143.沖縄戦の本質を覆い隠すことが、どうして繰り返されるのか?

143.沖縄戦の本質を覆い隠すことが、どうして繰り返されるのか?

(1)沖縄 梅雨明け

気象庁は、今日<6月23日>、沖縄地方が梅雨明けしたとみられると発表しました。

一方、九州は、明日<6月24日>にかけて、大雨・土砂災害の可能性があると言う。

九州は、明日<6月24日>と明後日<6月25日>は広い範囲で、1時間に60ミリから70ミリの非常に激しい雨が降り、大雨となる見込みです。

 九州では、先週の金曜日<6月15日>に、梅雨前線が活発化して大雨となって以来、台風4号や5号の影響も加わって、度々大雨にみまわれています。

 先週の金曜日<6月15日>から昨日<6月22日>までの総雨量は、宮崎県のえびの市で700ミリ近くに達し、そのほかも九州南部を中心に500ミリを超えている所があります。

 地盤が緩んでいる所が多くなっている上に、さらに大雨となるため、土砂災害に対する、より一層の警戒が必要になります。

 また、低い土地の浸水、川の増水や氾濫にも警戒が必要です。

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今回の台風4号や5号も気象兵器の仕業なのでしょうか。

(2)沖縄修学旅行 男女混合名簿

私は、1996年4月に東京都立小金井北高等学校に異動した。異動したての頃、私はこの学校で二つのことを実現させると決意しました。

一つは、沖縄修学旅行、もう一つは男女混合名簿です。

結果から申し上げると、二つとも実現しました。

私が赴任した当時、小金井北高等学校の修学旅行の行き先は関西でした。また、男女混合名簿も実現していませんでした。

前任校の東京都立南野高等学校では、1996年4月時点で、既に実現していました。

私も、南野高等学校での男女混合名簿実現に尽力した一人です。南野高等学校で沖縄修学旅行を実現させたのは、私の仲間でした。澤穂希の担任だったような記憶があります。

私が沖縄修学旅行を実現させたいと熱く願ったのは、究極の状況になると、軍隊は住民を守らない、特に弱者を守らないと言う歴史的事実を、現地の体験者からきちんと学んでほしいと考えたからです。

もちろん、そうした旧日本軍の有様は、ソ連参戦時の関東軍の体たらくな有様からも学べるのですが。

 関東軍は、満州国に住んでいた一般居留民を置き去りにして、自分たちだけ列車で帰国しようとしたのです。あの石井四郎もね。

 取り残された居留民は、究極の状況に放り出された。そうした中で、中国残留日本人孤児の悲劇が生まれた。

本来なら、究極の状況の際に、国民を守るのが軍隊だと思うのですが。やはり、軍事力も警察力も、多くの場合、権力を守る存在なのでしょう。

ただ、革命が起きた際、軍事力や警察力が革命側につくと、革命が成就する可能性が高まることは、過去の実例が示しています。

(3)沖縄戦から67年、慰霊の日 追悼式

 さて、話を沖縄に戻しましょう。前述の通り沖縄に思い入れがある私が腹立たしく思うのは、沖縄県民以外の人々が、基地問題や沖縄戦の問題について、沖縄県民と比べると、関心が低いことである。

下の動画は、私がUPしようとした今日<6月23日>19:10時点で、たった4 回しか再生されていない。



沖縄は今日<6月23日>、アジア太平洋戦争末期の沖縄戦から67年の「慰霊の日」を迎えました。

 最後の激戦地となった沖縄本島南部の糸満市では、戦没者追悼式が行われ、沖縄県の仲井真知事は、戦争が残した基地の負担を軽減するよう改めて訴えました。

 1945年の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦の末、犠牲者は20万人を超え、県民の4人に1人が命を落としました。

 「慰霊の日」の23日、最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では、正午前から、遺族など5500人が参列して沖縄県主催の戦没者追悼式が開かれ、正午の時報に合わせて犠牲者に1分間の黙とうがささげられました。

