5年。東京アナウンス室に7年。

 アナウンサー在職期間の大半を報道現場で過ごしました。これまで取材をした人の数は5000人を超えています。

 企画、取材、撮影、編集、ナレーション、プレゼンを1人でこなすのが、僕のスタイルでした。

「アナウンサーさんなのに、カメラもやるんですね?」

 現場でそう言われるのが嬉しくて、土日もつぶして、どこへでも取材に出かけるのが僕の日常でした。

 岡山放送局で過ごした新人時代。NHKの地域局の使命は「地域活性化に貢献すること」。

 中山間地域といわれ、少子高齢化や過疎が進む町や村が僕の取材現場の大半でした。
山を越え、谷を行き、田畑を眺めながら車を走らせ取材に行くと、地元の皆さんが、笑顔で両手を広げ僕を迎えてくれました。

「NHKさんがきてくれた!」

「いやいや、僕なんてまだ新人なんでちゃんとできるか分からないですけど」なんて言いながら、カメラを回し、インタビューを重ねる毎日でした。

 へたくそだったけど、祭りに参加する子ども達の笑顔や、誇らしげに農作物をカメラに向けるおじいちゃんやおばあちゃん達が、いつも画面一杯にうつしだされ、それが電波に乗って県内各地に届けられました。

 岡山県備前市で、巨大なスイカをつくって街おこしに挑戦していた集落を取材し放送した事があります。

 ローカル放送向けの5分間の短いリポートでしたが、無事に放送を終え、お礼のため番組を録画したDVDを持って、再び集落を訪ねると、30人くらいの町のみなさんが集まって「堀さん!イノシシの鍋をこさえたでぇ、皆で食べようやぁ」と大笑いしながら僕の肩を嬉しそうに叩くのです。「番組を焼いてきましたよ」と言って、DVDを代表のおじいちゃん達に手渡すと、目を細め、顔をしわくちゃにしながらこう返事が返ってきました。

「堀さん、わしらは、うれしゅうてなぁ。このDVDは、わしらの死に形見にするけぇ。ありがとうなぁ」。

 何だか、涙が止まらなくて。わんわん泣きながら、しし鍋を食べたのはついこの間のようです。

 僕はNHKが大好きでした。

 東京に転勤したのが、2006年。当時、不祥事にまみれていたNHKは、改革の旗印として「ニュースウオッチ9」という総合ニュース番組を新たに立ち上げます。

 僕は、その番組の現場リポーターとしてオーディションに合格し、主に、全国の事件、事故、災害現場の取材に投入されるようになります。

 始めの頃は「見た事もないこんなチャラチャラした奴に報道の現場は任せられない」と言われ、オーディションで呼ばれたにも関わらず、4月の番組開始からしばらく放送に出してもらえませんでした。

 岡山のみんなが万歳三唱で東京に送り出してくれたのに、番組がはじまっても全然画面に出てこないので「どうしたの?」という問い合わせの電話が何度もありました。
悔しくて。

「共同通信から、江東区で殺人事件発生のお知らせです」。

 待機している番組の部屋に取り付けられたスピーカーから、事件の一報が届く度に、番組の責任者のところに走り寄って、「現場にいかせてください」と願い出ていました。

「そんなに行きたいのなら、デジカメ持って行ってきたら?」

 冷めたトーンでそう言われ、僕は、1人の取材者として、デジカメを片手に事件や事故の現場を訪ね歩くようになります。

 目撃者を捜し、関係者の証言を得て、カメラに収め、瞬間を捉えた市民映像を独自に見つけ出し、現場の記者達と競い合いながら、報道取材のイロハを体得していきました。

 実績が次第に積み重ねられていくうちに、上司達のトーンも変わり、「そういえば、お前、アナウンサーだったよな。立ちリポしてきて」と、ようやく声をかけてもらうようになりました。

 やりたかった仕事がようやくできるようになった。

 24時間、携帯電話を握りしめて、全国各地を飛び回る生活はとても刺激的で、あらゆる社会問題の最前線に身を投じる事で、今まで見えてこなかった日本の骨格が透けて見えるような感覚でとても勉強になりました。

しかし。

 一方で次第にジレンマを感じるようになります。

 扱う問題は、政治、経済、国際、社会問題に直結するテーマばかりで、放送で切り取るシーンやコメント一つ一つが非常にデリケートに扱われ、本当に伝えたかった事や、伝えなくてはいけないと思って持ち帰った事実や映像がカットされたり、極めてニュアンスを柔らかくして放送されたりする事もあり、全国放送の重みが、両肩にずっしりと、そして公の言葉を扱う難しさを、痛感させられるのです。

「テレビ局は、情報を選び取る。それが編集権だ。何を選び取るのかは、経験を積んだ一流の放送ジャーナリスト達の手によって行われる」

 果たして、そのアプローチは、本当に正しいのだろうか。

 選び取られなかった事実は、一体だれが伝えるのか? そちらの情報も必要なのではないか?

