1311.『白旗の少女 琉子』と『さとうきび畑の唄』 その2

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↑画像 沖縄県中頭郡読谷村都屋 さとうきび畑 17/09/11付けオリコン週間ランキングNO1「#好きなんだ」AKB48 ロケ地 AKB48 横山由依 HKT48 宮脇咲良
https://entameclip.com/news/75109

(1)はじめに

 2018年6月28日の4本目です。「1310.緊急投稿 静岡県浜松市で地下原発が爆発事故を起こしたのか?」を完成後、「(7)浜松の花火工場火災に関する読者からの非公開コメント 4 2018/06/28 (Thu) 07:51投稿」を追加しました。申し訳ありません。よかったらお読み下さい。沖縄シリーズ goes on.<1309.『白旗の少女 琉子』と『さとうきび畑の唄』 その1>の続きです。

★タマちゃんの暇つぶし ヘルペスがアルツハイマー( 認知症 )の主原因か!
http://1tamachan.blog31.fc2.com/blog-entry-16177.html

★ずくなしの冷や水 米軍がシリアに居座り軍増強があれば第二のベトナム戦争になる 遺体袋がぞくぞくと本国に送られる 
http://inventsolitude.sblo.jp/article/183617019.html

★杉並からの情報発信です 【今日のブログ記事】 ■日本の大手マスコミは『権力犯罪者』竹中平蔵の「権力犯罪」を一切批判しないで野放しにしている!
https://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/bdc08bb2426a6c0e08a6d8a517c9c774

★パワー・トゥ・ザ・ピープル!! パート2 〈中国通信1527〉日本人戦犯を弁護した中国人弁護士
http://wind.ap.teacup.com/people/12987.html

ゆるねとにゅーす がん患者に「いい加減にしろ」自民・穴見陽一議員に政治資金”環流”疑惑!自身の資金管理団体に4450万円を貸し出し、利息付き(44万)で返済!
https://yuruneto.com/anami-seijisikin/

みんなが知るべき情報/今日の物語 この期に及んで陸上イージス固執!安倍政府も認める北朝鮮脅威【緩和】費用莫大、配備に5年、浪費必至!弾道ミサイル発射を大げさに「国難」と言い立てて国民有権者の恐怖心を煽ったホラービジネスの化けの皮が
https://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/172f917a8bc08f7c21a22d8e8171225e

【主張】産経新聞「災害時のデマ 卑劣なネット拡散許すな」「流言の中でも見過ごせないのは外国人、在日外国人に対する偏見、差別の助長につながる表現だ」
http://健康法.jp/archives/40897

★車を停めて運転席でポチポチ
http://my.shadowcity.jp/2018/06/post-13483.html

(2)転載記事 日本の陰謀 (14) 6月23日は、沖縄守備軍司令官牛島満が自決した日

http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p002.html#page14A

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↑画像 沖 縄 戦

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牛 島 中 将 画像 【牛島麗子、皆本義博】 沖縄戦終結64年を振り返る

 6月23日は、沖縄守備軍司令官牛島満が自決した日

 6月23日は、沖縄守備軍司令官牛島満が摩文仁司令部で自決した日(沖縄戦の組織的抵抗が終結) であり、また、 インド航空機のテロ爆破事件のあった日であったことは、すでに述べた。

 この投稿とどういう関係があるのかは不明だが、今年の6月23日は全てが異常だった。

■ 6月23日、ヒル国務長官東京へ

 ヒル米国務次官補は23日、わざわざこの問題の日に北朝鮮からの帰り東京に立ち寄った。評論家の話では、東京から北朝鮮に向かった時、 横田基地から特別機で韓国に飛び北朝鮮に向かったようだ。日本政府には事前の話は何もなかったそうだ。

■ 解決しない 教科書問題

 日本政府は教科書問題を故意にぶつけて争点を捻じ曲げている。だが本当の争点はそんな生やさしいことではない。日本が米国を含む連合国に「復讐」としてのテロを支援していることだ。

