1859.宮崎勤はクライシスアクターだったのではないか?

↑画像 2019薔薇シリーズ7 早田ひな
(1)宮崎勤はクライシスアクターだったのではないか?
「1858.宮崎勤事件はリクル―ト事件のスピンだったのか?」の続きです。「スピン」という言葉を使用していないものの、ほぼ同じ主張は既にネット論客の先達がなさっています。今回は宮崎勤事件に関して、ネット論客の先達が踏み込んでいない領域に踏み込もうと考えています。「宮崎勤はクライシスアクターだったのではないか?」という主張はネット論客の先達はまだなさっていない様です。
私は宮崎勤はクライシスアクターだったと考えています。死刑執行されたとされる時期以降は、東京都八王子市にある新多摩変電所地下施設に生きているかもしれないと考えています。
(2)2019年と1973年
1973年のオリコン週間ランキングは、現在と違い1週間だけの1位は少なかった。73/04/09-73/05/07の5週連続で1位に輝いた天地真理の「若葉のささやき」はそのシーズンにふさわしいHIT曲でした。

↑画像 『若葉のささやき・海にたくした願い / 天地真理』
「若葉のささやき」の次のオリコン週間ランキングNO1に輝いたのが、浅田美代子の「赤い風船」でした。73/05/14-73/06/11の5週連続で1位に輝きました。

↑画像 浅田美代子 赤い風船LP
1973年のオリコン週間ランキングNO1HITはたった13曲しかありません。近年のオリコン週間ランキングNO1HITはほとんど1週間だけの1位ですから、オリコン週間ランキングNO1HITは1年で50曲くらいあります。隔世の感があります。
一方、アメリカのHIT・CHARTの代名詞とも言える「Billboard Hot 100」のNO1ですが、近年は1位の曲数がとても少ない状況です。つまり1度1位になると何週も1位をkeep on する曲が多いのです。
2015年の「Billboard Hot 100」のNO1はたった8曲しかありません。ところが1973年の「Billboard Hot 100」のNO1は何と28曲もあります。同じ年のオリコン週間ランキングNO1HITの倍以上あります。
73/04/21-73/05/12の4週連続でNO1に輝いたのが、TIE A YELLOW RIBBON ROUND THE OLE OAK TREE by Dawn featuring Tony Orlando (幸せの黄色いリボン)。ドーンのこの曲は年間CHART・NO1です。山田洋次監督による高倉健主演の映画「幸福の黄色いハンカチ」のベースとなった曲です。73/05/19のNO1は、YOU ARE THE SUNSHINE OF MY LIFE by Stevie Wonder (サンシャイン)。73/05/26のNO1は、FRANKENSTEIN by Winter Edgar Group
これらのHIT曲が1位だった1973年5月、学校行事の遠足で東京都八王子市にある今熊山に登りました。当時、私は高校1年生でした。八王子市と言ってもその山は宮崎勤の実家があった東京都西多摩郡五日市町<当時>に近い山でした。私達は国電武蔵五日市駅に集合しました。当時は現在の様な高架駅にはなっていませんでした。

↑画像 JR武蔵五日市駅
2015年3月のダイヤ改悪でデイタイムの本数が2本に改悪されたので、現在は画像の時刻表ほどの本数はありません。これについては「たいたらくのJR」というタイトルの記事で述べる予定です。
1973年は現在と違い、多くの日本人が2019年より将来の日本に希望を抱いていました。1973年10月に起きた第四次中東戦争の影響で第1次オイルショック(第1次石油危機)が起き、経済の高度成長は終焉しましたが、それでも多くの人々は現在より将来の日本に希望を抱いていました。人口増加が続いていた事や現在の様な売国奴政治が展開する度合いが低かった事が要因と考えられます。
(3)今熊山 (東京都)

↑画像 ミツバツツジが咲く今熊山
今熊山の近くに新多摩変電所はあります。何回か書いている通り、変電所の地下には地下原発がある可能性が高い。新多摩変電所は大きな施設です。ですからこの地下には大規模な地下原発とそれに付随する施設があると考えられます。クライシスアクターだった宮崎勤は、その新多摩変電所地下施設に生きているかもしれない。

