1760.ベネズエラでアメリカ合衆国が画策するマドゥロ大統領追放のクーデターが起きるのか? PART1

↑画像 2019年正月・晴れ着<振り袖>特集28 山本彩
(1)ニコラス・マドゥロ

↑画像 ニコラス・マドゥーロ・モロス 2015年
ニコラス・マドゥロ・モロス(1962年11月23日 - )は、ベネズエラ・ボリバル共和国の政治家。第54代共和国大統領、第22代共和国副大統領、ベネズエラ統一社会党書記長。ウゴ・チャベス政権下の閣僚として頭角を現し、「チャベス側近の中で最も有能な行政官」と評される。

↑画像 ウゴ・チャベス
チャベス死去後に暫定大統領へ就任し、同年4月14日の大統領選挙にチャベス政権の継承を掲げて正式に後任の大統領に選出された。野党が影響力を持つ議会との敵対を通じて反民主主義の傾向を深め、2018年の制憲議会選挙で統一社会党による一党制を確立した。前政権時代から敵対する欧米の政治家やメディアからは「独裁者」と敵視されている。<from wiki>
この一連のシリーズで、「独裁者」ではない事を述べます。
(2)生い立ち
1962年11月23日、ニコラス・マドゥーロ・ガルシアの長男としてベネズエラ連邦の首都カラカスの労働者街に生まれ、ニコラス・マドゥーロ・モロス(Nicolás Maduro Moros)と名付けられた。
マドゥーロ家は福田元昭と同様に労働者階級に属している。マドゥーロが16歳の時に事故死した父ガルシアは左派政党「人民投票運動」を支持する労働組合の指導者であった。つまりマドゥーロさんが左翼なのは親譲りという事ですね。中核派の洞口朋子さんと同じですね。

↑画像 全学連 杉並区議予定候補 前進チャンネルキャスター
ちなみに私が左翼なのは親譲りではありません。父は自民党員でしたし、母は元号で年月をカウントする人物です。
マドゥーロさんは、民族的にはメスティーソ(白人と先住民の混血)でユダヤ系ベネズエラ人の家系に生まれた。母テレサ・モロスはベネズエラとコロンビアの国境都市ククタの出身で、コロンビア国籍を取得していた事から母方を通じてコロンビア系の血も引いている。宗教的にはコンベルソとしてカトリックに属しているが、自身はヒンドゥー教の宗教家サティヤ・サイ・ババの思想に影響を受けてインドに赴いた経験があり、キリスト教徒ながら輪廻転生も信じているという。身体面ではベネズエラ人の平均身長を大きく超える190cmの高身長で知られている。

↑画像 サティヤ・サイ・ババ
私、昔、縁あってサイ・ババの生誕祭「サティヤ サイババ 生誕●●周年御降誕祭」に行き、カレーを食べました。マドゥーロさんは「匿名希望の一読者さん」が増える事を期待している左翼のスピリチュアリストかもしれません。
マドゥーロさんはカラカス市内にあるリセオ・ホセ・アバロス公立高等学校に進むと、学生団体の書記長を努めるなど父譲りのオーガナイザーとしての素質を見せた。1979年、左派テログループによる米国人誘拐事件(後に解放)に関与した疑いで捜査を受けた。後に公立学校を退校してカラカス地下鉄が運営するメトロバスの職員として勤務しつつ 、労働組合運動に関わった。1983年、大統領選出馬で左派系候補であるホセ・ビセンテ・ランゲル陣営の選挙ボランティアに参加した。
1986年、24歳の時にキューバ共和国の首都ハバナに渡航し、キューバ共産党の政治局員ペドロ・ミレット・プリエトの知遇を得た。ユニオ・アントニオ・メッラ国立学校に1年間在学して、プリエトの指導で共産主義理論を学んだ。帰国後もキューバの諜報組織である内務省情報局(G2)の支援を受け、右派政党が主導する当時の政府に不信感を覚えていたベネズエラ軍のウーゴ・チャベス陸軍中佐に助力した。チャベスが陸軍内に設立したボリバル主義の秘密結社「革命的ボリバリアーノ運動200」(MBR-200)にも入党している。
(3)チャベスの腹心として
1980年代のベネズエラは原油に依存した経済構造から巨額の負債を抱えており、IMFの指導によって新自由主義的な企業中心の経済政策が推進された事で貧富の格差が拡大、経済犯罪も多発していた。そうです。日本を含め新自由主義的な経済政策を採用した国は貧富の差が拡大するのです!
MBR-200は南米の自主独立を目指した英雄シモン・ボリバルの生誕200周年に結成され、産業国有化やアメリカの影響力排除を掲げて軍や労働者に支持を広げた。勢力拡大の過程でキューバや労働組合との協力関係を生かして資金や人員を集め、マドゥーロは陸軍出身のチャベスを軍外から補佐する腹心と目される様になった。
1989年、治安と経済格差の悪化に歯止めが掛からない中、首都カラカスで発生した大暴動に対して政府軍が700名以上の国民を殺害する凄惨な事件が起こった。 ベネズエラ民主行動党から選出されていたカルロス・アンドレス・ペレス政権に国際的非難が集まり、軍の中でも不服従が広がり始めた。

