140.地下鉄サリン事件で本当にサリンが使用されたのか?

(1)残酷なシーンを報道しない日本のマスコミ
「ショックが強すぎる」「あまりにもひどすぎる」「これは残忍だ」など、現実に発生していることに対して目を背ける日本人の気質は、日本のマスコミが作り上げたものと言っても過言ではない。
そもそも、日本は電波に乗せる情報を “悪い意味で” 選んでいるがゆえ、国民たちは生ぬるい情報に浸かって生きている。
日本人は生活の中で、あらゆるものを自分で選んで生きているように思えるが、実は数少ない選択肢のなかから選択しているにすぎない。
以前、拙ブログでは、シリアでの残虐なシーンの動画をUPした。こうした画像を日本のTVはまず流さない。
そうした状況下で、私が最も懸念するのは、この国の多数派が石原のような好戦的な男に乗せられて、再び戦争をするのではないかと言う事である。
こうした状況下、多くの人々は戦争の残虐さを知らない。戦争推進派にとっては、好ましい状況であろう。
なので、戦争の残虐さを少しでも伝えたくて、拙ブログでは以前731部隊の映画もUPした。
今日<6月20日>、日中両国の人々が相手国をどのように思っているかのアンケート結果が発表になる。
おそらく、石原閣下の政策の影響で、私が望まない結果となるだろう。
なお、このアンケートは日中国交正常化40周年を記念して行われたアンケートである。
日中両国の経済緊密化が進展する現在、日中両国の人々が相手国の人々をを好ましく思った方が、両国の国益にも合致すると思うのだが、そうなってほしくない人々が日本国内にいるようである。そうした人々はどうも戦争を望んでいるように思える。
さて、地下鉄サリン事件と呼ばれている事件に関して言えば、日本人よりもドイツ人やフランス人など、ヨーロッパ各国の人々のほうが恐ろしさを知っている。
ヨーロッパでは地下鉄サリン事件の惨事をモザイクやカットをすることなくテレビ放映し、雑誌にも掲載したからだ。
1995年3月、顔面が青白くなり、鼻や口から血を流し、医療用担架に寝かされているスーツ姿のサラリーマンたちの姿が、ヨーロッパに限らず、日本以外の多くの国々のTVから流れた。
日本のマスコミは視聴者に対して配慮をするという名目で、それらの本当の惨事を報道していない。
被害者や当事者を除けば、海外の人々のほうが地下鉄サリン事件と呼ばれている事件の恐ろしさを実感している。
(2)1995年3月20日 有毒ガス散布の状況
サリンは無臭である。なのに、地下鉄に撒かれたものは異臭を伴っていたことが特徴である。用意周到に準備された混合物と推定される。
事件の第一報である三月二十日夕刊の記事から犯行状況を追跡する。
『朝日新聞』十四、十五面で「神谷町駅では午前八時十分過ぎ、中目黒発東武動物公園行き電車の先頭車両で異臭が発生した。新聞紙に包まれた五十センチ四方ぐらいの包みが原因らしい」としている。新聞紙に包まれた物体の写真も掲載されている。
築地駅では八時十六分ごろ、北千住発目黒行き三両目車内に透明な液体が撒かれたようだ。新聞紙にくるまったものを誰かがけとばして人形町の駅で降りた」とある。八丁堀駅、人形町駅でも同様な所見が報じられている。
霞ヶ関駅では千代田線で八時十五分ごろ、一両目の車内にビニール容器のようなものがあり、同駅助役が下ろしたがその場で倒れ息を引き取った。さらに同じ電車の八両目の車内に新聞紙に包まれた薬品 しいビンも見つかったとある。
中野坂上駅では八時四十分ごろ、丸ノ内線の電車の三両目にあった異臭のする物質を駅員が駅事務室に運んできて、「液体はビニール袋二つに入っていて、一つは空だった」と話している。丸ノ内線ではこのほか九時八分、本郷三丁目駅で薬物が発煙とある。
