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883.今上天皇の誕生日は本当に12月23日なのか?

2017 クリスマス まゆゆ 1
↑画像 2017クリスマスシリーズ16 まゆゆ 渡辺麻友

(1)今上天皇の誕生日は本当に12月23日なのか?

 下記のリンク先の記事によれば、明仁さん、すなわち「今上天皇」の本当の誕生日は12月24日だと言う。「陣痛が始まったのが、12月23日であり、誕生したのが、24日であった。」と言う。

http://boosuka-asuka.hatenablog.com/entry/2017/11/30/074526

(2)冬至

 今上天皇の誕生日を12月23日にした理由は、上のリンク先の記事に書いてあります。冬至の日はほとんど12月22日か12月21日ですから、リンク先の記事の「冬至の日でもあるこの12月24日」と言う記述は疑問を感じる方もいらっしゃるかもしれません。

(3)日の入りが1番早い日<日没が一番早い日>

 冬至の日は日の入りが1番早い日ではありません。教師でアウトドアの部活動の顧問の方はお判りかもしれません。教師に限らず基本的にアウトドアでお仕事をなさっている方もお判りかもしれません。

 日本国内の場所と年によってやや違いがあるものの、日の入りが最も早い日は、たいてい12月上旬にやってきます。そして日の出が最も遅い日は、たいてい1月上旬にやってきます。

冬至の日 全国の主要都市 日の出 日の入り時刻まとめ-300x203
↑画像 2017/12/22の日の出&日の入りの時刻
http://mengry.net/2015/08/01/touji-2/

(4)クリスマスのルーツは?

 キリスト教の祝日はもともと誕生よりも死(と復活)に結びついています。使徒や殉教者などさまざまな聖人の祝日はその人の誕生日でなく逝去記念日(命日)です。そもそもイエス・キリストについて、最初から祝われたのは主の復活を記念する毎週の「主の日」(主日)でした。主の死と復活こそ最大の関心事であって、生まれた日を重視しなかったので、古代の教会では、生まれた日付に関しては、見解を示していませんでした。

http://members.ctknet.ne.jp/verdure/Christmas/Christmas_1.html

 聖書にはイエスが生まれた日、「その地方で羊飼いが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」という記述があり、その野営していた羊飼いたちの前にイエスの誕生を知らせる御使いが現れるのですが、ユダヤの口伝律法ミシュナーによれば、牧童たちが野営できる季節は、初めの雨(秋の雨;申命記1章14節、ヨエル2章23節)までの期間であり、11月以降は、寒さのために野営しないと記されており、冬のイスラエルの寒さは厳しく、冬に野宿をするわけにはいかないようです。したがって、イエスの出生は、少なくとも冬である太陽暦12月25日ではないことが分かります。

 つまりイエス・キリストがいつ生まれたかは定かではなく、12月25日をクリスマスとして祝うのは後世に後付けされた習慣です。聖書にもイエス・キリストが生まれた日付は記述されていない。

 古代ローマではキリスト教が台頭してくるまで、ミトラ教の信仰が盛んでした。人々は主神である太陽神ミトラが冬至に死んで、その3日後の25日に復活すると考え盛大な祭りを行っていたといわれています。12月25日は弥勒菩薩の神様「ミトラ神」の誕生日といわれています。

 また、古代ローマ帝国の農耕の神サターンを祝うサトゥルナーリア祭や、ヨーロッパ大陸の先住民であったケルト人やゲルマン人たちの冬至祭も、25日を祭典の日と決めていたとされています。

 ローマ帝国から弾圧されてきたキリスト教が、313年にローマ皇帝コンスタンティヌス帝が「ミラノ勅令」を発してすべての宗教に信仰の自由を認めキリスト教を公認した後、325年、教義を統一するために、コンスタンティヌス帝が、小アジアのニケーア (現在のトルコのイズニク)で開かせたキリスト教会初の公会議であるニケーア公会議で、正式に12月25日がクリスマスと定められたとの説もありますが、定かではありません。

(5)公会議

 公会議とはキリスト教教会の全体意志を決定する重要会議で、ニケーア公会議以降何回も開催されました。ニケーア公会議では、イエスの神性を認め三位一体説を唱えるアタナシウス派が正統とされ、イエスの神性を否定するアリウス派は異端とされました。ローマ帝国を追放されたアリウス派はその後ゲルマン民族に伝道された。

