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766.静岡県沼津市に約2年前からクロカモと思われる人々が常にいるのはなぜか?

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↑画像 2017水着シリーズ11 2017・夏・海30 シンガポール NMB 太田夢莉(おおたゆうり)

(1)口封じの歴史・高天原山事変128 気になる点があります

 「760.123便は時空を超えた!!!<123便の真実・最新1>」に対して、静岡県在住の読者が、とても興味深いコメントを下さいました。ありがとうございます。760はこちら

<転載開始>★気になる点があります

 日航機事故の記事を、興味深く拝見させて頂きました。JAL墜落事故当時(1985年8月)、私はまだ小学生でしたが、どう解釈したらよいのか未だに分からない点があります。

 ブログ上に掲載されている、事故にあった日航機123便の飛行ルートですが、伊豆半島の上を通過して駿河湾から富士山の脇を通っています。

 私がまだ小学生の頃、私の兄が伊豆半島の付け根部分に位置する場所・・・(沼津市平沢「らららサンビーチ」より、北部にある場所)にて、1985年8月12日の夕方6時半頃、恐らく「日航機123便」と思われる飛行機を目撃しております。

 当時、夏休みで、複数のお友達と、夕方まで外で遊んでいた最中に、たまたま上空(割と近くで大きく見えたようです)を飛んでいた飛行機を目撃しており、「おかしな飛び方をしていた・・・フラフラしながら飛んでいた。」と、話しておりました所、日航機123便墜落事故の事をニュースで知りました。

 気になる「日航機123便の飛行ルート」の件ですが、ブログ上に掲載されている「飛行ルート」ですと、私の兄が目撃している飛行機は、日航機123便ではない可能性が出てきてしまいます。当時、兄や友人達が遊んでいた場所は、周辺の環境も含め、今もそのままの状態ですので、飛行ルートを見る限り「日航機123便」は目撃できないはずです。

 一方で、公表されている「日航機123便の飛行ルート」とは別に、「沼津市西浦平沢(らららサンビーチ)付近」上空を、同日夕方(6時半頃)に日航機123便が通過しているのであれば、同機を目撃する事が十分可能な場所(沼津市内浦)です。


 この点で、どう解釈したらよいのか、今の所分かりませんが、確かに「ラブライブ」というアニメの聖地に、突然なっており、異常に多くのアニメファンの方々が、連日押し寄せております。

 今後、「沼津市西浦平沢(らららサンビーチ)」に、日航機123便が現れる可能性があるとのことですが、1985年当時、私の兄が目撃した飛行機は、日航機123便だったのか?・・・今も良く分からないままです。

 その他、「クロカモ(裏自衛隊)」かどうか分かりませんが・・・沼津市内浦や周辺地域には、異常な台数の、同ナンバー車両が2年位前から来ております。・・・例えば、「11-22」「11-88」「88-88」「・123」ナンバー車両が常に居る状態です。 

 不自然な出来事も多数有る為、「日航機123便の飛行ルート」の件、また、「沼津市西浦平沢(らららサンビーチ)」の件、詳しく知りたいと思っております。<転載終了>

>不自然な出来事も多数有る

 更なる具体例がありましたら、お知らせ下さい。

(2)口封じの歴史・高天原山事変129 公表されている「日航機123便の飛行ルート」はすべて正しいのか?

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↑画像 1985年8月12日 日航ジャンボ123便飛行ルート(「760.123便は時空を超えた!!!<123便の真実・最新1>」の(3)に掲載した地図とは別な地図ですが、123便が飛行したとされるルートは同じです。760はこちら。)

 760の地図もこの記事の地図も、1987年6月19日に時の運輸大臣・橋本龍太郎に提出された運輸省航空事故調査委員会は「航空事故調査報告書 日本航空株式会社所属ボーイング式747SR-100型JA8119 群馬県多野郡上野村山中 昭和60年8月12日」を元にした123便の推定飛行ルートです。あくまで推定ですから、すべて正しいかどうかは判りません。

 1機目の123便はワープしている可能性があり、公式の推定飛行ルートとは別に、静岡県沼津市上空を通過している可能性があります。また、(5)に記す通りの状況があったと考えられ、静岡県沼津市上空を通過した事を隠蔽する必要があったとも言えます。

