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210.マスコミよ! 日揮が日本の原子力ビジネスの最大手であることをなぜ報道しない!

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↑東日本大震災から間もなく2年 画像2

(1)始めに

今回の記事は、前回の209番の続きです。まず、209番をお読みになり、その後、こちらをお読み頂けると幸いです。

(2)週刊金曜日 1995.5.19 第74号 特集 企業と人権 カイシャで働く人たちへ 東芝の喜劇(下) 鎌田慧

残業をことわる社員を尾行して素行調査、労働条件にこだわる社員をチェック、東芝の秘密組織「扇会」。恐怖の労務管理を告発する。

 東芝の労務管理の異常さがよく知られるようになったのは、「東芝府中事件」によってである。これは、社外の読書サークルにはいったため、残業をしなくなった労働者が、毎日、毎日、職場で職制(下級管理職)からいじめられ、ついに裁判所に提訴、8年後の90年2月、「管理監督行為に行き過ぎがあった」との判決をひきだして勝訴した事件である。

 裁判に訴えたのは、秋田県の大曲高校を卒業して入社した上野仁(当時25歳)さんである。前回にも登場したが、彼は入社後、府中工場高等職業訓練校に入所、2年後には、「技能五輪」の曲げ板金部門で、全国3位に入賞している。期待される労働者だった。が、向学心の強い彼は、次第に社会的な問題に感心をもつようになった。

 上野さんが入社して4年後、府中市議会議員の選挙があった。府中工場からは、会社側と組合側から1名ずつ立候補したが、選挙運動は労使一体となって、2人の候補を推していた。

 会社は、就業時間中にも、労働者に選挙運動をさせたりしていた。ふたりの労働者が、門前でそれを批判するビラをまきはじめた。上野さんはこのビラまき労働者と接触したため、たちまちにしてアカ攻撃にさらされることになる。

 その後、職制が彼に始末書、反省文を書くことを強要し、労組幹部が長時間の査問をおこなう。この圧迫に対抗するように、上野さんは「労働現場から」と題する工場日記を書きつづけ、それが裁判での証拠として重要な役割をはたすのは、のちの話である。

 まもなく、彼は仕事中のいじめに耐えられず、休暇を申請したのだが、上司は暴力で応じたのだから驚くほかない。上野さんは、目がまわり、手足がしびれ、鼻血を出して救急車ではこばれる。精神科の医師は、「心因反応」と診断した。

 これからがいじめとたたかう裁判となるのだが、そのころの職場の状態とは、次のようなものだった。

 通路ですれちがう職制は、これみよがしに直立不動の「敬礼」。が、それぐらいで驚いてはいけない。

 「小集団活動」を統括するのは参謀本部で、部長が本部長、課長が隊長、製造長が下士官に任命され、指揮官会議や千か報告会が実施されている。

 「ZD活動戦略カード」には、「攻撃地点」「予想兵糧」などと記載され、「敵地占領」とか「橋頭堡」などが多用されている。好戦的である。社全体のスローガンは「アグレッシブでいこう」。

 社外にむかって攻撃的であれば、当然、社内組織も不断に緊張を強制される。

 労働担当課長が、「皆んな金太郎飴になれ、それぞれの立場で社長も新入社員も言動が基本的には同じでなければならない」と演説したり、少女買春の「旭川事件」を惹き起こした労務担当重役が、「違法、脱法行為は禁物であるとしても、公序良俗に反しない限り、あらゆる手段を駆使して」などの文章を書いているのを読むと、なるほど、と思わざるをえない。

(3)東芝と日揮の共通項

ともに原子力を支える企業である。上野仁は、東芝府中工場で働きながら労働運動の一環として東芝に原発の製造中止を訴え続けてきた。

東芝が原子力ビジネスにも関わっている企業であることは多くの人々に知られていると言ってもいいだろう。私の教え子の一人も東芝に就職し、311前の福島原発に足を運んでいる。

猪瀬直樹東京都知事の長野高校時代の友人である私の知人の息子も、東京工業大学卒業後、東芝に就職した。

実は、日揮は東芝以上の原子力企業なのです。日揮は、日本の原子力ビジネスの最大手なのです。

 マスコミは、アルジェリア人質事件の一連の報道の中で、この件について全くと言っていいくらい報道していない。

原発企業や軍事産業に入社してから、その事を知って後悔する人もいるようだ。その企業が、原発企業や軍事産業であることをTVのCMで流す企業はまずない。

「●●重工は兵器開発のパイオニアです」と言うナレーションの後、血みどろの戦場のシーンが流れるCMでも作ればいいのに。

(4)「日本の原子力研究支える日揮」   新藤 健一

2月1日発売の週刊金曜日に「日本の原子力研究支える日揮」という原稿を書いた。締切の関係であまり書くことができなかったのですが、日揮は東海村や福島第一原発、さらには下北の核燃サイクルなど日本の原子力ビジネスの最大手であることがわかってきました。一部を紹介します。http://www.kinyobi.co.jp/

