1136.坂本堤弁護士一家殺害事件の真実 その5

964f5ca8.jpg
↑画像 〒224-0065 横浜市都筑区高山18-25 YELLOW STUDIO http://www.yellowstudio.co.jp/ 坂道AKB「国境のない時代」PV撮影場所 乃木坂46 齋藤飛鳥 HKT48 宮脇咲良
http://blog.livedoor.jp/fumichen2/archives/51771239.html

(1)坂本堤弁護士もお読みになっている福田元昭の「桜の木になろう」

 2018年4月8日灌仏会「花まつり」の日の4本目です。昭和天皇もお読みになっている福田元昭の「桜の木になろう」は、坂本堤弁護士もお読みになっている福田元昭の「桜の木になろう」にもなりそうです。

1118.昭和天皇もお読みになっている福田元昭の「桜の木になろう」
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-1415.html

(2)遺体発見とその後の裁判

http://jjiikkeenn.blog.fc2.com/blog-entry-124.html

 1995年、地下鉄サリン事件が発生したのち、警察はオウム真理教の捜査を本格的に開始。その中、岡﨑一明の自供により坂本の一家が殺害されていたことがわかり、同年9月6日警察による山中の捜索が行われた。同日、坂本と妻の遺体が白骨化した状態で発見された。一方、長男の捜索は難航を極めたが、4日後の9月10日発見された(『死体を科学する』では死蝋化していたとするが不詳)。一家の墓所は鎌倉・円覚寺「松嶺院」にある。

 坂本の死体は歯型から身元がわからぬようと歯をツルハシで粉々に砕き、埋葬現場で景気付けに食べたタラバガニの殻と一緒にゴミと同じように埋葬されたと早川らは証言している。発見された坂本の頭蓋骨には大きな穴が開いていたという。

 刺殺された村井を除き、実行犯全員に死刑判決が出た。

 坂本の妻が遺体で発見された場所は、1995年9月6日、林道別又僧ヶ岳線の魚津市別又谷の上り口から数キロの地点であった。発見場所には遺族が木製の慰霊碑を建て、慰霊登山も執り行われている。

(3)初動捜査問題

 失踪当初、坂本が所属していた「横浜法律事務所」等の関係者からは、オウム真理教の関与を指摘する声があったが、神奈川県警は事件性は不明であるとの認識であった。これは、横浜法律事務所が労働問題(国労横浜人活弾圧事件で県警が誤認逮捕)や日本共産党幹部宅盗聴事件において、警察側と対立していたため、横浜法律事務所の弁護士の訴えに対して必要以上に慎重な姿勢をとっていたのではないかとの疑念も残る。

 特に国労横浜人活事件では坂本弁護士が主に担当していた。ただでさえ反権力志向とされる在野法曹の中でも、特に共産系とされる弁護士らは警察と対立する立場にあり、反共主義的な意識(これは日本の警察全てに共通する)が初動捜査の失敗につながったとされる論調があった。

 一方、宗教団体が政治的に力を持つようになったことが警察を萎縮させたという指摘もあり、特にジャーナリストの溝口敦は、創価学会の政界進出のころから、宗教法人の不祥事があった際、それが明らかに違法行為となっても、司直の手が入らなくなったと指摘している。

 そのため記者クラブにおいて、県警は「坂本は借金を抱えて失踪した」とか「(仕事で得た)大金を持ったまま逃げた」「(学生時代からか関わりのある)共産主義過激派の内ゲバに巻き込まれた」などの事実無根の噂を新聞社数社に流している。しかも、それと同時に県警は「任意の失踪の可能性は五分五分」とリークしている。

 1990年2月に神奈川県警に「長男は長野県大町市日向山の山中に埋めてある」と書かれた内容の手紙と埋められている場所を示す手書きの地図の入った差出人不明の封書が届き、神奈川県警は長野県警と合同で示した場所を捜索するものの発見できなかった。

 結局「再捜索」は1995年9月の坂本弁護士一家の遺体発見まで行われなかった。実行犯の1人である岡崎が自首をしたことで、事件の真相が明らかになった。

 坂本弁護士が労働運動弁護を行っていたり、所属事務所が日本共産党に近いとみられていたことから、神奈川県警が坂本弁護士を快く思っておらず、捜査も「手抜き」をしているという批判があった。一方で、事件当時に横浜地検検事正であった佐藤道夫は「この批判は的外れ」とし、県警はオウムの関与は間違いないだろうと判断しており、事の性質上、捜査の方向や進捗状況を明らかにするわけにいかなかった。あの時点では家宅捜索なりを行うことも無理であったと述懐している。

(4)TBSビデオ問題

 1989年10月26日に東京放送(TBS)のテレビワイドショー番組『3時にあいましょう』が、当時社会問題化し始めていたオウム真理教問題について、坂本堤のインタビューを収録したが、その情報を察知したオウム真理教幹部らが、TBSの千代田分室を訪れて抗議したことにより、坂本のインタビューの放送が中止された。さらに、TBSがオウム真理教幹部にインタビューの模様を放送直前に見せた。この後、同年11月4日に坂本弁護士一家殺害事件が発生した。こういった経緯から、TBSは取材源の秘匿というジャーナリズムの原則に反しただけでなく、殺人事件のきっかけをつくり、失踪後もビデオをオウム真理教に見せたことを警察や弁護士会に伝えずにオウム真理教をかばい続けたと批判された。

(5)不明点

 この事件には多くの不明点がある。被害者の遺族の中には、「本当の命日を知りたい」という声がある。

・事件直前、坂本の自宅に対し「坂本さーん」と呼ぶ女性の声があったことや、その後で浴室からの水音を階下の住民(当時)が聞いているのに、事件が起きたとされる時間帯には全く物音がしていなかった事を、たまたまその時間に起きていた階下の住民は証言している。現在この一家の行方は不明

・事件が起きた時には、坂本の自宅は施錠されていなかったことから、当時の緊迫した状況からは考えにくいとして、「坂本家に侵入したオウム信者とは別に、教団外の協力者がいたのではないか?」との疑いを持つ者もいる。

・坂本の自宅から茶碗が3つ消えている。

・「事件に関与した」とタクシー運転手を自称する者が、1994年頃に月刊誌『マルコポーロ』の編集部に現われた(証言の真偽は不明なまま)などの「謎」が取り沙汰されている。

・オウム真理教広報の人物もこの事件に関与しているのではないかとされているが、本人は1995年5月の記者会見時「私には当日アリバイがあり、坂本弁護士が行方不明になった事は信者から聞きました」と主張したが、聞いたとされる日時が報道発表より4日も早い。

・坂本の自宅に落ちていた「プルシャ」と呼ばれるオウム真理教の徽章は、当時はオウム真理教幹部しか付けおらず、数百個としていたが、「坂本一家・行方不明」の報道後は、教団広報の人物は大量生産を命じた後、横浜法律事務所側からの問い合わせに「プルシャのバッジは数万個単位で大量生産されているので分からない」と返答した。

・前述の通り、遺体がいずれも白骨化ないし死蝋化していたため、正確な死亡原因及び死亡日時の特定はほぼ不可能な状態となっていた。このため、オウムの弁護側からは一家の遺体であることの根拠に乏しいとの指摘も出たという。「坂本堤弁護士一家殺害事件の真実 その6」に続きます。

↓動画 松井玲奈
tumblr_nn2xtxPPwk1tr3rjko4_250.gif
スポンサーサイト

Comment

Post Comment

非公開コメント

Latest posts