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2101.長崎原爆起爆時、本当は快晴だったのに曇りと嘘をつき続けているのはなぜか? PART2

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↑画像 〒850-0918 長崎県長崎市大浦町5-26 長崎市立梅香崎中学校 欅坂46(撮影当時) 長濱ねる 「また会ってください」PV撮影場所
http://blog.livedoor.jp/fumichen2/archives/48171869.html

(1)晴れた11時のこと、家には縁側から斜めに陽がさしていたそうです。

 「2079.長崎原爆起爆時、本当は快晴だったのに曇りと嘘をつき続けているのはなぜか? PART1」の続きです。被爆者は当日、快晴だった事を結構覚えています。被爆者は高齢なので、その記憶をネットに書き込む方はとても少ないのですが、僅かながらあります。

 ネットでの原爆体験記事の多くは被爆者からの聞き取り報告です。爆心地とされる場所から約500メートル、原爆で焼け落ちた浦上天主堂にも近い場所にいた方からの聞き取りの報告がネット上に昨日2019年8月15日にUPされました。

 タイトルは<最後の被爆地・長崎出身の私が家族に聞いた「数十年後に表れた原爆の恐怖」 1945年8月9日の長崎は快晴だった>です。「最後の被爆地」という言葉は二つの意味で正しくない。

 一つはその後も所謂「核実験」は継続され、ビキニ諸島をはじめ被爆地がたくさんある事。「核実験」とはされていませんが、福島原発とその周辺も被爆地です。

 もう一つは「805.旧日本軍の最終兵器とされた殺人光線【Z】は、広島・長崎・123便に繋がったのか?」の「(5)核兵器は存在しない」などに書いた通り、原爆といわれる出来事は核兵器の使用ではない可能性があるからです。


 <転載開始>晴れた11時のこと、家には縁側から斜めに陽がさしていたそうです。瞬間、気を失って倒れたといいます。気がついたら、陽が差していたところは、真っ黒に焼け、家は屋根が飛び、大方壊れていました。母と弟を探し、命からがら外へ出ます。

 そこは、地獄でした。近くを流れる小川に人があふれ、生きたまま皮をはがれたような血の塊になっている人間らしきもの、骨が出ている人、頭が割れている人、真っ黒に焦げている人。折り重なるすでに息絶えた人々。空は昼間のはずなのに真っ暗で、黒いなヒョウのような雨が降っていたそうです。水を、と足をつかまれたり、すがりつかれたりしながら、恐怖でたまらなくなり、とにかく山の方へ逃げました。うめき声と悲鳴と泣き声の中で、昼なのか夜なのかわからない時間を過ごし、飲んではいけないとも知らず、黒い水もみんな飲んでいたそうです。

 3人は生き延びます。しかし、60歳を前に、叔父は肺がんを宣告されました。翌年、いっしょに逃げた弟も肺がんに。煙草も吸わないし……なぜ?と、急にあの日のことを思い出します。一緒に逃げた母親も若くして肺がんで亡くしていました。

 しかもそれはただの肺がんでは終わりませんでした。多発性がんの恐怖がはじまったのです。まず肺にあらわれたがんは切除したが、次に肝臓がんに。ただし、この肝臓がんは転移ではなかったのです。さらに再び肺に。こちらも転移ではない。宿主が複数の多発性のがん。

 爆心地からのサバイバー被爆者であること、その人たちに多く見られる多発性のがんであることから、インターフェロンや新薬、さまざまな治療が試されました。激しい副作用とも戦い、新薬の治験も受けます。

 原爆症に認定され、国から特別手当も支給されるようになりました。特別手当は、命と引きかえにもらうものです。

 毎年、手術し、毎年現れる新しいがん。家族は落胆するばかりでした。しかし、本人は宣告されるたびに、強くなるようにさえ見えました。叔父の中に生まれた、伝えたいという気持ちに、怒りも加わって、どんどん強くなっているように思いました。そして、新聞やテレビからの取材も受けるように。取材は貴重な原爆後障害の記録に捧げられました。

 子供がいなかった叔父に、わが子のようにかわいがってもらって私は、ずっと闘病を見守りながら、できるだけ長崎へ帰り、叔父からたくさんの話を聞きました。ビデオもまわしました。

 「あれが、今になって、こう出てくるとはね……。恐ろしかね」 生来は口数の少ない叔父は目にいっぱい涙をためて言いました。同じ時期に発病した叔父の弟は、闘病1年足らずで先に逝きました。

 最後に見舞ったとき、全身をがんが浸食し、ガリガリに痩せて、どう横になっても痛くてたまらない姿で、来てくれてありがとうと握った手が、いまも忘れられません。70歳での訃報を旅先の富良野のホテルで聞き、私は泣き崩れました。<転載終了>