■政府が1民間企業に異例な対応はなぜ

 アルジェリアで犠牲になった日本人9人の遺体が政府専用機で羽田に搬送された1月25日、官邸など霞が関には半旗が掲げられた。政府機の使用も異例だった。このとき日揮は被害者の氏名を公表しなかった。菅義偉官房長官は犠牲者の氏名を「政府の責任で」と断り、公表した。一民間会社に政府がこのように対応するのは前代未聞だ。最高顧問の新谷正法さんの死亡発表が最後になったことも奇怪な話だ。最高顧問が会う予定だった英BPの副社長も死亡した。

 事件直前の1月14日、フランスはマリに軍事介入、イスラム武装勢力が占拠していた都市を制圧、同時に特殊部隊がニジェールのウラン工場を守るため配備された。2つの事件の背景には世界最大の仏原子力産業「アレバ」の存在がある。アレバは福島第一の事故処理を請け負う会社だ。アレバを経営する仏はウランが豊富に埋蔵するニェジェールやマリの利権を手放したくない。

 日揮の事業はエンジニアリングだけではない。軍事コンサルタントとの提携や原子力ビジネスもしている。川名浩一社長が「ミリタリーゾーンという軍隊に守られた場所での仕事でしたから」と語っているように紛争地や戦場では、民間の軍事請負企業が絡んでいるのは普通だ。英BPは情報機関のMI6との関係が密接だ。

 今回、日揮はアルジェの国営エネルギー会社ソナトラックと英BPが開発した天然ガス田開発プロジェクトを米ケロッグ・ブラウン&ルート(KBR)社と共同で受注した。この会社は民間軍事請負企業でもあるだけに今回の事件の闇は深い。

■東海村、福島第一原発、六ヶ所村

 茨城県県大洗町の海岸から南西へ車で15分、木立に囲まれた丘陵地帯に「日本原子力研究開発機構大洗研究開発センター」がある。面積は160万平方メートル、中央には湖がある。「大洗研究開発センター」はここでMOX(混合酸化物)燃料を使用した高速増殖炉「常陽」などの試験を通じてFBR(高速増殖炉)サイクルの実用化をめざしてきた。

 一隅に4階建ての作業ビルに朱色の太文字で「日揮」とある。「日揮技術研究所」だ。脇に2階建ての研究棟が南北に3つ並ぶ。フエンスには「周辺監視区域、みだりに立ち入ること禁ず」のプレート。南隣には東芝と日立の共同出資する日本原燃の施設だ。これらの会社が日本の原子力研究を支えているわけだ。

 実は東海村にある日本初の再処理施設は日揮が建設した。同社はこれまでウラン精錬、核燃料サイクル技術と放射性廃棄物の処理などを研究してきた。東海村の周辺には三菱グループなどの核燃料関連会社が数多くある。大洗にある「日揮技術研究所」もその一つだ。そのウランを日本はマリやニジェールから輸入している。また同社は福島第一原発に事務所を構えていた。最後に日本の核燃再処理工場がある六ヶ所村と日揮の関係をネットで検索すると「現在、ホームページリニューアル中です」という表示がでる。http://www.a-plantech.co.jp/

 アルジェリアの人質殺害事件で政府が日揮を特別扱いする理由はここにある。

(5)【原発】アルジェリア人質事件の背景 ~日本の原子力研究を支える「日揮」~

① アルジェリア人質事件について、報道が始まって以降、日本人の多くは遠い異国の同胞を思いやり、懸念し、挙げ句の結果を嗟嘆したはずだ。
 
 直後の雑誌には、異国で艱難辛苦のうえ、国際的に活躍する「日揮」に対してエールを送った記事も出た【注1】。
 
 しかし、「週刊金曜日」今週号は、事件の背景を明らかにし、死者を鞭打つ。

② 事件直前の1月14日、フランスがマリに軍事介入し、イスラム武装勢力が占拠していたディアバリを制圧した。その背後に、世界最大の原子力産業複合企業「アレバ」(仏)の存在があった。
 
