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2172.近藤真彦挨拶🤣「ジャーニーさんは裏の仕事で頑張られた方」

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↑画像 2019・夏・海67 2019水着シリーズ53 nonno アメリカ合衆国 北マリアナ諸島自治連邦区 サイパン島 友菜、ふみか、優華がお手本♡ #BAE なトレンド #水着 2018! #サイパン の穴場 #ビーチ も♪ 友菜、ふみか、優華がお手本♡

(1)北マリアナ諸島

 今回の冒頭の写真の撮影現場は、アメリカ合衆国北マリアナ諸島自治連邦区サイパン島です。北マリアナ諸島自治連邦区、通称北マリアナ諸島は、ミクロネシアのマリアナ諸島のうち、南端のグアム島を除く、サイパン島やテニアン島、ロタ島などの14の島から成るアメリカ合衆国の自治領(コモンウェルス)である。主都は、サイパン島のススペ。

(2)戦世の記憶 戦争体験者多言語証言映像 サイパンでの戦争。生き地獄。生きた人間のやることじゃない

https://youtu.be/sZhzFsjWSow
↑動画 サイパンでの戦争。生き地獄。生きた人間のやることじゃない。 沖縄県平和祈念資料館

伊波 秀雄さん (いは ひでお)88歳 (出身地:サイパン島南村アスリート)

【サイパンで、米軍の攻撃が始まる】
 
 私は、当時15歳で、国民学校高等科2年を卒業したばかりでした。サイパン実業学校というのがありました。当時の南洋庁立の中等学校です。

 私は、そのサイパン実業学校に受験し、合格して入学したばかりでした。4月に入学しましたが、6月には、戦争に遭いました。

 空襲があった日は、サイパン実業学校の友達と、海に出て、桟橋で泳いでいました。私たちが泳いでいた時、空襲警報が鳴りました。私は最初、訓練かと思っていました。しかし、それはまさに、アメリカ軍のグラマン戦闘機でした。大変なことになったということで、私は、カマチリ林に逃げ込みました。その日は、グラマンと日本の戦闘機の空中戦だけでした。

 その後、サイパン戦に突入した時は、もう大変でした。怖かったです。飛行場も、爆撃で燃えているのが見えました。怖かったです。島中が火の海になっていました。島の周囲は、何十隻というアメリカ軍艦が取り巻いていました。昼中は、ほとんど艦砲射撃や爆撃を浴びていました。

(当時の学校生活)

 当時は、小学校から軍事訓練を受けていました。戦争が激しくなってからは、学校の校舎は、全部、軍に接収されてしまいました。そこで、いわゆる山学校ということで、山に行って木の下で授業をしていました。竹槍訓練、足を鍛えるための徒競走、そういった内容が毎日の日課でした。特に実業学校に入ってからは、日本軍の飛行場で滑走路の基礎固めの作業をしていました。ほとんどが、このような生活でした。

(避難の様子)
 
 最初、南部のアスリートというところにある自宅の防空壕を逃げ出して、シナシス山を通り越して、ラウラウ湾へ行きました。ラウラウ湾の近くに行って、それから、チャッチャ(チャチャ)という地域に行きました。島に一カ所だけある小高い山を、タッポウチョウ山(タポチョ山)と言います。そこ通り越して、一カ所だけある水源地であったドンニーへ向かいました。さらに、東側のバナデルという海岸から、最後はマッピー(マッピ岬)へと追い詰められました。そこは、現在「沖縄の塔」という慰霊塔が建っている所です。そこまで追いつめられました。

 約1ヵ月間、ほとんど食事は取っていませんでした。食べるもの無いので、サトウキビをかじったり、パパイヤの幹の中の芯をかじったりしました。

 久志ターバさんという家族と、私の母方の兄弟で叔父の平良エイホウさん、私の父の伊波カマラー、母はカナと言いますが、この3家族で一緒に避難しました。久志ターバの家族だけは、逃げ遅れてしまし、その近くの壕に残っていました。結果的には、この家族だけが、無事に全員生き残っています。話によると、私たちが避難した日の翌日、すぐに、米軍の捕虜になったそうです。

(父の死、そして捕虜へ)
 
