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2386.軍都・習志野

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↑画像 2019クリスマスシリーズ14 〒107-8006 東京都港区赤坂5丁目3番6号 TBS放送センター CDTVクリスマス音楽祭2019 AKB48 出典はこちら

(1)軍隊手帳

 「2385.沖縄は長い間武器を持たない歴史が続きました」の続きです。

 軍隊手帳のページを開くと、最初に「掟」と「誓文条々」、「給養物品武器取扱心得」が記されている。このうち掟は兵士のあり方を示したもので、第1条は「兵隊ハ第一皇威を発揮し国憲を堅固にし国家万民保護の為に被設置候義ニ付此兵員に加はる者ハ忠誠を本とし兵備の大趣意に背かす兵隊の名誉落さゝる様精々可心得事」と、兵士の役割が規定されている。以下、兵士の上下関係や統制、罰則などが定めらていて、創設間もない近代陸軍の方針がわかる。

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↑画像 兵士が休む横浜市街地 『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』1877年5月5日付 横浜開港資料館蔵 出典はこちら

 軍隊手帳には、個人に関する情報が多く含まれていて、出生地や生年月日、住所はもちろんのこと、職業や家族構成、氏神・宗門などの信仰、さらに身体や顔の特徴まで細かく記されている。これは戦死した場合の身元確認のために記されたものだろう。こうした一つ一つの記述から兵士としての金子増五郎の姿が浮び上がってくる。

(2)金子増五郎の入隊

 1874(明治7)年、徴兵検査を受けた金子は、5月30日に歩兵科の生兵として東京鎮台・歩兵第1連隊第3大隊に入隊、第2中隊に配属された。この時、3個大隊から構成される連隊はまだ編成の途上にあり、第3大隊は明治7年度の徴兵によって新しく誕生した部隊であった。また、各部隊は第1大隊が愛宕下の旧松山藩邸に駐屯したのに対し、第2大隊と第3大隊は赤坂檜町に駐屯していた(防衛省防衛研究所所蔵『歩兵第一聯隊歴誌』)。

 入隊後、金子はすぐに体調を崩してしまい、陸軍病院に入ることになった。その間、金子の所属する第3大隊は第2大隊とともに熊本鎮台に属すこととなり、金子は8月26日付で歩兵第1連隊第1大隊の第2中隊へ転属となった。その後、第3大隊は九州に移転したが、金子には東京での休養が求められたのだろう。なお、第2大隊と第3大隊は12月に東京鎮台の管轄に戻った。

 1875年3月12日、勤務に戻った金子は、各種訓練を通じて歩兵の基礎を学び、大隊長の検査を経て、同年6月15日に二等兵卒となった。一般的に生兵は半年の訓練によって二等兵卒となり、その後は警備等の任務に就くほか、大隊単位の演習に参加するようになる(1874年10月制定、生兵概則)。病気のため、金子の昇進は一年ほどかかったが、翌年の12月8日には一等兵卒に昇進した。この間、第1大隊は赤坂檜町に移転、金子の生活も愛宕下からそこへ移った。

 こうした人事の記録だけでなく、軍隊手帳には、勤務状況についても記されている。金子は1875年10月13日から11月6日まで千葉県習志野で行われた歩兵第1連隊の野外演習に参加したほか、翌1876年4月には神奈川県八王子方面での行軍演習にも参加した。ここから歩兵第1連隊が東京の周辺で演習を展開していたことがわかる。また、6月には、守衛番兵中にミスを犯してしまい、一週間の「使役」に従事したことも記録されている。

 以上のように、軍隊手帳には様々な記録が含まれており、それを紐解くことで、徴兵で集められた横浜出身者の姿が明らかになった。この後、金子は三年間の兵役満期を迎える前に、戦地に赴くことになった。

(3)習志野

 習志野(ならしの)は、千葉県北西部にある地名。下総台地の一画を占め、船橋市八千代市習志野市に跨っている。習志野市の市名由来となったが、元々の習志野は二宮町(現在の船橋市東部)に位置し、そこから意味する領域が拡大されていった広域地名です。一般には「習志野」が、習志野市周辺を示す地名であると混同されてしまうことが多い。

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↑画像 大正時代の習志野平原の様子 出典はこちら

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↑画像 習志野エリアの航空地図 出典はこちら

 「習志野エリアの航空地図」の下に見える湾曲した道は佐倉街道東部軍管区教育隊(街道の上部)と陸軍騎兵学校(街道の下部)。その隣接地が習志野演習場

 1873年(明治6年)4月29日に大和田原(陸上自衛隊習志野演習場近辺から成田街道を挟み、高根台周辺までの地域。現在でいう船橋市域。)で陸軍大将・西郷隆盛の指揮の下に行われた近衛兵の大演習を観閲した明治天皇が「習志野ノ原」への改名を求め、同年5月17日太政官達によって習志野原となった。その事を記念して同地に「明治天皇駐蹕之処の碑」という紀念碑が建てられている。その後、周辺にある軍郷を総称した広い地域が習志野と呼ばれるようになった。  