(3)口封じの歴史・高天原山事変130 1機目のJAL123便のワープ

 運輸省<当時>航空事故調査委員会JA8119号機JAL123便報告書305ページ~306ページのLOC1及びLOC2のグラフの値が突然ぶっとんでいることから、JAL123便がワープ飛行していたことが読み取れるという。

 1985年8月13日の朝日新聞記事報道とあわせると、「760.123便は時空を超えた!!!<123便の真実・最新1>」の(4)に書いた通り、日航ジャンボ123便は1985年8月12日18時15分に、神奈川県横須賀付近でワープした。760はこちら

 長野県南佐久郡南相木村茂沢付近(付近の住民に4000万円前後ずつの口止め料が払われ高価な住宅が林立)に突如出現した1機目のJAL123便は北上し、長野県南佐久郡北相木村の北相木村小学校付近で進路を変え(北相木村小学校で開催の村の夏祭り準備をしていた20人程度が目撃 新聞で報道された。)、御座山上空を飛行(朝日新聞で報道された)後、群馬県甘楽郡下仁田町と長野県佐久市に跨る標高1,423mの山である荒船山近くの群馬県道43号線夫婦岩付近で南へ転回し、群馬県甘楽郡下仁田町にある物語山付近の、いわゆるスターゲートから神奈川県茅ヶ崎市の茅ヶ崎沖(現在のサザンビーチ沖)にワープした。


↑地図 群馬県甘楽郡下仁田町にある物語山

 物語山古代遺跡は基本的にはハープ装置ですが、ワープ機能もあるという。茅ヶ崎沖に現れた1機目のJAL123便はその後、JAL123便は伊豆半島へ向かった。この間、760の(10)に書いた通り、1機目のJAL123便は相模湾でソ連軍機Tu-95ベアにより尾翼を損傷した。Tu-95ベアは、「564.JAL123便を米軍が撃墜したと言う説は真実か?」などで取り上げました。564はこちら

 神奈川県藤沢市は神奈川県茅ヶ崎市に隣接している。藤沢市内の辻堂在住者の衝撃の経験を「467.福島原発周辺だけ濃霧が続いているのはなぜか?」の「口封じの歴史・御巣鷹山事変編5 NHKの職員と称する人物による口封じ」で紹介しました。467はこちら

 <転載開始>知人の親戚が辻堂に住んでいて、やや離れた上空で旅客機に何かが当たり、オレンジ色の光が光った瞬間を目撃しました。これはただ事ではないと思った親戚は、すぐにNHKに通報しました。その直後に事故のニュースが流れ、目撃した出来事と強い関連があると判断したそうです。

 現場が判明した数日後、親戚宅にNHKの職員と称する人物が訪れ、情報提供に対して丁寧に礼を述べ、その気持ちとして紙包みを手渡されたのです。そして帰り際にその”職員”は、要請がない限り、この事実は決して口外しないように、と何度も念を押したそうです。


 その親戚は職員が帰った後にその紙包みを開けたところ、中から大量の札束が現れ、しばらく足が震えて泊まらなかったとか。この件について、その親戚は今から5年前にようやく周囲に公表しましたが、お金には一切手を付けず今でもタンスの奥に眠っているそうです。」 2010年5月9日付けの「(新)日本の黒い霧」コメント欄の2010年8月10日付けのコメントより

http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/edbab4f32ae3d24a7aaf78f747cbaaeb<転載終了>

(4)口封じの歴史・高天原山事変131 公式には午後6時24分、異常事態発生!

 公式には離陸から12分後の午後6時24分、異常事態が発生したとされる。東京管制部にも、異常が伝えられた。

123便「あー、東京管制部、こちらJAL123便。異常事態発生、羽田に戻りたいので22000フィートに降下したい

東京管制部「了解、要求通りにします」

 後に明らかにされるフライトレコーダーの記録によると、123便は上下左右に激しく揺れながら飛行している。コックピットでは、エンジンの推力操作だけで機体の安定に努めていた・・。