■ 沖縄と鹿児島

 そもそも沖縄守備軍司令官牛島満だが、この男は「鹿児島」出身だ。鹿児島の人間はほとんどこの事を知らない。少なくとも学校教育では語られない。沖縄で鹿児島が受け入れられないのは、薩摩藩時代の「サトウキビ貿易」による沖縄の搾取だと言われている。これも嘘だ。それどころか、司令官に何故鹿児島の男を選んだのか。それは、陸軍の司令部の跡を訪ねるとよく分かる。陸軍の司令部は、「首里城の地下壕」だった。首里城の地形を見ればよく分かるが、そこに地下壕を掘らねばならない理由もはなく、首里城の城壁は近代戦争での効果的な防護にはならなかった。

 日本政府には明治以来大きな課題があった。今でもそうだが、「美しい国日本」だ。その点で日本の最大の邪魔者は、周辺の王朝の存在だった。いや、存在ではなく、歴史的存在だ。大和朝廷よりも優れた王朝であってはならないのだ。だから、全ての遺産は破壊する必要があった。

 沖縄を戦場に選んだのは米国ではなく日本政府だったのだ。なぜ、沖縄に主力部隊を置いたのか。台湾、奄美大島や徳之島でもよかったはずだ。

 米国は文化施設は戦闘地域から除外する。日本は逆だ。破壊したい文化施設に立てこもり、敵に完全に破壊させる。沖縄では海軍司令部跡は観光地になっているが、陸軍司令部跡は首里城の地下でありながら、人目に触れないように「ふた」がしてある。何故ここを司令部に選んだのか説明出来ないからだ。

 これと同様、沖縄戦では多くの沖縄人に死んで欲しかったのだ。しかし、ここにも日本人の「いじめの体質」がよく伺える。「いじめ」に自分の手は汚さない。「弱い者」に「弱い者」をいじめさせる。この時の「弱い者」は隣県の鹿児島人だった。西南戦争以来、鹿児島の人間は政府内で疎んじられていた。おかげで、東京から干された鹿児島に同じく干された沖縄をいじめる役が回ってきたのだ。

 山口(長州藩)出身の安倍には笑いが止まらないだろう。

 砲弾の嵐で首里城はこっぱみじんに吹き飛んだ。ここからが、暴力団・暴走族・オウム真理教などと警察のトリックの「やらせ」が行われる。自ら首里城の破壊を画策しておきながら、後に親切を装って、日本政府が首里城を再建する。

 沖縄の首里城を破壊したのは「米軍」だ。アメリカを憎め。再建したのは、日本政府だ。「美しい国日本」。

 集団自決をさせたのは、「鹿児島人」だ。鹿児島を憎め。沖縄復興は日本政府に感謝せよ。


■ 拉致家族問題

 最近、日本人拉致家族がテレビに出なくなった。本来、軍人慰安婦問題で、「日本人は加害者」という世界のイメージを「日本人は被害者」というイメージに変えるのが目的だったのだが、このトリックは見抜かれ、もはや協力は得られなくなった。それで用済みとなったのだろう。拉致家族のもう一つの目的は、特務機関員「赤軍関係者」の密出国・密入国の通路、マネーロンダリング、軍事技術の供与などのカムフラージュだった。これまではうまくいった。いや、うまくいったと政府は思っていた。

■ 仲宗根美樹 (2008年12月19日追記)

 私は、長い間この歌手のことが頭の隅に残っていた。それは歌手としてではない。仕事に関連して、ある事件に巻き込まれたからだ。その事件は、展開が複雑怪奇であり、後日述べたい。その事件の関係者の中に、「仲宗根美樹審美容サロン」の関係者がおり、後日その男は詐欺師であることがわかった。屋久島の某高校の校舎建設にからんで建設会社から多額の前金をだまし取っていた。それは氷山の一角だった。私は、ここで仲宗根氏を非難するつもりはない。事業の失敗は誰にでも起こりえることだ。問題は、それではない。問題は、またしても誕生日だった。

 日本の首相には、お気に入りの女優がいることが多い。そして、名前まで合わせる。その中に、仲宗根美樹がいた。私は以前から、中曽根首相と関連があると思ってはいた。だが、間違いない。

