256.福田元昭の「桜の木になろう」も権力のCHECKを受けているのか?

↑画像:2013年・桜シリーズ 4 ℃-ute のリーダー・矢島舞美
(1)2013年度のSTART
お早うございます。2013年度がSTARTしました。
新年度も粉骨砕身都立高校の生徒の為に頑張っていきます。
また、福田元昭の「桜の木になろう」も全力投球で情報発信していきます。
たびたびお立ち寄り頂ければ幸いです。
などと書いてしまいましたが、突然死して書けなくなるかもしれませんが。
昨日で終了した2012年度、最後の3月31日(日)も、軽音楽部の活動の為出勤でした。19時過ぎ迄、軽音楽部の卒業生と話をしていて、帰宅は22時頃でした。
その前の30日(土)は、早朝の電車に乗り、山岳愛好会の生徒を埼玉県秩父郡小鹿野町(おがのまち)にある日本百名山の一つ両神山(りょうかみさん)に引率しました。帰宅はやはり22時頃でした。
その前の29日(金)は代休でした。拙ブログの記事を3本もUPしました。TOTAL3回のシリーズで「ケムトレイル特集」としました。
その29日に、ケムトレイル・気象操作掲示板と新なんでも掲示板に拙ブログの紹介文を書いた。
おそらく両方の掲示板から多くの皆様が拙ブログにいらして下さったのだろう。29日は久しぶりにアクセス数が300を越えて、翌日に発表された29日のFC2ブログの謎の中のその他部門で久々にTOP10入りして第6位となった。でもTOP10入りしたのは1日だけでした。
両方の掲示板からいらして下さった皆様ありがとうございます。またお立ち寄りください。できるだけまめに更新しようと思っています。もっとも、昨年後半のように余りにも多忙でそうならないかもしれませんが。
また、過去の記事もできるだけお読み頂ければ幸いです。
近い内、両方の掲示板にお礼の挨拶を書くつもりです。
(2)アンチエイジング
新年度も「アンチエイジング」をモットーに楽しく過ごしていこうと思います。
「アンチエイジング」と言えば、昨日<3月31日>読んだ某スポーツ新聞に
43歳の森高千里が3月30日、約15年ぶりのコンサートを栃木県の足利市民会館で行ったことが出ていた。
新聞の写真を見る限り、HIT曲を連発していた頃とほとんど変わらない様子であった。
足利は93年のヒット曲「渡良瀬橋」の舞台。歌詞に登場する「八雲神社」が火災で焼失し、チャリティーを兼ねてライブ活動再開の地に選んだ。約1500人を前にトレードマークのミニスカート姿も披露し、“ステージの妖精”復活をアピールした。
オタク層のハートをわしづかみにしたコスプレも健在だ。「私がオバさんになっても」(92年)は膝上15センチのミニスカート姿で腰を振りながら熱唱。「この曲を今の私の年齢になっても歌っているとは思わなかった」と苦笑した。
続く「ザ・ストレス」(89年)では色や肌の露出度こそ控えめだが、エプロンをまいたウエートレス姿でおぼんを持ち、24年前のCDジャケットを再現。これには40代、50代のベテランファンがノックアウト状態。
公演は結婚前年の98年12月8日に東京国際フォーラムで開催して以来。この間、1男1女の母になった。デビュー25周年の節目を迎えてステージ復帰し「こんなに長く歌っているとは思わなかった。タイムマシンに乗っかってる感じ」とあいさつ。デビュー曲「NEW SEASON」(87年)や「雨」(90年)などヒット曲を連発し、曲によってはドラムも演奏した。

↑画像:2013年3月30日 栃木県・足利市民会館 43歳の森高千里

↑画像:1994年7月25日リリース 森高千里/ステップ・バイ・ステップ
上記のアルバム、筆者も購入しました。このアルバムの中の「夏の日」は1994年夏のテーマ曲でした。
(3)地震情報:宮城でマグニチュード5.3、震度4の地震を観測!
昨日<3月31日>の16時46分頃に宮城沖でマグニチュード5.3、最大震度4の地震を観測しました。