東京管制部「大島に向けて進路90度をとってください」

123便「しかし現在、操縦不能」

東京管制部「操縦不能、了解」

 123便は、機体を安定させるため、更に高度を下げた。

機関士「ジャパンエアー123、リクエストポジション」

東京管制部「こちらのレーダーでは55マイル ノースウェスト、熊谷から25マイルウェストの地点です」

機関士「了解」

http://www.jalcrew.jp/jca/public/123/fujitv123.htm

 この異常事態が相模湾で起きたソ連軍機Tu-95ベアによる123便への攻撃です。JAL123便搭乗者の小川哲氏が機内より右車窓を撮影した写真には、迫り来るTu-95に酷似した機体と、Tu-95だと分析できる斜め後ろ姿の機映の、計2枚が記録されています。

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↑画像 小川哲氏が機内より右車窓を撮影した写真

 この写真は、ご遺族のご判断から、事故から4年後の1990年10月14日に朝日新聞の朝刊および、他のメディアにて公表されました。

 写真内の黒いシミのような点は、実際の写真ではオレンジ色の発光体として写っています。123便のボイスレコーダーの音声の中に、高濱機長が「オレンジエア」と語っているように聞こえる部分がある。実は、「オレンジエア」ではなく、高濱機長は2回「ソ連エア」と語っている。確かに何回か聞いていくとそのように聞こえる。

https://youtu.be/DvyfXuZ4vMI
↑動画 日本航空123便墜落事故 ボイスレコーダーに隠された謎

 上の動画は、多くの人々が真相に近づかないようにミスリードする意図で制作されたと推測できる。しかし、高濱機長が「ソ連エア」と語っている音声が出てきますので貼り付けました。

474.「オレンジエア」か「ソ連エア」か?
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-680.html

(5)口封じの歴史・高天原山事変132 静岡県沼津市の平沢海水浴場が、砂を全て入れ替え、「らららサンビーチ」としてリニューアルオープンしたのはなぜか?

 760の(10)に書きましたが、1985年8月12日18:30頃に、静岡県沼津市の平沢海水浴場<当時>付近で、1機目のJAL123便が自衛隊の核ミサイルを後部に受けた! 760はこちら

 その頃JAL123便の機内で書かれた乗客複数名の遺書が、いずれもみみずの這ったような文字で書かれている。これは核による意識障害が出ている証拠です。

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↑画像 JAL123便乗客の遺書

 JAL123便のCVR(音声記録)によると、18:30分28秒に火災警報音が一度鳴り、すぐに止まっている。

 123氏の聞き込み取材で、静岡県賀茂郡松崎町(まつざきちょう)にいたタクシー運転手から、1985年8月12日18:30前後にどこどこが光った(夕暮れ前に光ったのだから尋常ではない)旨の証言を得ている。この地域では、かなり多くの人々がそれを目撃しているという。

 現場となった平沢海水浴場は、その後、核汚染除去&隠蔽の為に、砂を全て入れ替え、「らららサンビーチ」としてリニューアルオープンしている。外地の砂を多量に持ってきて入れ替えということは、ローカルな浜では特異!


(6)口封じの歴史・高天原山事変133 沼津市の海岸に123便の金属片

 1986年1月11日午後7時ごろ、静岡県沼津市西浦江梨のダイビングハウス経営吉原康明さん(当時32歳)から、近くの海岸で、1985年8月12日に群馬県上野村に不時着した日航ジャンボ機のものとみられる金属片が打ち上げられているのを見つけた、と沼津署西浦駐在所に届けがあった。

 調べによると、この金属片は縦1メートル、横40センチ、厚さ7センチほどで、端がちぎれたようになり、白い塗色で内側はオレンジ色だった。小さなリベットが打たれ、表面に「16」か「91」とも読める数字が書かれていた。1985年12月28日ごろ、ハウスのアルバイトの大学生が見つけ、吉原さんが保管していたが、1986年1月10日に伊豆半島山中で日航ジャンボ機の垂直尾翼の一部が見つかったニュースを聞いて届けたという。

(7)口封じの歴史・高天原山事変134 「付図-1 JA8119飛行経路略図」

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↑画像 「付図-1 JA8119飛行経路略図」:国土交通省運輸安全委員会「日本航空123便の御巣鷹山墜落事故に係る航空事故調査報告書」より