 中曽根が、岸内閣の科学技術庁長官として入閣し、原子力委員会の委員長に就任したのが、1959年。仲宗根美樹はその翌年デビューし、「川は流れる(歌詞)」の大ヒットで日本レコード大賞新人奨励賞を受賞する。

 仲宗根美樹の誕生日は、1944年6月23日だ。この1年後、1945年6月23日、沖縄の牛島中将は玉砕する。1年日付が違う。私は思った。戦後中曽根は、自治省を通じて全国の戸籍・住民票の中から「なかそね」のリストを提出させ、誕生日を調べ、歌の歌えそうな女性を探した。それで仲宗根美樹が選ばれた。仲宗根美樹は沖縄や奄美大島の歌を歌った。だが、他の事例では前後の日付が選ばれるのに(坂本九)、何故仲宗根美樹は、どうして1年違いなのか、疑問が残った。

 だが、この疑問はすぐに解決した。仲宗根美樹の誕生日1944年6月23日、昭和新山が爆発していた。私は以前から昭和新山の成り行きが人工噴火だと感じていた。すると、何故、この日昭和新山は爆発したのか。答えはすぐに出てきた。50年前の1894年6月23日、フランスのクーベルタンの提唱により、パリの国際会議で、国際オリンピック委員会 (IOC) が創設された。6月23日は今日、「オリンピックデー」として記念行事が行われる。

 それでは、日付の流れはどう説明すればいいのだろうか。実は、沖縄の牛島中将自決の指令は大本営からあったが、日付まで指定されていた。他の事例も考慮すると、間違いない。牛島中将は6月23日を選んで自決をしたのだ。日本は太平戦争中も、「フランスとオリンピック」を念頭に戦闘を行っていた。それだけではない。日本は明治維新以来フランスの同盟国だった。だからこそ、仲宗根美樹は、1944年生まれでもよかったのだ。いや、1944年生まれだからこそ選ばれたのかもしれない。この国も、フランスも、奇奇怪怪な国だ。

■ 沖縄での戦闘は9月7日まで続いた。 (2009年9月8日追記)

 沖縄での戦闘は9月7日まで続いた。実際、6月23日の牛島中将の自決も、8月15日の玉音放送も戦場の人間にとって、また兵士にとって、単なる儀式でしかなかった。大事なことは戦闘が終わって、安心して生きていけるかどうかだった。

 結局、日本の記念日は、政府のために作られたもので、何も実態を反映しない。こうして歴史は塗り替えらる。

■参照
1969年11月8日米海兵隊・第1海兵遠征軍が沖縄本島で創設される。この日は、「エホバの証人」と「明治天皇」の記念日だった。結局、米軍は天皇の軍隊だった。
鹿児島県護国神社で沖縄戦没者慰霊碑の除幕式。
対馬丸事件
硫黄島の戦い
第二次世界大戦は八百長
陰謀の中心はオリンピック

(3)東京都立南野高等学校での努力

 「東京都立南野高等学校での努力」って何の努力と思われるでしょうね。そもそも公務員は全体の奉仕者として努力をするのは当然なのですが、安倍晋三の様に一部の奉仕者に成り下がっている者もいたりします。

 何の努力の努力かと言えば、男女混合名簿を実現する努力です。「535.自民党政権がアメリカの米軍沖縄撤退提案を拒否したのはなぜか? その2」の「(2)仲間里咲(りさ)さんの夢」などに、都立小金井北高等学校における努力について書きました。

 都立小金井北高等学校の前に勤務した学校が、東京都立南野高等学校でした。1985年4月から1996年3月迄TOTAL11年間も勤務しました。

 男女混合名簿実現の提案に対して、体育の授業は男女別の為、男女混合名簿になると、事務処理が煩雑になると言う理由で、体育の教師から反対が出ました。そこで女性蔑視払拭の為、私が担任をした1986年度入学生は、男女別名簿ながら、女子の方を先にしました。同志で地道に努力を重ねた結果、やがて多くの教職員の同意が得られ、男女混合名簿は実現しました。