『読売新聞』の第一報が報じている内容で『朝日新聞』と異なっている点は、日比谷線の前から三両目に乗っていた乗客の話として、八丁堀駅付近で「緊急ボタンが押されたあと『ボタンを押された方は築地の駅で申し出て下さい』との車内放送が終わるか終わらないうちに、一つ前の車両から「人が倒れているぞ」と叫び声があがったと報じている。また丸ノ内線本郷三丁目駅で発見されたものは新聞紙に包まれた骨壷大のものであったとしている。
さらに駅構内にガスを撒いた者もいた。『朝日新聞』二十日夕刊ドキュメント欄に「九時八分丸の内線本郷三丁目駅で薬物が発煙」とある。さらに霞ケ関駅では「一両目にビニール容器のようなものが見つかったほか、八両目の車内に新聞紙に包まれた薬品らしいビンも見つかった」と述べている。『読売新聞』二十日夕刊一面には「築地駅では、男が新聞紙にくるんだ二十センチ四方の包みをホームに投げ込むのが目撃され、その直後に駅構内に異臭が充満した」とある。続いて「小伝馬駅でも不審物が見つかった」とある。『読売新聞』二十日夕刊十五面には小伝馬町駅で、「乗客の一人が車内にあった直径約三十五センチの筒状のものをこれは危ないとホームにけとばすと白っぽい液体が地面に広がった」とある。これは日比谷線神谷町駅や築地駅で見つかったものとは別のものである。
(3)第7サティアンの謎
第7サティアンはサリン製造所とされている。警察は外部専門家を一切入れず、あろうことか、この施設を早々と解体してしまった。
真相究明を求める立場からすれば、許し難い警察の暴挙であり、徹底的に糾弾すべきである。
このオウムの背後にいるかもしれない巨大な組織を庇うかのような、警察の薄汚いやり口は、拙ブログで既に取り上げた2001年10月の長谷川浩の不審死の際、渋谷警察署が検死をしなかったことと似ている。
検死をしなかったのは、ハザール人を庇う行為である。中東のマスコミは、長谷川浩はシオニストに殺害されたと報じている。
さて、話をサリン製造所とされている第7サティアンに戻そう。外部専門家から、「あの施設でサリンが造れるわけがない」とか「換気が不充分で施設内外の者が死んでしまう」といった指摘が既になされている。
更には、「実際は北朝鮮へ流す覚醒剤を造っていたのだろう」とか「夏場になると(覚醒剤特有の)異臭がした」という証言まで飛び出した。
東京地検は2000年、この覚醒剤製造容疑など薬物関連事案を「審理短縮のため」と称して不起訴にしてしまった。
(4)「騒ぎ起こすと言われた」 地下鉄サリン事件前夜、井上死刑囚に
地下鉄サリン事件の殺人容疑などで逮捕されたオウム真理教元信者、高橋克也容疑者(54歳)が事件前夜、元幹部井上嘉浩死刑囚(42歳)から「何かをまいて騒ぎを起こす」とアジトで言われたと話していることが19日、捜査関係者への取材で分かった。
事件当日、散布役の元幹部、豊田亨死刑囚(44歳)を日比谷線中目黒駅まで車で運んだことは認めているが、「車の中で茶色い液体を見た。サリンは無色透明なので違うと思った」と話しており、警視庁築地署捜査本部は高橋容疑者が事前にサリンと認識していたかどうか調べている。
捜査関係者によると、高橋容疑者が松本智津夫死刑囚(57歳)=教祖名麻原彰晃=を現在も「尊師」と呼んでいることも判明。荷物から松本死刑囚と一緒に写った写真と説法が録音されたテープが見つかっていることなどから、捜査本部は教団の影響がなお強く残っているとみている。
(5)<オウム>菊地容疑者、VX襲撃事件で再逮捕へ
地下鉄サリン事件で特別手配され殺人容疑などで逮捕された菊地直子容疑者(40歳)について、警視庁は勾留期限の24日に、猛毒のVXで3人を襲撃した3事件における殺人と殺人未遂容疑で再逮捕する方針を固めた。また、東京地検はサリン事件についてはいったん処分保留とする方針。
