1664.1985年の卒業SONGが例年より多かったのはなぜか?<岡田有希子さんは殺されたのではないか? PART4>

↑画像 岡田有希子ちゃん85年夏の『ファンタジアン』コンサートパンフレットより
https://twitter.com/nekoboul/status/901109695087128577
(1)昨夜2018年11月28日のアクセス障害
「1662.品川のJR地下原発<岡田有希子さんは殺されたのではないか? PART3>」の続きです。1662は28 November 2018 09:00にUPしたものの完成は今朝29日5:43でした。未完成の時間帯にご来訪なさった方はぜひ再度ご来訪下さい。
昨夜2018年11月28日22時10分頃より23時20分頃まで、拙ブログにアクセスしようとしてアクセスできなかった方が多数いらっしゃる事と拝察致します。拙ブログが弾圧されてアクセスできないのではないかと考えた方がいらっしゃる様です。拙ブログの日頃の内容から考えて当然の考えです。私も当初そう考えました。
実はFC2全体で昨夜28日、すべてのブログにアクセス出来ない状態が続きました。ですから私も自分のブログの更新ができませんでした。アクセスしようとすると、「504 Gateway time-out」とか「現在アクセスが集中しています」の表示が出たりしたのです。

↑画像 現在アクセスが集中しています
https://did2memo.net/2018/11/28/fc2-blog-down-2018-11-28/
ひひる @hihiru_ff ブログにアクセスできなくなってる…管理画面も不安定だし・・・どうなってるの?? #FC2 #不具合
https://twitter.com/hihiru_ff/status/1067779575491391488
22時10分頃より23時20分頃までは、アクセスが多い時間帯です。その時間帯が拙ブログへのアクセスが不可能だったにもかかわらず、昨日28日は1,293名の皆様のご来訪を賜る事ができました。ありがとうございます。
(2)「1615.御巣鷹の尾根のトイレが、紙を箱にいれる中国韓国式なのはなぜか?」へのコメント計57本の35~41
日月土 #-
★15の夜その2
この歌、歌詞についても見るべきものがあります。この物語の主人公は15才の「少年」です。少年は今の状況から逃げ出すため、「バイクで夜に逃げ込み」ますが、それは「ビルの上の空、届かない夢」でしかありません。つまり、少年の逃走は「自由な気になれた」儚き夢でしかなかったと言うものです。
歌詞中にはありませんが、この「少年」こそがキーワードと考えられます。1985年前後、この時期売り出した秋元康氏が、「BOY」という、意味不明のワードをちりばめた楽曲を発表します。1985年5月リリースの菊池桃子歌「BOYのテーマ」が有名でしょう。
菊池桃子さんはやはりこの年2月に「卒業」をリリースしています。ここに、「卒業」、「少年」、「666」の奇妙な関係性が認められ、私は、これらは用意されたストーリーに基づき、計画的に発表されたのだと見ています。
果たして、「少年」とは誰のことを象徴しているのでしょうか?
2018/11/09 (Fri) 18:39 | URL | 編集 | 返信
猫山 #-
★日月土さんへ
芸能界やそこから発信される音楽から何らかのメッセージが込められていたのですね。1985年当時の私は芸能界に対して殆ど興味も持っておらず、尾崎さんや菊池さんの楽曲も向こう1年~4年以上も先に知る事になります。
666 少年 卒業 何らかの意味があって世に送り出されていた楽曲だったのですね。日月土さんや、ひろさん、こちらに書き込みをして下さっている皆様の書き込みを拝読をさせて頂きまして芸能人のデビューから、楽曲一曲の順位付けにまで何らかの仕掛けがあったなんて夢にも思いませんでした。色々と大切なことを気付かせて下さいましてありがとうございました。
2018/11/09 (Fri) 19:23 | URL | 編集 | 返信
ひろ #-
★再度コメント失礼致します
