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2387.軍都・埼玉 軍都・東京 軍都・神奈川

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↑画像 2019クリスマスシリーズ15 乃木坂46 生田絵梨花 出典はこちら 

(1)軍都

 「2386.軍都・習志野」の続きです。私はいくつかの軍都と呼ばれる場所にとても縁がありましたwikiで軍都を出すと一例として「習志野」も出てきます。私が1985年10月から2004年8月迄住んでいた神奈川県相模原市も出てきます。数え切れないくらい訪れたくさんの思い出の詰まった東京都立川市も出てきます。私が1982年9月から1983年3月迄住んでいた埼玉県所沢市も出てきます。

★「軍都」として発展した相模原
https://smtrc.jp/town-archives/city/sagamihara/p04.html

★明治から戦前・軍都計画が進行して 相模原市
http://www.sagamihara-kng.ed.jp/kouminkan/seishin-k/chiiki_rekisi/02_meiji/02_meiji.html

★【ルート16をゆく 戦後日米の起点】(7)軍都建設 産経新聞
https://www.sankei.com/region/news/150813/rgn1508130016-n1.html

 歴史にかかわる学者や教職員らでつくる歴史教育者協議会(歴教協)に私も所属している事は、拙ブログに時々書いています。その歴教協の企画を東京新聞が取り上げて下さった記事を転載させて頂きます。

(2)<つなぐ 戦後74年>軍都・埼玉の面影 所沢周辺、戦跡巡るツアールポ 東京新聞 2019年8月16日 

https://www.tokyo-np.co.jp/article/saitama/list/201908/CK2019081602000153.html

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↑画像 航空自衛隊入間基地(奥)の歴史について、ガイドから説明を受けるツアー参加者たち=入間市

 第2次世界大戦で連合国が日本に無条件降伏を求めたポツダム宣言を受信した通信所、操縦兵や整備兵の育成を担った日本初の飛行場-。所沢市周辺に残るそんな戦跡を巡るツアーが6日、実施された。歴史にかかわる学者や教職員らでつくる歴史教育者協議会(歴教協)の企画。記者も同行し、かつて「軍都」と呼ばれ、今も米軍や自衛隊関係の施設が多い埼玉の歴史的な背景を改めて心に刻んだ。 (加藤木信夫)

 まず向かったのは、新座市と東京都清瀬市にまたがる米軍大和田通信所。かつての旧日本海軍大和田無線通信所跡だ。10年ほど前までは当時の建物やアンテナも残っていたが、既に撤去されたという。間近で見た現在の通信所は鉄柵で覆われ、米軍が使っている巨大なクモの巣形のアンテナがそびえ立っていた。

新座市の米軍大和田通信所で
↑画像 ポツダム宣言を受信したとされる旧日本海軍の通信所跡。現在は司令官搭乗の指揮機と通信するという米軍のクモの巣形アンテナが設置されていた=新座市の米軍大和田通信所で

 歴教協によると、旧日本軍の中で受信機能が際立っていた大和田は終戦間際、ポツダム宣言のほか、広島と長崎に落とされた原爆搭載機の離陸も受信したとされる。ツアー参加者は歴史的な重みを胸に真剣な表情で見入り、猛暑の中、しきりにカメラのシャッターを押していた。

 続いて、所沢市へと移動。たくさんの人がくつろぐ所沢航空記念公園(同市並木1)内には、長方形の大きなくぼ地があった。幅50メートル、長さ400メートルはあるだろうか。

 「ここが日本初の飛行場滑走路の跡地です

 歴教協会員の篠原謙さん(69)が教えてくれた。元々はサツマイモの産地で、土質が軟らかかった。そのため、小石を敷き詰めた上にクローバーなどを植栽し、飛行機の離着陸に耐えられるようにしたのだという。

 旧日本軍の時代、所沢飛行場は少年を含む操縦兵や整備兵の育成を担った

 「戦争で航空機を活用する人材を育て、(結果として)相手国の人々の被害を増幅した。こうした『負の遺産』から目をそらすことなく、共有財産にすることが、平和都市になる第一歩だと思う」。篠原さんが力を込めた。

日本初の飛行場滑走路の跡地=所沢市の所沢航空記念公園で
↑画像 日本初の飛行場滑走路の跡地=所沢市の所沢航空記念公園

 通信所跡や飛行場跡といった所沢周辺の戦跡はいずれも旧日本軍の施設で戦後、米軍に接収された。地元自治体や市民らが粘り強く返還運動を続けた結果、狭山市と入間市にまたがる旧日本陸軍航空士官学校があった場所が全面返還されたものの、航空自衛隊入間基地に。所沢市では飛行場跡の一部が航空公園になったが、米軍所沢通信基地として残った部分もある。

 大和田と所沢の米軍施設は、いずれも米軍横田基地(東京都福生市など)の通信施設として今も使われている。所沢通信基地では、横田基地の工事残土を搬入するダンプカーが激しく出入りしていた。地元は搬入に反対したが、聞き入れられず、今月9日には米軍に基地の一部返還を求める要請書を出した。昨年7月にはオスプレイが離着陸するなど、米軍基地があることへの市民の不安は大きい

 「埼玉には『軍都』の面影が強く残っているね」。ツアーを通して何人もの参加者が口にした言葉だ。軍関係施設が多く、軍隊が産業や市民生活に大きく影響した地域。その歴史は今も尾を引いている。身近な戦跡を巡り、記者自身も改めて実感した。

(3)福田元昭の教育実践報告 1 清瀬市にある米軍基地は何の為にあるのか?