 このあと、沖縄県の仲井真知事が、平和宣言で「沖縄には今なお広大なアメリカ軍基地が集中し、県民の負担は続いている。日米両政府に対して、基地の過重な負担の軽減と普天間基地の一日も早い県外移設を強く求める」と訴えました。

 また、野田総理大臣は「戦争を二度と繰り返さないために安全保障に万全を期すことは、国政を預かる者の務めだ。一方、現在も沖縄に基地が集中し、県民の皆様に多大な負担をおかけしている事実はざんきに堪えず、基地負担の早期軽減に全力を尽くし、目に見える形で進展させる」と述べました。

 また、浦添市の高校3年生の金城美奈さんが、自分と同じ年頃で戦争に駆り出され、命を落とした祖父の兄の気持ちに思いをはせた、「平和の詩」を読み上げ、平和を訴えました。

 沖縄が日本に復帰してことしで40年を迎えましたが、今も悲しみの記憶と、戦争が残した基地の負担に向き合うなか、沖縄は平和を願う祈りに包まれました。

追悼式には横路孝弘、平田健二衆参両院議長や川端達夫沖縄担当相も出席しました。

首相は追悼式に先立ち、公園内の国立沖縄戦没者墓苑も訪れ、献花した。

 追悼式後、米空軍の垂直離着陸輸送機CV22オスプレイの墜落事故について、「米側に調査結果を伝えるよう強く要請している。沖縄県民には誠心誠意、丁寧に説明する」と記者団に述べた。

沖縄は今年、本土復帰40年を迎えたが、現在も在日米軍専用施設の74%が集中している。野田総理大臣のスピーチは、その現状に関して、「基地負担の早期軽減」をアピールしたが、本当に努力する気があるのかは疑わしい。

それにしても、今日<6月23日>19時55分更新のヤフーJAPANのトピックス一覧<合計8件の話題>に「藤本美貴の焼肉店 食中毒問題で閉店」なんて話題は出ていても、沖縄慰霊の日は出ていない。こうした現状を私は憂う。

(4)2012年6月23日付け琉球新報社説

★ 慰霊の日/史実の風化許さない 沖縄戦の教訓を次代へ

 戦後67年、慰霊の日がまた巡ってきた。きょう23日、糸満市摩文仁で沖縄全戦没者追悼式が催され、県内各地の慰霊碑でも祈りがささげられる。

 激しい地上戦に日本軍が意図的に住民を巻き込んだ結果、おびただしい命が失われ、生き残った者も無残な生を強いられた。

 こうした犠牲を払って得た教訓を、無にするかのような動きが近年、活発化している。先人が味わった辛酸を、無念を、決して無駄にしてはならない。次代にその教訓をつなぐ使命の重さを、鎮魂の日にあらためてかみしめたい。

★ 珍妙な理屈

 今年3月、県は首里城公園内に旧日本軍第32軍司令部壕の説明板を設置した。沖縄戦史の有識者で構成する設置検討委員会がまとめた説明文から、日本軍による住民虐殺の記述と、壕周辺での「慰安婦」の存在を示す記述を削除しており、削除への批判を押し切っての設置だった。
 
 県の説明は実に珍妙な理屈だった。虐殺については「あったという証言と、なかったという証言の両方があって不確か」だから削除したという。「あった」というのは目撃証言であり、虐殺の存在をまさに証明するものだ。これに対し「なかった」という証言は、本人がその場にいなかった、目撃しなかったことを示すにすぎない。これを同列に扱い、「見ていない」旨の証言で目撃証言を消去するとは、この種の証言史料を扱う態度として、およそ信じがたい。
 
 まるで、ナチスのユダヤ人連行を見たことがない人がいたから、「アウシュビッツの悲劇は存在しない」と強弁するかのような暴論だ。こんな理屈は世界に通用しない。
 
 「慰安婦」についても同様だ。第32軍司令部の史料にも軍が女性75人を南部に移動させる命令があり、いくつかの証言から辻の料亭や朝鮮人の女性たちが「慰安婦」にされ、壕内にいたことは分かっている。だがこれも、「見ていない」人がいたから「なかった」ことになった。
 
