132.東電社員殺人事件で、東電社員を殺害したのは、原発殺人鬼<原発マフィア>ではないのか?

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(1)マイナリ元被告釈放…入管施設移送、強制送還へ

 東京電力女性社員殺害事件で無期懲役が確定したネパール国籍のゴビンダ・プラサド・マイナリ元被告(45)に対し、東京高裁(小川正持(しょうじ)裁判長)が再審開始と刑の執行停止を決定したことを受け、法務・検察当局は7日午後、元被告を釈放し、入国管理施設に移した。近く同国へ強制送還される。

 東京高検は再審開始決定に異議を申し立てたが、審理は元被告不在で進むことになる。

 高検は異議申し立てと同時に、職権で元被告の釈放手続きを停止するよう高裁に求めたが、認められなかった。このため、高検は元被告が服役していた横浜刑務所に釈放を指示。元被告は入管難民法違反(不法残留)で有罪が確定しているため、同日午後、横浜市内の法務省入国管理局の施設に移送された。

 再審開始の確定前に、服役中の受刑者が釈放された例は、検察側が再審公判で無罪論告した「足利事件」(2010年無罪確定)がある。しかし、今回の様に、検察側が有罪立証の姿勢を崩してないのに釈放されるのは、極めて異例だ。

 この日の決定は、再審請求審で新たに実施されたDNA鑑定の結果を重視。元被告とは別の第三者(X)の存在が浮上したとして、「Xが女性を殺害した疑いが生じた」と結論付けた。

 これに対し、高検は異議申し立ての中で「新証拠からは、Xと女性が接触した場所や時間は特定できない。鑑定結果は確定判決を揺るがす明白な新証拠とは言えない」と主張。異議審での物証の再鑑定を求めた。

 高裁の別の裁判部で行われる異議審では、改めて再審を開始すべきかどうか審理されるが、検察が今回の決定を覆すには、元被告の有罪を裏付ける新たな証拠を提出する必要がある。

 また、再審が正式に始まっても、被告に出廷義務がない控訴審(東京高裁)で審理されるため、ネパールに帰国する元被告が公判の度に来日する必要はない。仮に再審で有罪判決が出たり、異議審などで再審開始決定が取り消されたりしても、元被告が収監されることは事実上なくなった。

(2)奥西元被告の処遇改善を

名張毒ぶどう酒事件で死刑が確定した奥西勝元被告(86)の支援者は4日、体調不良で名古屋拘置所外の病院に入院した奥西元被告の治療体制や病院での処遇を改善するよう同拘置所に要請した。

 特別面会人の稲生昌三さんは「万全の治療体制を求めた」と話し、奥西元被告の処遇に関し「自殺や反抗の恐れがないのに、入院は護送中の扱いだからといって手錠をするのはおかしい」と述べた。奥西元被告の親族らによる病院での面会も求めたという。

 稲生さんによると、奥西元被告は平熱に戻り、容体は小康状態とみられ、支援者からの手紙や差し入れは届いている。

 拘置所での要請後、全国から集まった支援者約20人は名古屋高検にも同様に要請、死刑執行の停止と即時釈放を申し入れた。

(3)正義感

2012年5月25日の名張ぶどう酒事件再審棄却は、『疑わしきは被告人の利益に』という無罪推定の原則を意図的に無視した許し難い暴挙であり、正義感溢れる多くの人々は、これを徹底的に糾弾する必要がある。

島田事件で冤罪に陥りながらも、89年に無罪となった赤堀政夫さんも、「ひどい。裁判所は悪魔だ。間違っている」と怒りを表明した。

今回の事例は、名張ぶどう酒事件と違い、東京高裁が再審開始と刑の執行停止を決定したので、結構な事である。

手前味噌であるが、私は高校の通知票の所見欄に、恩師のT先生から「正義感が強い」と書かれた。

そんな私は、1978年、当時中央大学法学部の学生だった高校時代の友人に誘われ、冨士茂子さんの再審を支援する市民の会に加わり、微力ながら支援活動に加わりました。

冨士茂子は、自分の汚名を晴らすことなく、1979年11月15日帰らぬ人となってしまいました。無実を叫んで25年の年月でした。

1985年7月9日徳島地裁は遂に無罪の判決を下しました。その約一月後、日航123便墜落事故が起きました。

冤罪は、本当にたくさんあります。警察発表に何の疑問も差し挟まない体たらくのマスコミが冤罪を作り出していると思える事例が実にたくさんあります。

高橋克也容疑者の報道も、警察発表に何の疑問も差し挟まない体たらくのマスコミ報道の一例と言えるでしょう。

(4)売春婦として殺された女性

女性の父は東電公務部統括する幹部だった。当時「明るい未来のエネルギー」として期待されていた原発事業にも関わる立ち場にいた。

 しかし高圧の地中送電線を東京都内に引く責任者を務めてからは反原発に転じ、社内で原発の危険性を説くようになり、副部長という役職からたった1年で降格。翌年ガンで急死・・。

 その2年後の1979年に、予測されたかのようにスリーマイル事故が起る。

 その父の死の当時、女性は慶応大学の2年生だった。卒業後、東電へ。東電に引き入れたのは勝俣だったとも言われている。

 そして女性は勝俣が当時企画部長を務めていた企画部経済室へ。そこには後に副社長を務める企画管理課長藤原もいる花形部署だった。

 しかし、勝俣や藤原の思いとは裏腹に女性は父の意思を継ぎ、反原発へ。

 日本が円高不況に苦しんだ1986年11月、経済論壇の登竜門と言われる東洋経済第3回「高橋亀吉記念賞」に、女性の論文が佳作入選した。反原発のリポートだった。

論文が佳作入選した1986年11月をボトムに景気は再び上向いた。その好景気こそが、有名なバブル景気である。

それから、約10年後の1997年、その女性と父親がが警告を発し続けたプルサーマルが本格稼働した。

女性は売春婦として殺され闇に葬られた。

この殺人事件の謎解き解きに世間の目が向き出した時、今度は神戸で14歳の子どもが殺人を犯すという、前代未聞の事件が起きました。

 今日<6月7日>再審決定の喜びに沸いたネパール人が逮捕された1997年5月20日の直後に、神戸事件は起きています。

 女性の死の翌年である1998年、勝俣は常務取締役になり、原発推進事業が加速し、311に至った。

2002年10月25日、原発利権やオウム事件の深層を追及していた民主党の石井紘基議員が暴漢に襲われ死亡した<民主党政権よ! 真相究明せよ!>。

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そして、今日<6月7日>、無実を訴え続けてきたネパール人が、再審決定を言い渡された。

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