152.人類が40年間、月にいかなくなった本当の理由とは?

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(1)アームストロング船長死去 月面着陸「人類にとって大きな飛躍」

■帰れない覚悟で偉業

 人類初の月面着陸という偉業を成し遂げ2012年8月25日に死去した宇宙飛行士、ニール・アームストロング氏(82歳)は、冷戦下で米ソの宇宙開発競争が過熱した時代に、米国の威信を取り戻した「アメリカンヒーロー」だった。しかし、素顔は“物静かで謙虚”。政界入りを拒みながら、宇宙開発に消極的な政策を厳しく批判する姿に、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の的川泰宣(やすのり)名誉教授(70歳)は「目立つことを好まないが、飛ぶことが大好きな冒険家だった」と、その死を悼んだ。

 「月に行くとしたら、正直にいって帰れるかどうか分からない」

 着陸から約20年後、米航空宇宙局(NASA)のある米ヒューストンで的川氏と面会したアームストロング氏は、月面着陸に挑んだ心境をそう語ったという。的川氏は「重厚で無口な印象だったが、月面着陸のことを聞くと目を輝かせ、情熱的に話してくれた」と振り返る。

 アポロ11号の船長として飛び立ったのは38歳のとき。着陸時は大きなクレーターを避けながら、安全な場所を見つけて着陸に成功。はしごを下り、左足を最初に月面に着けた。的川氏によると、アポロ11号の同僚、エドウィン・オルドリン氏は「ニールの着陸は本当に見事だった。いつ着いたのか分からないほどだった」と話したという。

 東西冷戦時代、ソ連(当時)が1957年に世界初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げ、61年にはガガーリン飛行士による有人宇宙飛行を相次いで成功させるなか、月面を飛ぶように歩くアームストロング氏の姿は、米国に勇気を与えた。

 着陸から4カ月後の1969年11月には来日し、外国人として初の文化勲章を受章。銀座で行われたパレードには12万人が集まった。

 71年にNASAを辞職した後はマスコミへの露出を控えたが、86年のスペースシャトル「チャレンジャー」爆発事故の事故調査委員会に名を連ねるなど、宇宙・航空技術には強い関心を持ち続けた。

 それだけに、米国の宇宙政策の転換には忸怩(じくじ)思いがあったようだ。有人月探査の中止を打ち出したオバマ大統領に手紙を出したともいわれている。

 的川氏はアームストロング氏の心中をこう推察した。「人間の宇宙飛行が型にはまり、同じようなフライトが繰り返されている。アームストロング氏は大冒険の話が聞けなくなることが寂しかったのではないだろうか」

(2)アポロ11号

 1961年に米ケネディ大統領が発表した有人月探査計画「アポロ計画」の一環として、69年7月16日にケネディ宇宙センターから打ち上げられた。ニール・アームストロング船長以下、マイケル・コリンズ、エドウィン・オルドリン両飛行士が乗り組み、20日にアームストロング船長とオルドリン飛行士が着陸船で月面に降り立った。3人は24日、太平洋上に着水し帰還した。

(3)“アポロ計画陰謀論”を裏付ける、恐怖の流出映像

アメリカの威信をかけた世紀のプロジェクト“アポロ計画”。この計画では1961年から1972年にかけて、計6度もの有人月面着陸に成功している。しかし、計画は17号をもって中止されている。なぜ、人類は月への挑戦をあきらめたのか。

 そして40年の後、公的には存在しない“アポロ18号”が月面へと着陸したことを示す、記録フィルムが流出。そこには乗組員が遭遇したあまりにも衝撃的な事件が記録されていた。その記録映像を時系列でまとめたものが映画『アポロ18』である。

★アポロ計画を巡る“陰謀論”

 本国アメリカでは公開されるや否や衝撃的な内容で物議を醸したが、NASA(アメリカ航空宇宙局)はこの映画への協力を一切拒否している。その理由は「観客に混乱をきたす作品だから」だという。

 NASAはこれまで、広報活動を兼ねて数々の映画へ技術協力や出資を行ってきた。ロサンゼルス・タイムズ紙によれば、2010年時点で長編映画16本、テレビ番組35本、ドキュメンタリー100本程度の映画に協力している。

 近年では、クリント・イーストウッドが老いた宇宙飛行士を演じた『スペース・カウボーイ』、トム・ハンクスらが主演した『アポロ13』などがそれにあたる。『アポロ13』に至っては、打ち上げに失敗したエピソードを映画化したにも関わらず全面協力している。これほど多くの作品に協力しているにも関わらずなぜ本作は拒否されたのだろうか。

 NASAに拒否された“もう一つの作品”にそのヒントが隠されている。それはピーター・ハイアムズ監督『カプリコン1』だ。1977年に日本公開されたこの作品は「火星の有人探査を行うNASAの計画が失敗、それを隠蔽するための捏造映像を作りあげる」という設定の物語である。

 設定こそ火星に変更されているものの、実質的にはこの作品は“アポロ計画陰謀論”に基づいたものだ。つまり、実際にはNASAの探査艇は月面に着陸していなかったのではないか、という説である。当初NASAはこの作品に非常に協力的であったものの、試写の段階ではこれを拒否。フィクションであるにも関わらず、この作品が拒否されたのは、隠された真実に近づいてしまったからではないだろうか。そして同じく映画『アポロ18』も“なんらかの事実”に触れてしまったのではないか?