 この「付図-1 JA8119飛行経路略図」は、ネット上に広く拡散しているこの記事の(2)に挿入した飛行経路や760の(3)に挿入した飛行経路と最後の部分<不時着直前の部分>が違いますネット上に広く拡散している方は、ワープした部分を含んでいます。公式記録の「付図-1 JA8119飛行経路略図」は、ワープした部分を掲載するわけにはいかないのでこの図になったと推測されます。

(8)口封じの歴史・高天原山事変135 1985年8月12日18:30

 1985年8月12日18:30、公式見解によれば、123便は静岡県焼津市小川港高草山(501m)上空をスレスレ低空飛行していたとされる。乗客の遺書によれば「123便が急速に降下した」という。

 焼津市石津町原崎三夫氏の証言によれば、「ジャンボ機は、静岡駅南西方向から駅方向に右旋回し、今度は左へ翼を傾けS字状旋回翼上下3度程繰り返し北の雲 の中に消えた。」という。拙ブログの今年の桜シリーズ1は焼津市でした。こちら

 同じ18:30、神奈川県相模原市上空座間ポイント東約9km高度約5400m上空より JAL123便の機影を確認したANA757便の小松機長は、「何とか機首を羽田方向に立て直そうとしている様だった」「初めは4発エンジンの大型軍用機といった感じで(尾翼欠損し鶴のマーク殆ど無し)日航機には見えなかった」「123便は大きくなったり、小さくなったりして見えた。北から東へ針路変更をしようとしている様だった」「約3分後右後方へ去った」と語った。

http://www.asyura2.com/08/lunchbreak11/msg/369.html

(9)口封じの歴史・高天原山事変136 静岡県沼津市は静岡県のグラウンド・ゼロ(ground zero)

 1985年8月12日18:30頃、沼津市上空の「ドーン」という音を地上で聞いた方がいます。同時刻、伊豆半島東側海岸で音楽マニアが波の音を収録中に、偶然大音響を収録した。その音を解析した鈴木松美氏は、「音の立ち上がりが鋭く、1000分の1秒単位の瞬間的発生でした。僅か1秒間で音が終わった。数Hz~約8000Hzの周波数の音が混合していた。」と語った。

http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1955602.html

 新型核のきのこ雲は、東寄りに移動して1985年8月12日19:00頃に新島利島付近に達した後、風向が南に変わったため、千葉県を直撃しフォールアウトにより汚染が発生した。静岡県、神奈川県、東京都にも高レベルなフォールアウトが発生した。

 JAL123便に対する自衛隊の核攻撃による、 静岡県、神奈川県、東京都、千葉県への高レベルなフォールアウトがあった事象は、翌年1986年4月26日23分に発生したソ連チェルノブイリ原発暴発による日本国内での放射能測定数値から分析できる。

 神奈川県の大気1立方メートル当たり最高値3.0ピコキュリー(JAL123便前年の1984年観測)に比べると、JAL123便翌年の1986年5月測定値22ピコキュリーが最高で、7倍以上になっている。

 千葉市ではJAL123便翌年の1986年春のヨモギから1キロ当たり1万ピコキュリーと、かなり高い放射能が検出された。

 1986年のチェルノブイリ原発暴発の際の国内放射能測定が、図らずも、1985年8月12日の日航ジャンボ123便の伊豆における自衛隊核攻撃を露呈する結果となった。
 
http://wajuntei.blog.fc2.com/blog-entry-892.html

504.チェルノブイリ原発事故はなぜ起きたのか?
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-720.html

 チェルノブイリ原発事故は、高天原山事変のリベンジではなかったのか?

 高天原山事変は、アメリカと日本の愛国者達が敗北した。高天原山事変の翌年のチェルノブイリ原発事故は、アメリカ、または、日本の愛国者達によって引き起こされた人工地震によって起きたのだろうか。


(10)口封じの歴史・高天原山事変137 静岡の野菜は放射能耐性になってる? 転載記事

http://www.jinennjo.com/blog/zakki/%E9%9D%99%E5%B2%A1%E3%81%AE%E9%87%8E%E8%8F%9C%E3%81%AF%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E8%80%90%E6%80%A7%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%82%8B%EF%BC%9F/

 こちらはまだ雪が降る寒さですが、今週末からはプラス温度が続きますので早速植えてみます。東北町等でもヤーコン芋の栽培が盛んなのですが、そちらから購入させていただく理由は、対放射能耐性の芋になっているからです。