尾崎豊さんの死について僕も他殺であると思います。実は「岡田有希子さんの死」と並行して「尾崎豊さんと岡田有希子さんの接点・エピソード」をネットサーフィンして「禁じられたマリコ」を知るに至りましたが、この記事のコメントに尾崎豊さんについて言及されるとは思いもよりませんでしたのでただただ驚いています。
僕は尾崎豊さんの代表曲「卒業」で歌われている「こーの支配からの卒業」の「支配」=世の中を裏から動かしている存在、日本社会ひいては世界を実効支配している存在(日本航空123便事件の首謀者と同一でしょう。)と見ていて、尾崎豊さんは「支配」との決別を「卒業」で表明した、という解釈でしたが、日月土さんのコメントに「なるほど」と思いました。
尾崎豊さんを「若者の教祖・カリスマ」としてマスコミが取り上げることに対して違和感を感じていた僕は、尾崎豊さんを「一人の一青年」として調べていく過程で、「岡田有希子さんと尾崎豊さんの接点・エピソード」をネットサーフィンしていましたが、不思議と「岡田有希子さんと尾崎豊さんの接点」に関する記事が少ないことにも気づきました。(あたかも、両者を関連つけないようにネット管理されているようにも思いました。)
尾崎豊さんに会った方々の多くは「礼儀正しい好青年」とコメントされています。日月土さんの「15の夜」のエピソードは虚構であるというご見解は僕もその通りだと思っています。
尾崎豊さんも岡田有希子さん同様霊能力者である、と見ていましたが、尾崎家が魔術系の陰陽師家系である、という日月土さんのコメントを読み「あー、なるほど」と合点がいきました。
「禁じられたマリコ」第一話の麻里子は真相究明したいという強い意思と同級生の女の子達から妬みやっかみされても仲良くなろうと努力する心優しい女の子として描かれていますが、岡田有希子さんの性格そのものだと直感しました。同時にこの子に自発的突発的な自殺はあり得ないと確信しました。(芸能界入りを両親に納得させるために猛勉強して名古屋市有数の進学校に進学したエピソードなどが真の強さを物語っています。ちなみに「禁じられたマリコ」に出演されている岡田有希子さんと生田智子さんは素敵だと思います。)
尾崎豊さんと岡田有希子さんのデビュー年は1983年、1983年は「スチュワーデス物語」が放送開始された年でした。アメリカが「スターウォーズ計画」を公表した年も1983年です。[個人的に気に入っているアメリカのテレビシリーズ「V(ビジター)」の放送が開始されたのは1983年です。]
これは、僕の個人的な考えですが、「日本航空123便事件」が計画立案された年、あるいは「日本航空123便事件」の1985年8月12日決行が正式に決定された年が「1983年」ではないか、と考えています。(僕は、数十年前から「日本航空事件」が計画されていて「日本航空123便事件」の決行が決まった年が1983年であるという後者の可能性が高いとみていますが)
「禁じられたマリコ」で気になったシーンで麻里子が超能力を発現するシーンですが、業火に焼かれた人間の表情に見えます。(日本航空123便事件で暗殺部隊に火炎放射機で焼かれた乗客を暗に描いているのでしょうか?) 僕も猫山さん同様「日本航空123便事件」と「岡田有希子さんの死」と「禁じられたマリコ」に無視できない数々の符号点がある事実にただただ驚いています。(「禁じられたマリコ」をほんの一ヶ月ほど前に知った僕からすれば、「日本航空123便事件」のからくりがこんなに多く大衆芸能マスコミメディアで発信されていたことに驚くとともに「日本航空123便事件」の首謀者たちが明確に人々を貶めようとした事実に憤りを覚えます。何より何も知らず運悪く日本航空123便に乗り合わせた人々の無念な想いを想像するとやはり「日本航空123便事件」の真相究明は蔑ろにしてはいけない、と真面目に思います。)
2018/11/09 (Fri) 23:21 | URL | 編集 | 返信
猫山 #-
★ひろさんへ
ひろさんの御推測からも1985年前後の日本がどんなものか?段々と見えて来ている気がします。尾崎豊さんについては、以前精神病について書かれたサイトに「生前の尾崎豊は境界性人格障害だった。」と書かれていました。その障害ゆえに、何かの拍子に烈火のごとく怒り出して破壊的な性格の一面をあらわにしていた。それで奥様は大変困っていた。などと書かれておりました。
