2706.岡本行夫氏逝去の発表が逝去後13日目だった理由

↑画像 2020薔薇シリーズ18 IZ*ONE 宮脇咲良
(1)ジョージ・シュルツの殺害動機は弱い
「2705.奥は岡本が殺した?」などの続きです。「2702.奥克彦氏の不審死の理由を問わず、アメリカに隷従せよと主張した岡本行夫。」の「(3)奥氏らを殺害したのは誰か?」に、奥氏らを殺害したのは、ジョージ・シュルツではないかという説を紹介しました。
しかしよく考えると、ジョージ・シュルツの殺害動機は弱いのです。確かに奥克彦氏はアメリカの死の商人どもの本音をずばり語っています。ですが語っているだけで、奥克彦氏はアメリカの死の商人どもの意向に逆らう行動、つまりアメリカの軍需産業の利益を損なう行動を一切していません。だとすると奥克彦氏殺害の真犯人は誰なのか?
(2)口封じの歴史・高天原山事変386 アメリカに罪をなすり付けるのはクロカモの常套手段
123便事件の犯人はこれまで綴ってきた通り、ソ連やそれに追随する国内勢力です。123便事件の首謀者側勢力を拙ブログではクロカモと呼んでいます。自作自演の広島・長崎の原爆もそうですが、アメリカに罪をなすり付けるのはクロカモの常套手段です。
123便事件もクロカモのネット工作員がアメリカに罪をなすり付けています。そうした工作員に騙されて、123便を撃墜したのはアメリカだと誤った理解をしている方が結構います。奥克彦氏殺害の場合もアメリカに罪をなすり付ける一例になると考えます。
(3)口封じの歴史・高天原山事変387 岡本行夫氏はクロカモの一員だったかも
殺された奥克彦氏は、外務公務員採用上級試験に合格し、1981年春、早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業後に外務省に入省しました。岡本行夫氏は123便事件が起きた1985年8月に北米局安全保障課長に就任しました。後に安全保障課は安全保障条約課と地位協定課に分かれました。
これまで何回か書いてきましたが、アメリカ軍は何とか123便の乗客・乗員を救おうと必死に努力をしてきました。アメリカ軍に救われては、クロカモの計画は水泡に帰するのです。
そこで政府機関にいるクロカモがアメリカ軍の救出を阻止する必要があります。北米局の職務の一つが在日米軍などへの取り組みです。
私は岡本行夫氏がクロカモの一員だった可能性があったと考えています。123便事件を成功させる為には、1985年8月12日迄にクロカモが北米局安全保障課長に就任する必要があったと考えています。
岡本行夫氏は中曽根康弘氏と同様に親米を装うクロカモだった可能性が高い。123便を暗示する1945年11月23日生まれの岡本は、まさに生まれながらのクロカモと言える。
(4)出世を夢見ていた岡本行夫の前に現れた強力なライバル
もしかしたら奥克彦氏は、出世を夢見ていた岡本行夫氏の前に現れた強力なライバルだったのかもしれません。二人の年齢は離れていますが。
「2701.イラク戦争の黒幕❤岡本行夫」の「(3)岡本行夫の人生」に「将来を嘱望される存在でしたが、1991年に辞職しました。管理職となって現場に関われなくなることに不満があったという。」という記述があります。
「2704.雅子と寝た男の岡本行夫氏がロンメル死?」の「(2)めざまし政治ブログ」に、なぜ管理職となって現場に関われなくなったのかについて書いてあります。そうです小和田恒が岡本行夫を辞職に追い込んだのです。
岡本行夫が雅子と関係があった事が退職に追い込まれた原因との事です。2701には雅子と殺害された奥克彦参事官も関係があった事が書かれています。
(5)雅子はどちらが本命だったのでしょう。
岡本は1945年生まれです。奥は1958年生まれです。雅子は1963年生まれです。雅子はどちらが本命だったのでしょう。年齢が近い奥克彦氏だったと考えられます。だから「2705.奥は岡本が殺した?」の(2)に書いてある通り、岡本が奥を殺した。
岡本は若い頃、青雲の志を抱き外務省に入ったのに、小和田恒によって辞職に追い込まれてしまった。その事による鬱屈した感情が彼にあったと推測されます。その為に、自分と違い外務省でめざましい活躍をする奥に対して、複雑な気持ちがあっただろうと考えられます。おまけに奥と岡本と雅子は三角関係だし。
そうした中、2003年3月20日にイラク戦争が開始された。翌4月、岡本は内閣総理大臣補佐官に就任しました。非常勤のイラク担当です。同じ4月、アメリカがが復興人道支援室 (ORHA) を設立した直後から、奥はイラクに長期出張となった。復興人道支援室(5月に連合暫定施政当局に改編)と日本政府とのパイプ役を務め、日本のイラク復興支援の先頭に立って活動を開始した。その年の11月29日、奥は殺害された。岡本行夫は創価学会との繋がりも強かったという。
(6)岡本行夫氏逝去の発表が逝去後13日目だった理由
奥克彦氏は1958年1月3日に生まれました。奥克彦氏を改めて追悼する意味を込めて13日目に発表されたといわれています。最近、有名人が何人か新型コロナウイルスに感染して亡くなったとされていますが、岡本行夫氏逝去は悪事を重ねてきた権力者どもを震え上がらせているといわれています。

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