(4)AKB48 光と影の日々 PV ロケ地 680から転載

 最近、AKB48の「光と影の日々」のPVを見たんですよ。この曲は2016年夏の『全国高校野球選手権大会』の公式応援ソング及び、テレビ朝日系『熱闘甲子園2016』のテーマソングとなりました。

 PVのロケ地が、1985年4月から1996年3月迄11年間も在職していた都立南野高校跡地<現・恵泉女学園大学>の様な感じがしました。ネットで調べたのですが、判りませんでした。

https://youtu.be/41q4yzyAXqc
↑動画 【MV】光と影の日々 Short ver. / AKB48[公式] 視聴回数 645,971 回

 東京都立南野高等学校は、2005年3月、東京都立稲城高等学校と統合再編されて東京都立若葉総合高等学校となりました。東京都立稲城高等学校の敷地及び校舎が、東京都立若葉総合高等学校となりました。東京都立稲城高等学校は、505で取り上げた米村でんじろう氏が勤務していた高校でした。505はこちら

 2007年7月10日南野高校跡地を隣接する恵泉女学園大学が28億8220万円で購入し、現在は同大学南野キャンパスとなっている。南野高校跡地は2008年のドラマ『ROOKIES』(ルーキーズ)のロケ地として利用された。また、恵泉女学園大学で AKB48総出演ドラマ「マジすか学園2」が撮影されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E7%AB%8B%E5%8D%97%E9%87%8E%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E6%B3%89%E5%A5%B3%E5%AD%A6%E5%9C%92%E5%A4%A7%E5%AD%A6

 そうした過去から考察すれば、AKB48の「光と影の日々」のPVのロケ地が、南野高校跡地であったとしても不思議はない。

 PVに出てくるグラウンドや校舎は、南野高校のグラウンドや校舎に似ている。PVに出てくる吹奏楽部の練習場所という設定の屋上から見える風景は、南野高校周辺の多摩丘陵の風景に実によく似ている。

 横山由依山本彩が写真部OGとして訪れたと言う設定の写真部の部室は、南野高校職員室内にあった勤務時間後私と私の仲間がたむろしていた一角とよく似ている。1995年度、その一角を私達は不謹慎にもサティアンと呼んでいました。私は仲間から「尊師」と呼ばれていました。

(5)東京都立南野高等学校 上から目線のU教諭 412から転載

 「136.消費税税率UPで得するのは誰か?」で紹介したおニャン子クラブの中島美春氏と1993年にアナウンサーとしてテレビ東京に入社する事になる大浜平太郎氏<当時、生徒会役員として活躍。>が生徒として在籍していた東京都立南野高等学校に社会科教諭<高等学校の社会科が多くの社会科教師の反対の声を封殺して「地歴科」「公民科」となってしまったのは1994年度、これを「社会科解体」と言う。>として在職していた私は、ある日、青山学院大学出身のU教諭と話をしていた。桑田佳祐氏は青山学院大学出身と言う話になった際、U教諭はやや上から目線で、「彼は2部だけどね」と語った。136はこちら
 
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↑画像:テレビ東京・経済ニュース番組『ワールドビジネスサテライト』の記者会見に出席した(左から)相内優香アナ、豊島晋作マーケットキャスター、大江麻理子アナ、大浜平太郎キャスター、大澤亜季子アナ

 相内優香アナは、「335.内部被曝している可能性が高い東日本の約5000万人は、このまま滅びてしまうのか?」で登場。335はこちら。<転載終了>

 「50.明日<2012年3月20日>、北朝鮮がキャンプ座間を核攻撃するのか?」の「(1)1995年3月20日 地下鉄サリン事件発生」などに書いた通り、あの澤穂希も南野高校の卒業生です。

(6)『白旗の少女 琉子』

 沖縄戦を描いた作品を何本も見てきた私にとって特に印象に残った作品は、1309の(3)などで取り上げた『さとうきび畑の唄』と『白旗の少女 琉子』です。

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↑画像 『白旗の少女 琉子』
https://ameblo.jp/fm842fm/entry-10774152684.html