私は、実際に間近でその障害の者を10年近くお世話をさせて頂いてきました。どの精神病も西洋医学の薬では良くならないことが殆どです。どちらかと言えば悪化の一途です。一種の麻薬と呼ばれているとのことです。実際に、その人格障害の者が医師より出された抗うつ剤や睡眠薬を飲んだら、人格が破壊的になり大変な事になりました。(今は断薬をして、栄養療法などで回復してきています。)
尾崎豊さんは、暴力を受けて殺されておりますが薬物(覚醒剤)依存症だったから中毒死だと書かれていたのを見たことがありました。私の憶測に過ぎませんが、尾崎さんは覚醒剤と言うよりは人格障害やそれに伴う精神疾患の治療と称した薬剤で精神や思考を狂わされてしまったのではないか?と考えました。
覚醒剤でなくても、精神薬投薬治療中にアルコールを飲むことで錯乱して暴れたり訳のわからない事を言い出す方は実際にいるとネット上にもありましたし、実体験として目の当たりにして参りました。
また、精神薬を飲むと霊感にも障ると書かれていたのを見たことがあります。彼もまた、岡田さんのようにジワジワと死に至らしめられていたのかもしれないと今更考えました。
15の夜は、1983年にリリースされた楽曲のようです。岡田さんの活動期も1983年からになっております。単なる偶然にしては出来すぎているように感じます。
また、お二人には色恋沙汰で噂になった異性がいました。尾崎さんは斉藤由貴さん。岡田さんは峰岸徹さん。峯岸さんについては、当て馬と呼ばれていたらしいです。もっと隠したい岡田さんの交際相手を隠す為のカムフラージュだったという書き込みがありました。その彼も10年間前に亡くなられております。
こうして、別の噂を立てる事で真相を闇に葬り、私のような愚鈍な一市民の目を真実から背けさせていたのだろうと思っておる次第です。
取り留めのない長文で申し訳ございません。昨年、私自身が精神的な病と言う視点から尾崎豊さんを調べた事から、気になっていた事からのコメントになってしまいました。
2018/11/10 (Sat) 00:36 | URL | 編集 | 返信
ひろ #-
★rikaさんへ(追加投稿失礼致します。)
皆様のコメントを読み返していてはたと思ったことを追記させていただきますことをお許しください。rikaさんが記事で触れられている自殺した俳優さんとは、沖△也さんですか?あるい田宮◯郎さんですか?僕はこのお二方も自殺に見せかけて殺された(他殺)と考えています。(沖△也さんは1983年に亡くなられていますね・・・)
2018/11/10 (Sat) 00:38 | URL | 編集 | 返信
猫山 #-
★ひろさんへ・・・訂正です。
>>その彼も10年間前に亡くなられております。☓
>>その彼も10年間ほど前に亡くなられております。◯
申し訳ありませんでした。
2018/11/10 (Sat) 07:11 | URL | 編集 | 返信
rika #-
★ひろさんへ
コメントありがとうございます。香港の俳優レスリー・チャン(張国栄)です。彼は1985年の映画で2003年の死を仄めかされていました。(ナンバープレート1985の車に乗っていた人が映画の中で死に、レスリーは映画の終盤でナンバープレート2003の車に乗っています)
この映画のタイトルと同名の喫茶店をレスリーが作り、レスリーの喫茶店として知られています。同名のヒット曲も有り、レスリーが歌っています。彼が出演した最後の映画で、これで最後だと暗喩されていること。(鐘{ここでは目覚まし時計のことですが鐘は終わりを意味する終と中国語で発音が全く同じであり結婚祝いに時計を贈るのは中国では縁起が悪いとされている}の声の後、鐘がレスリーの耳に押し付けられ、直後にベルがけたたましく鳴る。1985年の映画{題名中に鐘の字が有る}と同じ名前のJIMを演じている。)ことなどからです。
ちなみにポップアジア編集者の石井恒という方もレスリーの死に疑問を感じていらしたらしく、「レスリーを殺した何か大きな力を心の底から憎む」と書かれています。(「張国栄 あなたを永遠に忘れない」ポップアジア編集部編 より)
2018/11/10 (Sat) 11:28 | URL | 編集 | 返信
(3)「少年」
>この「少年」こそがキーワードと考えられます。

