229.311の津波被害はなぜ起きたのか?

↑東京オリンピック招致運動に加わることになった高梨沙羅
(1)早速 今回のテーマ
少数の読者の皆様、お早うございます。と挨拶したものの、前の記事をUPしてから、30分程度しか経っていないのですが。今日<3月5日>は、多くの地方で春らしい1日になりそうですね。
昨日<3月4日>付けの「反戦な家づくり」に、ぜひ拡散したい記事が掲載されましたので転載します。
(2)津波被害はなぜおきたのか
いま、TBS(MBS)で南三陸町の取材番組をやっている。
2年経った状態を生々しく伝えている。南三陸町の象徴のようになり、今ではバスガイドが付いて観光客が訪れる防災対策庁舎の鉄骨。高さ12mのこの建物の屋上に逃げた人々が流された。ここでは津波の高さは16mにおよんだと言われる。
でも、この映像を見て不思議に思わないだろうか? 日本中の人が見ているこの建物の映像。なぜ、誰一人違和感を感じないのか?
100年あまり前の明治三陸津波は、最大38.2mを記録している。三陸沖はプレート地震が起きることもわかっていた。であるならば、最低でも40mの津波に備えるのが当たり前ではないか。
にもかかわらず、なぜ防災対策庁舎がわずか12mしかないのか。わたしは、最初にこの映像を見たときからずっとおかしいと感じてきた。
建物の高さだけでなく、町職員が避難せずにここの留まったと言うことは、その程度の津波しか来ないと判断していたからだ。
どうしてそんなことになってしまったのだろうか。
しかも、番組の続きでは、スーパー防潮堤の工事予定現場の映像がながれ、その高さは8.2mなのだという。
16mの津波で流された町の防潮堤が8.2mというのは、一体全体何なのだ?
そんなものを作ることの是非ももちろんあるが、仮に作ったとしても同じ規模の津波には役にたたない。
海辺の自治体が、最大40mの津波を想定し、避難する計画を作り、日頃訓練をしていれば、少なくとも人命の被害は桁違いに少なかったはずだ。
私は小学生だった1970年前後、仙台に住んでいた。ちょうど福島第一原発が動き始めたころだ。
三陸海岸は大津波が来るところだと、小学校で教えられた。リアス式海岸の危険性も教えてもらった。
しかしその後、チリ地震津波の被害もあったのに、そうした地域の常識が薄れていったようだ。
それはまさに、全国に原発が続々と増殖していく時間軸と軌を一にしていた。
ここまで書けば、原発の実態を知った人たちは、続きが想像つくだろう。
原発の罪悪は数々あるが、その中の一つに 「津波の想定を低くさせた」 というものがある。
40mの津波を想定したら、原発を海辺に作ることができない。福島第一原発では、わずかに5.7mしか想定していなかった。
いや、実は震災の前年に、15mになるという試算をしたのだが、「原発の都合に合わせて、想定高さを低くした」のである。
東電、15m超の津波も予測…想定外主張崩れる 2011年8月25日読売
同じことが、全国の原発で行われたはずだ。さて、福島でも青森でも、5m程度の想定をしているのに、宮城や岩手が40mの想定ができるだろうか?
原発のあるところだけ想定が低い、なんてことはできない。他の自治体が想定する津波の高さも、当然ながら「原発で想定する津波より高くできない」。
そして、原発は今や日本中の海岸に立ち並んでいる。日本の津波の高さ想定は 「この程度だったら原発に被害が出ない」という高さにおさえられているのである。
結論:津波が起きるのは自然現象。しかし、津波で被害を引き起こしているのは、実は原発だ。放射能被害ばかりでなく、津波被害も、元凶は原発だったのだ。
(3)311の津波は自然現象とは思えないのですが
(2)の転載記事の最後の方に、「津波が起きるのは自然現象」と書いてありますが、拙ブログでは開設以来、時々綴ってきたように311人工地震説を採っていますので、311の津波は自然現象とは思えないのですが、その部分を除けば、素晴らしい視点に基づく記事ですね。
一昨日<3月3日>の「NHKスペシャル」<「いのちの記録」を未来へ -震災ビッグデータ>を見て思いました。東京の幹線道路を自動車で走っていると、地震が起きたら車で移動しない<車を乗り捨てる>と言う趣旨の大きな掲示物を以前よく見たのですが、石巻市をはじめとする宮城県内は、そうした掲示物が無かったのだろうか?
(4)「不正選挙ポスター」を駅で撒いたら助役につかまった!
リチャード・コシミズ氏率いる「独立党」とシンパの人々が不正選挙を訴える紙を各地に置いてくる努力をしている。
頭が下がる行為であるが、昨日<3月4日>、浜松町駅で紙を撒いていた方が、 浜松町駅の助役に拘束されてしまった。

↑動画:矢島舞美 鈴木愛理
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