 これらは県教育庁が今年まとめた「沖縄戦日本軍史料」でもあらためて明らかになったものだ。住民虐殺や「慰安婦」の存在は2007年の県平和祈念資料館の証言集でも既に明らかだ。県は自らの資料で明らかな事実を、消去したことになる。
 
 昨秋、説明文の内容が報じられた後、県に電話やメールで80数件の記述削除要求が来た。この動きが、県の削除の背景にあったのは間違いない。

★ 頼もしい動き

 多くの証言があるのに史実をねじ曲げるのは、歴史教科書の「集団自決」(強制集団死)軍命削除検定とも通底する。一部のグループの圧力で沖縄戦の史実がなかったことにされるのを許してはならない。
 
 時がたち、生存する目撃者がいなくなれば、一部のグループは今以上に史実をなかったことにしようとするだろう。史実をきちんと次代に引き継ぐことの重要性が、今ほど問われる時期はない。
 
 その意味で、最近の若い人たちの動きは頼もしい。
 
 自治体の平和学習事業を体験した高校生や大学生が、沖縄戦を語り継ぐ活動をしたり、病院壕のガイドをしたりしている。本紙連載「未来に伝える沖縄戦」で体験者の話を聞いた中学・高校生は、友人や次の世代に語り継ぐ決意を語っている(本紙22日付)。
 
 史実を風化させようとする動きへの抵抗の意思が、無意識のうちに広まりつつあるのではないか。こうした継承の機運を広げたい。
 
 軍隊は住民を守らないという教訓、軍の存在が島に敵の攻撃を呼んでしまったという教訓、命こそが何よりの宝であるという教訓を、われわれは沖縄戦という甚大な犠牲を払って学んだ。
 
 昨今の自衛隊配備強化の動きは、その教訓に照らして正しいと言えるのか。戦争につながる動きは注意深く排除したい。

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ネットでは、例によって、ネット右翼と言われている人々が、この社説を盛んに叩きまくっている。

 そうした内容が載っている掲示板を見ると、琉球新報の社説のタイトルに「軍隊は住民を守らない」と書いてあるように読める。

 「軍隊は住民を守らない」、もちろん、その通りなのだが、私が見た時には、琉球新報のサイトにはそうは書いてなかった。

もしかしたら、新聞記事そのものはそう書いてあって、ウェブ上では、右翼から執拗に攻撃されて、「軍隊は住民を守らない」と言う表現をCUTしたのだろうか。

だとしたら、情けないことである。事実なのだから、右翼に屈服してCUTする必要はまったくない!

だとしたら、琉球新報もニコンもファシズムを許容する情けない企業ということになる。

(5)元慰安婦写真展、会場提供命じる 東京地裁、ニコンに

今月26日から東京・新宿で開催予定だった元朝鮮人従軍慰安婦に関する写真展をめぐり、会場を運営するニコンが「中止する」と決めた問題で、東京地裁(伊丹恭裁判長)は22日、この写真展のために会場を使用させるようニコンに命じる仮処分決定を出した。

 仮処分を申し立てていたのは、写真展を企画した名古屋市在住の韓国人写真家安世鴻(アン・セホン)さん(41)。中国各地に戦後、置き去りにされた元従軍慰安婦の女性たちの今を扱った2001年以降の作品約40点を展示する内容で、昨年12月にニコンに会場の使用を申し込んだ。

 今月26日から7月9日まで新宿のニコンサロンで開くことが決まっていたが、ニコンは5月下旬、安さんに中止を通告。安さんは「納得のいく説明がなく、中止は受け入れられない」として会場を使わせるよう仮処分を申し立てていた。

 写真展をめぐっては、インターネットの掲示板などで「歴史の捏造(ねつぞう)に加担する売国行為」などと批判する内容の投稿が目立ち、ニコンへの抗議を呼びかける書き込みもあった。

(6)沖縄県、32軍壕説明板を設置

沖縄県は2012年3月23日、第32軍司令部壕説明板を那覇市の首里城公園内に設置した。外部の検討委員が作った文案から、「慰安婦」「住民虐殺」を削除したままの文章になっている。検討委員は文言復活を求め、県の下地寛環境生活部長と28日に協議する予定だった。協議前の設置に「信義に反する」と反発している。(阿部岳)

