115.本土復帰と言う言葉は問題があるのではないか?

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(1)「中国は沖縄独立運動を支持せよ」、「同胞」解放せよと有力紙

中国共産党機関紙「人民日報」系の「環球時報」は2010年11月8日付で、「中国は琉球(沖縄)独立運動を支持すべき」とする記事を掲載した。
 
 この記事を執筆したのは、商務部研究院の“日本問題専門家”である唐淳風氏。唐氏は、「沖縄の米軍基地問題をめぐって日本政府と沖縄住民の対立が深まり、“沖縄独立”の機運を高めた」としている。

 また、「1879年に琉球王朝が廃止されてから1945年の敗戦まで、日本政府が沖縄に対して残酷な統治を行った」と決めつけた。さらに、終戦間際には現地軍に県民の皆殺しを命じ、「米軍占領の直前に日本軍は26万人を殺し、虐殺の規模は『南京大虐殺』に次ぐものとなった」などと主張している。

 さらに、「1972年の本土復帰後、日本政府が沖縄を“国内植民地”として扱った」などとした上、「沖縄の独立闘争は沖縄だけの問題ではなく、全世界の圧迫を受けている民族をいかにして解放するかという大きな問題だ」としている。

 唐氏はさらに、沖縄住民の祖先は福建からの移民が多く、大半の住民のルーツは中国にあるとして、沖縄を“同胞”と呼び、「同胞が苦難に直面している時、我々はその独立闘争に手を差し伸べるべきだ」と主張。また、日本政府は沖縄の陸海空自衛隊の配置を強化し、日米同盟を頼みとして再び沖縄を中国封じ込めの最前線基地にしようと企てているとし、「沖縄独立闘争の主な目的の一つは中国の戦略的安全にある」としている。

(2)問題だらけの「環球時報」2010年11月8日付記事

いきなり読者の皆様からお叱りを頂きそうな中国共産党機関紙「人民日報」系の「環球時報」の2010年11月8日付の記事をお読み頂いた。

問題だらけの記事であること承知の上で掲載した。

本論に入る前に、近況報告をさせて頂く。昨夜<5月14日>は日付が替わるまで職場にいた。もちろん仕事で。主に中間考査<中間TEST>の監督表を作成していた。

教師でも過労死している人が、累積するとかなりの数になる。もちろん、都立高校の教師でも過労死している人がいる。

そう、中間考査<中間TEST>が近いのだ。にもかかわらず、TEST問題はまだできていない。三つ作成しなければならないのだが、一つもできていない。それどころか、明日の授業準備がまで完全には終了していない。

なので、今日<5月15日>付けの記事をUPするのは無理と判断し、記事を書くのをやめようと思っていた。

ところが、何かに突き動かされて、結局、書き始めた。何かの力によって書かされている感じである。

午前様で帰宅後に食事を摂ったりやるべき事を処理したりしたので、2時間半くらいしか睡眠を取っていないにもかかわらず、とても元気である。

所謂「ネット右翼」の方々は、(1)のような記事を発見すると、鬼の首でも取ったかのように、叩きまくるのであろう。

「ネット右翼」の皆さんが沖縄に関してネット上で主張している内容が、今日<5月15日>の日経新聞朝刊1面の「春秋」と言うコラムに出ていた。

(3)今日の記事のタイトル

今日の記事をタイトルを考える際、二つの候補があった。一つは、今回採用したタイトル。もう一つは、「ウチナーンチュを差別したのは誰か?」である。今回採用しなかったタイトルでもいずれ執筆するつもりである。

問題だらけの(1)の記事の一部は注目に値する。

「終戦間際には現地軍に県民の皆殺しを命じ」たかどうかは別にして、少なくとも、沖縄を本土防衛の捨て石としたことは、多くの歴史家の衆目の一致するところである。

また、県民の皆殺しには至っていないものの、多くの沖縄島民が日本兵に殺された事は事実である。

2003年秋にTBSで放送された『さとうきび畑の唄』では、米兵を殺せと命令を受けた主人公が泣きながら、「こんなことをするために生まれてたんやないんや」と言って上官の命令を拒否したら、上官に殺されてしまった。