 その核心に近づく、衝撃の流出映像をMOVIE ENTERが独占入手した。それがこれだ。




 これは日本未公開のアメリカ版予告編である。非常に断片的ではあるが、月面で我々の想像を絶する何かが起こっていたに違いない、そう確信させる映像である。無人のはずの月面に打ち捨てられた宇宙服。襲われたとしか思えない不自然な動きを見せる乗組員。そしてよく目を凝らせば、“何か”の一部分が写りこんでいるのがわかるだろう。

 『アポロ18』の乗組員に何が起こったのか、そして月には何があったのか…何より、この後彼らは地球に還ってくることができたのだろうか?

 予告編および流出映像では確認できなかった“血も凍る真実”は劇場では確かめておくべきだろう…宇宙だけに…

(4)映画『アポロ18』予告編



(5)アポロ計画の疑惑と真実

『アポロ18』はアメリカ合衆国がおこなった「アポロ計画」における公式には存在しない最後のミッションである。そもそもアポロ計画とは、人間が月まで飛んで着陸する宇宙計画である。いまでこそ宇宙計画といえば約60億kmの旅をしてサンプルリターンした小惑星探査機「はやぶさ」を思い出すが、あれは無人機だった。

 有人の宇宙計画では「国際宇宙ステーション」が思いつくが、それは地球からの高度400 km足らずのところ、いわゆる低地球軌道(LEO)を周回している。LEOはもっと高くまであるが、高度500 kmあたりからヴァン・アレン帯という放射線の強い空間に入るので、それより低いところを周回する。いまは引退してしまったスペースシャトルも、ヴァン・アレン帯にはめったに入らなかった。シャトルの高度記録はハッブル宇宙望遠鏡を運んだディスカバリー号(STS-31)の615 kmである。人類はこれより高く、そして、地球から遠くへは飛んでいないのだ、アポロ計画を除いては。

 ヴァン・アレン帯が見つかったのは1958年のことである。国際地球観測年(IGY)に便乗し、1957年にロシア(旧ソ連)が世界初の人工衛星スプートニク1号を打上げ、同年のスプートニク2号ではメス犬一頭を乗せた世界初の生物宇宙飛行をした。アメリカは慌てて翌年にエクスプローラー1号を打上げ、それで強放射線のヴァン・アレン帯を発見したのである。

 1961年、旧ソ連は人類初の有人宇宙飛行を成功させた。ときのアメリカ大統領J・F・ケネディはそれが悔しくて、1960年代のうちに人間(もちろんアメリカ人)を月面に立たせると宣言した。アポロ計画の始まりである。ケネディは暗殺されたが、その二代後のニクソン大統領が就任してちょうど半年後の1969年7月20日にアポロ11号が月面着陸を果たした。

 アポロ計画捏造説は古くから存在する都市伝説である。たとえば、ヴァン・アレン帯を通過するときの放射線に人間は耐えられないという。しかし、月に行くための最低速度、すなわち第2宇宙速度(秒速約11.2 km)だと、ヴァン・アレン帯の通過時間は往復で一万秒もない。地球と月を往復しても10ミリシーベルトくらいの被曝だ。短期と長期の違いはあるが、1マイクロシーベルト毎時の放射線を一年間浴びる被曝量と同程度である。

 アポロ12号(1969年)はすでに月面着陸していた無人機サーベイヤー3号からカメラなどの機器を持ち帰った。すると、カメラ内から微生物が見つかった。はじめのうちは月の微生物かと思われたが、すぐに地球から運ばれた雑菌だとわかった。しかし、それは2年半も月面の真空と放射線に曝されながら生存したのだ。世界初の生物サンプルリターンである。

 アポロ計画では382 kgにも達する月面サンプルを持ち帰った。あまり知られていないが、旧ソ連も「ルナ計画」(1957~1976)において無人の月着陸機でサンプルリターンをした。成功したのはそのうち3回で合計326グラム(kgではない)と少量だが、もしかしたら、失敗例というのは失敗ではなく、わざとリターンしなかった、つまり、ずっと月面に機体を置く意図のミッションだったかもしれない。

 アポロ計画は公式には17号(1972年)で終了した。同年に旧ソ連が世界初の宇宙ステーション「サリュート1号」をソユーズ11号で打上げたのが、アメリカにはショックだったのである。それで、当初はアポロ20号まで予定していたのに、18号に使うはずだったサターンV型ロケットを宇宙ステーション「スカイラブ1」(1973)の打上げに転用したのだ。そして、1975年、アポロ計画の真のラスト・ミッションが、米ソ共同の「アポロ-ソユーズ・テスト計画」という形で行われたのである。『アポロ18』はこの間の1974年という設定である。

 ルナ計画で先に月に到達し、有人宇宙飛行でも先行していた旧ソ連がなぜ月にロシア人を送り込まなかったのか。なぜアメリカはアポロ計画以降ずっと低地球軌道にとどまっているのか。もはやアポロ計画捏造説などという都市伝説にかまうことはない。むしろ、アポロ計画はいったい何を見たのか、秘められた事実のほうがおもしろいということだ。   長沼 毅

(6)アポロ陰謀論<アポロ捏造説>

911や311に関しては、陰謀説を支持している私ですが、アポロ陰謀論<アポロ捏造説>に関しては、正直言ってよく判りません。

 なので、取りあえず、公式見解を信じている私です。

だから、(5)のような文章を転載してしまいました。(5)で終わると、今回のブログは、ニール・アームストロング逝去と映画の宣伝で終わりと言う感じになりかねないので、最後に自分の思いを綴りました。ニール・アームストロング氏の冥福をお祈り申し上げます。

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