234.ウゴ・チャベス大統領は独裁者だったのか?

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↑写真:追悼 ウゴ・チャベス ベネズエラ・ボリバル共和国大統領 4 ベネズエラを訪れたキューバのフィデル・カストロ国家評議会議長(左。当時)と話すウゴ・チャベス大統領=2000年10月

(1)カストロ チャベス

本日、2本目の記事です。今回の記事は、231番と232番と233番の続きです。先にそちらをお読みになった後、こちらをお読み頂ければ幸いです。

冒頭の写真は、米国の半植民地として支配されてきたキューバが主権と独立を取り戻す反米ナショナリズムのキューバ革命を成就させたフィデル・カストロと逝去されたウゴ・チャベス大統領です。

年齢から考えて、先にチャベスが逝ってしまうとは…。

カストロとチャベス、二人の濃密な関係は1994年、ハバナ空港の滑走路上で始まった。当時カストロ氏はキューバで35年間絶対権力を行使していた。チャベス氏は痩せこけた無名の陸軍中佐で、失敗したクーデターの首謀者だった。反乱で2年間刑務所で過ごした後、恩赦で釈放されたばかりだった。

 フィデル・カストロ氏は、あるキューバ人亡命指導者と謁見した当時のベネズエラ大統領に怒っており、チャベス氏のために空港で赤い絨毯を敷いて厚遇し、元首に与えられる勲章を授与した。2日間の訪問で、カストロ氏は常にチャベス氏に付き添い、夜を徹して長い会話を交わした。2人は野球と朗々たる独演への愛、米国の覇権への嫌悪、私的権力への欲求で意気投合した。あるチャベス政権の元閣僚は「フィデルは、チャベス氏をダイヤモンドの原石だと見極め、彼を研磨し始めた」と述べた。

1998年に大統領に当選すると、チャベス氏はカストロ氏の緊密な同盟者になった。チャベス氏はカストロ氏の中に父親の姿を見い出し、革命的な尊敬を得る方法を見い出した。ベネズエラの元政府当局者やアナリストは、カストロ氏はチャベス氏を政治的にナイーブなカモとして見たと考えた。

この見方に立っているのは、ベネズエラの元政府当局者やアナリスト、つまりチャベス政権以前に力を持っていた人々、アメリカ寄りの人々と言ってもいいかもしれない。アメリカ並びにそれに追随する人々にとって、カストロこそ長年にわたる不倶戴天の敵なので、カストロに対して長年にわたって培った歪んだ見方が、こうした見解を生んだのかもしれない。

この立場に立つ人々によれば、抜け目ない独裁者であるカストロは、自身の仕事、すなわち米国に挑戦し続けるという仕事を続ける支援を得られる気前の良い資金源とチャベス氏をみなしたと言うのだ。

1999年に大統領に就任して以降、チャベス氏はフィデル・カストロ氏(以下カストロ氏)と異常に親密な契りを結んだ。カストロ氏はチェベス氏の師となり、医学上の助言者となり、父親の役割を果たした。旧世代のカストロ氏と年下の弟子であるチャベス氏は経済的、政治的な関係を構築し、今日ではキューバ、ベネズエラ両国の運命を左右するまでになっている。

この(1)の記事の大半は、2013年 3月 04日 14:27 JSTにUPされたウォール・ストリート・ジャーナルの<「キューバズエラ」の将来―対キューバ関係、チャベス死後はどうなるか」>と言う記事をベースに書いている。

この記事がUPされた段階では、「チャベス逝去」のニュースは世界を駆け巡っていない。

だが、この記事がUPされて24時間もしないうちに、「チャベス逝去」のニュースは世界を駆け巡った。

このウォール・ストリート・ジャーナルの記事の書き出しはこうである。

がんに冒されているベネズエラのチャベス大統領の健康状態に2人の兄弟ほど強い関心を抱いている人は、世界中でほとんどいないだろう。キューバのカストロ兄弟、つまりフィデル・カストロとラウル・カストロ両氏だ。

この書き出しを読んで思いました。馬鹿言ってはいけない! 私は関心を抱いていた。だから、2013.03.06 Wed 00:00:03JSTにUPした230番の記事で、「貧民の味方・チャベス大統領は体調が悪化したとのこと、早期の回復をほぼ地球の反対側より祈っています。」と綴ったのだ。

ウォール・ストリート・ジャーナルと言えば、アメリカの資本家の考えを代弁しているアメリカの経済専門日刊紙とも言える。その日刊紙がチャベス逝去が公になる直前にこんな記事を出しているのである。

まるで、チャベスの死をカウントダウンし、その後、アメリカの資本家が待ち望んだキューバの弱体化、そして、キューバの政権交代がやってくるかも、わくわくどきどきみたいな感じの文章である。

(2)アメリカのリチャード・コシミズとも言われているアレックス・ジョーンズも「チャベス大統領はアメリカに殺された」とレポートしている。



(3)ウゴ・チャベス大統領は独裁者だったのか?