これは、日本兵による沖縄島民虐殺を見事に描いた涙なしには見られない良い作品であった。

もっとも、上官の命令に逆らったら、沖縄島民でなくても完膚無きまでに叩きのめされた挙げ句死んだ兵士は数知れずである。

前述のドラマの主人公を演じていたのは、日本航空123便墜落事故を逃れた明石家さんまである。

私は事前に明石家さんまは、日本航空123便に乗らない方が良いとアドバイスを受け難を逃れたと考えている。

1年以上前、その考えをあるブログのコメント欄に書いたら、しばらくしてWikipediaの「日本航空123便墜落事故」の記述から難を逃れた人の記述が消えた。

(4)日本軍による沖縄住民虐殺

 沖縄戦で起きた自国軍隊による自国民殺害。沖縄守備軍の第32軍は1944年3月に創設された。

 陣地や飛行場の設営には多くの住民が協力、一部の地域では軍民雑居ともなった。
米軍が上陸すると守備軍は、これらはすべてマイナス要因と考える。

 沖縄住民が話す言葉も理解できず、方言を使う者はスパイとみなす通達もまじめに出された。軍隊の本質と沖縄県民への無理解が数多くの虐殺事件にあらわれている。

 虐殺の態様は、①スパイ視・容疑②食糧提供をしぶった③壕の提供をしぶった④)壕内で乳幼児が泣き叫んだ⑤米軍の投降ビラを所持⑥米軍に協力し投降を呼び掛けた、などさまざま。

 久米島では1945年6月26日から8月18日までの間、海軍守備隊によって一家全員殺害を含み20人が虐殺される事件があった。慶良間諸島や沖縄本島各地で起きた住民の集団自決も軍隊による住民虐殺と、とらえられる。

(5)内国植民地・沖縄

(1)の記事でもう一つ注目すべきは、“国内植民地”と言う表現である。

沖縄は、歴史的に見れば、植民地であると言える。だが、すっかりINSIDEにインクルードされているので、“国内植民地”とか「内国植民地」とも言ったりする。

今日<5月15日>の朝日新聞の朝刊に「復帰と言わないで」というタイトルの特集が掲載されている。

我が意を得たりのタイトルである。

その特集の一節に次のような文章が載っている。

「琉球処分」以来の沖縄の運命は、常に沖縄の人々とは関係なく、日本政府やアメリカ政府が頭越しに決めてきた。その意味では、植民地と言うしかない。

狭い意味の日本人<明治維新以降の海外植民地化以前から日本人だった人並びにそのその子孫>は、植民地の人々を差別してきた。

沖縄の人々も例外ではない。具体例は別稿に譲る。

瓦礫問題では反吐が出そうなコメントばかりする大越キャスターのニュース9も、今日の放送はまあまあであった。

沖縄県民の被差別意識についてもきちんとふれていた。

(6)支配層が広めている言葉

支配層が広めている言葉には、注意をはらう必要がある。

「終戦」と言う言葉は、「戦争責任」「敗戦責任」を誤魔化す言葉とも言える。

「自己責任」と言う言葉も、憲法25条に載っている「健康で文化的な最低限度の生活」を政府や地方公共団体が人々に保障することを曖昧にする実に巧妙で卑劣極まりない言葉である。

本質をオブラートに包んだような表現も多い。

「格差社会の拡大」と言う言葉は、「貧富の差の拡大」をオブラートに包んだような表現でる。

では、「本土復帰」はどうだろうか。

この表現は、無条件に日本は良い国という印象を人々に与える。

その良い国日本に、沖縄は1972年5月15日戻ってきたという印象を人々に与える。

確かに沖縄の人々の圧倒的多数が、所謂「本土復帰」を望んでいた。

でも、歴史を遡れば、長い間、沖縄は日本とは別の国だった。

日本に併合されてからの歳月より、別の国、すなわち琉球王国の歳月の方がずっと長いのである。

そうした長いスパンで考えると、「本土復帰」って表現に違和感があった。

そのような私にとって、今日<5月15日>の朝日新聞の特集「復帰と言わないで」は、実にしっくりくる記事であった。

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