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1649.ヤマトタケルは毎日セックスとオナニーをしていた!<八幡製鐵所の高炉が敗戦まで空襲で破壊されることがなかったのはなぜか? PART2>

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↑画像 2016年10月9日(日) 北九州市小倉北区浅野3丁目8-1 アジア太平洋インポートマート(AIM)ビル展示場棟 西日本総合展示場新館 『takagi presents TGC KITAKYUSHU 2016 by TOKYO GIRLS COLLECTION』 「TGC北九州2016」で大トリを務めた乃木坂46 左から生田絵梨花・生駒里奈・西野七瀬 (C)モデルプレス
出典:乃木坂46「TGC」「ガルアワ」2日連続“大トリ”アーティスト&モデルで2大ファッションショーを席巻!女の子の歓声が鳴り止まず モデルプレス
https://mdpr.jp/news/detail/1622446

(1)ヤマトタケルは毎日セックスとオナニーをしていた!

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↑画像 静岡県静岡市清水区馬走1500-2 日本平ホテル敷地内「日本平美術館」駐車場にある日本武尊(ヤマトタケルノミコト)像 持っているのは鉄剣でしょうか。侵略者の特徴が出ている見事な像ですね。
https://matome.naver.jp/odai/2141964119701098601/2141981664643860503

 「1648.八幡製鐵所の高炉が敗戦まで空襲で破壊されることがなかったのはなぜか? PART1」の続きです。まずは1648の(4)に出てきたヤマトタケルと熊襲と蝦夷の話から。wikiによれば、ヤマトタケルは毎日セックスとオナニーをしていたという。まさに歩く生殖器です!

(2)戦争を持ち込んだのは

  ヤマトタケルは新モンゴロイドと考えられ、熊襲や蝦夷は古モンゴロイドと考えられています。検索エンジンに「新モンゴロイド」といれると付属語に「凶暴」が出てきます。そう後に「日本」と呼ばれる事になるエリアに戦争を持ち込んだのは、大陸からやって来た凶暴な「新モンゴロイド」なのです

 縄文時代は弥生時代に比べて殺傷人骨例が圧倒的に少ないのです。ですから縄文時代はほとんど戦争がなかったと考えられています。つまり後に「日本」と呼ばれる事になるエリアにおいては、弥生時代に戦争がSTARTしたのです。

(3)大きな反証<「1042.日本民族は昔から残虐だったのか? PART2 」から転載>

 「1041.日本民族は昔から残虐だったのか? PART1」の続きです。1041はこちら

 現在のところ歴史上で最も古い戦争の跡とされているのが、スーダンのヌビア砂漠にある「ジャバル= サハバ117 遺跡」です。ここから見つかった約1 万5,000 年前の旧石器人骨は武器で殺傷されたもので、しかもその数はおびただしいものでした。

 穀物の生産も家畜の飼育もまだ始まっていない旧石器時代に戦争の可能性が示されたことは、余剰生産物がもたらす富の偏在と分配を戦争の原因と考える従来の戦争史観に対する大きな反証でした。

 日本では、戦争の起源をめぐって縄文時代か弥生時代かで学者の間で意見が割れておりますが、弥生時代に戦争をしていたことはほぼ間違いないといえます。その最たる証拠が殺傷人骨と高地性集落跡の存在です。

 弥生人は小高い山の上にムラを築くことで、敵の来襲を防いだのではないでしょうか。また、縄文時代に比べて殺傷能力の高い大型の石鏃(せきぞく、石製のやじり)や金属製武器が多く出土していることも、弥生時代の戦争を証拠立てるものです。

https://www.waseda.jp/inst/weekly/academics/2016/05/13/5060/

 上のリンク先の記事には、「オウム真理教発祥の地」とされている辺りにある縄文時代の遺跡である「高根木戸遺跡」(千葉県・船橋市)から、腕に突き刺さった石鏃(せきぞく)が致命傷になったと考えられる人骨が出土した話が出ています。「オウム真理教発祥の地」についてはこちら

 「高根木戸遺跡」の例があるものの、1041の記述にある通り、縄文時代は、暴力による死亡率が1.8%と極めて低かったという研究成果がありますので、基本的には縄文時代は平和の時代だったと言ってよいでしょう

(4)戦争は弥生時代に始まった<1042から転載>

日本人のルーツを明かす DNA
↑画像 弥生人 縄文人

 さて余剰生産物がもたらす富の偏在と分配を戦争の原因と考える従来の戦争史観に対する大きな反証が出たという事は、「農業の開始=戦争の開始」とも言えないのかもしれません。