 マスコミ不信といわれる現象は、こうした職業メディア人による「行き過ぎた差配」が招いているのではないか。

 迷いや葛藤を感じる日々が続く中、2011年3月11日を迎えます。

 原発事故の報道をめぐって、僕は、NHKと衝突を繰り返すようになります。発信ツールだった、僕の公式twitterのアカウントは、閉鎖に追い込まれます。このあたりの出来事は、おそらく皆さんもご存知かもしれません。

 僕は、今日、大好きだったNHKを退職しました。

 伝えなくてはいけないことが、沢山ある。伝えられないジレンマを抱えるよりは、新しいメディアの力を信じ、開拓して、発信を続けようと思いました。発信は誰にもとめられない。

 このメルマガでは、ニュース現場の取材はもちろん、新しいメディアのあり方、最新動向、得意分野の映像発信、やりたかった事を、どんどん実践してきます。

 どうか、皆さんの力も貸して下さい。一緒に、ニュースをつくっていけたら、そんな思いで一杯です。繋がり合い、議論をしながら、新たな発信をつくりあげていきましょう。

退職日に。  堀 潤
 (引用元:http://ch.nicovideo.jp/horijun/blomaga/ar177214

 また堀さんは同日、市民記者やフリージャーナリストのために資金調達をする事業「クラウドファンディング」の立ち上げも発表しました。

 同事業では、現在堀さんが運営する市民ニュースサイト「8bit News」をリニューアルし、市民記者やフリージャーナリストが「○○のテーマの取材をしたい」とのプランを同サイトを通じてネット上に示し、それに共感したユーザーが資金を提供し、お互いに話し合いや協力をし合ってともに取材を完成させていくという新しい形のサービスを目指します。

 今年の夏ごろにサービス開始を予定しており、すでに大手出版社やフリージャーナリストからの賛同する意思も取り付けているとのことで、今後の展開が期待されています。

 堀さんは「クラウドファンディング」について、「近年は既存マスメディアも、お金や時間のかかる調査報道から撤退するところが多い。しかし取材費をファンディングという形で市場から集められれば、情報発信のインフラを欲する市民やフリージャーナリストと、インフラはあるが資金がないメディアの橋渡しができるかもしれない」と語っています。

 堀潤元アナがNHK退職後のいろいろな経験や想いを語りました。

 新しく手がける事業「クラウドファンディング」はニッチな試みですが、斬新でとても面白そうではあります。あとはサービス開始後に、資金調達が実際にどこまでうまくいくか、取材費用として効率的に使用されるかなど課題はありますが、詳細は次第に説明されていくことと思います。ひそかに期待しています。

(3)あっぱれ! 堀 潤

 私が某大手交通産業の正社員で月2回仕事をしにTBSへ出向いていた1981年4月、南方紀洋の「天皇に関する12章」と言う本が晩声社と言う出版社から発行された。

この本は、天皇とはいったいどのように存在し、どのような存在であるのか、その地位・職務・家計簿・日常生活から戦争責任まで論じた本である。

 発行当時かなり売れ、後に文庫本になった

私も執筆陣に加わった1986年にあゆみ出版から発行された『たのしくわかる日本史100 時間(下)』(教師向けの授業のHOW TO本で、購買対象者が限られる本としては、当時 上下巻合わせて1万部以上の良好な売り上げを記録した。)の中で、この「天皇に関する12章」を参考文献とした原稿を執筆した。

 私は「天皇に関する12章」の執筆者である南方紀洋氏と何回か話をした。ご自宅に伺ったこともある。南方紀洋はペンネームである。テレビ朝日の社員でした。昭和天皇と何回か会見した経験を持つ方です。テレビ朝日の労働組合の幹部を務めたこともあります。私が所属する労働組合<東京都高等学校教職員組合(略称「都高教」)の7支部で講演をして頂いたこともあります。>

