19.2001年10月15日、NHK構内でNHK解説委員・長谷川浩が変死体で発見されたのはなぜか?
(1)始めに
1月28日(土)午前0時過ぎ、NHK総合テレビから流れる前日(2011年1月27日)の国会での「国民新党・新党日本」の田中康夫代表による衆議院本会議での涙ものの代表質問をBGMにしながら、この文章を書き始めました。
2011年1月27日 「国民新党・新党日本」の田中康夫代表による衆議院本会議での代表質問
まず、前回の記事を投稿してわずか数時間後に、123様とplanz様より貴重なコメントを賜りました。ありがとうございます。
私が、マルクス経済学の用語を使用したので、123様のコメントは、「ネット右翼(「ネット左翼」と言う言葉は余り聞かない)にいじめられると困るから、マルクス経済学の用語は余り使わない方がいいかも。」と言う親切なアドバイスのように感じました。また、ユダヤの批判も、「モサドが怖いからしない方がいいかも。」と言うメッセージのように感じました。解釈が違うかな?
planz様のブログのコメント欄で、拙ブログに123様がアクセスしにくいととの話を拝見しました。
何度も書いているように、私のブログは訪問者もそう多くはない秘境駅のようなブログですので、そうそう弾圧されることもないと思うのですが。
もし弾圧されたとしたら、名誉なことかもしれないですね(笑)。
むしろ、命がけで高天原事変(日航123便墜落事故)真相究明に尽力している123様に対する弾圧のような気がするのですが。
また、planz様のブログのコメント欄で、拙ブログ内の地震の拙文について「エクセレント」などと言う過分のおほめの言葉を賜りました。恥ずかしい限りです。
それはさておき、書きかけのテーマがいくつかあるのに、また別なテーマを掲げてしまいました。
マスコミの「大本営発表」を鵜呑みにせず、ネットなどで真実を知ろうとしている
方にとっては、わかりきったテーマかもしれません。
1月31日迄に、ある本に「ハザール王国の興亡」と言う原稿を書かなければならず、このブログもそれに関連したテーマにしたいと思い、このテーマにしました。
(2)変死体発見!
1980年代は、木村太郎氏のようなジャーナリスト(ジャーナリストの名にふさわしいかどうか?)もいたが、少なくとも現在よりははるかに当局の発表に疑問を呈するジャーナリストは多くいた。
現在も0ではない。しかし、以前より減っている。それは21世紀に入ってから、そうした骨のあるジャーナリストや内部告発者やコメンテーターが殺されたり、嵌められて社会的信用を失墜したりすることが多くなっているからだと推測される。

この方が、故・長谷川浩である。年配の方は、「ああTVで見たことある。でも、最近見ないね。」と思われるかもしれない。
見ないはずである。2001年10月に逝去されているのだから。
NHK解説員主幹の長谷川浩が2001年10月10日23時からの特別番組で「WTCビルでの犠牲者を国籍別に調査したところ、WTCに勤務先があるアメリカとイスラエルの二重国籍をもつ約4000人のユダヤ人は一人も死んで無かった」と報告した。

2001年10月15日、NHK構内で長谷川浩は変死体で発見された。NHK構内で発見されたので、発見者はNHK職員と思われるが、発見者の名前は非公開である。NHK職員からコメントさえない。同じ職場の仲間が、不審な死に方をしているというのに。余りに冷たいではないか。何かコメントすると、自分も永遠に冷たくなると思っているのだろうか。
発見日(15日)と発表日(17 日)に2日のズレがあるのもおかしい。不審死なのに、警察は検死解剖をしていない。つまり、警察は他殺と判断せず、自殺と判断したのだろうか。新聞報道は、この件の扱いが小さいだけではない。「転落死」と記すだけで、自殺なのか事故なのか他殺なのか、さらには、転落ではなくて別の死因があるかもしれないのにその可能性の追究をしていない。例えば、どこからか運んできて転落死を装ったものかどうか、などの可能性の追究をしていない。
長谷川氏の死体が発見された場所は、解説員室がある建物の下で、自殺だと仮定すれば、長谷川氏は、自分のデスクの後ろの位置の窓を開けて、飛び下りたことになる。
NHKは2001年10月10日23時から放送された長谷川浩らが出演した番組の録画を公開することを拒否している。この番組のVIDEOは、埼玉県川口市にあるNHKアーカイブスでも拝見することはできないだろう。

