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1799.2月11日 7月4日 7月14日 10月1日 PART3 

山下美月 2018→2019 冬 済み
↑画像 2018→2019冬の風景19 乃木坂46 山下美月

(1)黒板に

 「1798.2月11日 7月4日 7月14日 10月1日 PART2 <ラブライブサンシャインのライブの前後に自然災害に見せかけた人工災害が増えている PART5>」の続きです。

 主に世界史の授業で黒板に、「2月11日 7月4日 7月14日 10月1日」と書きます。各日付ごとに1行使い、各日付の横にスペースをとります。「2月11日って何の日ですか?」と生徒に質問します。指名します。結構答えが出てこない学校やCLASSが多かった。

(2)「建国記念の日は軍国主義や侵略戦争と結びついた紀元節の復活」

 たまに答えが出ても「建国記念日」という答えだったりします。「いいえ、建国記念の日です。」と応じます。その後、「建国記念の日は軍国主義や侵略戦争と結びついた紀元節の復活」である事を話します。

 1797の(6)に書いてある内容に間違いはないのですが、もっと紀元節が侵略戦争と結びついた事を強調すべきではないかと思います。侵略戦争と結びついたからこそ、敗戦後の1948年に廃止されたのですから。昔の日本共産党ならそこをきちんと強調していた記憶があります。

 「いいえ、建国記念の日です。」と応じると、極まれに「なぜ建国記念日ではないのですか?」という質問が出る。

(3)「建国記念の日」は、なぜ「建国記念日」ではないのか 最終更新:2/11(月) 17:58 BuzzFeed Japan 転載記事 赤文字・太字は福田元昭の判断

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↑画像 「建国記念の日を祝う国民式典」であいさつする森喜朗首相(中央)(2001年、東京・日比谷公会堂)/時事通信

 2月11日は「建国記念の日」だが、「建国記念日」ではない。この「の」は、どこから来たのか。この祝日を制定した佐藤栄作内閣の国会答弁などを紐解きながら、背景を調べてみた。【吉川慧 / BuzzFeed Japan】

 いまは「建国記念の日」である2月11日は戦前、「紀元節」と呼ばれていた。由来は『日本書紀』に基づく初代天皇・神武天皇の即位日だ。これを太陽暦に換算すると、紀元前660年2月11日にあたる。明治政府はこの日を「紀元」(建国の日)として、祝日にすると定めた。

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↑画像 『日本書紀』巻第一/国立国会図書館

 戦後、紀元節は姿を消す。天皇の神格化に関係する祝日としてGHQ(連合国軍総司令部)の意向で廃止された。1950年代に入ると紀元節を「建国記念日」として復活を目指す動きが高まった。

 だが、紀元節の根拠となった『日本書紀』の内容が、史実であるという確証はない。神武天皇が即位したとされる時代、日本は縄文時代の末期~弥生時代の初期にあたる。即位日を裏付ける史料はない。なお同書では、神武天皇は127歳まで生存したことになっている。

■三笠宮さま「紀元節」復活に反対

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↑画像 三笠宮崇仁親王

 皇族(昭和天皇の弟)で歴史学者でもあった三笠宮さまは、「紀元節」の反対の論陣を張った。1957年11月13日付の毎日新聞は、三笠宮さまが「この問題は純粋科学に属することであり、右翼、左翼のイデオロギーとは別である」と発言したことを報じた。また、デイリー新潮によると、三笠宮さまは「紀元節についての私の信念(「文藝春秋」59年1月号)」の中で、以下のように記している。

「日本人である限り、正しい日本の歴史を知ることを喜ばない人はないであろう。紀元節の問題は、すなわち日本の古代史の問題である」

「昭和十五年に紀元二千六百年の盛大な祝典を行った日本は、翌年には無謀な太平洋戦争に突入した。すなわち、架空な歴史――それは華やかではあるが――を信じた人たちは、また勝算なき戦争――大義名分はりっぱであったが――を始めた人たちでもあったのである」

「もちろん私自身も旧陸軍軍人の一人としてこれらのことには大いに責任があるだからこそ、再び国民をあのような一大惨禍に陥れないように努めることこそ、生き残った旧軍人としての私の、そしてまた今は学者としての責務だと考えている

■「2月11日」以外にも候補があった?

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↑画像 与党委員らに守られて、午前0時すぎに開会宣言する二木謙吾参院文教委員長(中央左)。中央右は安井謙総務長官(東京・国会の参院文教委員会、1966年)/時事通信

 「建国記念日」を定める法案は、1957年から何度も提案され、激しい論争となった。当時の自民党が提案した2月11日以外にも、4月28日(サンフランシスコ講和条約発効日)や5月3日(憲法記念日)、4月3日(「十七条憲法」制定日とされる日)なども候補にあがった。

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↑画像 明治時代の軍服姿で参拝するお年寄り(左)(1967年、奈良・橿原市の橿原神宮)/時事通信

■「建国記念日」ではなく「建国記念の日」

 最終的には1966年、佐藤栄作内閣が2月11日を「建国記念の日」と制定した。「建国記念日」ではなく「建国記念の日」だ。2月11日を「建国記念の日」とするにあたって、当時の総理府総務長官・安井謙氏は国会で以下のように答弁している。

「建国をしのび、国を愛し、国の発展を期するという、国民がひとしく抱いておる感情を尊重して、国民の祝日にすることといたした」

「明治初年以来七十有余年にわたり祝日として国民に親しまれてきた伝統を尊重した」

(1966年4月15日・衆院本会議)

 安井氏は続く答弁で「日本書紀の史実についてこれは正しくないのだ、事実に間違っておるのだという学説は多々ございます」とした上で、神武天皇の即位日を「民族の伝承」とした。その上で「これを象徴的に建国をしのぶ日とすることは、すなおな国民感情に一番これは触れてくる問題であろうという確信を持っておる次第でございます」と述べた。

