759.日航ジャンボ123便に京都府在住の乗客・乗員がほとんどいなかったのはなぜか? PART2

↑画像 2017・浴衣2 間もなく旧盆ですね。そこで今回の冒頭の写真はこれです。「京都のお盆を知って頂けたらと思います・・・」AKB48・横山由依said 今回のテーマは京都府なので、冒頭の写真はこれにしました。
(1)口封じの歴史・高天原山事変102 川上慶子さんが123便に搭乗したのはなぜか?

↑画像 1985年8月13日 救出された川上慶子さん(当時12歳)
2017年8月12日になりました。高天原山事変<日航ジャンボ123便撃墜事件>から32年経ちました。そこで本日は関係の記事を2本UPします。まず1本目です。今回の記事は「753.日航ジャンボ123便に京都府在住の乗客・乗員がほとんどいなかったのはなぜか? PART1」の続きです。753はこちら。
「564.JAL123便を米軍が撃墜したと言う説は真実か?」の「(6)口封じの歴史・高天原山事変編51 JAL123便のキャンセルが多かったのはなぜ?」に書いた通り、川上慶子さんは家族4人での北海道旅行の帰りに大阪の親戚宅に寄るため羽田に戻り、キャンセル待ちの後123便に搭乗した。564はこちら。
<564から転載>日本航空123便墜落事故<御巣鷹山事変>が起きた8月12日って、現在もそうですけど、アメリカ風に言えばホリデーシーズンですよ。ホリデーシーズンとは米国やカナダで主に用いられる言葉で、多くの人が休暇をとる期間です。
http://www.weblio.jp/content/%E3%83%9B%E3%83%AA%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%B3
そのような日のしかもとりわけ需要の高い18時台の便で4人もキャンセル待ちでチケットが取れるってなかなかあり得ない話です。それがあり得たのは、123便のチケットを事前に購入しながら、日航機撃墜計画を知ってしまいキャンセルをした人々が結構いたからです。
2015年に放送されたTBS系の番組の中で、川上慶子さんのお兄さんの千春さんが、自分が北海道ツアーに参加していれば、5人となり、キャンセル待ちをしてもチケットが取れないからこのような事にならずに済んだのにと後悔していると言う話が出てきた。
4人が隣り合う形で座席は確保できなかったかもしれないが、離れた形なら千春さんの座席も取れた可能性が高い。需要が高い日であり更に需要が高い時間帯なのに、123便はとてもキャンセルが多かったのです。
特に政治家のキャンセルが多かった。高天原山事変も311も広島・長崎の原爆も事前にそれが起きる事を知っていた奴らがいたのである! 実にひどい話である。明石家さんまはおそらくあるルートから123便に乗ってはいけないと言う情報が入り、ドタキャンしたと推測される。<564から転載終了>
今回は詳述できませんが、川上慶子さんはいろいろな意味でこの事故のキーパーソンです。1977年11月15日に新潟から拉致された際、当時13歳の少女だった横田めぐみさんが、いろいろな意味で数多くの北朝鮮による日本人拉致事件のキーパーソンだったの同じ様に。
407.2014年12月8日、横田めぐみさんが朝鮮民主主義人民共和国の最高指導者である金正恩の母である事が発表されるのか?
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-577.html
1985年8月12日当時12歳の少女だった川上慶子さんは、朝鮮王朝と日本の皇室の血が流れている横田めぐみさんが計画的に拉致された事と同様に、高天原山事変<日航ジャンボ123便撃墜事件>の首謀者側の策謀により、123便に搭乗させられた可能性があります。123便には首謀者側の策謀により、123便に搭乗させられた可能性がある人物が何名かいます。
川上慶子さんの並外れた強い精神力は、首謀者側が「708.山口敬之が岩田明子をレイプしなかったのはなぜか?」の(6)で取り上げた「呪詛増幅装置」を悪用して、高天原山事変<日航123便撃墜事件>を起こす上でとても役に立ったのです。結果的には首謀者側の思惑を上回る結果を生み出してしまったのです。それについては「760.123便は時空を超えた」に書く予定です。760は一応本日12日中にUPする予定です。708はこちら。「呪詛増幅装置」を多用しているのは天台宗系の人々だといわれている。