(2)峰徹さんの証言

 <転載開始>当時9歳だった峰徹さんは、原爆が落ちた瞬間、それを大きな雷だと思ったという。「あの日はとてもよく晴れていました。突然、目がくらむほどの閃光が走ったのです。はじめは雷だと思ったのですが、快晴の空に雷は変だとすぐに気付きました」と、爆心地から南西約2.5キロメートル(1.6マイル)離れた自宅にいて原爆の難を逃れた峰さんは話した。<転載終了>

(3)ポポ山に祈りを込めて 美輪明宏さん 長崎原爆投下「戦後70年あの夏」 転載記事 赤文字・太字は福田元昭の判断

https://ameblo.jp/pikmin18/entry-12188307344.html

 2015年8月9日の読売新聞(西部本社・福岡市)から転載します。画像はネットからお借りしました。

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■「ピカッ・・・・地獄に一変」

 父は長崎市の丸山遊郭と呼ばれた花街近くでカフェを経営していて、上の階が自宅でした。爆心地の南東約4キロのあたりです。戦時中、水商売は享楽的で不謹慎とされ、店は閉鎖されていました。

 1945年8月9日の朝は雲一つない快晴でした。2階の窓は、一面ガラス張りでした。10歳の私は窓際で、夏休みの宿題用に御伽草子(おとぎぞうし)の万寿姫の絵を描いていました。

 でき上がりを確かめようと、2~3歩後ろに下がった途端、ピカッ。何千ものマグネシウムを焚いたような白い光でした。こんな良い天気なのに雷光なんてと、不思議に思いました。

 一瞬、シーンと静寂に包まれ、世界が息を潜めているみたいでした。その後すぐ、ドッカーン。今度は世界中の音という音をすべて集めたような、すさまじい大音響がとどろき、家がぐらぐら揺れて傾きました。

 部屋の奥にいたお手伝いさんに促され、2人でふとんをかぶったら、空襲警報が鳴り出しました。階段を駆け下り、爆風で机の下に飛ばされていた兄を起こし、3人で防空壕に向かおうと表に出たところ、いつもの景色が一変しています。

 隣の劇場は天上がすっぽり落ちていました。勤労奉仕の女子挺身(ていしん)隊の宿舎になっていた高い建物はぺちゃんこでした。

 「うちはよかけん、早う逃げて」 「なんば言うとね。しっかりせんばいかん」・・・・・。そのうち、堀の下敷きになった友人を一生懸命引っ張り出そうとしていた女性の髪に火が付きました。消防団の人が飛んで来て、防空頭巾ではたいて消して、引きずって連れて行きました。残された女性は、安堵したように目をつぶりました。そこはまさに地獄でした。

■「あの夏」

 家の前で荷車を引く馬が倒れ、馬方らしきおじさんが、フライパンの上で煎った豆のようにぴょんぴょん跳ねて何か叫んでいました。やけどが痛くて仕方がなかったのでしょうか。

 「助けてくれえ」。私は誰かに手をつかまれました。その人の腕の肉がずるりとむけて、私の手首にまつわりつきました。一目散に走って、たどりついた防空壕はさらなる阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄絵でした。

 服なのか皮膚なのかわからないほどに全身焼けただれた人が次々に運び込まれてきました。「あの人死んだら、私も死ぬとよお」。血だらけの足をひきずって外へ出ようともがく女子学生を、母親が必死に止めようとしていました。彼女、長崎医科大学に恋人がいたらしいのです。

 そこへ父が戻ってきました。カフェ閉鎖後は金貸し業を営み、浦上地区へ集金に行く予定でした。でも、天気が良いので釣りをしに海に向ったそうで、運良く助かりました。近くにある父の生家に避難することになり、防空壕を出ました。

 振り返ると長崎の街は天を焦がして燃え続け、黒煙に覆われていました。

■「髪が抜け 貧血に苦しむ」

 後でわかったのですが、私はたまたま窓から数歩下がったので光線に直接当たらず、ケロイドにならなかったのです。それでも髪の毛は抜け、貧血で突然倒れるといった症状に17歳くらいまで悩まされました。

 本当にたくさん悲劇を見てきました。私に絵を教えてくれたボーイの三ちゃんに召集令状が来て、長崎駅へ見送りに行った時のことです。汽車のデッキに立って敬礼する彼の足元に、出発寸前、「死ぬなよお、どんげんことあっても帰って来いよ」としがみつく小柄な女性がいました。母親でした。

 すぐに憲兵が来て、「国賊者!軍国の母がなぜ立派に死んでこいと言わんのだ」と引きずり倒したのです。母親は鉄柱に頭をぶつけ、血みどろでした。それを敬礼しながら見ている三ちゃんの気持ちはどんなだったでしょう。


■「戦争の正体 理不尽で悲惨」

 戦時中は理不尽で悲惨なことばかり。それが戦争です。政治家にも戦争体験のない世代が増えて、戦争の正体がわかっていない。歯がゆく思います。

 15日の玉音放送は自宅のラジオで聞きました。軍国少女の姉は大声で泣き伏して「女子挺身隊」と書いた手ぬぐいで顔を隠し、「あんたたち、大きゅうなったらこの仇ば討つとよ」と言いました。