 佐藤首相も「建国をしのび、国を愛し、国の発展を期するという、国民ひとしく抱いているその感情を率直に認めて、そしてこの日を定めようとするものであります」と、「愛国心の涵養」に資するという姿勢から答弁した。

 保守派から紀元節の復活を求める声が出る中、当時の政府は2月11日を歴史的事実として「建国の日」と位置づけることは避けた。あくまで「建国というできごと」そのものを象徴し、祝う日とするという姿勢を取った。

 法律は『古事記』『日本書紀』に基づく建国神話には言及せず、「日本が建国された日」とも記していない。「建国をしのび、国を愛する心を養う」とだけ、記されている。

 「建国記念の日」の「の」という文字には、こうした背景があるのだ。

■他の国の建国記念の日は?

 諸外国をみてみると、どのタイミングを「建国」とするかで異なるようだ。フランスでは、フランス革命のきっかけとなった「バスティーユ牢獄襲撃事件」の日(1789年7月14日)を「革命記念日」として毎年祝う。

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↑画像 AFP=時事 革命記念日のフランス パリの凱旋門

 アメリカでは7月4日を「独立記念日」が建国の日とされる。1776年にイギリスから独立を宣言した日だ。中国では、1949年に毛沢東が「中華人民共和国」の成立を宣言した10月1日を「国慶節」として建国を祝う。ドイツでは東西ドイツの再統一(1990年10月3日)を記念し、この日を「統一の日」と定めている。

(4)三笠宮崇仁親王逝去<「589.大川小学校の津波訴訟、1番責められるべきは人工地震を引き起こした奴らではないか?」から転載>

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↑画像 三笠宮崇仁親王

 1915年12月2日に生まれた三笠宮崇仁親王は、「建国記念の日」制定に反対し、「昭和天皇の戦争責任」にも言及し、左翼学者にもてはやされ、右翼から「赤い宮様」と呼ばれていた。
 
 本日2016年10月27日の逝去に際して、三笠宮が陸軍少佐として赴任した南京で見聞した日本軍の数々の残虐行為に驚愕し、南京大虐殺に怒った事を報道するマスコミがどの程度あるだろうか? 右翼を恐れて皆無かもしれない。

 敗戦後も三笠宮は南京大虐殺を否定する一部の歪んだ風潮については批判的だった。『This is 読売』1994年8月号では、「(南京大虐殺について)最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。人数は関係ありません」と正論を主張した。

 週刊新潮2015年12月3日号は、「特集『三笠宮殿下』百寿祝いで思い出す『紀元節反対』と『南京虐殺言及』」と言う記事を掲載した。

 <545.今上天皇が「生前退位」を望んでいるが、世論調査で天皇制存続の総意を確認すべきではないか?>の(3)のタイトルに書いた通り、「日本は即刻天皇制を廃止して共和制国家にすべき!」である。545はこちら。三笠宮も当然レプだろう。

(5)お詫び

 (4)に書いてある545の記述に間違いがある事が545執筆後に判明しました。深くお詫び申し上げます。545の一部をこの後の(6)以降に転載した上で、どこが間違っているのかについては、次の1800に書きます。

(6)サイレントマジョリティー 天皇制廃止 <545から転載>

 2016年7月13日、今上天皇が、天皇の位を生前に皇太子に譲る「生前退位」の意向を宮内庁の関係者に示していることが分かりました。数年内の譲位を望んでいるということで、天皇自身が広く内外に気持ちを表わす方向で調整が進められてる。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160713/k10010594271000.html?utm_int=news_contents_news-main

 実は、日本において「天皇制を廃止する動き」が加速しているとも言われてる。2015年8月15日には、天皇制を廃止しよう!というデモが行われました。「天皇制廃止」は、サイレントマジョリティーになりつつあるのかもしれない。

★日本で天皇制廃止が主流に!民主主義を目指す動きが加速!貴族政治の終焉
http://matome.naver.jp/odai/2143974419570489501

 安倍晋三によって粉砕されようとしている日本国憲法第一条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と書いてある。

 書いてあっても、この国はその総意を確認した事が1度もない。同じ君主制を残している国でも、イギリスは君主制存続の可否を問う世論調査をしていて、君主制廃止派が過半数を超えたりする事もあると言うのに。

(7)現在、世界の大半は共和制国家!<545から転載>

 20世紀初頭、世界の大半は君主制国家だった。2016年現在、地球上に200近くの国や地域があるが、その大半が共和制国家である。

 大戦終了に伴い、共和制国家に移行した例が多い。また、大戦終了などに伴い、独立国が増えていった事も、共和制国家増加の一因となった。独立国家の多くは最初から共和制国家だった。

(8)日本も即刻天皇制を廃止して共和制国家にすべき!<545から転載>

 私は、日本も即刻天皇制を廃止して共和制国家にすべきだと幼い頃から考えていた。天皇という存在を知った幼い私は、自民党員だった父に「天皇って何?」と尋ねた。「天皇、あれは我々の税金で食べているんだ。」と父は答えた。

 1990年代、神奈川県相模原市に住んでいた私は、赤旗日曜版を購読していた。選挙前、共産党員から電話がかかってきた。「改憲を阻止する為に、ぜひ日本共産党に一票を。」と言う話が出た。それに対して私は、「私は改憲論者なんですよ」と応えた。

 共産党員はしばし絶句した。「私は天皇制を廃止したいんです」と語った。言葉を回復した共産党員は、「ゆくゆくはそうすべきですよね」とややどもりながら応じた。その時私は、今の日本共産党は支配層の補完勢力ではないかと考えた。その思いはその後更に強まった。


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