 1985年8月12日の日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事では伊豆半島で核攻撃が発生したため、神奈川静岡及び千葉は核汚染されました。(平沢海水浴場の砂が入れ替えられる等の措置がとられました。)

 四半世紀以上が経ちまして、生態系が耐放射能作物となっておりますので、そちらの種芋を使いますと、2011年の311の汚染地域でも放射能に良い作物が得られます。

 毎日、新聞に掲載されている政府発表の各県の放射能値の内、静岡県静岡市と群馬県前橋市の値が全国で一番低い状態が続いているのもJAL123便ソ連自衛隊核攻撃惨事後に生態系が放射能耐性になってきているからです。

 特に、御社様の静岡県清水市(当時)上空をJAL123便が飛行しておりますので、そちらで現在栽培されている作物は、311の放射能障害に苦しむ東北の方々には画期的な良薬となります。是非とも増産していただければ幸いです。

(11)口封じの歴史・高天原山事変138 静岡市清水区

 静岡県清水市(当時)が出てきましたので、清水の話。現在の静岡県静岡市清水区は、高天原山事変当時静岡県清水市でした。日本の大手加工食品メーカー・はごろもフーズ株式会社は、静岡県静岡市清水区に本社があります。缶詰やレトルト食品、パスタ等を製造しています。

 清水港(しみずこう)は、静岡県静岡市清水区にある港湾。港湾管理者は静岡県。港湾法上の国際拠点港湾に指定され、また、中核国際港湾にも指定されている。さらに、港則法上の特定港にも指定されている。神戸港・長崎港と共に『日本三大美港』の一つ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B0%B4%E6%B8%AF

20091228富士山
↑画像 上空から見た清水港と富士山

 情報筋によれば、ソ連時代を含めロシアからの核兵器密輸が清水港で行われているという。(5)に書いた通り、1985年8月12日18:30頃に、静岡県沼津市の平沢海水浴場<当時>付近で、1機目のJAL123便が自衛隊の核ミサイルを後部に受けた。静岡県沼津市は静岡市清水区から比較的近い。 

(12)口封じの歴史・高天原山事変139 静岡県沼津市に約2年前からクロカモと思われる人々が常にいるのはなぜか?

 「759.日航ジャンボ123便に京都府在住の乗客・乗員がほとんどいなかったのはなぜか? PART2」に書いた通り、クロカモ<日本の奥の院とその非公然武力組織>のカモは、加茂族<賀茂族>です。759はこちら。加茂族<賀茂族>といえば京都、京都はクロカモの重要拠点です。ですが、クロカモの中心は台湾系「客家」の様です。ですからネットで拡散している「クロカモ」という言葉は、実態を完全に反映していない言葉です。

761.日本は台湾系「客家」が支配しているのではないか?
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-1012.html

 「760.123便は時空を超えた!!!<123便の真実・最新1>」の(10)に書いた通り、3機目の123便が今すぐに現れるかもしれない。760はこちらソ連機の攻撃を機内で見ていた3機目の123便の乗員・乗客がそれを語ったら、ソ連と通じていたクロカモは困る。

 そこで3機目の123便の乗員・乗客を殺害する為に、クロカモと思われる人々が約2年前から静岡県沼津市にスタンバイしていると考えられる。


 もちろん123便の真相究明に尽力している人々が、らららサンビーチで調査をする事を妨害する目的もある。

↓動画 乃木坂46 生田絵梨花
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2017/08/25 (Fri) 10:37 |  | 編集 | 返信
福田元昭 #-

Re: タイトルなし

静岡県の・・・・・・・さん、コメントを頂き、ありがとうございます。

現在、拙ブログは妨害を受けているのか、クリックしてもなかなか記事が出てこなくて、ようやく出てきてもアクセスカウンターが見られない状況です。まもなくアクセス100万突破だというのに。

現在、「766.静岡県沼津市に約2年前からクロカモと思われる人々が常にいるのはなぜか?」の続編を書いていますが、こうした状況ではいつUPできるか判りません。続編に貴コメントを無記名で引用させて頂くかもしれません。ご理解を賜りますようお願い申し上げます。

2017/08/25 (Fri) 13:59 | URL | 編集 | 返信

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