 私は「これで、戦争前のあの洗練された美意識の時代に戻れる」とほっとしました。それを口に出せば非国民と怒られるので、胸にしまっておきましたけど。

 母を早くに亡くし、周りは水商売という環境で、3歳から大人扱いされて育ちました。幼心に男女間の駆け引きを分別し、耽美主義(たんびしゅぎ)に逃避する子供になっていました。

 自宅隣の劇場では、戦火が激しくなるまでレビューや歌舞伎、日本やフランスの映画もやっていました。

 文字を教えてくれたのはカフェで働く人たち。いわくありのインテリが多かった。小学生でエミール・ゾラなんかの難しい本を音読すると喜んで拍手してくれるので、頑張って覚えました。お姉さんたちが上海で触れてきた音楽やダンスの話を聞くのも好きでした。

 戦前は不条理な封建制度以外は良いところがありました。ゴーギャンもロートレックも魅惑された、世界に冠たる素晴らしい文化があったのです。

 平民宰相・原敬がとても良いことを言っています。資源のない日本で唯一誇れる資源は人材である、と。それって文化でしょ。日本が世界で生きていくためには、これを生かした平和産業しかありません。

 若い人には精神的栄養失調に陥らないように、質の良い文化に触れていただきたいと切に願っています。

 以上、美輪明宏さんのお話でした。 

♠インタビュー聞き手の編集委員 永峰好美さんの感想

■「今でもフラッシュバック」 

 長崎原爆で被害が大きかったのは金比羅山(標高366メートル)西側の浦上地区で、熱線や爆風による直接被害は同地区にほぼ限定された。山の南側に広がる中心街は全滅を免れた。

 浦上天主堂近くに祖母の家があり、美輪さんは心配で、父親に内緒で何度か1人で訪ねている。そこは見渡す限りの焼け野原だった。原爆投下の日、祖母は家にいなくて助かった。

■「傷ついた人々、異臭・・・・」

 途中で見たのは、やけどでゆがんだ唇で水を飲んだ後、「ありがとうございます」と手を合わせて死んだ女性、鉄棒のようになった手で全身にわいたウジを払っていた男性、異臭が漂っていた夜の死体置き場、大きなひとだま・・・・。

 「今でも何かにつけてフラッシュバックするんです」。美輪さんが静かに語った言葉が忘れられない。

 読売新聞社と広島大平和科学研究センターが今年、共同で行った広島・長崎での被爆者意識調査でも、当時10~14歳だった人の93%が「今も被爆時のことを思い出す」と回答。子供の頃に受けた心の傷の深さをうかがわせる。

 「犠牲になった方たちの叫び。それを歌い続けていきますよ」。美輪さんの強い思いがあった。

(4)原爆=マグネシウム爆弾

>2~3歩後ろに下がった途端、ピカッ。何千ものマグネシウムを焚いたような白い光でした。

 有名なRAPT氏は、「原爆=マグネシウム爆弾説」を主張しています。

(5)2019 広島・長崎

★リテラ 「原爆の記憶」が破壊される! 安倍首相は長崎式典でまたコピペ、佐世保市は「核廃絶は政治的中立侵す」と原爆写真展を拒否
https://lite-ra.com/2019/08/post-4891.html

尾張おっぺけぺー ㊗️自民161連休 🎉‏ @toubennbenn 2019年8月6日広島、8月9日長崎での安倍さんの挨拶です。長崎では広島のコピペ、その広島も昨年のコピペ、それもまた・・・とコピペに次ぐコピペ状態ですが、ともかく今年の広島と長崎の様子を映像でどうぞ。(動画は最初の部分は位置を揃え、あとは時間のズレのみ調整。4分程度の挨拶を2分に編集)
https://twitter.com/toubennbenn/status/1159778723085737984

 「長崎原爆起爆時、本当は快晴だったのに曇りと嘘をつき続けているのはなぜか? PART3」に続きます。


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↓動画 はだしのゲン
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Comment

ネメシス #-

>2~3歩後ろに下がった途端、ピカッ。
>何千ものマグネシウムを焚いたような白い光でした。

>有名なRAPT氏は、「原爆=マグネシウム爆弾説」を主張しています。

たった一回の爆発で、広島の街を壊滅させるだけの威力を、
マグネシウムの燃焼反応(化学反応)だけで実現させるには、
いったい何万トンのマグネシウムが必要とされるのでしょうね?
そしてそれを、600m上空の爆発地点へ運び上げるには
どのような手段を用いたのでしょうか?

あなた方、原爆地上起爆説論者たちは、
こういった一番基本的な疑問点に何一つ答えられないまま、
都合の悪いことには無視を決め込んで
どんどん話を勝手に進めていっているだけなのです。

先日の 「じげもん氏の吐いた嘘」 に関しても、
結局は知らん顔ですからね。(笑)

2019/08/17 (Sat) 17:25 | URL | 編集 | 返信

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