 従来はこう説明されていました。稲はそれぞれの土地の適性だとか、天候だとかで収穫にバラつきがあります。 だから米に乏しい村は、他の村の米を奪おうと考え戦争が起きる。これは当然、他の村に米が蓄えられている<余剰生産物がある>という前提で生まれてくる欲望です。ですから余剰生産物を蓄積できない縄文時代では起こりえない戦争が、弥生時代に起きた。

 「農業の開始=戦争の開始」とも言えないのなら、特定のTYPEの人類が戦争を好むという傾向があるのではないか?

(5)弥生人<新モンゴロイド>TYPEが・・<1042から転載>

 日本で言えば大陸から稲作を本格的伝えた弥生人<新モンゴロイド>が渡来してから戦争が激増している事から、弥生人<新モンゴロイド>TYPEが戦争を好み、縄文人<古モンゴロイド>が平和を好む傾向にあると言えないだろうか?

 弥生人<新モンゴロイド>TYPEの権力者が、所謂「田布施システム」を確立し侵略戦争を推進した。表の「田布施システム」の権力者の裏に、地下住人の弥生人<新モンゴロイド>TYPEのコントロールがあったのかもしれない。地下住人の弥生人<新モンゴロイド>はすべてレプで、表の「田布施システム」の権力者もすべてレプだろう。


(6)西郷隆盛<1042から転載>

 西郷隆盛は縄文人<古モンゴロイド>TYPEの権力者故、表の「田布施システム」の権力者から外れ、西南戦争を起こし城山で自刃(切腹)したのではないだろうか?

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↑画像 西郷隆盛は縄文人<古モンゴロイド>TYPE

(7)日本民族は昔から残虐だったのか?<「1043.日本民族は昔から残虐だったのか? PART3」から転載>

 「1042.日本民族は昔から残虐だったのか? PART2」の続きです。1042はこちら

 以上考察してきた通り、縄文人<古モンゴロイド>は平和を好む傾向にある可能性が高い。そうだとしたら、弥生人<新モンゴロイド>TYPEの権力者が、所謂「田布施システム」を確立し侵略戦争を推進する為に、教育やマスコミなどを通じて、縄文人<古モンゴロイド>系・弥生人<新モンゴロイド>系を問わず、すべての日本人に残虐性とナショナリズムを植え付けていったのではないだろうか。大多数の日本人は明治になるまでナショナリズムの意識が、明治以降に比べると希薄でした。

 残虐性とナショナリズムを植え付けないと侵略戦争を推進できないですからね。そして侵略戦争を推進する表の勢力をコントロールしていたのが、地下住人の弥生人<新モンゴロイド>TYPEのレプだったのかもしれない。

(8)人肉を美味しく食べた弥生人レプ

 さて再び、日本の古代史の話です。一般的に日本史では、弥生時代から平安時代中期迄が古代とされています。古代の次が中世です。

 朝鮮半島を含めた大陸から渡ってきた弥生人<新モンゴロイド>は、男だけで渡ってきた例が多かったと考えられています。こちらに渡ってから先住民の女性をレイプし、先住民の男や子どもは殺戮した例が多かったと考えられています。渡ってきた男がレプなら、殺した結果手に入れた人肉を美味しく食べた事でしょう。

 「八幡製鐵所の高炉が敗戦まで空襲で破壊されることがなかったのはなぜか? PART3」に続きます。


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↓動画 篠崎愛
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Comment

ひろ #-

僕は西郷隆盛の遠縁と自称される方と会話したことありますが、その方曰く元陸上選手の末續慎吾選手は西郷隆盛の遠縁だそうです。その方は島津家の話もされてました。(篤姫ですね。) スイスにご在住の西郷家の末裔(?)の初老の女性(セレブな感じのマダムでした。)の写真を見せながら、半ば自慢話のように話されていたことを覚えています。記事と直接関係ないことで福田さんにお聞きしたいことがあります。僕は数年前のとあるサイト(多分ブログだったと思います。)で社会の先生をしているという男性教諭が東日本大地震は人工地震だと思ってる、どこの国が犯人(人工地震を起こした)と思う?と授業中の雑談で生徒たちに問いかけたところ、成績が優秀で普段他の生徒とあまり絡まない教え子の男子生徒が、ぽつり「先生、日本でしょ?」と生徒のみんなの前で語り、クラスが騒然となったエピソード話を記事で読んだことがありますが、もしかしてその社会の先生は福田さんですか?仮にその先生が福田さんとして、「日本でしょ?」と答えた男子生徒さんは今どうされていますか?