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/6934eb2acb1b27be98f4ab6370af8eb9
川上慶子さんの並外れた強い精神力は、事故後の彼女の人生に見事に反映されています。アメリカ人男性と出会い結婚した理由は、彼女が日本にいる事に不都合を感じた首謀者側<クロカモ>が、アメリカ人男性を彼女に引き合わせたという説があります。現在44歳の川上慶子さんは、アメリカで力強く生きている。
464.川上慶子さんがアメリカ人と結婚したのはなぜか?
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-666.html
(2)口封じの歴史・高天原山事変103 京都・愛知勢力
さて、川上慶子さんの事例で明らかな様に、当日の123便には、北海道などの各地から羽田空港に飛行機でやってきて、羽田空港で123便に乗り継いだ客がある程度いる。
当時の京都在住者でそうした選択を本来ならしたであろう人々がかなりいたはずである。そうした人々がわざわざ新幹線に乗る為に羽田空港から東京駅に移動する事は現実的ではない。参考までに、JR東海の東海道新幹線品川駅が開業したのは、2003年10月1日です。
つまり京都在住者でそうした選択を本来ならしたであろう人々の何割かは、事前に高天原山事変<日航ジャンボ123便撃墜事件>が起きる事を知っていて、123便を選ぶ事を避けたかドタキャンしたのである。
753の(2)をCHECKして頂ければお判りの通り、京都府のお隣の大阪府在住者で123便に搭乗した人々はかなりの人数です。それに比べて京都府在住者の123便搭乗者は不自然なくらい少ない。753はこちら。
クロカモ<日本の奥の院とその非公然武力組織>のカモは、加茂族<賀茂族>です。賀茂氏は、速須佐之男命の11世の孫の大鴨積命を祖とする出雲国の古代の氏族とされる。賀茂氏は、八咫烏に化身して神武天皇を導いたとされる賀茂建角身命を始祖とする天神系氏族とされる。代々賀茂神社に奉斎し、山城国葛野郡・愛宕郡を支配した。子孫は上賀茂・下鴨の両神社の祠官家となった。また、賀茂県主は同じ山城国を本拠とする秦氏との関係が深い。氏人には鴨長明(下鴨社家)、賀茂真淵(上賀茂社家)がいる。
クロカモは黒い賀茂氏に由来する。現在の「葵祭」の原型である「賀茂の祭」が、欽明(きんめい)天皇の時代にあったとされています。上賀茂・下鴨の両神社がある京都はクロカモの重要拠点です。ですから高天原山事変<日航ジャンボ123便撃墜事件>当時の京都在住者で、クロカモに属しているか通じている人々は、他の道府県に比べたら突出して多いと推測されます。これが日航ジャンボ123便に京都府在住の乗客・乗員がほとんどいなかった理由です!!!
クロカモには愛知の有力者も結構加わっている。ですからクロカモは「京都・愛知勢力」と言っても良い。事実上尾張徳川家に支配された軍事志向の企業と指摘されているトヨタ自動車はクロカモの有力スポンサーです。
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/6934eb2acb1b27be98f4ab6370af8eb9
(3)前原誠司 御巣鷹慰霊登山
「285.創価学会員は、東日本大震災が起きることを事前に知っていたのか?」の冒頭の写真で紹介した通り、前原誠司は池田大作(ソンテチャク)の息子である可能性が高い。285はこちら。
2009年12月、前原誠司を後援する京セラの稲森が日航再建の責任者になった。2010年8月、日航機123便墜落事故の再調査が、前原誠司を中心に行われた。また当時国土交通相に就任していた前原誠司は、2010年8月12日、日航機123便墜落事故の現場に慰霊登山をした。高天原山事変<日航ジャンボ123便撃墜事件>後、航空行政の所管大臣<運輸大臣・国土交通大臣>が「御巣鷹の尾根」への慰霊登山をするのは初めての事だった。