 2012年3月23日午後、県担当者や那覇市の文化財担当者が立ち会う中、制作企業が設置した。企業側からこの日に設置したいと打診があり、県が了承した。

 協議を控えた時期の設置について、県平和・男女共同参画課は「委員が求める文言は確証がなく、復活が難しいことは変わらない。支払いの面からも、年度内に事業を完了する必要があった」と説明した。

 文案を作った検討委員会は、協議の申し入れ文書で設置時期を尋ねていたが、連絡はなかった。池田榮史委員長(琉大教授)は「話し合いでいい方向を探りたいと思っていたが、先に設置されてしまった。文言を断りなく削ったボタンのかけ違いが、ずっと続いている」と嘆いた。

 村上有慶委員は「事務的に設置して終わりたいという感覚で、沖縄戦を真摯(しんし)に伝える姿勢がみられない。問題はさらに大きくなった」と批判。「委員として、説明文に責任を持てない。抗議するとともに、書き換えを求めることになるだろう」と話した。

 説明板は横120センチ、縦90センチで、土台は琉球石灰岩製。県が本年度事業として206万円をかけて整備した。壕の地図や当時の写真も紹介。日本語文から、さらに「沖縄を『捨て石』にした」などの表現を削った英、中、韓の3カ国語の説明文もある。

 検討委員が報告した文案から「慰安婦」「住民虐殺」を削るなど県内部の調整に時間がかかり、制作企業との契約、制作が当初予定より遅れていた。

設置された第32軍司令部壕説明板=23日午後2時半、那覇市・首里城公園
↑設置された第32軍司令部壕説明板=2012年3月23日午後2時半、那覇市・首里城公園

(7)支配層にとって都合の悪い歴史をねつ造したり隠蔽する勢力がいる!

1999年、沖縄県平和祈念資料館の展示について改ざん作業が行われ、大きな問題となった。

(6)の事例は、それと同じ本質をもつ事件である。

沖縄県民以外で、1999年の改竄問題を記憶している人々の比率は、沖縄県民で記憶している人々の比率より低いように思える。

この問題についても書きたいことが一杯あるので、いずれ別の記事で記載したい。

(8)NEWS21 サタデースコープ 孫が語り継ぐ沖縄戦

(7)で記したような現状がある中で、BS・TBSが今日<6月23日>21:00から放送した「NEWS21 サタデースコープ 孫が語り継ぐ沖縄戦」は、なかなか良い企画であった。

(9)沖縄 元野戦病院の碑が完成

沖縄戦 碑

アジア太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者を追悼する2012年6月23日の「沖縄慰霊の日」を前に、野戦病院として使われた沖縄県内の壕(ごう)に、当時の過酷な状況を後世に伝える碑文が設置され、負傷した兵士の看護にあたった元女子学徒たちが参加して除幕式が行われました。

 碑文が設置されたのは、沖縄戦の激戦地の一つ沖縄県八重瀬町のヌヌマチガマと呼ばれる壕で、沖縄戦当時、陸軍の野戦病院として使われました。

 昨日22日、「白梅学徒隊」として、負傷した兵士の看護のために動員された元女子学徒などおよそ20人が出席して碑文の除幕式が行われ、戦闘の犠牲になった仲間に対して黙とうしました。

 式では、元学徒で白梅同窓会の中山きく会長(83歳)が「沖縄戦のことを語る気力や体力が限界にきています」と、碑文を設置した理由を語りました。

 碑文は高さ1メートル80センチ、幅が80センチほどのプレートで、負傷した兵士およそ1000人がひしめく壕の中で、治る見込みがなく切断された兵士の手足を女子学徒たちが捨てに行ったことなど過酷な体験が記されています。

 元学徒の大嶺智子さん(83歳)は「亡くなった友人や兵士のことを思うと平和を願うばかりです。この碑文が悲惨な戦争を語り継いでくれると思う」と話していました。

↓下の動画:AKB48・大島優子 他
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