>大和田と所沢の米軍施設は、いずれも米軍横田基地(東京都福生市など)の通信施設として今も使われている。

 1996年度から2003年度迄在職した都立小金井北高等学校では、世界史と政治経済を担当した。政治経済で「清瀬市にある米軍基地は何の為にあるのか?」という授業を展開した。

 (2)に出てきた大和田の米軍施設は、大和田通信所と呼ばれています。(2)の東京新聞の埼玉県版の記事にも書いてありますが、大和田通信所は埼玉県新座市と東京都清瀬市にまたがっています。

 都立小金井北高等学校は清瀬市から通学する生徒が結構います。そこでこの授業の冒頭に「本日のテーマは清瀬市にある米軍基地は何の為にあるのか?です。清瀬市に住んでいる生徒は手を挙げて下さい」と生徒に呼びかけます。挙手がないとこう畳みかけます。

 「このCLASSに清瀬市在住者がいるはずなのですが」「隠し立てしない方が良いと思います」「このCLASSのPTA名簿のCOPYを持ってきました

 ここで生徒は響めく。この当時は多くの都立高校で生徒個人の住所が記載されたPTA名簿を配布していた。その後多くの都立高校でPTA名簿の配布をやめた。

 清瀬市に住む生徒でも大和田通信所の存在を知らない生徒がいた。市の外れにあるからだろう。清瀬市に住む生徒を含め、多くの生徒が有名な横田基地は知っている。

 「戦争になったら、最初に攻撃される可能性が高い場所ってどこですか?」と生徒に問いかけます。

 「過去の戦争の例をCHECKすると、敵の通信施設を攻撃する場合が多いんだ。通信施設を破壊すれば、敵の戦闘能力は一気に落ちるからね。つまり他国と戦争になったら大和田通信所がある清瀬市や新座市は真っ先に攻撃される可能性が高いのです。」と(*^o^*)で語った。

(4)東京も軍都

 昔、私が話をさせて頂いたTBSの日下部正樹氏が軍都に関するブログ記事を書いています。

 <該当記事から一部抜粋>かつて東京は都心部にも軍用地が点在する「軍都」だったのです。~中略~例えばTBSの局舎がある場所は戦前、陸軍の兵舎があった軍用地だった事は多くのTBS社員も知っていることだと思います。 しかし、駐屯していた部隊が二・二六事件に深く関わった事まではどの程度の社員が知っているのでしょうか。<抜粋終了>

★かつて「軍都」だったところ | 日下部正樹ブログ | TBSブログ
http://tbs-blog.com/houtoku-kusakabe/19481

2152.香港デモとは、スパイ天国であるCIAの海外最大拠点を存続させるための民主化偽装デモ (2)私が話をした有名人FILE22 報道特集(2010年10月 - )総合司会・日下部正樹
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-2601.html

>しかし、駐屯していた部隊が二・二六事件に深く関わった事まではどの程度の社員が知っているのでしょうか。

 では、二・二六事件に関連した過去の記事をお読み下さい。

(5)「1802.緊急投稿 2019年2月13日首都圏クーデター<首都圏テロ> 」への非公開コメント<「1803.2月11日 7月4日 7月14日 10月1日 PART5」から転載>

★気になる数字

 福田さん、こんばんは。2月13日は、日月土さんの記事を拝見してからずっと気になっていましたが、何も起きなかったそうなので、ホッとしています。

 さて、記事を拝見して、昭和のクーデター未遂事件である二・二六事件を調べていたら、気になる数字が少し出てきたので、素人の計算ではありますが、ご報告しておきたいと思います。

○二・二六事件 1936年2月26日 → 1+9+3+6+2+2+6 = 29 → 2+9 = 11

○事件後成立した「思想犯保護観察法」(昭和11年5月29日法律第29号) 
 ・昭和11年5月29日 → 1+1+5+2+9 = 18 = 6+6+6
 ・法律第29号 → 2+9 = 11
 ・さらに、全ての数字を足すと → 1+8+1+1 = 11

○13日以降、今月中で、少し気になる日を以下に挙げてみました。何も起きない(起こせない)ことを祈るばかりです

 ・2019年2月18日(月) 2.18 → 812(1985年123便事変の日)
 ・2019年2月22日(金) 2+1+9+2+2+2 = 18 = 6+6+6
 ・2019年2月26日(火) 事件から(2019-1936 =)83年目 → 8+3 = 11

 以上、私なりに気になる数字を書いてみましたが、見当違い等でしたらすみません。お役に立てそうな部分があれば、どうぞ公開して下さい。よろしくお願い致します。


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↓動画 クリスマス
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