 私達の父は、戦争で戦死しました。ある日、午後2時頃、バナデルという海岸で、急に艦砲射撃がありまた。父は、顔面と左脇に大きな傷を負って大量出血のため、命を落としています。私は、その翌日、敵兵に囲まれて捕虜になりました。その2、3日後には、島は玉砕といわれる状況でした。もう、北の果てまで追いつめられていましたから。

(キャンプ(捕虜収容所)にて)
 
 キャンプでは、大人は軍作業に駆り出されました。キャンプには、アメリカの軍政府が作った学校が出来ましたので、子ども達はそこに通いました。収容者の中で、学校の教員をしていたとか、あるいは、公務員だった人達が、仮授業などを行っていました。日本の文部省が作った教科書に基づいた、日本語での教育でした。

(戦場での悲惨な光景を目の当たりにして)
 
 私には、悪夢のように、一生忘れられない悲しい思い出があります。艦砲射撃で足を切断された大人がいました。その人の足が、木の枝にぶら下がっていました。遺体は、その木の下にありました。

 もう一つの出来事は、夜、海岸縁に崖の下に避難しているときのことです。日本兵が隣に座っていると、僕は思っていました。しかし、夜が明けてみると、この日本兵は、銃口を自分の喉にあてて、自決していました。

 日本の軍部に対して、情けないと感じた体験があります。夜、平良さんと私たちの2家族で、大きな岩の洞穴に隠れていたときです。日本の将校が拳銃を向けながら、こちらにやってきました。「島は、我々軍部が守るんだから、民間人はここから出ろ」と、将校は言いました。私たちは、そこを追い出されてしまいました。日本の軍部に対して、非常に情けないという思いでした。

 追いつめられた海岸では、いろんなデマが飛び交っていました。大人が捕虜になったら、アメリカ軍は、捕虜をロープで束ねて、その上を戦車で轢き殺す。女と子どもはみんな、軍艦に乗せられて、アメリカに連れていかれてしまう。だから、絶対アメリカの捕虜にはなるなと、教えられていました。

 バナデルというところでは、その教えを守った親達が、自分の子どもを、海に投げ捨てていました。その翌日、私は、そこの砂浜で、捕虜になりました。その砂浜には、昨日、海に飛び込んだ子どもや、兵隊、民間人が打ち上げられていました。

 アメリカに対しては、鬼畜米英という皇民教育を徹底して受けていましたから、やっぱり、敵愾心はありました。しかし、収容所に行くと食料も与えてくれるし、学校も開いてくれるし、病院もあるし驚きました。

 戦前の実業学校では、英語教育とかは文部省や軍部から禁止されていました。しかし、私の英語科の担任は、私に「戦争に負けても勝っても外国人を理解するため、外国語も必要だから」と言っていました。そこで、軍部とか文部省に内緒で、私に英語を教えてくれていました。アルファベットや、ローマ字でした。あの当時、英語教育が大切だとおっしゃっていた英語の田島先生に対しては、先見の明があったな、という気持ちがあります。

 私が捕まった時の現場での話です。100メートル先に民家がありました。そこに日本兵が一人、潜んでいました。捕虜になるつもりで上半身裸、半ズボンの姿になり、歩兵の帽子をかぶっていました。両手を上げて捕虜になるつもりで出て来ました。しかし、運の尽きですね。アメリカ兵が、その日本兵に近づいていって、真正面から撃ち殺してしまいました。こういう悲劇も、私は、目の前で見ました。

 近くに農園がありました。避難民の食糧を補う為の農園です。そこには、女や子どももいました。時々は、強姦事件もあったようです。

 私にとって、一番に記憶に残っているのは、死刑囚になった新垣三郎さんと言う人のことです。この方は、サイパン実業学校での私の先輩でした。キャンプに、元日本兵が紛れ込んでいましたが、その元日本兵の殺人事件が起きました。事件のきっかけはこうです。元日本兵の親しい女の人が、キャンプに居たようです。元日本兵は、この女の人に会うために紛れ込んでいたようでした。この新垣三郎さんは、この日本兵を撃ち殺してしまいます。アメリカによる軍事裁判で死刑判決を受けてしまいました。後に改心して、牧師になって沖縄で生活したようです。

