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770.御巣鷹の事故現場を中心にした一定範囲内のエリア<群馬長野山梨埼玉>の123便関連の遺体&機体埋設現場写真集 PART2 <123便の真実・最新3>

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↑画像 2017・夏・海32 東京都大島町 伊豆大島 欅坂46 今泉佑唯 BLT 2017年10月号

(1)口封じの歴史・高天原山事変152 群馬県多野郡神流町

 この記事は「762.御巣鷹の事故現場を中心にした一定範囲内のエリア<群馬長野山梨埼玉>の123便関連の遺体&機体埋設現場写真集 PART1 <123便の真実・最新2>」の(6)の続きです。762はこちら

 2017年8月13日、大幅に迂回して現場に向かった私達は、人口約2000人の町である群馬県多野郡神流町に着きました。神流町は高天原山事変の頃、万場町と中里村でした。中里村が上野村に隣接していた。故に旧・中里村エリアの方が123便関連スポットが多い。2003年4月1日、万場町と中里村が合併し神流町が発足した。

神流町・旧境界
↑画像 旧境界 1.旧・中里村 2.旧・万場町


↑地図 群馬県多野郡神流町魚尾(よのお)

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↑画像 群馬県多野郡神流町魚尾(よのお) 虐殺された123便の乗客・乗員が埋設されているのではないかと考えられている場所

(2)口封じの歴史・高天原山事変153 群馬県多野郡神流町魚尾(よのお) 鮎神社

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↑画像 群馬県多野郡神流町魚尾(よのお) 丸岩(まるいわ)

 空腹で困っていた神が丸岩で休んでいた時、村人が鮎を添えた麦飯を差し出したところ、日本一の鮎だと喜んだという伝説に基づき、有志が建立したとされる小さな神社が下の鮎神社です。この地の鮎を食べた神は大変喜び魚の尾まで食べた。この話がベースとなりこのエリアは魚尾(よのお)と呼ばれる様になった。

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↑画像 群馬県多野郡神流町魚尾(よのお) 鮎神社

 この鮎神社には123便を象徴しているのではないかと考えられるモニュメントがある。

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↑画像 123便を象徴しているのではないかと考えられるモニュメント

 鳥居の横の石のモニュメントが123便を象徴していると指摘されている。

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↑画像 高天原山事変の翌年に鮎神社の工事が行われた事を示す部分

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↑画像 鯉のぼりが123便を象徴していると指摘されている注意書き

(3)口封じの歴史・高天原山事変154 群馬県多野郡上野村 123便の乗客・乗員の遺体埋設現場&臨時ヘリポートと考えられる場所

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↑画像 2017年8月13日撮影 群馬県多野郡上野村 123便の乗客・乗員の遺体埋設現場&臨時ヘリポートと考えられる場所

https://youtu.be/1oTdrCOgx7I
↑動画 福田元昭YouTube動画デビュー!!! 群馬県多野郡上野村 123便の乗客・乗員の遺体埋設現場&臨時ヘリポートと考えられる場所のリポート

上の画像と動画の現場は群馬県多野郡上野村の一角です。不時着した2機の123便の乗客・乗員を虐殺してヘリコプターで輸送し、この臨時ヘリポートにヘリコプターを着陸させ、付近に遺体を埋設したと考えられています。

 もう一つの可能性としては、生きたままヘリコプターで輸送し、この臨時ヘリポートにヘリコプターを着陸させ、付近で生存者を虐殺し遺体を埋設したと考えられています。


(4)口封じの歴史・高天原山事変155 ソ連ミグ戦闘機パイロット遺体埋設場所と指摘されている場所

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↑画像 2017年8月13日撮影 群馬県多野郡上野村 ソ連ミグ戦闘機パイロット<セルゲイ氏>遺体埋設場所と指摘されている場所

 アメリカが123便を打ち落としたとでたらめを書きソ連の事をまったく書かない視野の狭い陰謀論者や工作員の方、高天原山事変で打ち落とされたソ連のミグ戦闘機のパイロットは人物まで判明しているのですよ! セルゲイさんです。

 そうした嘘を書いているブログを読むのは、時間の無駄ですし有害ですから二度と読まない事を勧めます。まして貴重な金を支払うブロマガを読むなんて愚の骨頂です!

(5)口封じの歴史・高天原山事変156 心温かい地域を悲しみの地にしようとした虐殺部隊

 現在の新潟県南魚沼郡湯沢町にあるJR東日本上越線の越後中里駅を中心としたエリアの住民の遠い祖先の一部が、旧・中里村に該当するエリアに移住し自分達のふるさとの地名を付け中里村になったという。

 (2)で紹介しました村人が鮎を添えた麦飯を差し出した話は、旧・中里村に該当するエリアの人々の優しさ・暖かさを示す言い伝えです。123便の乗客・乗員を虐殺した勢力は、そうした心温かい地域を悲しみの地にしようとした。神流町魚尾に連行された生存者は、この地を悲しみの地にする為に神流町魚尾でミンチ状態にされた。

 もちろん現地の人々は現在でも心温かい。鮎神社にある123便を象徴しているのではないかと考えられるモニュメントは、心温かい旧・中里村の人々の死者を悼む気持ちの表れの様に感じられる。


(6)口封じの歴史・高天原山事変157 CIAを裏切り台湾客家に与した後藤田正晴 

 「769.123便の乗客・乗員の虐殺を指示したのは誰か?」の(1)で、「後藤田正晴は、CIA(アメリカ諜報機関)のエージェントであり、台湾系客家のエージェントです。」と書きました。769はこちら

 よく考えればこの両勢力のエージェントでいる事は矛盾しているのです。これは自民党のエージェントと共産党のエージェントを兼ねている様な状況なのです。高天原山事変に際して後藤田正晴は、CIAを裏切り台湾客家に与した。台湾系客家が後藤田正晴(当時総務庁長官・元警察庁長官)に1000名以上になった乗客・乗員を虐殺する指示を出す様に促したのに対して、後藤田正晴は台湾系客家に従った。

 重要な事は一連の123便事件に際して、CIA側つまりアメリカ側は123便を救助しようとした事です。日本の123便事件の首謀者達はアメリカに救助をさせない様にした上、不時着時ほとんどの乗客・乗員が生き残っていたのに、台湾系客家の言いなりになって口封じの為に乗客・乗員の虐殺を選択したのです。

 2016年アメリカ合衆国大統領選挙でドナルド・トランプが勝利した要因の一つとして、台湾系客家の支援があった事が挙げられる。

(7)口封じの歴史・高天原山事変158 虐殺部隊の実態

 さて(6)で叩いた後藤田正晴ですが、視点を変えれば苦しい立場に立たされているわけで気の毒に感じます。とにかくひどいのは123便の乗客・乗員を虐殺した虐殺部隊です。その主流は警察といわれています。「769.123便の乗客・乗員の虐殺を指示したのは誰か?」に書いた通り、123便の乗客・乗員を虐殺をした中心勢力は自衛隊熊谷部隊です。769はこちら

 航空自衛隊の熊谷基地は、『自衛隊』と頭に文字が付いてますが、指揮系統も活動資金も、普通の自衛隊とは全く異なる、独立した部隊です。自衛隊熊谷部隊は警察の配下で動くので、そういう意味では虐殺部隊の主流は警察という事になるのです。虐殺部隊の中には中国語を話す人々が一定程度いたとう。つまり台湾系客家が虐殺部隊に加わっているのです。

↓動画 実はエンディングの動画はたまにその記事の内容に連動している事があります。 AKB48
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