 キリスト教は背教者ユリアヌス帝の迫害を受けつつも信者が増加し、テオドシウス帝により380年キリスト教信仰が強制され、392年に他の宗教がローマ帝国内で禁止となり正式に国教となった。

 ローマ帝国末期にはマニ教に影響を受けた最大の教父アウグスティヌスが現れ、『神の国』、『告白録』などを著した。アウグスティヌスの思想は、その後中世のスコラ哲学に大きな影響を与えた。 スコラ哲学は839の(3)などで取り上げました。839はこちら

 431年には、皇帝テオドシウス2世によりエフェソス公会議が開かれ、ネストリウス派を異端として追放した。ネストリウス派はその後ササン朝に伝道し、唐代の中国に伝わり景教と呼ばれた。

 451年には、皇帝マルキアヌスによりカルケドン公会議が開かれ、単性論派が異端となり追放された。

(6)ミトラ教と弥勒菩薩

 弥勒菩薩は、古代アーリア人の神話に登場する神ミスラが仏教に入り、菩薩として信仰されたものと考えられる。ミスラはミトラとも呼ばれ、古代のイラン・インドにおいて信仰されていた神であり(『アヴェスター』や『リグ・ヴェーダ』に登場する)、ゾロアスター教においては、太陽神として重要な役割を持つ。

 ミスラはクシャーナ朝ではミイロ(Miiro)と呼ばれ、この語形が弥勒の語源になったと考えられている。ミイロの神格は太陽神であるということ以外不明であるが、定方晟はマニ教の影響なども考慮して、救世主的側面があったのではないかと推測している。

 弥勒はサンスクリット語では、「マイトレーヤ」というが、マイトレーヤは、「友情厚い・慈悲深い」という意味で、ミスラの転用あるいは変形と考えられる。メソポタミア、イラン、インド等において、紀元前にあって、ミトラ神に対する広範囲な信仰があった証拠があるが、ミトラを主神とする固有の宗教があったかは明らかでない。(固有の宗教としては、ローマ帝国治下の地中海世界で信仰されたミトラス教<ミトラ教>が存在するが、これはイラン等のミスラ信仰の系譜にあり、また別の宗教である)。〜Wikipedia「弥勒菩薩」より〜

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9

(7)SaturnとSatan

 (4)に「古代ローマ帝国の農耕の神サターン」という表現が出てきます。土星の英語名「Saturn」は、ローマ神話の農耕の神サトゥルヌス(ギリシア神話のクロノスに相当する)の名に由来します。土曜日の英語名「Saturday」の語源がSaturnです。月曜日を意味するMondayは月のMoon、日曜日を意味するSundayは太陽のSunから来ている事は有名ですね。

 「Saturday」の語源のSaturnを悪魔と誤解している日本人が結構います。陰謀論者でもいるかもしれません。悪魔のサタンは、英語で書くとSatanであり、読み方は「セイタン」です。 Saturnは「サターン」と発音します。

 占星術師のマリー・オリギンが「土星はサタン、すなわち魔の星です。」とテレビで述べた。誤解している日本人の一人ですね。ヘブライの伝説によれば、セイタン「Satan」は元は大天使ルシファーであった。ルシファーは神に反逆したために地獄に堕とされ、以後セイタン「Satan」(敵対者)と呼ばれるようになったという。

https://ameblo.jp/kusuke6/entry-12055168227.html

(8)ボニファティウス8世は本当に憤死したのか?

 「地獄に堕とされ」と言えば、ダンテ作「神曲」の中でボニファティウス8世は地獄に堕とされ、逆さまに穴に入れられ、燃やされています。

 「ボニファティウス8世はアナーニ事件後、憤死した。」と多くの高校生は嘘を不勉強の教師から教えられる。教科書にもWikipediaにも「憤死した」と書いてある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%8B%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B98%E4%B8%96_(%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87)

 <wikiから転載開始>ボニファティウスはまた、聖職にある身としてはめずらしいほどの現実主義者であり、また、「最後の審判」は存在しないと信じていた。敬虔な人から悩みを打ち明けられても、「イエス・キリストはわれらと同じただの人間である」と述べ、「自分の身さえ救うことのできなかった男が他人のために何をしてくれようか」と公言してはばからなかったともいわれている。

