90.尖閣諸島は、本当に日本固有の領土なのか?

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(1)<とうきょうスカイツリー駅>新名所の“玄関口”がリニューアル ツリー開業に向け準備完了

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東京の新名所「東京スカイツリー」の“玄関口”となる東武スカイツリーラインの「とうきょうスカイツリー駅」(旧業平橋駅)の改装工事が完了し、今日<2012年4月20日>、リニューアルオープンした。

 多くの観光客を迎え入れる生まれ変わった駅舎に、式典に駆けつけた「東京スカイツリー」の公式キャラクター・ソラカラちゃんも大喜びの様子。

 登壇した東武鉄道の根津嘉澄社長は「とうきょうスカイツリー駅をご利用いただき、日本中、世界中から多くのお客様をお迎えしたい。東武鉄道としては、『東京スカイツリー』に負けない高いレベルのサービスを提供していく」と語った。

 「とうきょうスカイツリー駅」は、「東京スカイツリー」の最寄り駅として、3月17日に駅名を改称し、今回、駅コンコースの拡大や改札口の増設などの改装工事を実施。さらに、環境に配慮したLED照明や「東京スカイツリー」と同じ地域冷暖房システムの導入、トイレ洗浄水への雨水利用のほか、改修前のホーム屋根骨組みを生かした膜屋根を採用し、先進的なデザインを取り入れた。外観の色は東京スカイツリーに合わせ、白をベースに統一感を持たせた。

 また構内には、「東京スカイツリー」を中心にした商業施設「東京スカイツリータウン」の見どころを案内してくれる「ステーションコンシェルジュ」を配置。さらに、リニューアルオープンを記念して、「東京スカイツリー」のデザイン監修者で彫刻家の澄川喜一さん制作のパブリックアート「TO THE SKY」を駅構内に設置。「東京スカイツリータウン」の「ソラマチひろば」にも、同名の屋外彫刻を設置した。(毎日新聞デジタル)

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ブログ「(新) 日本の黒い霧」2011-03-14付けの記事「隠された日米戦争」で、ブログの筆者は、「スカイツリーは兵器か」と疑問を投げかけている。

(2)はじめに

前の記事で、2012年4月19日付けの【琉球新報】の<社説>を紹介した。

その中に、「尖閣諸島はわが国固有の領土だ。」とか、「沖縄県石垣市に帰属することは、歴史的経緯からしても自明だ。」との一節がある。

【琉球新報】に限らず、ほとんどのマスコミが、この点に関しては、ほぼ同じような立場である。

石原知事の考えには批判的なマスコミが多いが、この点に関しては、不思議なくらいほぼ同じような立場なのだ。

本当に、「わが国固有の領土だ。」と自信をもって言えるのだろうか?

本当に、「歴史的経緯から、わが国固有の領土であることは自明」なのだろうか?

2012年4月19日付けの【琉球新報】の<社説>には、「尖閣諸島は、明治政府が1895年に沖縄県に編入した。」とある。

なぜ、1895年に沖縄県に編入できたのだろうか?

いったい、1895年に何があったのだろう。

(3)日清戦争

拙ブログを記事1からお読みの方は、私の職業をご存知のことと思います。

勤務先を明らかにしていないものの、公立高校の地歴・公民科の教諭である。

1994年度から、高等学校では社会科は、多くの社会科教師の反対にもかかわらず、解体され地歴科・公民科に分割されてしまった。

1994年度以降、私は地歴科の世界史と日本史、公民科の政治経済の授業を担当してきた。

日清戦争は、日本史でも、世界史でも出てくる。

日清戦争は、1894年から1895年にかけての戦争である。

尖閣諸島が日本領になった原点は、この戦争にある。

(4)戦争中毒「大日本帝国」

『戦争中毒』はジョエル=アンドレアス著、きくちゆみ監訳 で 合同出版から2002年10月に刊行されました。

あの本が刊行されて早10年です。この本は、米国建国から911まで、米国の軍国主義の歴史をマンガで表現している。

読めば、アメリカが戦争しまくりの国家であったことがよく解る。

同様に、明治維新以降1945年迄の日本も、戦争しまくりの国家であった。

1868年の明治維新で権力を握った天皇制政府は、直ちに琉球、朝鮮、台湾へ侵略の歩を進めた。早くも一八七四年に台湾出兵を行った天皇制日本政府は、台湾侵略の足がかりとして釣魚諸島の略奪をねらっていた。

(5)そもそも「尖閣諸島」という名前そのものが、「日本固有の領土」論のデタラメさを表現している!

2012年4月19日付けの【琉球新報】の<社説>にある通り、「尖閣諸島」を日本が領有したのは、1895年、日清戦争で日本が勝利した際のことである。

日清戦争勝利のどさくさに紛れて、日本が領有してしまったのである。

しかし、その時はまだ「尖閣諸島」と言う地名は確立していない。「釣魚諸島」である。

1895年1月14日に「釣魚諸島」の日本領有が閣議決定された。

 ここが日本で「尖閣列島」とよばれるようになったのは、なんと、1900年、沖縄県師範学校の教師・黒岩恒の命名によるものであった。

 当時の日本海軍の模範であった英国海軍が、海図で釣魚島の東側にある岩礁群につけた「PINNACLE│ISLADS」(ピナクル・アイランズ。尖塔あるいはとがった岩峰の群島)という名称の、翻訳なのである。「尖塔」をやや重々しく「尖閣」に言い換えたにすぎない。

よって、黒岩恒の命名と言うより、黒岩恒の翻訳と言った方が適切かもしれない。

・・・・・・・次の記事に続く・・・・・・・・・・・・・・・・

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