221.2月26日夜に関東地方で観測された赤い月は、巨大地震の前兆なのか?

赤く染まる月
↑1995年1月15日 20時ごろ 千葉県JR総武線東船橋駅上空 赤く染まる月

(1)関東周囲で赤い月の発見報告が相次ぐ!赤い月と地震の関係について

お早うございます。一つ前の220番の記事(3)で綴った定食屋・くるまのリニューアルの為の休業期間は、確か0年代後半でした。

さて、2月26日夜、関東地方各地や山梨県で赤く染まる月が観測されました。私も仕事帰りに確認しました。すぐに、巨大地震の前兆なのではないかと感じました。

リンク先の記述は、阪神淡路大震災が発生する12時間ほど前と書いてありますが、正しくないと思われます。

なぜなら、拙ブログの本記事のオープニング写真にも使用した写真は、そもそもリンク先に掲載されていたものを転載したのですが、写真の左下に記載されているように、1995年1月15日20時ごろ撮影されたものです。

阪神淡路大震災の発生は1月17日ですので、撮影後24時間経過しています。リンク先の当該の写真の上に「阪神大震災の前日に撮影された「赤い月」」とありますが、これも正しくありません。正しくは「阪神大震災の前々日に撮影された「赤い月」」とすべきです。

この「正しい情報を探すブログ」は、このように正しくない情報が混じっていますので、きちんとしたCHECKが必要です。

(2)赤く染まる月は、巨大地震の前兆なのか?

1995年の場合は、巨大地震の前々日に赤く染まる月が観測されていますので、
その事例から類推すると、巨大地震の発生は今日<2013年2月28日>と言うことになります。

もちろん、起きてほしくないです。

万が一、不幸にも起きてしまうとしたら、いったい場所はどこでしょうか。219番で綴った九州でしょうか。それとも最近震度5強の地震があった栃木県でしょうか。それとも、南関東でしょうか。

(3)差別主義者麻生太郎

最近、新聞を読むと腹立たしいことが多い。2月25日(月)の読売新聞の社説も実に腹立たしかった。今日はそれについては書かずに、昨日<2月27日(水)>の毎日新聞の投書欄の腹立たしい投書について書くことにする。

麻生太郎が度量の広い政治家であると主張する投書である。こんな愚劣な投書を書くような奴は、麻生太郎が同和地区出身の政治家・野中広務に書くのもおぞましい差別発言をしたことなど全く知らないのだろう。

被差別部落出身者を差別するような奴が度量の広い政治家であるはずがないだろう! どあほー!
 
こんな愚劣な投書を選ぶ毎日新聞社の社員も麻生太郎の差別発言を知らないのだろう。知っていたら、こんな愚劣な投書を紙面に載せるはずがない。

 そもそもこれを知らないようでは、新聞社の社員失格である。即刻辞職した方がいい! まして、投書を選ぶ担当者が知らないようでは救いようがない。差別に敏感な読者は毎日新聞から離れて行き、営業上もマイナスである。即刻辞職した方が新聞社の為になる。

(4)差別主義のDNAを受け継いだ麻生太郎

被差別部落出身者としてもっとも権力中枢に近づいた野中広務ですら、自民党内外での差別を浴び続けてきた。

 1948年10月に総理大臣に返り咲いた吉田茂はその後、被差別部落出身者の松本治一郎を「公職追放」処分にする工作を弄し、昭和天皇に対する「臣・茂」としての忠臣ぶりを披露していた。<蟹の横ばい事件をご存知でしょうか?>

 松本治一郎と吉田茂のいったいどちらが民主主義の政治精神をまともに認識していたかを,ここで議論する余地はない。

 そういえば,この吉田の孫で2009年の9月まで1年間首相を務めた人物がいる。この人物,どこかの街頭で演説をしたとき,聴衆に向かい「下々の皆様」と発声した。推してしるべし。祖父からの「悪しきヤマト精神」の伝統が,みごとに,孫である麻生太郎に受けつがれてきたというわけである。

(5)麻生太郎の野中広務に対する差別発言を決して忘れず、この悪辣極まりない発言を徹底的に糾弾するとともに、人権感覚が欠如したこのような愚劣な人物が大臣を務めることが誤りであることを天下万民に流布しよう!!!