 『白旗の少女 琉子』は、1988年7月21日に公開された日本のアニメ映画です。1985年8月に築地書館から発行された文・新川明、版画・儀間比呂志の反戦テーマの児童向け絵本『りゅう子の白い旗 沖縄いくさものがたり』の映画化作品です。
 
 私は1989年に東京都府中市に当時あった府中グリーンプラザのホールで見ました。『さとうきび畑の唄』と同様に涙なしには見られない作品でした。府中グリーンプラザは建物の老朽化のため2018年3月31日をもって閉館となった。私は1985年4月から10月迄、府中グリーンプラザから徒歩10分くらいのアパートに住んでいました。私が住んでいた頃は、建築後5年くらいしか経っていなかったので、とてもきれいな建物でした。

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↑画像 東京都府中市 府中グリーンプラザ
https://twitter.com/kotomi3510/status/981367942800580608

(7)比嘉富子さん

黒木瞳、沖縄戦生き抜いた少女
↑画像 テレビ東京の開局45周年記念ドラマスペシャル「白旗の少女」 左から主演の黒木瞳さんと子役の八木優希さんと比嘉富子さん
https://eiga.com/news/20090924/20/

 <上のリンク先の記事から一部抜粋>(当時)8歳の八木は、同世代で沖縄戦を経験した比嘉さんについて「3秒に1人が死んでいく激しい戦争を1人で生き残った。すごいと思う」。また、比嘉さんから「辛いシーンばかりなのに一生懸命やってくれたね」と褒められると、はにかみながら「(沖縄ロケの)エキストラの方の中には、当時の富子さんに会った人もいて『自分だけ生き残ればうれしいわけじゃない』と教えてもらった。戦争をやっている国の人に見てもらいたい」と話した。<抜粋終了>

 『白旗の少女』は、1945年6月に太平洋戦争末期の沖縄戦において、アメリカ軍によって撮影された写真およびその被写体となった女性、さらにその女性(比嘉富子)が自身の体験を元に執筆した小説です。小説は、1990年にはフジテレビで、2009年にはテレビ東京で、それぞれテレビドラマ化されています。私は両作品とも見ています。これらも涙なしには見られない作品です。

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↑画像 1945年6月25日に米陸軍戦闘カメラマンのジョン・ヘンドリクソンにより撮影された比嘉(当時は松川)富子

 該当の写真は、沖縄戦が終盤となっていた1945年6月25日に、アメリカ軍のジョン・ヘンドリクソンが撮影したものである。おかっぱ頭の少女が木の棒の先に白旗をつけて手を振る様子が捉えられている。

 この写真は、沖縄戦の研究に当たっていた大田昌秀(後に沖縄県知事)が調査研究の過程で発見収集し、1977年に刊行した『写真記録 これが沖縄戦だ』(琉球新報社)に掲載された。

 1984年、アメリカ軍による沖縄戦の記録映画を募金によって買い取る「子どもたちにフィルムを通して沖縄戦を伝える会」の「1フィート運動」でもたらされたフィルムに、この写真と同じ場面を撮影したものが含まれていることが判明し、テレビニュースなどで紹介される。1986年からは運動で集められた他のフィルムとともに編集された『沖縄戦 未来への証言』が公開された。

 この映画では、少女の後を数人の日本兵がついて歩く様子が映っており、「少女を盾にして投降したのではないか」「兵士が少女に白旗を持って歩くことを強要したのではないか」といった反応も示された。また、写真とフィルムを元にして創作された絵本『りゅう子の白い旗 沖縄いくさものがたり』(文・新川明、絵・儀間比呂志)が1985年に刊行された。

 1987年10月、比嘉富子が自分が白旗の少女であると名乗り出た。当時比嘉は48歳で、沖縄タイムスのインタビューに応じる形であった。1988年6月にはニューヨークでの「平和大行進」に参加、その際に自分を撮影したカメラマンに会いたいというプラカードを掲げた。7月に比嘉はヘンドリクソンと再会を果たしている。

 翌1989年、講談社から、子供用のシリーズ「講談社のノンフィクション」の1冊として『白旗の少女』を刊行する。比嘉は本の「あとがき」の中で、映画の公開以来日本兵が自分を盾にしたかのような誤解を受けてきたことを残念に思っていること、日本兵は直前にたまたま別の道から合流したために後に続く形になっただけであることを記している。

