909.マルティン・ルターによる宗教改革のスポンサーは?

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↑画像 2018年正月・晴れ着<振り袖>特集14 松井玲奈

(1)マルティン・ルターによる宗教運動のスポンサーは?

 「908.なぜイルミナティは46を好むのか? PART2」の続きです。908はこちら。前回予告させて頂いたタイトルを変更しました。申し訳ありません。

 脱藩浪人である坂本龍馬が、船に乗り江戸と長崎、薩摩と長州を自由に行き来しながら、「船中八策」を書き、「薩長同盟」を成立させたのも、巨額資金を提供するスポンサーと情報ネットワークがあったからです。

 坂本龍馬のスポンサーは、ロスチャイルドがバックに控えるジャーディン・マセソン商会、そしてその代理人であるトーマス・グラバーです。

 同じ様にマルティン・ルターによる宗教改革が成功した理由もスポンサーがいたからです。

(2)驚くべきことに

 908の(4)に書いた通り、マルティン・ルターによる宗教改革は、短期間に全ドイツに広がりました。マルティン・ルターは1517年に九十五力条の論題を発表して、人は信仰のみによって救われると説きました。908はこちら

 人は信仰のみによって救われると説いた事により、マルティン・ルターはローマ教皇レオ10世に反抗した事になります。イタリアの聖ピエトロ大聖堂の建設費を集めるという名目で、1515年にローマ教皇レオ10世の名の下に、ドイツにて売りに出された贖宥状を買わなくても救われるとルターは主張したのですから。

 驚くべきことに、ルターの宗教改革以前、神聖ローマ帝国で礼拝や聖歌など教会で使用される言葉は全てラテン語だった。人々は教会の壁に飾られた絵画やステンドグラス、聖人らの彫刻などを眺め、そこに描かれている聖書の内容を理解しようとしても、礼拝中に何が話されているのかは全く分かっていなかったのだ

(3)マルティン・ルターはシンガーソングライター

 そこでルターは聖書をラテン語から民衆の言葉であるドイツ語に訳す必要性を痛感した。後に出版したルター訳の聖書はその後近代ドイツ語の統一に影響を与えた。

 またルターは、聖書の理解には時に歌いながら祈ることも大切と考え、簡単なドイツ語の賛美歌(Choral)を作り、自らリュートを演奏して歌った。マルティン・ルターはシンガーソングライターだったのだ。

 「908.なぜイルミナティは46を好むのか? PART2」の「(8)マルティン・ルターは秋元康以上のMUSICクリエイター」で取り上げた「神はわがやぐら」は、ナチスの行進曲に利用された暗い歴史がある。908はこちら

(4)95か条の論題

 1517年10月31日、ヴィッテンベルクの教会の門に打ち付けられた、宗教改革の大きなうねりに繋がる「95か条の論題」。一方、カトリック教会はルターに自説を撤回するよう迫った。これを拒否したルターは1521年、ついに教会を破門された

 ルターは同年ヴォルムス帝国議会で神聖ローマ皇帝カール5世に召喚を受けたが、ここでも自説の撤回を拒否し、帝国追放を宣言された。その帰り道、ルターを支持していた有力諸侯の一人、ザクセン選帝侯フリードリヒ3世(賢公)に保護された。その後、フリードリヒ3世の居城であるヴァルトブルク城にて新約聖書のドイツ語訳を完成させた。

(5)ルター訳の聖書はベストセラー

 ヨハネス・グーテンベルクが1450年頃発明し、実用化が進んでいた最新技術の活版印刷がルターの教えを広めるのに大きな役割を果たした。各地の印刷所は「95か条の論題」を始め、ビラや冊子をどんどん刷り、これらは飛ぶように人の手に渡った。

 ラテン語で書かれていた「95か条の論題」もすぐにドイツ語に訳され、ほんの2週間でヨーロッパ中に広がった。神聖ローマ帝国で当時約1500万人いた人口の大半が読み書きができなかった時代に、ルターの聖書は100万部も印刷され、大ベストセラーになった。印刷の技術がなかったらルターの思想はここまで一気に広がることはなく、宗教改革も起こり得なかっただろうといわれている。

http://www.newsdigest.de/newsde/features/8381-martin-luther-500-jahre-reformation.html