 2001年4月、森喜朗の退陣表明を受けた総裁選で、連立与党内から野中広務を推す声が強まった。もし野中が出れば圧倒的に有利とみられたが、彼はそれを固辞し橋本龍太郎を担ぎ出した。

 ジャーナリスト、魚住昭は自著「野中広務差別と権力」のなかで、「永田町ほど差別意識の強い世界はない。彼<野中>が政界の出世階段を上がるたびにそれを妬む者たちは野中の出自を問題にした」と書いている。おそらく、野中はそういう背景を考慮して辞退したのだろう。「自分が出馬したら橋本派が分裂する」と危惧したともいわれる。

 一方、麻生太郎はそのときの総裁選に出て、小泉純一郎、橋本龍太郎と戦った。党大会の前日、大勇会<河野グループ>の会合で、麻生は当然その場にはいない野中を名指しして言い放った。「あんな部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」野中はその話を伝え聞いたが、その場はじっとこらえて胸にしまいこんだ。

 やがて2003年の総裁選で小泉打倒を画策して失敗。引退を決意してのぞんだ自民党総務会の席上、政調会長だった麻生に向かって野中が激しい言葉を投げつけた。「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんてできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。

(6)差別を根絶する為に、麻生太郎のような差別主義者を政界から永久追放すべきである!!!

 『野中広務 差別と権力』<魚住照著:講談社発行>には次のような記述がある。「私は一週間、泣きに泣きました。私に目が三つあるわけではない。皮膚の色が違うわけではない、口が二つあるわけではない、耳が四つあるわけではない。何も変わらないのに、そして一生懸命がんばるのに、自分が手塩にかけたそういう人たちに、なぜそんなことを言われなくてはならないのだという、奈落の底に落ちた私の悲しみは一週問続きました」

 敗戦から28年後の1973年3月7日、京都府議会の本会議場は静まりかえっていた。演壇に立った府会議員の野中が大鉄局を辞めたいきさつを切々と語っていたからだ。私が調べた範囲では、彼が公開の場で自らの被差別体験を詳細に語ったのは、後にも先にもこの時しかない。「<一週間悲しみ抜いた末に>私が最後に出した結論は、私はあまりにもいい子になっていたということでした。大阪へ出て部落の出生であることを言いふらそうとも、隠そうとも思ってなかったけれども、自分の環境から逃げ出していい子になりすぎておった。やっぱりまっすぐ自分を育んでくれた土地へ帰ろうと。府議になることよりも、町長になることよりも部落差別をなくすことが私の政治生命であります。ここでこんな悲しいことを言わなくてはならないのも、これが私の最大の政治生命であるからです」

 いったい野中の身に何が起きたのか。もう一度、敗戦後の大鉄局<大阪鉄道局>に戻ってみよう。

 1950年、野中は大鉄局業務部審査課の主査になっていた。野中は審査課の族客係として切符の印刷工場の検査や、駅員たちの指導などの仕事をてきぱきこなし、課内で重用された。……

 野中の運命を変える事件が起きたのはそのころである。当時の審査課には野中のあっせんで入った園部中学の後輩が前出の黒田ら二人いた。野中は彼らを自分の下宿で寝起きさせ、食事の面倒も見てやっていた。ある日、野中が局の更衣室で着替えをしていると、衣裳棚を隔てた向こう側から聞き覚えのある声がした。

「野中さんは、大阪におれば飛ぶ鳥を落とす勢いでやっているけれども、園部へ帰れば部落の人だ」…

 野中が部落民であるという話はあっという間に局内に広がった。野中の昇進ぶりをねたむ職員たちが「鬼の首でも取ったように」<野中の府議会での発言>騒ぎ、上司に対して「なぜ、野中をあんな高いポストにつけるのか」という抗議が一斉に起きた。

 これまで信頼していた相手が態度を豹変させるのを見るのは辛かった。野中は夜、下宿に帰ってふとんのなかで悶え苦しんだ。悔し涙がこぼれた。何で自分はこんな馬鹿なことを言われなきゃならんのだ。大阪へ来て、一生懸命働いたつもりなのに……