とにかく、権力側はこの件を多くの人々が知るのを嫌がっているようだ。また、知っている人の記憶から、一刻も早く忘却させたいのだろう。だったら、私は多くの人々にこれを広め、忘却させないために、機会あるごとにネットに書きまくる!
昨年は長谷川浩が逝去されてからちょうど10年、より多くの人々が彼のことを知るとともに、それを隠そうとしている勢力について知るべきである。
こうしてPCに向かい、文章を打っている際、あの世の長谷川浩からPOWERを頂いているのか、すこぶる快調である。
(3)権力側が何かを国民に知らせたくない時
権力側が何かを国民に知らせたくない時や国民の意識を別な方向に向けたい場合に、マスコミが別な話題で持ちきりになるようにし向けたのではないかと思えることがよくある。
古くは1958年、警職法反対闘争に国民の意識が向かう際、闘争に水をさすかのように皇太子の婚約発表がなされたり、新しくは、2011年2月7日の石川議員公判で検察の犯罪行為が次々と明らかにされるかもしれない(ここで石川議員に対して、検察が誘導して証言 させた事の証拠を示すテープが公開されることになっていた。)ので、これに関する報道から国民の目をそらす為、大相撲八百長集中報道が洪水のごとく垂れ流されていた例などが挙げられる。
警職法反対闘争
なお、村木元厚労省局長無罪判決時も同様な手口が実行されたとも考えられる。

もちろん、腐りきった大相撲界を糾弾するのは正しいことである。だけど、これって、今に始まったことではない。2000年1月21日、日本外国特派員協会での講演で元小結・板井圭介が現役時代の八百長を認め、八百長にかかわった横綱・曙太郎以下20名の力士の実名を公表した。
つまり、板井が土俵で「痛ーい!」と言っても、痛くなかったのかもしれない。