(6)死の商人

 印刷機って価格が高い。ルター一人では買えない。当時は紙も高価。広める為には輸送する人も必要。そう考えると、かなりの資金が必要ですね。

 スポンサーは「908.なぜイルミナティは46を好むのか? PART2」の<(7)ヴェネチアの「黒い貴族」>で取り上げた、ヴェネチアの「黒い貴族」です。908はこちら

 ヴェネチアの「黒い貴族」はカトリックを分裂させて両方をけしかけ、両方に資金を与えカトリック教会の分裂と凄惨極まりない殺し合いを、背後で操縦したのです。つまりヴェネチアの「黒い貴族」は死の商人です。

 つまりプロテスタントと戦うための組織「イエズス会」の創設者イグナティウス・ロヨラ<イグナチオ・デ・ロヨラ>とフランシスコ・ザビエルらに資金提供したのもヴェネチアの「黒い貴族」という事です。幕末から明治初期にかけて日本に入り込んだ死の商人どものやり口とまったく同じです。


 つまりイエズス会の本当の創立者は、死の商人の「ヴェネチアの黒い貴族」と言える。その「イエズス会」のフランシスコ・ザビエルが日本にやってきた意味をもっと深く多くの日本人は考える必要があるでしょう。

(7)ヴェネチアの黒い貴族のルーツ

 476年、ゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって西ローマ帝国が滅びた後、ローマ帝国の一部の貴族がヴェネチアに避難した際に、特権を享受していた一部のユダヤ人もヴェネチアへ避難し、ヨーロッパの貴族階級に同化していった。その中で現地人<ロンバルディア人>より色が浅黒かったので「ヴェネチアの黒い貴族」と呼ばれるようになった。

 このユダヤ人はハザール人ではなく本来のユダヤ人です。だから色が浅黒かったのです。「ヴェネチアの黒い貴族」はキリスト教国家とイスラム教国家の間の地中海貿易を独占していった。そして黒い貴族は地中海貿易から大西洋貿易に移るためにヴェネチアからオランダへ、さらにイギリスへと移動していき、世界初の株式会社であるイギリス東インド会社を設立した。


https://ameblo.jp/walker-memo/entry-12204361615.html

(8)経団連の榊原会長

 3団体共催の新年祝賀会で経団連の榊原会長は毎年同じこと言ってる。

2018年「今年こそデフレ脱却」https://mainichi.jp/articles/20180106/ddm/002/020/026000c
2017年「今年こそデフレ脱却」 http://www.keidanren.or.jp/journal/times/2017/0112_01.html
2016年「今年こそデフレ脱却」http://mainichi.jp/articles/20160106/k00/00m/020/087000c

 「850.日本は世界最悪の悪人天国ではないのか?」の「(6)榊原 定征(さかきばら さだゆき)」に書いた通り、経団連の榊原定征は韓国名・崔定征という朝鮮人です。つまり本来なら日本人の為の経団連が朝鮮人に乗っ取られているのです。850はこちら

(9)感謝

 2018年1月2日、総アクセス数が125万を突破しました。参考までに124万突破は2017年12月28日です。1月6日総アクセス数が126万を突破しました。本日1月10日総アクセス数が127万を突破しました。スマホ&ガラケーでご覧の方はアクセスカウンターをご覧になれないので、一応報告させて頂きます。たくさんのご来訪に感謝申し上げます

↓動画 乃木坂46 与田祐希
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123 #mbrkiaZY

日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事

新年一般参賀での天皇陛下お出まし際、陛下がやたらとポケットに手を入れる仕草をされ、ポケットをアピールされていたのは、1985年8月12日の日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事の際、不時着で全員生存の乗客乗員のうち数十名が、救助を偽った埼玉県警のお巡りさんや日露自衛隊によりヘリで魚尾のポケット公園近くの寺院に連れてこられ、生々しく虐殺された後、ミンチ肉レベルまでめった切りにされ、現在もなお埋葬されているという、前代未聞の惨憺たる残忍な殺害に、心をいためられており、集まられた12万人以上の皆様に対し、こうした埼玉県警や日露自衛隊のやりかたに対し、問題提起された状況である

2018/01/10 (Wed) 23:39 | URL | 編集 | 返信
福田元昭 #-

Re: 日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事

123さん、コメント、ありがとうございます。

>ポケットをアピールされていたのは、

そうだとしても、一般の人々は解らないですよね。

2018/01/10 (Wed) 23:44 | URL | 編集 | 返信

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