この記事を書こうと思い、震源の深さをネットで調べたら、深さ10kmと出ていたんですよ。
ところが、PCが不調でいろいろ調整しているうちに、深さ約50kmとなってしまいました。
私のPCが支配者どもの手先にのぞかれていて、私がブログで人工地震や深さ約10kmの地震にやたらと拘ってまた記事にしようとしているなと、支配者どもの手先がと気づき、私のPCを不調にさせ、その間にネット上の記事を約50kmに書き換えたのでしょうか。それとも単なる私の勘違いでしょうか。
それにしても、46分と言う時間も気になります。東日本大震災も46分でしたから。
(4)たぶん、福田元昭の「桜の木になろう」は権力のCHECKを受けている。
2012.12.19 Wed 02:31:02にUPした拙ブログの「184.笹子トンネル崩落事故の爆発音は、いったい何だったのか?」の中に次の記述がある。
それは、鉄骨鉄筋コンクリート造又は鉄筋コンクリート造のトンネルの耐用年数は何と75年もあるのである!と言う記述である。
私はマスコミのこの事故の報道姿勢に疑問を感じ<この報道に限らず、疑問を感じる報道だらけと言ってもいいが(笑)>、ひたすら調べた。
するとウェブ上の政府の資料で、笹子トンネルのような鉄筋コンクリート造のトンネルの耐用年数は何と75年もあることを確認できた。
そこで、184番の記事を書いた。そして、当該の記述の所をクリックするとその証拠である政府の資料が見られるようにした。
今年に入りある程度した所で、当該の記述の所を再びクリックした。すると、「Web ページが見つかりません」の表示が出た。悔しくて涙が出てきた。
ウェブ魚拓をとっておけば良かったのかもしれない。だけど、私にはその能力が無かった。
なお、現在もそこをクリックしても同じ状況である。
不正選挙をやって、「コンクリートから人へ」を転換させ、「人からコンクリートへ」へ戻したい奴らにとっては、笹子トンネル崩落事故は必要な事故<人為的に起こされたテロ?>である。
あくまで耐用年数を過ぎたと言いたい連中にとって私のブログは障害物であり、そのリンク先として貼り付けてある資料を多くの人々に見せない為に、私のブログをCHECKしている薄汚い権力者の手先が政府の資料をウェブ上から消したのであろう。
権力者どもにとって幸いなことに、私のブログはアクセス数がそう多くはなく、私が当該の記述のリンク先として貼り付けた政府の資料を見た人は極めて少ないと推測される。
ウェブ上でその資料はまったく話題になっていない。私の184番の記事もまったく話題になっていない。その政府の資料は、もう2度と見ることはできない。
なお、184番の記事は、2012.12.18 Tue 02:40:15にUPした「183.笹子トンネル崩落事故はテロだったのか?」の続きである。両方お読み頂ければ幸いです。
184番の記事では、「1977年完成の笹子トンネルは、耐用年数の半分程度を過ぎた程度である! 多くの人々は、マスコミの大本営発表に騙されている!」とも書いた。
耐用年数が75年とされていても、施工業者の手抜き工事があれば、耐用年数の半分程度でも崩落するかもしれない。
私は手抜き工事はなかったと考えている。だから、私がリンク先として貼り付けた資料を多くの人々が目にすると困るのだ。だから、ウェブ上から消した。
トンネルの安全点検が手ぬるいと言うことが指摘されている。
2005年の福知山線脱線事故は高見運転士とJR西日本が悪いとされている。以前拙ブログに書いた通り真相は違うと思われる。
2008年の秋葉原の無差別殺傷事件は加藤智大(ともひろ)被告が悪いとされている。私のブログの恩師が綴っているように真相は違うと思われる。私もこの真相を書こうと思っていたが、ブログの恩師に先を越されてしまった。
2012年の笹子トンネル崩落事故は、トンネルの安全点検が手ぬるかった為、耐用年数が近づいた為の自然の落下を防げなかったとされている。
私は違うと思う。
もし共感して下さったら、この(4)の記事を転載・拡散して下さい。そして、記事の左下の拍手をクリックして下さい。
私の推理が正しければ、私のブログをCHECKしているかもしれない向こう側の人々が、転載・拡散と拍手が増えれば嫌なはずですから。
もし、転載して下さる場合、拙ブログの名称を入れて下さると幸いです。
よろしくお願い申し上げます。

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