 「習志野原」の命名について、大演習での陸軍少将・篠原国幹の目覚しい指揮に感銘した天皇の「篠原に習え」という言葉が元になった(習篠原→習志野原)という説があり、『習志野市史・第1巻』(1995年)や船橋市郷土資料館(所在地:現・船橋市薬円台、旧・二宮町薬園台)などでもこれを「逸話」として紹介している。

 この時「習志野原」で演習を行った近衛兵が核となり、後に大日本帝国陸軍が組織された。現在では、習志野市(旧・津田沼町)という市町村に名称が取り入れられ大地名として残されている。

 また、同市が成立する折に、二宮町(現在の船橋市東部地域)や幕張町(現在の千葉市西部地域)などの広義の「軍郷・習志野」を大きく取り込んだ大習志野市構想という計画も持ち上がったが、太平洋戦争中に起きた二宮町空襲による国の補償金配分を巡る津田沼町役場と二宮町役場の対立(但し同じ二宮町でも三山村だけは、最後まで津田沼町との合併を望んでいた)などの諸事情により、二宮町は船橋市と合併し、幕張町の大部分は千葉市に編入されてしまい実現しなかった。

 なお、習志野原(旧・習志野演習場)の起源となった地域が所属していた旧・二宮町が習志野市ではなく船橋市の一部となった結果、「習志野」の地名が船橋市に属することとなった。習志野市には、旧・幕張町(一部は旧・大和田町)に属していた愛宕・安生津から編成された「東習志野」の地名がある。

 この東習志野に私が勤務した習志野高等学校がある。

2383.第二次世界大戦戦死者ランキング(習志野高校物語 PART4)
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-2872.html

1842.東の千葉 西の愛知 (習志野高校物語 PART3)
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-2250.html

1841.夏の甲子園 史上初めて過去の優勝投手が優勝監督に (習志野高校物語 PART2)
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-2248.html

1840.元号制度を永続化させたい支配層にとって望ましい結果となった2019年の春の選抜高校野球の決勝戦(習志野高校物語 PART1)
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-2247.html

(4)習志野は全国的に有名

小金牧1 Map-koganemaki
↑画像 小金牧の地図 出典はこちら

 この地図の真上は真北ではありません。私は1983年4月から1985年3月迄、この地図にある新京成線二和向台駅から徒歩10分少々のアパートに住んでいました。

 習志野は江戸時代には、小金牧(馬の放牧場など)の一部で、小金ヶ原(こがねがはら)とか大和田ヶ原(おおわだがはら)などと呼ばれていた。演習場の総面積は、約11,550,000平方メートルで、真っ平らな高台が広がっていたため、一望千里習志野平原(いちぼうせんりならしのへいげん)とも呼ばれた。実際、富士山や筑波山などが地平線によく見えたという。演習場には騎兵連隊や陸軍騎兵学校が隣接し、現在の京成大久保駅周辺や習志野原の入口が近かった薬円台3・4丁目付近は活気があったといわれている。

 習志野原が全国に一般によく知られるようになったのは、日露戦争での秋山支隊の活躍によるものだといわれている。なお、全国の連隊では必ず一度は習志野原で演習が実施されていたため、北海道でも老人に習志野という地名を出すと津田沼駅から演習場までの行軍話や野営話などを語る方もいる。

 当時の習志野原(陸軍習志野演習場)には入口周辺以外には柵はなく、演習の時以外は一般人も自由に入る事ができ、阪妻映画などの撮影や学校の各種実習(測量演習など)などの行事が年間を通じて民間での利用が可能だったという。また、演習場では、騎兵連隊の軍旗祭や騎兵学校の馬術大会が開かれ、皇族・軍人・学生(※身分や学は特に問われず馬術の技術交流が行われた)をはじめとする馬術倶楽部や乗馬愛好家が集まる乗馬のメッカとしても栄えた(習志野原御猟場も参照)。

 敗戦後も甲子園出場の習志野高等学校と自動車のナンバープレートで習志野は全国的に有名です。もっとも習志野高校の甲子園出場迄は、自動車のナンバープレートを見て、「しゅうしの」と読む方がある程度いたという。

習志野原の変遷
↑画像 習志野原の変遷 from「船橋市公式HP

習志野原と軍隊
↑画像 習志野原の地図


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