(敗戦を知った時)
 
 もう、残念という一言です。「勝つ」ということを信念としていましたから。いつかは、日本が、私たちを助けにきてくれるだろうというのが、当時の私達、子どもたちの願いでもあったし、夢でもありました。

(沖縄への強制引揚げ)
 
 日本人は、強制引揚げとなりました。日本の海防艦、小さな駆逐艦のような武装解除された船でしたが、それに乗せられました。おそらく、サイパンから3、4日かかったと思いますが、沖縄本島中部にある中城の久場崎という港、に上陸しました。インヌミヤー(インヌミ屋取:引き揚げ者の一時受け入れ地)と呼ばれる場所に、2、3日間、収容されました。そこから、石川の収容所に連れていかれました。

(あの戦争を振り返って)
 
 このときの体験を、私は、生き地獄と表現しています。戦争というのは、生きた人間がやることではありません。

 私は、まず、心の教育が大事だと思います。本当の平和を実現するためには、一人ひとりが、どう考えてどう行動すればいいかと考えるような、もっと現実的な教育が必要だと思います。

▼沖縄県平和祈念資料館
Okinawa Prefectural Peace Memorial Museum

(3)近藤真彦挨拶🤣「ジャーニーさんは裏の仕事で頑張られた方」

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【ジャニーさんお別れ会】参列タレント一覧
https://www.oricon.co.jp/news/2143728/full/?utm_source=Twitter&utm_medium=social&ref_cd=jstw003
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https://twitter.com/oricon/status/1169131191284457473

↑槍杉太!ヤマタケ!‏ @qarmy_jp
近藤真彦挨拶🤣「ジャーニーさんは裏の仕事で頑張られた方
鼻から珈琲を吹き出しましたw

↑Hit girl‏ @kie_pai
確かにジャニーさん、CIAでしたもんね😂😂マッチってバカなの❓🙄

(4)サイパンの戦い

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↑画像 日本軍の激しい攻撃の中でサイパン島に上陸するアメリカ海兵隊 出典はwiki

 サイパンの戦いは、太平洋戦争中、1944年6月15日から7月9日に行われたアメリカ軍と日本軍のマリアナ諸島サイパン島における戦闘。斎藤義次中将が指揮する第43師団を主力とした日本軍が守備するサイパン島に、ホランド・スミス中将指揮のアメリカ軍第2海兵師団、第4海兵師団、第27歩兵師団が上陸し、戦闘の末に日本軍は全滅した。このサイパンの戦いにともない、海上ではマリアナ沖海戦(6月19日〜20日)が発生した。

(5)直近の閲覧数TOP6

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↑画像 直近の閲覧数TOP6<2019年9月13日午前7時52分現在>

 今回もcount・down形式で紹介します。前回の2019年9月11日午前2時現在の直近の閲覧数TOP6、NO1に輝いたのは、「2162.本当にクリスタルライン沿道に東京23区内にある有名高校の女子生徒17名と引率の先生3名が埋められているのか?」でした。

 さあ、今回は2019年9月13日午前7時52分現在の直近の閲覧数TOP6の発表です。NO1に輝いた記事はどれか? Count down begin.NO6、前回のNO1からdown、「2162.本当にクリスタルライン沿道に東京23区内にある有名高校の女子生徒17名と引率の先生3名が埋められているのか?

NO5、coming back to TOP6CHART。TOP6CHART返り咲き。「2161.日本人の人間性や知性は、限界まで劣化してしまった。」 4位は前回の6位から再び4位返り咲き。「2154.黒い雪」 NO3、up one、前回の4位から3位に上昇、「2168.子供が世界中から消えている その一端をNHKが報道

NO2、up one、前回の3位から2位に上昇、「2169.数え切れない程の子供達が性奴隷にされ残虐に殺害されました。」 そして、2019年9月13日午前7時52分現在の直近の閲覧数TOP6、NO1に輝いたのは、CHART初登場のこの記事です!

2171.緊急投稿 小泉純一郎元首相はもうこの世にはいない。サメに食べられたようだ。
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-2624.html


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↓動画 防弾少年団<BTS> in サイパン
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