↑画像 御巣鷹の尾根で「昇魂之碑」に手を合わせる前原誠司国交相<当時>(群馬県多野郡上野村)(2010年08月12日) 【代表撮影・時事通信社】

↑画像 群馬県多野郡上野村 御巣鷹の尾根「昇魂之碑」 2017年8月9日 福田元昭撮影 左側に写っているもやは霊でしょうか?
2017年8月9日、私も一人で御巣鷹の尾根の「昇魂之碑」に手を合わせてきました。御巣鷹の尾根に1番近い駐車場は満車に近かった。12日に近いからかなと現地では思ったのですが、123氏に電話でその事を報告したら。駐車していた車に乗っていた人々のほとんどはクロカモだろうとの話でした。私もクロカモにマークされる様になってしまったのでしょうか。
高天原山事変である意味敗北したアメリカ軍が、京都出身の前原誠司に123便事件の首謀者の一翼を担う京都人脈を代表して慰霊登山をするように指示したという。なお日航機123便墜落事故当時大学生だった前原誠司は首謀者ではない。大学生だった前原誠司は私と同様にアルバイトしまくりの苦学生だったので、私は前原誠司に親近感を感じている。米国CIAと対日工作担当者は、前原誠司ら松下政経塾出身の政治家を押さえ米帝の傀儡にする傾向がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E5%8E%9F%E8%AA%A0%E5%8F%B8
さて前述の日航機123便墜落事故の再調査ですが、前原誠司は2011年7月に、123便事故解説書を公開して、事故原因は後部圧力壁の損傷という結果を再主張した。後部圧力隔壁の損傷は、生存者の証言で有り得ない話であるにもかかわらず、前原誠司らは従来の主張を繰り返した。
(4)標高と年号の考察
407のコメント欄から123氏のコメントを転載します。407はこちら。
日航ジャンボ123便(乗員乗客524人)ソ連自衛隊核攻撃惨事(マルキストロシア勢力が、ユダヤ石屋米国天皇勢を攻撃)が1582m峰 U字溝に来たのは、1582年の本能寺の変の型が出ている。
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/35436.png
1582年5月24日には以下のような案件があった。
「天正十年(1582年)五月二十四日、坂本城に在る光秀(明智光秀)を真光(根来寺を逃げ出し姿を眩ました僧)に伴われた男が密かに一人訪れた。京都吉田神社の神官・吉田兼見(かねみ)で、近衛前久公の書状(書状は二通、一通は前久、もう一通には義昭の花押)を帯しているという。」
なお、1582年3月11日は、武田家滅亡の日であり、いわゆる2011年の「311」と、型という意味で議論するのも有意義と考察される。
いずれにせよ、御巣鷹U字溝の1582m峰は重要地点と位置づけられる。

(5)小沢一郎議員と日航ジャンボ123便
更にもう1本407のコメント欄から123氏のコメントを転載します。407はこちら。なお、このコメントは2014/12/05付けです。
1985年8月12日の日航ジャンボ123便ソ連自衛隊核攻撃惨事の際、日本勢力はソ連側についたが、「やまびこヘリ」が造反して米国勢力として動き、生存者4人につながった。
「やまびこ」といえば、東京(当時は大宮)と盛岡を結ぶ新幹線の列車愛称名である。小沢一郎議員地盤の岩手県盛岡市である。
さて、小沢一郎議員は5月24日生まれであるが、日航ジャンボ123便は乗員乗客524人である。
小沢一郎議員は「やまびこ」の盛岡であるが、日航ジャンボ123便の生存者につながったのは「やまびこ」ヘリの強行救助であった。 といった按配に、小沢一郎議員と日航ジャンボ123便との型としての関連性が見られる。
小沢一郎議員は、オバマケネディ イルミナティ勢力としての旗印を鮮明にすることができれば起死回生もありえるだろう。
↓動画 矢島舞美

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