↑画像 ウラジーミル・レーニン
https://jp.rbth.com/lifestyle/79872-roshia-ni-gyoten-dicaprio
レーニンのロシア革命が成功した要因の一つはロシア軍が帝政ロシアに不満だったからだね。1992年、軍の青年将校を率いるチャベスの決起が起きた。そのベネズエラ軍事クーデターが失敗に終わった際、マドゥーロさんは、反乱軍指揮官であるチャベスの解放を求めて反政府運動を継続した。1993年、ペレス政権は不正蓄財の容疑で退陣した。
1994年、収監されていたチャベスが釈放されると、マドゥーロさんはMBR-200の再編成に取り組み、1997年にMBR-200を前身とする議会政党「第五共和国運動」(MVR)の結成に参加した。マドゥーロさんは1998年、大統領選挙でのチャベス陣営勝利に尽力し、自らも同年に行われた下院選挙に出馬して当選を果たした。議会内ではまだ第五共和国運動の議員は少数与党に留まっており、新憲法制定によって制憲議会を召集することで権力を掌握する自己クーデターが計画された。
1999年、チャベスはボリバル主義に基づいた新憲法(ボリーバル憲法)の制憲議会を召集すると宣言、マドゥーロさんは政府から議員の一人に指名された。制憲議会ではチャベス派の「愛国者の極」(Polo Patriótico)に所属して新憲法制定に賛成した。新憲法は国民投票でも賛成多数を得て正式に発効され、ベネズエラ・ボリバル共和国が成立した。議会制度については上院・下院から国民議会の一院制に改められた。
マドゥーロさんは2000年、第1回国民議会選挙に第五共和国運動から出馬してカラカス首都選挙区で当選、2005年からは国民議会議長も兼任した。
(4)外務大臣
マドゥーロさんは2006年、総選挙で第五共和国運動を母体としたベネズエラ統一社会党(PSUV)の結成に参加、同党から立候補して国民議会議員に再選された。マドゥーロさんは同年8月9日、チャベス政権からロドリゲス・アラケの後任として外務大臣に起用され、初入閣した。任期中にはチャベス政権の反米主義外交に従い、カダフィ政権下のリビアを支援する外交政策を採った。語学が不得手ではあったものの、諜報機関時代の経験を生かしてシリアやイランなどでの外交工作に従事していたとされている。
2008年、隣国コロンビアとの間にはアンデス危機が勃発して一時は国交が断絶する状態となったが、関係修復に注力して2010年8月に国交を回復した。
(5)副大統領
マドゥーロさんは2012年10月13日、大統領選挙に勝利して4選したチャベスからエリアス・ハウアの後任として副大統領に任命された。同年12月8日、チャベス大統領は国民に向けて自身のガンが再発した事を声明し、手術と治療のため医療の進んだ同盟国キューバへ向かうと発表した。同時にチャベスは自分の容態が悪化して代わりとなる大統領を選ぶ選挙が行われる場合は「ベネズエラ人はマドゥーロに投票すべきだ」と述べた。チャベスが後継者について、また自らの余命について言及したのはこの声明が初めてだった。
チャベスがマドゥーロを後継者とすることを明らかにしたことで、それまで有力な後継者候補と目されていたディオスダド・カベリョ統一社会党副書記長は大統領候補から外れた。マドゥーロはチャベスの模倣者と批判される一方、汚職疑惑のあるカベリョよりもボリバル主義に忠実な人物と評価されている。チャベスも「私が明らかに確信している、絶対的かつ不可逆的な事はマドゥーロが次の大統領に選ばれるだろうという事だ…もし私が職務を遂行できなくなったとしても、彼なら継続できる」と評している。失脚の可能が生じたカベリョは「ただちにチャベスとマドゥーロに忠誠を誓った」という。
2013年3月5日、副大統領としてチャベスが58歳で病死した事を発表すると共に、暫定政権の樹立を宣言する演説を行った。
(6)ウゴ・チャベス大統領は米帝に殺された
