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1811.権力者&その息子にとっての強姦天国・日本 PART2

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↑画像 2018→2019冬の風景28 2019年公共交通機関利用促進キャンペーン・鉄道10 新潟県南魚沼郡湯沢町 JR東日本 上越新幹線 上越線 越後湯沢駅 駅前 欅坂46 上村莉菜と尾関梨香 1810の冒頭の写真の続きです。
http://keyakizaka-46.org/archives/21268.html

(1)スーパームーン

 「1810.権力者&その息子にとっての強姦天国・日本 PART1」の続きです。スーパームーンの話題、もっと早く書けば良かったですね。少し時機を逸してしましました。2019年2月20日の満月は2019年で最も大きな満月になりました。19日の深夜から20日の明け方にかけての最大の満月をご覧になりましたか。満月の日に巨大地震が起きやすいと言いますか、起こされやすいので心配なさっている方がいらっしゃるかもしれません。今回も見えない存在によれば巨大地震は起きないとの事です。外れたら申し訳ありません。

(2)欽明天皇の娘がレイプされた

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↑画像 大王家 系図
https://colorfl.net/suikotenno-kakeizu/

 斎宮はしばしば強姦されていた。高貴な身分とされる皇女であり、神聖な巫女でもある彼女たちはどうして凌辱されたのだろうか。

 飛鳥時代の西暦576年、一人の少女が犯された。彼女の名前は磐隈皇女 (いわくまのひめみこ)。夢皇女 (ゆめのひめみこ)という美しい名前でも呼ばれた彼女は、時の天皇、欽明天皇の娘だった。推古天皇は彼女の妹にあたる。

(3)用明天皇のレイプ

 日本最初の女性天皇・推古天皇となる額田部皇女には4人の男の兄弟がいました。彼女の父であり娘が強姦された第29代欽明天皇が亡くなると、最初は長兄が第30代敏達天皇として即位しました。なお数値は実在が疑われているともいわれている神武天皇を初代としています。

 額田部皇女は、18歳で敏達天皇と結婚しました。異母兄ですが、この時代近親婚は普通でした。日本史の教科書に掲載されている古代の天皇家や藤原氏などの系図は近親婚の嵐です。

 敏達天皇が早世すると、通例通り男子が皇位を継ぎました。額田部皇女の兄か弟にあたる大兄皇子(おおえのみこ)が、第31代の用明天皇となりました。

 斎宮を犯す行為はが極めて政治的な行為だったとされています。「神の妻」である巫女を自分のものとするということは、強姦犯の権威を高めるという効果があったとされる。現在では考えにくい発想ですが。

 さて前述の夢皇女の悲劇のあと、伊勢を祀る巫女(斎宮)として選ばれたのは、敏達天皇自身の娘である菟道皇女であった。彼女の年齢はわずか12歳程度だと推定されていて、まだ幼い少女だった。そんな菟道皇女も、巫女となった直後に強姦された。幼い彼女を犯したのは池辺皇子。後の用明天皇だった。後に天皇になる男が強姦犯となったのだ

(4)阿鼻叫喚の渦 転載記事 赤文字・太字は福田元昭の判断

http://premodernsex.x.fc2.com/saigu.html

 二代続けて巫女である神聖な皇女は凌辱された。これでは斎宮はもはや強姦されるためにいたようなものだ。そもそも政治的な意図を抜きにしても、都の近くにある、斎宮と処女の巫女たちが集まる御所を若い男たちが性欲のはけ口として狙わないはずはないだろう。二人の皇子たちとともに乗り込んだ男たちは他の巫女たちを手当たりしだいに犯し、御所は処女を奪われた少女たちが泣き叫ぶ、阿鼻叫喚の渦となったに違いない。

 斎宮御所は本来なら厳重に警備されるはずだろうが、それができなかったことは敏達天皇の権力がきわめて脆弱なものだったことを示しているといえる。もはや犯されるために皇女を巫女とするわけにもいかず、これ以後、しばらく伊勢大神に仕える巫女は選ばれていないようだ。

 一説によれば菟道皇女は、池辺皇子の子どもを孕まされたという。そして、幼い彼女は失意のうちに菟道(現在の宇治)で男児を出産した。それが、額田王の父である鏡王であると伝えられる。

 夢皇女、菟道皇女の悲劇は氷山の一角にすぎない。政治的な役割を背負わされた処女たちはしばしば凌辱の憂き目にあったのだ

 斎宮たちが祀った女神アマテラスは、日本神話において弟であるスサノオによって強姦されたことが暗示されている。強姦された女神に仕える処女たちは、男たちによって凌辱されることが宿命づけられていたのかもしれない。

(5)敏達天皇の弟の穴穂部皇子の強姦未遂事件

 用明天即位後、事件が起きました。敏達天皇の弟の穴穂部皇子が、額田部皇女をレイプしようとしたのです。用明天皇が病弱であり、額田部皇女をわが物にすれば、次の皇位につけると穴穂部皇子が考えたのです。しかし、これを好機とした大臣蘇我馬子は、穴穂部皇子を討ちました。

 レイプ騒動が収束した頃に用明天皇が病没しました。こうして4人いた額田部皇女の男兄弟は、泊瀬部皇子だけとなりました。この泊瀬部皇子が第32代崇峻天皇です。ところが、蘇我馬子とうまくいかなかった崇峻天皇は、馬子に暗殺されたとされています。

 その後額田部皇女は第33代推古天皇として即位しました。推古天皇は甥の聖徳太子を摂政にしたとされています。しかし、馬子との確執により太子は政権の座を追われ、斑鳩に退隠させられたとされています。

 「権力者&その息子にとっての強姦天国・日本 PART3」に続きます。


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