 何回か話をした中で印象に残っているのは、「(放送)局の最近の若い人たちは、批判精神が薄い。」と言う趣旨の発言であった。

 南方紀洋氏と話をしたのは1980年代半ば、当時の若い人たちは年配となった。もしかしたら、現在の(放送)局の人々は更に批判精神が薄くなっているのかもしれない。その推測が正しいとすれば、堀潤氏の行動はあっぱれである。

 ところで、私が南方紀洋氏と話をした1980年代、「植民地はどっちだ?」と言う疑問形のタイトルの授業を実施した。

 その頃の日本史の教科書は、「日本書紀」の中にある「任那日本府」の記述から、朝鮮半島南部が日本の植民地であるかのような記述をしていた。

 一方、朝鮮半島の教科書は、それとは正反対に、日本が朝鮮の植民地であるかのような記述であった。

 そこで、私は朝鮮半島の教科書の日本語訳をPRINT教材として配布して、「生徒に真実を教えるべき教科書が、日本と朝鮮半島で正反対の事が書いてある。こんな事でいいのでしょうか。どちらかが正しければ、片方は間違いと言うことになりますね。はたして、どちらが正しいのでしょうか?」と迫った。

 その後、日本の教科書のその部分は記述が変わり、朝鮮半島南部が日本の植民地であるかのような記述ではなくなった。

 それで、今回のテーマはこれ。

(4)テロリストはどっちだ?

 (1)の記事によれば、NHK局内で堀潤は〝テロリスト〟のような扱いを受けたと言う。

〝テロリスト〟は、NHK自体ではないだろうか。

拙ブログでは、何度も「人工地震」について綴ってきた。最近の記事では、「251.満月となる今日<2013年3月27日>、21世紀の関東大震災が起きるのか?」では、震源の深さが約10キロの地震が増えていることを綴った。

 251番の記事では、震源の深さが約10キロの地震すべてを人工地震と決めつけてはいない。だが、以前は震源の深さが約10キロの地震はそう多くはなかったことと、日本を含めた各国の人工地震の実験を考慮すれば、震源の深さが約10キロの地震の多くが、人工地震と考えてもいいのではないだろうか。

 「246.福島第一原発4号機プールの温度が65℃に達する迄約4日、本当に事態収拾が実現するのか?」の(3)では、人工地震に関する新聞記事特集を組んだ。

 東日本大震災は人工地震である。東日本大震災は核テロである。

 拙ブログ「186.間もなく、南海トラフ巨大地震が起きるのか?」「 6.2012年は、どのような1年になるのか?  PART2」などで、東日本大震災が核テロであることについて記述した。

 大津波を引き起こす特殊核爆弾の組み立ては、卑劣にも自衛隊員を騙し15名で作らせ、その後1人を残し全員殺害した。

生き残った一人を保護したのが、泉パウロ牧師であった。教会施設で保護された生き残りの一人がこのことを証言した。

「311同時多発人工地震テロ リチャード・コシミズ;著」、「人工地震説の根拠 衝撃検証 泉パウロ;著 ヒカルランド社」などの書籍や、拙ブログを含め実に数多くブログが311人工地震説を主張している。

・ 掘削船「ちきゅう号」の掘削箇所と震源場所が一致

・ 地震波にP波が無く、いきなりS波が三つ連なっている。

 故に、東日本大震災は、掘削船「ちきゅう号」による人工地震・核テロである。

東日本大震災が特殊核爆弾によって引き起こされたが故に、「黒い津波」となった。

5メートル分の地層が、核爆発で噴き上げられ、透明な津波ではなく、泥津波<黒い津波>になったと考えられます

 核爆発による人工地震であることを隠蔽する為には、福島原発事故がどうしても必要だった。

 NHKをはじめとするマスコミは、こうした核テロの真相を報道しない。故にテロリストの味方である。

 したがって、NHKこそ〝テロリスト〟であり、堀潤を〝テロリスト〟呼ばわりするのは適切ではない!

2011年3月の「(新)日本の黒い霧」に、NHK幹部が311後逃亡した話が出てくる。

 福島第一原発から北西に約60kmの福島市の2011年3月13日8時~19日8時までの放射線量を積算すると144時間で1.26ミリシーベルトでした。

 一般公衆の(医療を除く)1年間被ばく線量限度とされている1.ミリシーベルトを144時間ですでに超えました。
 
 にもかかわらず、その頃、NHKニュースでは、福島市の放射線レベルは健康を害するレベルではないと言っている。殺人鬼・NHK!

 そのコメントの数分後、御用学者が「外出をしてはいけないという話ではない、ただ外出する場合は車が望ましい」と述べた。

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