マドゥーロはチャベスが逝去した後、「チャベスが毒殺されたと直感している」と述べ、チャベスの癌はアメリカによる暗殺作戦との見方を示している。
アメリカ国務省報道官は「チャベス大統領の発病に米国がかかわったとの主張はばかげている」とこれを退けている。私はほぼマドゥーロと同じ様に考えている。
ウゴ・チャベス ベネズエラ・ボリバル共和国元大統領の一連の記事に書いた通り、がんに罹患させる事は十分に可能です。癌に罹患させる事は暗殺手段の一つとして定着しています。
236.2010年1月13日にハイチ大地震が起こったときに、チャベス大統領はすぐさま、これは米国の地震兵器によるものだと発言した。これがアメリカ<CIA>によるチャベス大統領暗殺のトリガーとなったのではないか?
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-319.html
234.ウゴ・チャベス大統領は独裁者だったのか?
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-316.html
232.癌もすっかり暗殺手段として定着してしまったのか?
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-313.html
231.チャベス大統領はアメリカ<CIA>に殺害されたのか?
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-311.html
(7)妻は同志
マドゥーロさんは2013年、大統領選後に弁護士シリア・フロレスと再婚した。フロレスはベネズエラ初の女性国会議長を務めるベテラン政治家でもあり、軍事クーデター失敗後のチャベスを裁判で弁護するなど古くから活躍してきた「同志」でもある。一説にマドゥロが後継者争いを制したのもフロレスの推薦が一因であったとする説もあり、大統領夫人としても強い権力を握っているとされる。フロレスとの間に子供はいないが彼女も結婚歴があり、前夫との間に3人の子を儲けている事からお互いの連れ子を合わせて4人の子を育てている。
(8)ベネズエラ❤中国
マドゥーロは2015年9月、中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典に出席し、天安門広場で行進するベネズエラ軍を閲兵した。
ベネズエラ・中国両国は関係を深めている。ベネズエラにとって中国は最大の援助国でり債権国である。そう、ベネズエラは中国に多額の債務を背負っているのだ。ロシアからも債務免除を受けるなど同盟深化が図られ、窮地に立たされる中でチャベス時代から親密だったイラン、シリアなどアジア・中東の反米主義政権とより結び付きを深めている。
(9)ベネズエラの政局
2015年12月、総選挙でディオスダド・カベリョの統一社会党は40%の得票に留まり、正義第一党を中心とする右派の民主統一会議(56%)に敗北した。マドゥーロさん自身の任期はまだ続いている為、少数与党として政権運営は続けられるものの任期途中での大統領罷免を求めるなど野党が攻勢を強めた。
2016年4月、民主統一会議が多数派となった議会は大統領罷免の前提条件となる国民投票の実施を議決したが、軍・警察と共に統一社会党を支持する司法組織は「手続きの不備」を理由に却下した。マドゥーロさんは同月23日、南米諸国連合議長に就任し、9月17日にはイランのハサン・ロウハーニー大統領から非同盟運動の議長職を引き継いだ。
2017年3月29日、議会と政府の対立が激化する中でベネズエラ最高裁判所から反政府的な議会の立法権を一時停止する決定が下された。与党はこれを歓迎したが、議会制民主主義の危機について懸念が広がった事を受けて、マドゥーロは最高裁判断を差し戻す命令を出した。この史実はマドゥーロが独裁者とはいえない傍証と言える。
wikiの記述では、2017年夏、チャベスですら成し得なかった革命による議会制民主主義の廃止に成功し、ベネズエラ統一社会党による一党独裁体制が確立したとされる。