相撲の八百長は、この事例をはじめ実に数多くの事例がある。つまり、大相撲八百長集中報道に接した多くの人々は、怒りを感じるというより、「またか」という思いが強いと思う。
(4)ジャーナリストの鑑
さて、2001年10月のイランの『テヘラン・タイムズ』が、公然たるシオニストの攻撃として、「他殺」の線で報じたのがこのNHK「怪死」事件だった。
つまり、イランのマスコミは、ユダヤ人が長谷川浩を殺したと断じたのである。
当時、ほとんどのメディアが大きく取り上げなかったから、いわば「闇に葬られた事件」となってしまった。だから、日本人の多くは、残念なことに長谷川浩の死(おそらく他殺)を知らない。したがって、大本営発表の「イスラム過激派による同時多発テロ」という公式見解を、日本人の多くは素朴に信じている。
今や高校生が使う世界史の教材にもその公式見解が載っている。
長谷川浩は、9・11事件の謎を追っているうちに、世界貿易センターで犠牲となった被害者の国籍別人数を調べていた。
そこで、この事件の本質とその謀略の本質を察知して、本来はあの日に勤務していなければならない筈のイスラエル国籍をも有するユダヤ人があそこにいなかったと言うことを知ってしまったのである。
そこで、長谷川浩は「イスラム過激派による同時多発テロ」だと決め付けることに躊躇したと拝察される。
故解説主幹長谷川浩は、「皆様のNHK」の立場にたって、公正中立にこの事件を報道した。まさにジャーナリストの鑑である。
長谷川浩が逝去された翌年(2002年)、三井環が嵌められた。
1月28日(土)午前0時過ぎ、NHK総合テレビから流れる前日(2011年1月27日)の国会での「国民新党・新党日本」の田中康夫代表による衆議院本会議での涙ものの代表質問をBGMにしながら、この文章を書き始めました。
2011年1月27日 「国民新党・新党日本」の田中康夫代表による衆議院本会議での代表質問
まず、前回の記事を投稿してわずか数時間後に、123様とplanz様より貴重なコメントを賜りました。ありがとうございます。
私が、マルクス経済学の用語を使用したので、123様のコメントは、「ネット右翼(「ネット左翼」と言う言葉は余り聞かない)にいじめられると困るから、マルクス経済学の用語は余り使わない方がいいかも。」と言う親切なアドバイスのように感じました。また、ユダヤの批判も、「モサドが怖いからしない方がいいかも。」と言うメッセージのように感じました。解釈が違うかな?
planz様のブログのコメント欄で、拙ブログに123様がアクセスしにくいととの話を拝見しました。
何度も書いているように、私のブログは訪問者もそう多くはない秘境駅のようなブログですので、そうそう弾圧されることもないと思うのですが。
もし弾圧されたとしたら、名誉なことかもしれないですね(笑)。
むしろ、命がけで高天原事変(日航123便墜落事故)真相究明に尽力している123様に対する弾圧のような気がするのですが。
また、planz様のブログのコメント欄で、拙ブログ内の地震の拙文について「エクセレント」などと言う過分のおほめの言葉を賜りました。恥ずかしい限りです。
それはさておき、書きかけのテーマがいくつかあるのに、また別なテーマを掲げてしまいました。
マスコミの「大本営発表」を鵜呑みにせず、ネットなどで真実を知ろうとしている
方にとっては、わかりきったテーマかもしれません。
1月31日迄に、ある本に「ハザール王国の興亡」と言う原稿を書かなければならず、このブログもそれに関連したテーマにしたいと思い、このテーマにしました。
(2)変死体発見!
1980年代は、木村太郎氏のようなジャーナリスト(ジャーナリストの名にふさわしいかどうか?)もいたが、少なくとも現在よりははるかに当局の発表に疑問を呈するジャーナリストは多くいた。
現在も0ではない。しかし、以前より減っている。それは21世紀に入ってから、そうした骨のあるジャーナリストや内部告発者やコメンテーターが殺されたり、嵌められて社会的信用を失墜したりすることが多くなっているからだと推測される。

この方が、故・長谷川浩である。年配の方は、「ああTVで見たことある。でも、最近見ないね。」と思われるかもしれない。
見ないはずである。2001年10月に逝去されているのだから。
NHK解説員主幹の長谷川浩が2001年10月10日23時からの特別番組で「WTCビルでの犠牲者を国籍別に調査したところ、WTCに勤務先があるアメリカとイスラエルの二重国籍をもつ約4000人のユダヤ人は一人も死んで無かった」と報告した。

2001年10月15日、NHK構内で長谷川浩は変死体で発見された。NHK構内で発見されたので、発見者はNHK職員と思われるが、発見者の名前は非公開である。NHK職員からコメントさえない。同じ職場の仲間が、不審な死に方をしているというのに。余りに冷たいではないか。何かコメントすると、自分も永遠に冷たくなると思っているのだろうか。
発見日(15日)と発表日(17 日)に2日のズレがあるのもおかしい。不審死なのに、警察は検死解剖をしていない。つまり、警察は他殺と判断せず、自殺と判断したのだろうか。新聞報道は、この件の扱いが小さいだけではない。「転落死」と記すだけで、自殺なのか事故なのか他殺なのか、さらには、転落ではなくて別の死因があるかもしれないのにその可能性の追究をしていない。例えば、どこからか運んできて転落死を装ったものかどうか、などの可能性の追究をしていない。
長谷川氏の死体が発見された場所は、解説員室がある建物の下で、自殺だと仮定すれば、長谷川氏は、自分のデスクの後ろの位置の窓を開けて、飛び下りたことになる。
NHKは2001年10月10日23時から放送された長谷川浩らが出演した番組の録画を公開することを拒否している。この番組のVIDEOは、埼玉県川口市にあるNHKアーカイブスでも拝見することはできないだろう。