232番の記事の(4)で記した通り、2002年のクーデターについて、アメリカを通じ多くの国々では「独裁者チャベスを倒すための革命が起き、民主主義によって暫定大統領が選出された」と報道されたせいで、ウゴ・チャベス大統領は独裁者だったと考える人々は多い。

NHK・BSで放送された「チャベス政権 クーデターの裏側」という番組は、そうした報道がいかに真実をねじ曲げて捏造されたものであるかということを明らかにした。

NHK・BSは、時々、こうした良心的な番組を放送することがある<NHK総合&Eテレでも時々>。だから、良心的なNHK職員がたまに嵌められたりする。

この番組の内容を少し紹介しよう。

チャベスは、1998年の選挙で、富の公平な分配を掲げて、大統領に選ばれた。

 彼を支持した主な層は、これまで政治に無縁であった貧困層であった。首都カラカスを撮った映像では、平地の近代的な高層ビルと小高い丘の中腹に広がる小さなみすぼらしい家々とがはっきりとした対照をなしている。

 ベネズエラは石油の産出国であるが、その利益は一部の人々にしか享受されていなかった。
 
 貧困層や先住民族は、経済的に貧困な状態を強いられていただけでなく、政治的な無力感にもさいなまれていた。何をやっても一部の人達だけが得をすることにしかならないという…。

 しかし、チャベスの登場はそうした人々が積極的に政治に参加する道を切り開いた。

 「憲法を読みなさい。」
 
 これがチャベスが人々に何度も繰り返して説く言葉であった。チャベスの支持者たちの団体、ボリバール・サークルは、人々に憲法を読むことを薦め、そこに記された国民の権利が実現できるよう訴えていた。小さな店先を舞台にギターを弾きながら演説をする人々の姿が映しだされる。
 
 一方で、ベネズエラには、これまで享受してきた石油の利権を手放すまいとする旧来の特権層が根強く存在している。彼らはチャベス派の人々を「犠牲を払ったり努力することをしないし、そうすることの価値も知らない」とののしり、「以前は何の不安もなく幸せな生活を送っていました」と嘆く。彼らは自分たちの使用人の行動に目を光らせろと忠告しあう。チャベスとつながりを持っている恐れがあるから、と。

 反チャベス派の財界人は、5つの民放全てを所有し、そこでチャベス批判を繰り返していた。これらの放送局は高い視聴率を有していた。これに対するチャベス政権の宣伝手段は、国営放送ただ一局であった。この両派の闘いは、メディア戦争でもあった。
 
 2001年10月、アメリカがテロの報復としてアフガニスタンを攻撃した時、チャベス大統領は爆撃の犠牲者となったアフガニスタンの子どもたちの写真を示し、こんなやり方は容認できない、「誤爆」はいつまで続くのか、という演説をした。世界中が「対テロ」のためならどんな行動も許されるとしていた時期に、アメリカに対して「テロリストにテロで立ち向かうことはできない」と言ってのけたのだった。

この良心的な番組を紹介するウェブ上の記事の最後は次の文章で締めくくられている。

この映像を見終わって、もう一度考えてみる。チャベス政権は、はたして「独裁政権」なのだろうかと。

 憲法があり、大統領は選挙で選ばれ、議会や裁判所があり、オンブズマン制度があっても、そして、かつてなく多くのベネズエラ国民の政治的関心を目覚めさせたとしても、アメリカと特権層の利害に反する政策を採る限り、チャベス政権は「独裁政権」であるとして、その転覆が画策され続けるであろう。

 しかし、そうした策動は、きっと今回のように、チャベス政権に結集した人々とそれを支持する軍の連帯によって打ち砕かれ、富の公正な分配を目指す運動が進展していくであろう。

 そう、たしかにチャベス政権はベネズエラの貧しい民衆達の「独裁政権」である。ただし、それは一握りの富める人々に対する圧倒的多数の貧しい人々の人民の「独裁」なのである。

*************

上記の文章が書かれて約10年後、政権転覆の画策は、チャベスを癌に罹患させると言う方法が採られてしまったようだ。だが、まだ、大統領選挙は終わっていない。だから、政権転覆が確定したわけではない。確定しないように、地球の反対側から熱く祈ろうぜ!

(4)ラテンアメリカで絶大な人気を誇り“ゲバラの再来”と言われているウゴ・チャベス大統領 2002年の軍による拉致から生還したチャベスはこう言った。

「反対派に言いたい。反論は大いに結構。私はあなた方を説得できるよう努力する。しかし国民の規範である憲法に背く行為は許されない(政権交代は選挙でのみ可能であり軍事クーデターは憲法違反)。憲法は国家という共同体の基本だからだ」。

この言葉から、ウゴ・チャベス大統領が独裁者ではなく、憲法を重んじる民主主義者であることが理解できる。

 後に軍事クーデターを背後で支援したのは、ブッシュ政権(CIA)と判明した。殺されかけたチャべスが更に米国嫌いになったのも当然である。

チャベスが登場するまで石油の利権は米国企業が独占し、猛烈な貧富の差から貧困層は学校にさえ行けなかった。

 貧しい家庭に生まれて大統領となった彼は、石油の利益を社会福祉に還元し、文字が読めなかった約300万人に文字を教え、大学まで教育を無料にし、何と大半の国民の医療を無料にした。

 食糧を人口の半数に安価で提供し、うち百万人には生活が改善されるまで“無料”で配給している。

 ここで大事なのは、けっして“保護漬け”にするのではなく、支援は自立の為の一時的措置であり、文字を学んで健康を維持して社会に出て行ける環境を作っている点だ。失業率も7%減少した。これらを'99年の就任から7年間で実現させ、市民、特に貧困層から絶大な支持を得ている。

231の記事の(3)をお読み頂くと、ウゴ・チャベス大統領がベネズエラの多くの民衆から愛されていたことが判るだろう。彼が独裁者だったら、こうはならないだろう。

その231の記事の最後の方で皆様にクイズを出した。次の記事はその答えについて綴る。

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