(10)ドル→人民元
マドゥーロは2017年9月16日、「米国帝国主義制度を除去する」としてドルから中国の人民元に原油価格表示を切り替えた。以前から敵対していたアメリカの制裁圧力が更に強まった事から、反米主義(左派ナショナリズム)及び中国・ロシアとの同盟に傾斜しており、アジアインフラ投資銀行(AIIB)にもベネズエラを加盟させた。
(11)マドゥーロとトランプ
2017年9月17日、国連総会の一般演説の中でトランプが「貧困を生み出す誤った主義主張を押しつけている」と批判すると、マドゥーロ側もトランプ大統領をアドルフ・ヒトラーに例えて反論を行った。しかし同時にかつてのチャベスとジョージ・W・ブッシュ政権の対立に比べると、国内重視を掲げるドナルド・トランプ政権の外交政策には一定の理解と期待を示してもいる。
マドゥーロは2017年12月3日に経済制裁の影響を回避する事を目的に独自の仮想通貨「ペトロ」を導入することを発表した、1億単位のペトロの発行を命じた。同通貨は石油(ベネズエラの原油確認埋蔵量は世界1位とされている)・天然ガス・金などの資源で裏付けられているが、「国家が発行する仮想通貨」として世界初の試みとなる。つまりユダ金の中央銀行SYSTEMからの完全離脱を図っているという事だね。
2018年5月17日、同じ反米主義・独裁体制を取る北朝鮮とアメリカが直接対話(米朝首脳会談)に向けた交渉を行っているトランプ大統領を「非常に建設的」「世界には寛容さが必要」と高く評価し、「我々は核兵器を持っていない」とした上でベネズエラにも対話の準備があると呼び掛けた。これに先立つ形でトランプ大統領が愛用するツイッターで「今こそ(トランプ政権は)他国への内政不干渉の公約を守るべきだ」と投稿した。
(12)共和国大統領2期目
2018年5月21日、大統領選挙では統一社会党から民主統一会議に転じた改革党党首エンリ・ファルコン、無所属で出馬したキリスト教牧師のハビエル・バルトッチらをマドゥーロが大差で破り、大統領に再選された。
同年8月4日、カラカスで挙行されたベネズエラ国家警備隊の創立記念式典で演説をしている最中、会場の上空に接近していた2機のDJI M600のドローンが爆発して、式典に参加していた兵士7名が負傷した。中継映像では爆発音が記録されており、怯えた様子で屈み込むシリア・フロレス大統領夫人や、隊列を崩す兵士が報道されている。
マドゥーロを横から撮影していた別の中継映像では爆発音が起きた際、驚いた表情で上空を見ながらもそのままマドゥーロは演台に留まっており、護衛の兵士達が周囲を囲んで防護する間にも演説を続けようとしていたが、やがて側近らに促されて演台を降りた。
事件の後、「Tシャツの兵士たち国民運動」と名乗る集団が、「プラスチック爆弾を搭載した2機のドローンで大統領を狙ったが、目標到着前に撃ち落とされた」とする犯行声明を発表した。
同年8月21日、ハイパーインフレによって殆ど無価値になっていた実通貨のボリバル・フエルテにデノミを行い、新通貨ボリバル・ソベラノを発行した。今後は新しい実通ソベラノと仮想通貨ペドロで経済システムを構築するとしているが、長引く経済混乱の収拾は進んでいない。国債の部分的デフォルトに陥り、日用品はおろか食料や水など基本的な物資も不足している。これまでの政治的亡命とは異なり経済難民が周辺国に溢れ出しており、近隣のペルーやブラジルでは社会問題となっているとされる。
同年9月21日、訪中から帰国したマドゥロがツイッターで発表した中国人民解放軍海軍の艦艇によるベネズエラへの初寄港が行わた。同年8月にコロンビアにアメリカ海軍のコンフォートが寄港したことに対抗した動きとされる。
「1761.ベネズエラでアメリカ合衆国が画策するマドゥロ大統領追放のクーデターが起きるのか? PART2」に続きます。

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