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1185.オウム真理教の地下施設は地下住人達の地下ルートに繋がっていたのではないか? PART2

制服コレクション 青系のCHECKのスカート 土手 桜の木 矢島舞美 2
↑画像 2018年桜シリーズ64 矢島舞美

(1)サティアンを見に行く 転載記事

https://blogs.yahoo.co.jp/ibu_ari_papa/35710955.html

119回目 サティアンを見に行く
↑画像 1995年6月 オウム真理教のサティアン 山梨県西八代郡上九一色村<当時>

 大学4回生のころ、就職氷河期とも呼ばれ、就職活動をするには困難な時代であった。そんな中、富士山でも見に行くかと思い付いた。1995年6月のある夜、友人Aを誘って京都を出発し、名神、東名高速と車を走らせ、午前中には静岡県に到着。富士山というとあの写真で見る雄大な姿を連想していたのだが、山頂のあたりが見えるだけで拍子抜けであった。

 当時、オウム真理教の麻原彰晃が逮捕され、上九一色村が大いに報道されていた。せっかく静岡まで来たのだからサティアンでも見に行こうということになり、上九一色村へ向かう。

 地図では村内にいるのだが、村が広くどこにサティアンがあるのかわからない。途中の休憩スポットでしばし休憩する。そこに「上九一色村案内図」という大きな看板があった。よく見ると誰かが「第7サティアン」「第2サティアン」などと親切にも落書きしているではないか。

 早速、第7サティアンに向かう。そこには県外ナンバーの路上駐車の車がいっぱいでひとつの観光名所になっていた。さすがに建物に近づくことはできない。機動隊の人もたくさんいて、一緒に記念撮影してもらおうと頼んだが、勤務中なのでということで断られた。何週間かのサイクルで北海道から応援に来ているらしい。

 また検問も3回ぐらいあり、Tシャツにジャージのいでたちであったため、「君ら信者?」と警官に言われる始末。確かにこんな格好では言われてみれば仕方がない。

 あるサティアン近辺には、かの有名な電線というかケーブルがいっぱいの帽子というかヘルメットをかぶった信者らしき人も見ることができた。「サティアン」という言葉自体、覚えている人は少ないと思うが、一緒に行った友人Aも他人に自慢できる大学時代のエピソードとして語ることがあるという。

(2)転載記事を拝読して

>大学4回生のころ、就職氷河期とも呼ばれ、就職活動をするには困難な時代であった。

 ブログ管理人は団塊ジュニアですね。ロストジェネレーション世代ですね。

>早速、第7サティアンに向かう。そこには県外ナンバーの路上駐車の車がいっぱいでひとつの観光名所になっていた。

 1989年夏のある日、神奈川県相模原市のアパートから実家がある東京都西多摩郡日の出町に自動車で移動中、テレビスタジオと化している宮崎勤の自宅前<東京都西多摩郡五日市町(当時)>を見たくなり見に行きました。やはりそこもひとつの観光名所になっていました。

>機動隊の人もたくさんいて、一緒に記念撮影してもらおうと頼んだが、勤務中なのでということで断られた。

 微笑ましいエピソードですね。(^_^)

>かの有名な電線というかケーブルがいっぱいの帽子というかヘルメットをかぶった信者らしき人も見ることができた。

 ヘッドギアですね。

★電流を流すはずのヘッドギアには、電池すら入っていなかった。 「この情けない男が、 本当にあの麻原なのか」. 松本逮捕を指揮した警視庁捜査1課の山田正治理事官(当時)は、目を疑った。
http://www.asyura2.com/0401/nihon11/msg/390.html

(3)1990年の一夜城

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↑画像 日本共産党員・竹内精一氏 日本共産党員・山下芳生氏
http://www.yamashita-yoshiki.jp/column/column/1277472407.html

 オウムの施設が突如として出現したという事は、サティアン建設に伴う資材なども地下ルートからかなり運ばれたのではないでしょうか。竹内精一氏によれば、サティアン建設期、オウムは昼夜を問わず重機を動かし続けたという。サティアンは複数あり、地上からの資材の輸送だけではとても突如として出現という話にはならないでしょう。巨大なサティアン群は、最大時4・5ヘクタールもあったのだ。旧・上九一色村のオウムの施設は「1990年の一夜城」だ。

 一夜城(いちやじょう)とは、攻城などにおいて相手方の城に対する野戦陣地として構築される陣城のうち、非常に早く構築されたもののことといいます。豊臣秀吉の手によるとされる墨俣城<岐阜県大垣市墨俣町墨俣>と石垣山城<神奈川県小田原市早川>が有名です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%A4%9C%E5%9F%8E

(4)行政や警察が本腰で対応することはなかった

 竹内精一氏によれば、行政や警察が本腰で対応することはなかったという。一連のオウム事件に関して、行政や警察がクロカモ<地下住人達・裏勢力・123便事件首謀者側>の手先となっていた可能性は高い。

 竹内精一氏によれば、オウム退去までの闘いを知る者は減り、サティアンがあった場所さえ忘れた住民もいて風化の波が押し寄せていると言う。

(5)オウム真理教の地下施設は地下住人達の地下ルートに繋がっていたのではないか?

 「1184.オウム真理教の地下施設は地下住人達の地下ルートに繋がっていたのではないか? PART1」で紹介した昨日29日の読売新聞の竹内精一氏の記事に、竹内精一氏がオウムの敷地に侵入して地下施設を発見した話が出ています。オウムの地下施設を発見した竹内精一氏は、残念ながら、オウムの信者に発見されてオウムの敷地から追い出されてしまった。この部分を読んだ際、私の脳裏に「オウム真理教の地下施設は地下住人達の地下ルートに繋がっていたのではないか?」という思いが芽生えた。「オウム真理教の地下施設は地下住人達の地下ルートに繋がっていたのではないか? PART3」に続きます。


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