 ボニファティウス8世は、何ごとによらず華美を好み、美食家で、宝石でかざったきらびやかな衣服を身にまとい、金や銀などの宝飾品を常に着用していた。賭博も好み、教皇庁はまるでカジノのようであったという。性的には精力絶倫で、あやしげな男女が毎晩のように教皇の寝所に出入りしたともいわれている。<wikiから転載終了>

 wikiのこの部分の記述が正しいとすれば、ボニファティウス8世は歩く生殖器だったようです。

 アナーニ事件は、1303年、フランス国王フィリップ4世がローマ教皇ボニファティウス8世をイタリアの山間都市アナーニで捕らえた事件です。フランス絶対王政の発端とも言われ、国王の権力が急伸したことの象徴ともいわれている事件です。

 ボニファティウス8世は憤死なんかしていません!!! ボニファティウス8世は腎臓病を悪化させ死んだのです!!!

 某予備校の講師が何と善意で無料の世界史の動画をUPしていますが、その動画はボニファティウス8世は腎臓病を悪化させ死んだと正しく述べています。そして次に紹介するブログも正しく記述しています。

http://yukipetrella.blog130.fc2.com/blog-entry-485.html

 一方、現実世界のボニファティウス8世は教会への課税を巡ってフランス王フィリップ4世と争い、破門にしようとしました。フランス王は、涜神、聖職売買、妖術、婦女誘惑、殺人のかどで教皇を告発し、弾劾の公会議を布告します。

 ボニファティウス8世が生まれ故郷の小都市アナーニ Anagniの別荘に滞在していた時に、フランス使節と反教皇派のコロンナ家の者が座所に忍び入り、弾劾の公会議に出席せよと迫ります。教皇はまもなく釈放されましたが、腎臓病を悪化させ、死去します。

 これ以降、教皇庁に対するフランスの圧迫は強まり、教皇庁がフランスのアヴィニョンに移されるという「アヴィニョン捕囚」を招くことになりました。

(9)今上天皇の誕生日を12月23日にした理由は?

 皇室とキリスト教の深い関係からクリスマスイブとされている12月24日を避けて、12月23日にしたのではないかと考えられます。それに12月23日は「ひふみ祝詞」を暗示させる日である事も要因かもしれません。

 「昭和天皇実録」によれば、クリスマスにプレゼントを贈る習慣は、1904年の日露戦争の頃にすでに皇室にあったという。A級戦犯が処刑された1948年頃には、昭和天皇は多くのキリスト教徒と接し、定期的に聖書の講義も受けていたという。実はキリスト教の原点は日本だとする説があります

 極東国際軍事裁判(東京裁判)にて死刑を言い渡された「A級戦犯」だった松井石根、東條英機、広田弘毅、土肥原賢二、木村兵太郎、板垣征四郎、武藤章の7人に、1948年12月23日、東京都豊島区西巣鴨(現:豊島区東池袋)にあった巣鴨プリズンで絞首刑が執行された児玉誉士夫、笹川良一、岸信介はアメリカの犬になる代わりにここから釈放されたといわれている。

(10)日付が持つ意味

 極東国際軍事裁判<東京裁判>とは、連合国が「戦争犯罪人」として指定した日本の指導者などを裁いた一審制の軍事裁判のことです。

 東京裁判の起訴状の提出は昭和天皇の誕生日である1946年4月29日に行われた1946年5月3日午前11時20分、東京の市ヶ谷の旧陸軍士官学校の講堂において極東国際軍事裁判が開廷した27億円の裁判費用は当時連合国軍の占領下にあった日本政府が支出した

 1947年5月3日、日本国憲法が施行された。7人の絞首刑(死刑)判決を受けたものへの刑の執行は、1948年12月23日午前0時1分30秒より行われ、同35分に終了した。この日は当時皇太子だった継宮明仁親王(今上天皇)の15歳の誕生日(現天皇誕生日)であった。これについては、作家の猪瀬直樹が自らの著書で、皇太子に処刑の事実を常に思い起こさせるために選ばれた日付であると主張している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%B5%E6%9D%B1%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E8%A3%81%E5%88%A4

↓動画 松井玲奈 最後の動画は記事の本文と関連している場合があります。
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