(7)読売新聞2008年9月7日付の朝刊「政治面」<4面>の「混沌政局インタビュー」コーナー

 野中広務元官房長官が「公明のやり方 非常に残念」と発言している。「公明党も麻生氏がいいと公言している」との質問に対する答えで、野中氏が「麻生太郎幹事長」を嫌っている感情がにじみ出ているところが、興味深い。

 かつて、野中氏が、「総理大臣候補者」として名前が上がったとき、側にいた麻生氏が、野中氏の出自を馬鹿にする発言をして、せせら笑ったのが起因している。家柄がずば抜けて良い麻生氏は、下層民を軽蔑する傾向が強く、公明党・創価学会についても、「下層民」として蔑視し、忌み嫌ってきたと言われている。今回は、自民党総裁・総理大臣ポストが目の前にぶら下がっているので、背に腹は代えられない。公明党にすり寄られて、我慢して付き合い、利用しようという腹積もりらしい。

(8)2003年9月16日、東京・有楽町の日本外国特派員協会に現れた野中広務

 野中の顔色は心なしか青白かった。これが大勢の報道陣やテレビカメラに囲まれる最後の舞台だという意識がそうさせるのか、彼は硬い表情のまま壇上で語りはじめた。「私は、いま日本は国の内外を問わず危険な道をひた走っていると思います。小泉総理や日本のマスコミ、は景気が良くなったとか言っていますが、絶対に!良くなっておりません。今も一日百人の日本人が自分の意思で自らの命を絶っている。ホームレスや失業者が街にあふれています」

 「イラクに自衛隊が行ったとき、犠牲者が出なければ日本人は気がついてくれません。正当防衛としてイラクの人を殺すことになる。日本は戦前の道をいま歩もうとしているのです。そこまで言われなければ気がつかないのかなあと思うと、一つの時代を生きてきた人間として本当に悲しくなります」

(9)いずれ問題発言をまたするかもしれない麻生太郎

 麻生太郎の「下層民」に対する根強い「差別意識」がなくなっているわけではないだろう。公明党・創価学会を心の底では蔑視し見下し続けているのではないかと想像される。野中氏は、麻生氏から受けた侮りをいまでも忘れておらず、根に持っているからこそ、福田康夫首相を辞意決断に追い詰めた公明党に「非常に残念」と心情を吐露したのである。

 自民党・公明党ともに、「株高」などを演出して、参院選に圧勝しようと目論んでいるけれど、「上手の手から水が漏れる」という喩えがあるように、麻生太郎が問題発言をして躓く可能性がある。

韓国では朴槿恵(パククネ)新大統領が25日、就任演説を行い新政権が誕生したことを内外に示した。

麻生太郎は、大日本帝国が、朝鮮を併合していた時代に行った創氏改名を「朝鮮人の要請を受けて行ったものである」と発言して、隣国・韓国から猛反発されたことがあった。

愚劣な麻生太郎よ、また、そうした発言をして安倍政権を沈没させるがいい!

どうせ不正選挙でかすめ取った不正な政権なのだから、沈没して当然である!!!

(10)新銀行東京のイメージUPの為に必要なこと

昨日<2月27日>の朝日新聞のローカル面だったかな、猪瀬都知事が新銀行東京のイメージUPに取り組みたいと語ったことが書いてあった。

イメージUPの為に必要なこと、それはまず石原慎太郎への責任追及を徹底することである

次に、新銀行東京を経営難に追い込み都民に大損させたハイエナ連中をきちんと炙り出しきちんと告発「することである!!!

昨年の都知事選では、宇都宮候補が、新銀行東京の「口利き」融資斡旋問題にメスを入れてくれるものと期待したが、残念ながら落選してしまった。

そもそも、猪瀬は選挙違反をやっているのに、選管も警察も一切動かなかった。マスコミも報道しない。これが仮に宇都宮候補の行為だったら、これでもかというくらい徹底的に叩きまくるだろう。

我々、正義派が権力を握り、このような腐りきった世の中を180度転換させる必要がある。

革命が成就した暁には、今まで不正選挙など悪辣極まりないことをやってきた連中を全員投獄する必要がある!!!

怒りにまかせて、今日<2月28日>の記事はとても長くなってしまった。ここまで読んで下さった皆様に感謝申し上げます。左下の拍手をクリックして頂けると幸いです。

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