とにかく、権力側はこの件を多くの人々が知るのを嫌がっているようだ。また、知っている人の記憶から、一刻も早く忘却させたいのだろう。だったら、私は多くの人々にこれを広め、忘却させないために、機会あるごとにネットに書きまくる!
昨年は長谷川浩が逝去されてからちょうど10年、より多くの人々が彼のことを知るとともに、それを隠そうとしている勢力について知るべきである。
こうしてPCに向かい、文章を打っている際、あの世の長谷川浩からPOWERを頂いているのか、すこぶる快調である。
(3)権力側が何かを国民に知らせたくない時
権力側が何かを国民に知らせたくない時や国民の意識を別な方向に向けたい場合に、マスコミが別な話題で持ちきりになるようにし向けたのではないかと思えることがよくある。
古くは1958年、警職法反対闘争に国民の意識が向かう際、闘争に水をさすかのように皇太子の婚約発表がなされたり、新しくは、2011年2月7日の石川議員公判で検察の犯罪行為が次々と明らかにされるかもしれない(ここで石川議員に対して、検察が誘導して証言 させた事の証拠を示すテープが公開されることになっていた。)ので、これに関する報道から国民の目をそらす為、大相撲八百長集中報道が洪水のごとく垂れ流されていた例などが挙げられる。
警職法反対闘争
なお、村木元厚労省局長無罪判決時も同様な手口が実行されたとも考えられる。

もちろん、腐りきった大相撲界を糾弾するのは正しいことである。だけど、これって、今に始まったことではない。2000年1月21日、日本外国特派員協会での講演で元小結・板井圭介が現役時代の八百長を認め、八百長にかかわった横綱・曙太郎以下20名の力士の実名を公表した。
つまり、板井が土俵で「痛ーい!」と言っても、痛くなかったのかもしれない。

相撲の八百長は、この事例をはじめ実に数多くの事例がある。つまり、大相撲八百長集中報道に接した多くの人々は、怒りを感じるというより、「またか」という思いが強いと思う。
(4)ジャーナリストの鑑
さて、2001年10月のイランの『テヘラン・タイムズ』が、公然たるシオニストの攻撃として、「他殺」の線で報じたのがこのNHK「怪死」事件だった。
つまり、イランのマスコミは、ユダヤ人が長谷川浩を殺したと断じたのである。
当時、ほとんどのメディアが大きく取り上げなかったから、いわば「闇に葬られた事件」となってしまった。だから、日本人の多くは、残念なことに長谷川浩の死(おそらく他殺)を知らない。したがって、大本営発表の「イスラム過激派による同時多発テロ」という公式見解を、日本人の多くは素朴に信じている。
今や高校生が使う世界史の教材にもその公式見解が載っている。
長谷川浩は、9・11事件の謎を追っているうちに、世界貿易センターで犠牲となった被害者の国籍別人数を調べていた。
そこで、この事件の本質とその謀略の本質を察知して、本来はあの日に勤務していなければならない筈のイスラエル国籍をも有するユダヤ人があそこにいなかったと言うことを知ってしまったのである。
そこで、長谷川浩は「イスラム過激派による同時多発テロ」だと決め付けることに躊躇したと拝察される。
故解説主幹長谷川浩は、「皆様のNHK」の立場にたって、公正中立にこの事件を報道した。まさにジャーナリストの鑑である。
長谷川浩が逝去された翌年(2002年)、三井環が嵌められた。
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