(8)小説『白旗の少女』

 挿絵は依光隆が担当、その他に写真も多く収録されている。

 冒頭は、主人公がニューヨークで平和行進に参加するところから始まる。そこで彼女は写真家を捜し始めた。その後写真家と面会するところから回想に入る。

 彼女は首里で生まれ、平和に暮らしていた。そこでは沖縄の伝統を強く残した生活のことが語られている。その中で1944年、母が亡くなる。1945年にはいよいよ沖縄に戦線が近づく。その4月1日、沖縄本島中部にアメリカ軍が艦砲射撃を加え、それと思われる音は首里にまで響いた。それから1か月すると、家の周辺にも砲弾がくるようになり、防空壕へ避難することが多くなった。5月10日ころ、父親が「何かあったら子供たちで判断して行動するように」と言い残して家を出て、これが父との別離になった。

 それから3日待って、通信隊へ父の安否を尋ねると、「それより早く南へ避難するよう」と言われ、兄弟姉妹4名(姉17歳、姉13歳、兄9歳、本人6歳11か月)は荷物をまとめて家を出た。昼間は洞穴などに身を隠し、夜間に歩いた。まずは父の消息を尋ねて真壁に行くがやはり不明で、それ以降は当てもなくとにかく南へ移動する。そのさなか、米須で一緒にいた兄が流れ弾に当たって死亡、さらに南へ移動するさなか、主人公は姉たちとはぐれてしまう。それから彼女は1人で避難行を続けることになる

 そうして彼女は多くの戦死者、自殺する兵隊や集団自決する住民などを目にしながらさまよい、あるガマでは日本兵に殺されかける。一人きりでの移動が1か月ほどになったとき、とあるガマに入ったところ、そこには老夫婦がこもっていた。その老人は両手両足がなく、目の不自由な老婆に身の回りの世話をさせ、その洞窟で暮らしていた。彼らは少女を優しく受け入れ、少女はここで初めてその身を休めることが出来た。

 その外では、戦闘が刻一刻と激しくなっていた。彼女は老夫婦にここで一緒に暮らして、一緒に死にたいと言ったが、それに対して、命の大切さや生き延びることの価値を説かれる。数日後、洞窟の外からアメリカ軍の呼びかけが聞こえた。これから爆弾を投げ込むから、その前に投降することを呼びかけるものだった。老人は老婆へ指示し、自分のふんどしで白旗を作らせ、その旗を彼女に持たせた。そして「世界中の約束だから、これを持ってれば大丈夫だ」と言い聞かせ、自分たちを残して1人で投降するよう促した。

 彼女はほかの住民に混じって進んだ。1人の米兵が何かを構え、こっちをねらうようにしているのを見て、カメラのようだが、武器かも知れないと思いながら、かつての父に言われた言葉を思い出し、顔を上げ、笑顔を見せた。彼女はほかの避難者と一緒になり、そこで2人の姉に再会した。1945年6月25日のことだった。


(9)渡邉英徳氏

https://researchmap.jp/hwtnv/

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↑画像 渡邉英徳氏

■渡邉英徳氏のプロフィール

 東京大学大学院 情報学環 教授。情報デザイン,ネットワークデザインを研究.首都大学東京システムデザイン学部 准教授,ハーバード大学エドウィン・O・ライシャワー日本研究所 客員研究員,京都大学地域研究統合情報センター 客員准教授などを歴任。東京理科大学理工学部建築学科 卒業(卒業設計賞受賞),筑波大学大学院システム情報工学研究科 博士後期課程 修了。博士(工学)。

 「ナガサキ・アーカイブ」「ヒロシマ・アーカイブ」「東日本大震災アーカイブ」「沖縄戦デジタルアーカイブ〜戦世からぬ伝言〜」「忘れない:震災犠牲者の行動記録」などを制作。講談社現代新書「データを紡いで社会につなぐ」などを執筆.