↑画像 地図:今熊山と新多摩変電所
(4)埼玉県入間市の入間ビレッジ→東京都八王子市の東京電力新多摩変電所先の空き地

↑画像 埼玉県入間市の入間ビレッジと、今野真理さんを宮崎勤氏が誘拐したとされる現場の歩道橋。手前の建物が今野さん宅のあった7号棟。奥が8号棟。

↑画像 宮崎勤氏に殺害されたとされる女児4名。右から2番目が今野真理さん。検索エンジンに「今野真理」と入力すると、付属語の2番目に「かわいい」が出てくる。
http://scoopingly59.rssing.com/chan-38671894/all_p54.html
さて、話は1858の(5)の続きです。不安がらせないようにする為に、「寝てもいいよ。お昼寝するんでしょう。」と宮崎は真理ちゃんに話しかけたとされる。1858の(5)の言葉を含めて、かなり経ってからの言葉を人間は鮮明に記憶しているだろうか。それも複数の言葉を。wikiによれば、宮崎勤氏の高校に入ってからの成績は下降の一途だったというし。

↑画像 逮捕後の宮崎勤 高校時代の宮崎勤
1988年8月22日の話に戻ろう。宮崎勤は東京電力新多摩変電所先の空き地へ乗り入れ真理ちゃんを下ろしたとされる。「今度は電車に乗ろうね」と述べたとされる。ハイキングコースを1キロばかり歩き、「ここで休もうね」と宮崎が言い、日向峰山林内で並んで腰を下ろすと真理ちゃんがシクシク泣き出したとされる。鳴き声がハイキングコースを通る人に聞かれると怪しまれて犯行が発覚すると思い殺すことにしたとされる。

↑画像 宮崎勤事件関連地図 新小峰トンネルは当時ありませんでした 当時はあきる野市ではなく、西多摩郡五日市町です。
(5)東京電力新多摩変電所

↑画像 東京都八王子市 東京電力新多摩変電所
今でこそガス絶縁開閉装置で省スペースの大出力変電所が建設出来るようになりましたが、昔はある程度の広さがないと、大出力でかつ多系統の送電線を扱う変電所を建設する事が出来ませんでした。東京都の場合、殆どが住宅地で大きな変電所を作るのが困難なため、重要な変電所は周囲の県に建設していきました。
しかし、東京都八王子西部の山地はそこそこ土地があったため、東京都では珍しく超高圧変電所の新多摩変電所が建設されました。GIS導入の完全屋内&地下式変電所の新豊洲変電所が出来るまで、新多摩変電所は東京都唯一の超高圧変電所でした。
(6)魔がいるわ

↑画像 今野真理ちゃん事件を報じるテレビ画面
1988年8月22日の話に戻ろう。宮崎と真理ちゃんは並んで座っていたが、宮崎が真理ちゃんの前に回ると真理ちゃんはビックリした表情を見せたが、すぐに宮崎が親指を真理ちゃんの首に当てると真理ちゃんは宮崎の顔を見て、宮崎のすることを悟ったような目つきだったとされる。怨んでいるような目なので、顔をそむけて覆いかぶさって押し倒し、体重をかけて首を絞めたとされる。翌23日朝、杉並のレンタルビデオ店に行き、ビデオカメラを借りて再び殺害現場に立ち寄ったとされる。
その場で死体の陰部などに指を入れるなどし、ビデオ撮影したとされる。真理ちゃんの衣服を自宅に持ち帰り、物置に隠したとされる。4か月後の1988年12月15日ころ、テレビ報道で真理ちゃんの母親が娘の身を案じているのを知り、真理ちゃん宅に、「魔がいるわ」と書いたハガキを送ったのは、生きていると思わせたかったからで、「入間川(いるまがわ)」をもじって、「魔がいるわ」としたとされる。

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↓動画 2019薔薇シリーズ8 Sexy Zone

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