2521.セシル・ローズとダイアナ妃 PART2

↑画像 2019→2020冬の風景23 欅坂46 菅井友香
(1)ローズの失脚
「2520.セシル・ローズとダイアナ妃」の続きです。セシル・ローズの我が世の春は、1つの事件で一挙に崩れることになった。彼は勢いに乗じて、トランスヴァール共和国を一気に征服、併合する計画を立てた。トランスヴァール内のイギリス人に密かに武器弾薬を送り込み、反乱を起こさせ、その支援を口実にジェームソンの指揮する会社軍を派遣して、一挙に併合してしまおうというものであった。
しかし、反乱を起こすことに失敗し、ジェームソン率いる南アフリカ会社の軍隊が国境を越えたとの知らせに、ボーア人は直ちに反撃を開始して会社軍を包囲し、全軍を捕虜にしてしまった。この事件は、ボーア人の怒りを買うとともに、広く世界中の世論の非難を浴びることとなった。この世論に押されてイギリス政府もローズを助けなかったため、ローズは1896年、首相と南アフリカ会社を辞めざるをえなくなり、完全に失脚した。
(2)セシル・ローズは生涯独身
イギリスは世論の沈静化を待って、この2つのボーア人の国に対する本格的な戦争である第二次ボーア戦争(南アフリカ戦争・1899年~1902年)を開始した。ローズは、開戦直後にキンバリーでボーア人に包囲され、4か月後に救出された。
この間健康を悪化させ、一旦ヨーロッパへ帰った後再度ケープタウンへ戻り、戦争終結2ヶ月前にムイゼンバーグにて48歳で死去した。マトボにある墓地World's View Lookoutに埋葬されている。
生涯独身を通した彼は、600万ポンドに及ぶ膨大な遺産の大半をオックスフォード大学に寄贈した。大学ではローズ奨学制度(ローズ奨励基金)として、現在も毎年多くの学生に奨学金を提供し続けている。
(3)ローデシアの歩んだ道
1964年、北ローデシアはザンビアとして独立した。一方、南ローデシアでは、白人が1965年に一方的に独立を宣言して白人支配を維持した。しかし、当時人口610万人中、白人はわずかに27万人に過ぎなかった。この白人少数支配に対して黒人は、かつてこの地に繁栄していた黒人王国ジンバブエの名を冠した組織を結成して独立闘争を続け、ついに1980年、独立を達成し「ジンバブエ共和国」を樹立した。
847.ジンバブエのロバート・ムガベ氏は、本当に「世界最悪の独裁者」だったのか?
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-1115.html
(4)セシル・ローズは同性愛者であったという噂
セシル・ローズは生涯独身であり、女性との関わりが極端に少なかったため、ローズは同性愛者であったという噂があり、彼を扱った映画『セシル・ローズ―その生涯と伝説―』などでそのように描かれている。ただし、真偽は不明。
この噂が正しいとすれば、セシル・ローズはジャニー喜多川や槇原敬之やピート・ブーテジェッジやバラク・オバマらと同じ性的指向をもつ人物だったという事になります。
(5)人種差別主義者・セシル・ローズ
ローズは熱心な帝国主義者であるとともに人種差別主義者でもあった。彼はアングロサクソンこそ最も優れた人種であり、アングロサクソンにより地球全体が支配されることが人類の幸福に繋がると信じて疑わなかった。
(6)セシル・ローズはフリーメイソンの一員
成功する以前は、イギリス(アングロサクソン)による世界支配を目指す秘密結社の設立を公言していたが、ビジネスの多忙もあり、そのような組織を作ることはなかった。しかし、あまりに莫大な資産を残して亡くなったため(また独身であったため)、「セシル・ローズの秘密結社がある」という陰謀論が絶えない。また、ローズはフリーメイソンの一員であり、死ぬまで会員であり続けた。
晩年、ポーランドの大貴族カタジナ・ラジヴィウ公爵夫人から執拗なストーキングを受けたことがあった。

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