 「日本賞」,グッドデザイン賞,アルスエレクトロニカ,文化庁メディア芸術祭などで受賞・入選。岩手日報社との共同研究成果は日本新聞協会賞を受賞。

渡邉英徳‏ @hwtnv 73年前の今日。1945年6月25日、沖縄で米軍に投降する「白旗の少女」比嘉富子さん。従軍カメラマンのジョン・ヘンドリクソンが撮影。白黒写真のニューラルネットワークによる自動色付け。
白旗の少女
https://twitter.com/hwtnv/status/1010988542795763713

渡邉英徳‏ @hwtnv 戦前の沖縄。1935年に撮影された,傘をさした着物姿の糸満の女性。ニューラルネットワークによる自動色付け。
糸満の女性
https://twitter.com/hwtnv/status/941541388482572288

(10)「白旗の少女、生き延びたのが罪なんて」有村架純さん

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↑画像 比嘉富子さん
★SPORTS 憲法 政治 語り継ぐ!!!!!反戦を………
https://tomo333.exblog.jp/24306467/

https://blogs.yahoo.co.jp/araigumakun1228/13190759.html

 <転載開始>「白旗の少女」として知られる比嘉富子さん(77)を沖縄に訪ねた俳優の有村架純(かすみ)さん(22)は事前に決めていた。予定通りの質問をし、答えを聞いたら次の質問へ。「そういうのは嫌だったんです。比嘉さんの言葉が心に届くのに時間がかかってもいい。きちんと向き合いたいなって」

 2人は、多くの住民が砲爆撃で命を落とした沖縄本島南部の米須(こめす)海岸に向かった。比嘉さんは当時6、7歳。死んだ兄をここに埋めたこと。姉たちとはぐれて独りになり、死体だらけの川の水を飲んだこと。「地獄に行ったことはないけど、ああでしょうね」と比嘉さんは淡々と語る。有村さんは黙って耳を傾けた。

 海辺で偶然、赤さびた手投げ弾を見つけた。沖縄では昨年度も18トンの不発弾が処理された。

 「想像がつかなかった。あの海を埋め尽くすほどの米軍が、人を殺しに来たなんて」と有村さんは言う。

 70年前のことをリアルに想像するのは難しい。

 私は計5年の沖縄勤務で、戦争中に泥道を逃げたという証言に何度か会った。沖縄は5月半ばには梅雨入りする。「そうか、同じ雨が戦争中も降っていたのか」。ふと、気づいた。

有村さんの手がかりは映像だった。比嘉さんは、洞窟で出会った老夫婦がつくってくれた白旗を掲げ、投降する。米軍はその光景を撮っていた。白黒とカラーの2種類。「モノクロで見た時は、知らない世界という印象でした。でもカラーだと昨日撮影されたかのようで。ぞっとしました」

 越えられない壁もあった。比嘉さんは有村さんに言った。「あの人もこの人も死んで、なぜ私は生きているのか。幸せだとは簡単に言えない。半分罪の意識があります

 沖縄で勤務中、比嘉さんに会うことはかなわなかった。思いを初めて知った。戦争や震災に巻き込まれた人の苦しみを、私はただ聞くしかできない。

 有村さんは涙を流した。何を感じたのですか?

 「私は自分が生きることが罪だと思ったこともないけど、比嘉さんは何十年も背負ってきた。今も戦いは続いているんだなって。つらかったですねって言って済む話じゃない。その計り知れない重さ。簡単に分かっちゃいけないし、分からないのが戦争を体験していないということだと実感しました

 投降前、洞窟のおじいさんは比嘉さんに「命は自分のためだけにあるんじゃない。生んでくれたお父さんやお母さんのものでもある」と生きるよう説いた。

 実は有村さんの曽祖父はわずかな結婚生活しか送っていない。特攻隊員として23歳で戦死したからだ。細くつながった命のリレーの先頭に有村さんはいる。「戦争があったことを忘れてはいけない」と力を込めた。「比嘉さんに、子供たちへの懸け橋になる力をもらいました」。まっすぐさを感じた。
(谷津憲郎)<転載終了>

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↑画像 有村架純


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↓動画 道重さゆみ
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