↑画像 松田聖子
http://idol708090s.web.fc2.com/matsudaseiko.html
85/05/20付けのオリコン週間ランキングNO1は、松田聖子の「ボーイの季節」でした。85/05/27-85/06/03付けのオリコン週間ランキングNO1は、菊池桃子の「BOYのテーマ」でした。1985年12月12日、少年隊が『仮面舞踏会』でレコードデビューした。『仮面舞踏会』は当時の皇太子<現在の今上天皇>の誕生日付けのオリコン週間ランキングで1位に輝いた。

↑画像 少年隊
https://pantip.com/topic/37143229
(4)HIT・CHARTは何かを象徴している事がある
「502.プリンス<Prince>は、イルミナティに殺されたのか?」の「(1)プリンス<Prince>は、昔、淫乱な歌を氾濫させた立役者だった!」と「511.J-POPの中には、HAARPやケムトレイルを暗示しているHIT曲があるのではないか?」の<(2)サザンオールスターズの「TSUNAMI」は、多くの人々の津波に対する危機意識を緩めたのではないか!>に書いた通り、「宇宙への旅立ち」によれば、アメリカのHIT曲の多くは、世界を支配してきた悪魔崇拝のレプティリアン組織のイルミナティによってクリエイトされていると言う。もしかしたら、日本もそうかもしれない。
HIT・CHARTもイルミナティによってクリエイトされていると言えるかもしれません。現実の事件や事故や戦争を暗示している曲が1位を獲得する事が時々ある。
123便事件の遺族が遺体や遺品と対面し、故人ともう逢えないと悲しみに浸っていた頃、菊池桃子が「もう逢えないかもしれない」をリリースした。この曲は85/10/07-85/10/14の2週にわたりオリコン週間ランキングで1位に輝いた。

↑画像 女優/戸板女子短期大学 客員教授・菊池桃子
https://premium.toyokeizai.net/articles/-/17541
(5)1985年の卒業SONGが例年より多かったのはなぜか?
1615のコメント欄で日月土氏が、<1985年、この年に「卒業」というタイトルの歌謡曲が幾つかベストテン入りしています。いったい「卒業」という言葉にどんな意味を持たせたかったのでしょうか?>と書いています。そう、1985年の卒業SONGが例年より多かったのです。
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-1987.html#comment3778

↑画像 尾崎豊
https://prcm.jp/album/984cd81ebdec8/pic/74659100
尾崎豊の「卒業」は彼の3枚目のシングルとして1985年1月21日に発表されました。この曲は「支配からの卒業」という歌詞の一節が象徴する通り、社会と自分との軋轢をテーマとして歌われています。尾崎は名門・青山学院高等部へ進学していましたが、さまざまな問題を起こして高校3年の時に無期停学を言い渡されてしまいました。「支配からの卒業」は日月土氏によれば、「支配」を「賜杯」に置き換えて考察すると123便事件の本質が見えてくるという。

↑画像 倉沢淳美
https://minkara.carview.co.jp/userid/2098999/blog/40762900/
現在ドバイでセレブ生活を送る、元「わらべ」倉沢淳美の「卒業」は、1985年2月14日にリリースされた。現在検索エンジンに名前を入れると付属語のTOPに「パンテイー」が出てくる斉藤由貴は、1985年2月21日、キャニオンレコードより『卒業』で歌手デビューした。そう、斉藤由貴はデビュー曲から別れを歌ったのだ。同曲はオリコンで最高6位を記録し、約35万枚のヒットとなった。同年4月放送開始のフジテレビ系『スケバン刑事』で連続ドラマ初主演。これにより『卒業』で見せた可憐なイメージとのギャップでトップアイドルへと上り詰めた。1985年2月27日に発売された菊池桃子の「卒業-GRADUATION-」は、85/03/11付けのオリコン週間ランキングNO1に輝いた。

↑画像 斉藤由貴
http://koredakedeok.blog.jp/archives/73016745.html
1985年の卒業SONGが例年より多かった状況は、日月土氏が示唆している通り、123便事件を暗示しています。実は多かったもう一つの理由があります。それはマーケットの事情です。
卒業SONGの購買層の中核は、卒業する大学生と高校生と中学生と小学生です。卒業する高校生は丙午の影響でその頃の平年より少なかったものの、卒業する小学生は団塊ジュニアなのでとても多く、TOTALでは1985年春に卒業した若者は多かったのです。

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