VXの3事件は94年12月~95年1月にかけ、大阪府や東京都で発生。警察のスパイと疑った会社員男性(当時28歳)ら3人をVXで襲撃し、会社員男性1人を殺害、2人に重傷を負わせたとされる。
一方、菊地容疑者には、95年5月、青島幸男・東京都知事(当時)あての郵便小包が都庁内で爆発し、職員が重傷を負った事件にも関与した疑いがあるとして、殺人未遂と爆発物取締罰則違反容疑で逮捕状が出ている。
警視庁はVXの3事件を調べた後、都庁爆発物事件についても捜査する方針。
菊地容疑者に対する特別手配はサリン事件のみが対象で、警視庁はこれまで同事件だけを調べていた。警視庁によると、94~95年に山梨県の教団施設で麻酔薬を無許可製造したとする薬事法違反については、すでに時効が成立している。【小泉大士、喜浦遊、松本惇】
(6)オウム事件は米史上最悪の生物テロ「炭疽菌事件」に影響を与えていた? 週刊朝日 2012年6月29日号
1995年の地下鉄サリン事件をはじめ、数々のテロ行為で世間を震撼させたオウム真理教。そのテロ行為は海外にも影響を与えているという。
2001年の同時多発テロ直後から、致死性の高い炭疽菌(たんそきん)入りの封筒が米主要メディアやワシントンの米議会へ送りつけられ、5人が肺炭疽を発症して死亡、17人に感染症状が出た。史上最悪の生物テロは、世界を揺るがした。08年8月、米司法省は、自殺した米研究者の単独犯と断定したが、アルカイダが関与していたとする見方も根強い。
オウムはなんと米国事件の8年も前に散布している。
92年夏ごろ、麻原彰晃こと本名・松本智津夫死刑囚が遠藤誠一死刑囚に炭疽菌の入手を指示。遠藤はある在家信者から炭疽菌のワクチン株を入手した。麻原は93年春、東京・亀戸の新東京総本部での炭疽菌培養を遠藤に命じた。遠藤は従った。
そして6月から7月にかけて2度、無差別大量殺人のため、教団が開発した噴霧装置で付近へ噴射。だが装置の圧力が強すぎて失敗、周囲に悪臭を撒き散らしただけだった。その1カ月後にも麻原は遠藤らとともに、トラック数台に積載した装置を使って東京都内に炭疽菌を撒き散らそうとしたが、装置の不良などで失敗に終わった。
地下鉄サリン事件以降、オウムは米国の注目を受けてきた。オウムの卑劣な行動が、後のテロリストたちに影響を与えたと受け止める専門家は多い。
(7)ANN報道特番 地下鉄で劇物多発事件 1995年3月20日10:30~
「影響を与えた」と言えば、オウムに影響を与えた宗教団体は、公式には阿含宗だけみたいですね。
前回の記事で初期報道の重要性について綴った。
Wikipediaによれば、事件が発生した日、テレビではNHK教育以外全ての局において8時30分以降の通常番組が報道特別番組に変更された。
NHKを含む在京キー局の中で、現場映像と同時に事件速報がもっとも早かったのが、テレビ朝日で生放送中だった『スーパーモーニング』であった。
また、事件発生から2日後の強制捜査の中継も放送された。
それにしても、1995年3月20日、各社とも事前にスタンバイしていたのではと思えてしまうほど実に機敏な対応だったんですね。
当時、私はあの澤穂希が生徒として在籍していた都立高校に勤務していた。当日は、昼食を取る余裕もない程の忙しさで、ようやく午後3時台に職場の仲間と多摩市内の某飲食店で昼食を取った。その際、店内で流れていたTVではじめて事件を知った。
この動画ではまだ「サリン」と言う言葉は使われていない。だが、この番組開始のわずか30分後に、前の記事で綴った通り、記者会見で警視庁寺尾捜査一課長はサリンと断定した。
では、消されないことを祈りつつ動画をUPします。早めにご覧下さい。

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