1025.箱根地下原発・奥多摩地下原発・秩父地下原発・軽井沢地下原発と堤義明 PART4

↑画像 東京都国立市にお住まいの山口百恵さんの若い頃 今回の記事に東京都国立市の話が出てきます。
(1)箱根土地株式会社
「1024.箱根地下原発・奥多摩地下原発・秩父地下原発・軽井沢地下原発と堤義明 PART3」の続きです。1024はこちら。
堤康次郎は沓掛一帯の分譲を行う会社として藤田謙一を社長に招聘し千ヶ滝遊園地株式会社を設立(資本金25万円)。沓掛の土地を一軒500円で簡易別荘として分譲販売を始め、その収益を基に1919年箱根の強羅に10万坪の土地を買収した。
翌1920年には千ヶ滝遊園地を清算(計画倒産説あり)し、同じく藤田を社長として箱根土地株式会社(後のコクド、現在は消滅)を設立。更に湯の花沢10万坪を13万5千円で買収したり、1923年には駿豆鉄道(現・伊豆箱根鉄道)の経営権を掌握していった。関東大震災後には東京府内の皇族・華族の大邸宅を買収し、目白文化村など住宅地として分譲した。
wikiの記事には都内と書いてありますが、正しくありません。東京府が東京都になったのは、侵略戦争中の1943年の事です。wikiにはよく注意しないと間違いがたまにあります。10年くらい前は記事によっては結構ありました。最近は以前より改善されました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%A4%E5%BA%B7%E6%AC%A1%E9%83%8E
(2)堤康次郎の経営手法の特徴
堤康次郎の経営手法の特徴は、事業不振の時こそ積極的に打開策を求め、時流を逃さず関連する事業を拡大するところにある。別荘地の販売にかげりが見え.始めると、千ヶ滝の道路建設と、沓掛駅から千ヶ滝までの夏季バス運行を始めた。土地開発に道路建設とバスを. 組み合わせる経営手法はここから始まった。余談ですがここにも後藤新平がかかわっている。
(3)土地を西武の堤康次郎に騙し取られた農民が多かった
24:名無しさん@恐縮です@\(^o^)/2015/05/12(火) 13:26:07.52 .net:ID:qNr1aM740
>>10
国立らへんは
・土地を西武の堤康次郎に騙し取られた農民が多かった
・スーパー極左の「一橋大学社会学部」と「桐朋学園」が存在
・北部を共産党、南部を部落解放同盟が支配
というわけで左巻きが多い
http://mmgeispo.blog.fc2.com/blog-entry-1803.html
以前も書きましたが、私は各地の同和地区を歩いています。国立市の同和地区も訪問しました。国立市の同和地区住民は近くの谷保天満宮のお祭りから排除された悲しい歴史があります。
「土地を西武の堤康次郎に騙し取られた農民が多かった」という話は正しいと思います。
(4)学園都市開発
堤康次郎は政界進出後も事業欲は衰えを見せず、大泉学園や国立・小平学園都市開発に着手し、東京商科大学の誘致に成功すると共にアクセス鉄道として多摩湖鉄道を開通。大泉学園開発では沿線を走る武蔵野鉄道との関わりが出来、1940年には大株主の浅野財閥からの株式を買収して多摩湖鉄道をこれに合併させた。アジア太平洋戦争中は武蔵野鉄道に加え(旧)西武鉄道の経営に参画すると共に、都内の糞尿処理対策や流木対策として糞尿運搬や木工業、更には合成ゴム・化学肥料製造、果ては銀行業(高田農商銀行)にまで事業の手を広げた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%A4%E5%BA%B7%E6%AC%A1%E9%83%8E
武蔵野鉄道とは現在の西武池袋線です。多摩湖鉄道とは現在の西武多摩湖線です。

↑画像 西武鉄道路線図
(5)箱根土地

↑画像 東京都の地図
箱根土地(はこねとち)は、大正時代から昭和時代にかけて存在した日本の土地会社である。かつて西武グループの中核企業のひとつであった、国土計画(後のコクド)の前身。
1920年3月、堤康次郎により「箱根土地株式会社」として設立。現在に連なる西武グループの基礎を形成した企業である。
軽井沢・千ヶ滝別荘地(長野県軽井沢町)、箱根強羅・芦ノ湖近辺の別荘地分譲、東京目白の目白文化村など郊外住宅地分譲、現在の練馬区大泉学園、国立市・小平市における「学園都市構想」に基づく大規模宅地開発事業など、戦前期を通じて東京およびその周辺を中心に大規模な不動産開発を多数行った。
同時に不動産開発を手がけた地域での鉄道新線建設、既存の鉄道会社の買収なども手広く行い、のちの西武グループの基礎を形作るに至った。
1944年2月、「国土計画興業株式会社」に社名変更(のち1965年6月「国土計画株式会社」に、1992年3月「株式会社コクド」に再度社名変更)。なお株式会社コクドは2006年2月1日をもって消滅し、株式会社プリンスホテル(初代)に吸収合併された。
(6)箱根土地が手がけたおもな不動産開発
① 目白文化村 - 堤康次郎自身も居を構える。同時に箱根土地や東京護謨(現・西武ポリマー化成)の事業拠点としても活用された。
② 百軒店 - 渋谷町 (東京府)の旧中川久任伯爵邸跡地に開店した名店街。
③ 練馬区大泉学園町 - 1924年から168万平方メートルもの開発が始められた。大泉村 (東京府)北部に大規模な学園都市の開発を図り、碁盤目状に土地整備がなされた。
④ 小平市小平学園町 - 170万平方メートルもの土地を開発。「小平学園」という学校はなく、箱根土地が学園都市構想に基づき、大学を誘致して開発した「小平学園町」(現・小平市学園西町および学園東町)の名称から。当時は小平学園駅・一橋大学駅(旧・商大予科前駅)があったが、1966年に一橋学園駅に統合(駅名は2駅の合成駅名)。津田塾大学、一橋大学小平キャンパス(旧・東京商科大学予科)がある。
⑤ 国立学園都市 - 甲州街道沿いを除き雑木林であった国立市内の同地を、学園都市構想に基づき大学を誘致して開発。一橋大学国立キャンパスがある大学通り(東京都道146号国立停車場谷保線)の緑地帯部分は、国立の街を箱根土地が開発した経緯から、プリンスホテルの所有地である。
⑥ 国立駅 - 誘致のために箱根土地が駅を作り、鉄道省へ譲渡。駅前広場は現在も西武の所有地である。
1929年、国鉄中央線の電化延長により、国立駅に省線電車が停車開始となった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%B1%E6%A0%B9%E5%9C%9F%E5%9C%B0
さあ、ここまでの記事で、箱根地下原発と軽井沢地下原発がある場所は、堤一族に縁がある事がご理解頂けたかと思います。
↓動画 乃木坂46 生田絵梨花

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