2018/11/19 (Mon) 09:34 | URL | 編集 | 返信
猫山 #-

学校で習った歴史の知識が覆された思いです。
小学校高学年の二年間、担任だったのは考古学を専門にしていた男性教諭でした。

小学校の敷地内に古墳があり、通学路にもいくつか古墳や遺跡を有する山がありました。
そのうちの一つは東海道新幹線沿いの大塚製薬の工場がある場所です。
小学校6年生の時に、その山が発掘調査の対象になり歴史の授業を兼ねて連れて行って貰いました。
そこは弥生時代と古墳時代に栄えた場所でした。

その時に、先生やそこに来ていた市の教育委員会の方から「いつまでも縄文時代のままでは、文明が発達しなかったはず。
長を立て、その集落に住む者や食糧を守る為に武器を持って戦う事を覚えたから今の日本がある。
これまでの戦争が人類に科学や文化の発達をもたらせてきた。
だから、戦う事が全て悪かと言えばそうではないと思う。
大昔、この山に集落を築いた人々がその起源であれば、旧石器時代や縄文時代の人々より長けた能力の持ち主だったはず。」
と、お話を頂きました。
その時は(極めて単純な)私は、なるほどなあ。と思いながら聞いておりました。

しかし、卒業文集ではだしのゲンを自己のテーマに作文を書こうとして戦争について考え始めた時に、はたと思いました。
「って事は、後に訪れる受験戦争も、海外で起きてる戦争も、もしかしたらまだ、日本が戦争に巻き込まれても文明や科学の進歩の為。と片付けるのか?
だとしたら、文明や科学が行き詰まったらまた戦争が起きる?ってこと?
それは、人類はみんながみんな平和に繁栄していけないってことじゃないの?」
と。

あの時から30年以上が過ぎて、今のような時代に身を置き、福田さんや日月土さんのブログを拝読をさせて頂きますと、私達は学校で嘘や矛盾を仕込まれて社会に送り出されて来たのだとまざまざと感じるようになりました。
学校では、戦争は悪いことだと教えながら同時に正当化をしていたのだと感じました。

長年、自分の中に渦巻いていた疑問が解けた思いです。
ありがとうございました。

2018/11/19 (Mon) 12:01 | URL | 編集 | 返信
匿名希望の1読者 #6urEx/7U

農耕の起源

こんにちは

支配被支配の構造は記事にある特定のDNAなどを持った人々によって広められたという説には賛成です。

一般には農耕により貯蔵などが可能になり、貧富の差や支配被支配の構造、などが広まったと言われていますが、支配欲の強い特定の人々が分断して統治をするために貧富の差が生まれやすいように農耕を広めたのかも知れませんね。
一般に言われていることとは順次が逆かも知れないですね。

あと、日本の歴史の不思議なところは支配欲の強い渡来系の人々が中枢にいたのに、古代においては奴隷制度や中央集権体制が定着しなかった点です。
近代以降はストレートに奴隷制度を標榜しなくて、実質的には庶民を奴隷に近い状態にして、かついろいろな分断統治を絡ませるというかなり巧妙な統治体制になっています。
もしかするとストレートな奴隷制では当然に反発が大きかったからなのかも知れません。

農耕の話に戻すと農耕そのものは縄文時代から行われていたみたいですが、縄文時代の農耕は例えば稲作ならば陸稲がメインで育て方も自然に育つのを待っていた感じです。
水田耕作は渡来系が持ち込んだ感じですが、水田耕作と同時に開墾などで自然を征服する発想も持ち込まれたと思います。
結局、特定の支配欲が強い人々が農耕を広めた結果が自然を征服する発想とその結果としての環境破壊だった気がします。

製鉄で言えば古代の製鉄法は大量に木材が必要なので、結果、森林破壊が各地で引き起こされました。古代出雲は鉄の産地でしたが、ヤマタノオロチ部分は先住民の征服の過程だったと思います。縄文系の蛇信仰のことを考えれば、ヤマタノオロチの物語は征服者の自己正当化の側面が大きいと思います。

2018/11/19 (Mon) 17:11 | URL | 編集 | 返信

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