 ウランを埋蔵するニジェールやマリの利権をフランスは手放したくない。そこで、ニジェールのウラン工場を守るため、特殊部隊が配備された。「アレバ」が所有するウラン鉱山付近では、2010年9月、アルカイダ系の「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ(AQIM)」がフランス人5人を含む7人を人質にとり、フランス人4人は今も拘束されている(3人は釈放)。

③ 「日揮」の事業は、エンジニアリングだけではない。軍事コンサルタント会社とも提携のだしている。紛争地や戦場では、民間の軍事請負会社【注2】が絡むのだ。

 旧「ブラウン&ルート・サービシズ(BRS)」(チェイニー・元副大統領が会長だった「ハリバートン」社の子会社)はその典型だ。「CACI」社と「タイタン」社が拷問に加わったとされるアブグレイブ刑務所の捕虜虐待事件も軍事請負企業の犯罪だ。

 2002年、「日揮」は、アルジェリアのエネルギー会社「ソナトラック」と英「BP」が開発した天然ガス田開発プロジェクトを、米「ケロッグ・ブラウン&ルート(KBR)」社とで受注した。「BRS」社は1998年、石油パイプ製造の「ケロッグ」を吸収し、「KBR」社になった。

 こうした民間軍事請負企業と取引する「日揮」だけに、今回の事件の闇は深い。そして、政府は人質事件の真相を明らかにしたがらない。

④ アルジェリア人質事件で犠牲になった日本人9人の遺体は、政府専用機で運ばれた(異例)。遺体が羽田に到着した1月25日、首相官邸など霞ヶ関には半旗が掲げられた。

 フランスの軍事介入がアルジェリア人質事件に発展したとき、「日揮」は被害者の氏名を公表しなかった。1月25日、菅義偉・官房長官は犠牲者の氏名を「政府の責任で」公表した(これも異例)。
 
 新谷正法・「日揮」最高顧問の死亡発表は最後になった(奇怪な話)。ちなみに、新谷最高顧問が会う予定だった英「BP」副社長も死亡した。

⑤ 3・11では東海第二原発(茨城県東海村)も危機一髪だった【注3】。

 茨城県大洗町の海岸から南西へ車で15分の位置に「日本原子力研究開発機構大洗研究開発センター」がある。同センターは、ここでMOX燃料を使用した高速増殖炉「常陽」などの試験を通じて高速増殖炉(FBR)サイクルの実用化をめざしてきた。
 
 一隅の4階建て作業ビルが、「日揮技術研究所」だ。脇に研究棟が南北に3つ並ぶ。フェンスには「周辺監視地域、みだりに立ち入ることを禁ず」のプレート。周囲に人家はなく、門前には畑があるのみ。南隣は、東芝と日立の共同出資する日本原燃の施設だ。これらの関連会社が日本の原子力研究を支えているのだ。
 
 実は、東海村にある日本初の再処理工場は、「日揮」が建設した。「日揮」は、これまでウラン精錬、核燃料サイクル技術と放射性廃棄物の処理などを研究してきた。
 
 東海村周辺には、三菱グループなど、核燃料関連会社が数多くある。前記「日揮技術研究所」もその一つだ。そのウランを日本はマリやニジェールから輸入している。また、「日揮」は、福島第一原発に事務所を構えていた。
 
 アルジェリア人質事件で政府が「日揮」を特別扱いする理由はここにある。 

【注1】「【社会】世界水準の危機管理でも防げない武装勢力の襲撃」

【注2】「書評:『戦場の掟』 ~ビッグ・ボーイ・ルール、民間軍事会社のイラク~」

【注3】「【震災】原発>高レベル放射性廃液400立方メートル in 東海村」 「【震災】原発>廃炉を提案した東海村長 ~危なかった東海第二原発~」

□新藤健一(フォト・ジャーナリスト)「日本の原子力研究支える日揮」(「週刊金曜日」2013年2月1日号)

(6)忌野清志郎 タイマーズ 反原発

福島原発事故が起きる約2年前の2009年5月2日に癌で無くなった忌野清志郎は、今から20年以上も前の1988年に反原発ソングをリリースするが、「素晴らしすぎて発売できません」という新聞広告(1988年6月22日付全国紙)と共に発売中止となったアルバム「COVERS」。

当時、RCサクセションが所属していた東芝EMI が、反原発ソングだとして発売を自粛した。親会社の東芝は、日揮とともに、今でも原子力発電所産業の中核を担っている。


↑動画:Love Me Tender -The Timers- 忌野清志郎

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